生体の科学 65巻5号 (2014年10月)

増大特集 生命動態システム科学

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 今後,生命科学は予測する科学へと変貌していくだろう。シミュレーションプログラムを使って細胞の,組織の,そして個体の運命が予測されるようになるだろう。量子力学の大規模実験が理論による予測を確認するために行われているように,生命科学の実験も,遠い将来か近い将来かは別にしても,いずれは予測を確認するために行われるようになるはずである。このような“予測する生命科学”を創るためのプラットフォームが生命動態システム科学である。この生命動態システム科学の実験的土台は計測科学である。最近よく使われている定量生物学という言葉はその発想を同じくするものであり,これらの研究から抽出したパラメーターを基に,数理モデルが構築され,シミュレーションによって現実と仮想空間とが橋渡しされる。一方,原理を突き詰めていく物理学とは異なり,非常に複雑な生命体のパラメーターのすべてを決定することはそもそも不可能であるという立場もある。細胞あるいは臓器をブラックボックスとして,多数の入力・出力データから,このブラックボックスの入出力応答を予測することで生命現象を予測しようというアプローチも情報科学の分野で進みつつある。いずれのアプローチをとるにしても,シミュレーションの予測結果が正しいかどうかを検証する必要があり,そのための生命を再構成する研究=合成生物学も,生命動態システム科学の大きな一翼を担う。本増大号の目的は,この,定量・数理・合成生物学という生命動態システム科学の3本の柱を鳥瞰することである。

 「生命動態システム科学」を今後推進していくことは平成23年に文部科学省で決定された。これに従い,生命動態システム科学4拠点,戦略的創造研究(CREST),さきがけ研究などのトップダウン型のプロジェクトが相次いで開始され,猛烈な勢いで研究が始まっている。しかし,数理・情報科学と生命科学の融合を掲げるこの領域は,その研究者が一堂に会する学会を持たず,果たしてある一定の研究領域を形成しているのかさえ,外部の研究者にはわかりにくい。日本においては,この領域は少数の数理・情報科学者と多くの医学・生命科学者,そしてごく少数の両方ができるバイリンガル研究者からなっている。ここで一つ注意を喚起したいことは,今,数理・情報科学と生命科学の共同研究を必要としているのは膨大な情報に圧倒されている生命科学者の側であるという点である。したがって,生命科学の側から数理科学に近づいて理解する努力が必要であると思う。本増大号では“生命動態システム科学”を浅く広く俯瞰し,生命科学者が数理・情報科学という異国の言葉をしゃべる研究者と話す一助になればと生命科学者の立場から編集した。多忙ななか,ご執筆していただきました諸先生方に深くお礼を申し上げるとともに,特集が今後の研究の発展に寄与することを切望するものである。

Ⅰ.定量生物学 1.分子・細胞の計測 1)基本技術

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■情報の概念と生命現象

 “情報”は様々な生命現象に関連して現れる普遍的な概念である1)。例えば遺伝は世代間での情報の継承であり,十分な情報の伝達は自己複製過程が成立する基本要件であると考えられる。子が親に似るという生物学的に当たり前な現象の観察から始まり,メンデルの遺伝法則の発見,遺伝情報の物理的担い手としてのDNAの同定,そして遺伝情報を表現する暗号やタンパク質へと変換するセントラルドグマの解明に至る分子生物学の黎明期を顧みても,“情報”という見方は生命の本質を探求する過程で不可欠な概念的基盤であった。本稿では,生命科学における“情報”という概念とそれを支える理論的基礎を概説し,その生命動態理解における役割を展望する。

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■背 景

 近年,生命現象を司る動作メカニズムの理解を目標としたシステム生物学的アプローチをとった研究が隆盛を誇っている。生命現象を司る動作メカニズムの理解には,対象とする生命現象にかかわる分子の特定,およびそのダイナミクスを理解する必要がある。一般的にダイナミクスは遺伝子制御,シグナル伝達,代謝など分子間反応として表現され,ダイナミクスの特性の記述には反応方程式が用いられる。反応方程式の記述は,① 分子濃度を記述した常微分方程式,② 分子濃度の空間的分布を記述した偏微分方程式,③ 分子数の揺らぎを考慮した確率モデル,に大別される。これら異なる記述方法は適用する生命現象に依存する。現在,様々な細胞シミュレーション手法が提案されているが,ここ10年間,論文などで最も多く利用されているのが① の常微分方程式を用いた数理モデルのシミュレーションである1)。常微分方程式を用いたシミュレーションでは細胞内の各分子反応を化学反応方程式の形で表し,各分子反応の濃度変化を一つずつ計算し,数値積分を行う(図)。

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■はじめに

 バイオイメージングとは生物を画像として観察,解析することであり,ヒト個体の内部を観察するMRIやCTから,生命機能の素子である蛋白質の分子構造を観察する電子顕微鏡まで,様々なモダリティが存在する。数あるモダリティの中で,光は量子エネルギーが低く生体分子への損傷が少ないため,光学顕微鏡は生体試料の生きたままの観察を可能とする。さらに,1953年の蛍光蛋白質の発見により,光学顕微鏡の中でも,蛍光顕微鏡の生命科学研究への応用は飛躍的に広がり,それに伴い光学顕微鏡技術を用いたバイオイメージング技術も進歩してきた。生命科学において,“観る”技術として使われてきた顕微鏡技術は,2014年現在,蛋白質や細胞の動態や状態を“測る”技術として進化している。

Ⅰ.定量生物学 1.分子・細胞の計測 2)1分子計測

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■細胞膜で情報を伝える受容体

 おそらく,ほとんどの細胞が共通して持ち合わせている性質の一つは,細胞外の様々な情報を絶え間なく受け取り,細胞内へ伝えていることであろう。多くの場合,実際に細胞外の情報を受け取っているのは,細胞膜に存在している多種多様な受容体分子であるので,その働き方を理解することは,シグナル伝達の仕組みだけでなく,細胞そのものを理解するうえで非常に重要であることは言うまでもない。受容体分子が働いている細胞膜では,シグナル伝達を担う分子同士の結合や解離が必要に応じて巧みに制御されることで,シグナル分子間での情報の変換が行われているはずである。つまり,細胞膜上での情報変換の仕組みは細胞膜上での分子の振る舞いを完全に理解することによって初めて解明可能になると考えられる。実際には一つ一つの分子を観察しながら,受容体やシグナル分子の相互作用を逐一調べることは長い間困難であった。しかし,こうした状況は最近大きく変わってきており,分子同士の相互作用をはじめとした分子の振る舞いを詳しく調べるために,蛍光1分子観察法が極めて有効な手法の一つであることがわかってきつつある1)

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■1分子の運動・反応にみられる多状態性

 細胞内では様々なシグナルが分子の多状態性を利用して伝達される。例えば,細胞外のリガンドの結合によって受容体の状態が変化すると,Gタンパク質のヌクレオチド結合状態や,その下流で働く分子のリン酸化・脱リン酸化状態が連鎖的に変化してゆくことで,細胞の応答が引き起こされる。こうした分子反応ネットワークの動態を明らかにするためには,分子の多状態性と状態間遷移の時空間的なダイナミクスを解析する技術が必要となる。

 1分子イメージングでは,生きた細胞の細胞膜上でまさにシグナル伝達の現場にいるシグナル分子の個々の挙動を直接的に可視化できる1)。標識に用いた蛍光色素の位置の時系列変化からは拡散係数を,蛍光色素が観察された時間からは細胞膜解離反応のキネティクスを推定できる2)。これまで分子が複数の状態をとる場合に,個々の状態に特有の拡散係数や解離速度定数,さらには状態間遷移反応の速度定数を推定する方法論(lifetime-diffusion解析法)を開発してきた3)

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■はじめに

 細胞は生理活性物質のみならず,細胞外環境の硬度などの物理特性の違いや外力に応答して,遊走の方向,増殖,分化などを大きく変化させる。このとき細胞表層に発達するアクチン細胞骨格の形態が大きく変化する。アクチン線維(Fアクチン)の動態の制御分子には,細胞先導端でFアクチンの横に枝分かれ状の重合核を作るArp2/3複合体や,分裂溝やアクチンストレス線維を形成するフォルミンファミリー,Fアクチンを切断・脱重合するコフィリンなどがある。

 この複雑なアクチン動態の解析にあたって,われわれの開発した単分子スペックル顕微鏡(single-molecule speckle microscopy;SiMS顕微鏡)は有用なツールである1)。SiMS顕微鏡はごく低濃度の蛍光標識分子を導入することで,細胞構造に結合した分子をスペックル(斑点)として1分子ごとに可視化する。SiMS顕微鏡はアクチン重合・脱重合,その制御分子の挙動の精密な定量化が可能である。特に近年,本手法によって物理ストレスによるアクチン重合制御について明らかになりつつある。本稿ではSiMS顕微鏡によって明らかとなった細胞先導端でのアクチン動態,フォルミンファミリーによるアクチンの速い重合,そして物理ストレスによるFアクチンの迅速な再生について紹介する。

Ⅰ.定量生物学 1.分子・細胞の計測 3)分子機能計測

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■細胞のエネルギー通貨ATP

 細胞の維持・増殖のためには外部からのエネルギーの取り込みが欠かせない。動物細胞の場合は糖や脂質など様々な物質の持つエネルギーを利用している。それらに含まれるエネルギーの多くは,いったんアデノシン三リン酸(ATP)のリン酸エステル結合の形に変換され,その後に細胞の様々な場所で様々な目的に利用される。エネルギーの流れがいったんATPに集約されることで,エネルギー源が多様であってもスムーズなエネルギー利用が可能となっている。経済における通貨と役割が似ていることから,ATPはしばしば“細胞のエネルギー通貨”と呼ばれている。

 しかし,強く負に帯電して生体膜を自由に通過できないATPが,どのような仕組みでオルガネラ内に運ばれているかは,一部のオルガネラを除き不明である。また,相互作用するタンパク質が多いために拡散が制限されていると考えられるATPが,必要なときに必要な場所にどのようにして供給されているかも不明な点が多い。そして,環境の変化や細胞そのものの状態の変化に応じた細胞内ATP濃度変化の時間スケールや振れ幅についても,信頼できる知見は決して多くはない。

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■細胞内温度

 温度はあらゆる化学反応を支配する物理量である。生体分子は細胞内の特定の場所において発熱ないし吸熱反応を行うことで細胞機能を担っている。それゆえ,細胞内の温度は細胞内分子の熱力学や機能を反映している。また,がん細胞などの病態細胞では亢進した熱発生があると報告されている1)ことも細胞内温度が細胞内分子ネットワークと深くかかわっていることを示唆している。

Ⅰ.定量生物学 1.分子・細胞の計測 4)細胞機能計測

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■細胞周期と細胞機能探索

 細胞の増殖と分化とが秩序よく絡み合うことで,組織,器官,そして個体などの“生命動態システム”が形成されていく。こうした細胞社会において,細胞周期進行はどのような時空間パターンで起こるのか? この問いに答えるために,われわれは細胞周期をリアルタイムに可視化する蛍光プローブFucci(fluorescent ubiquitination-based cell cycle indicator)を開発した1)。Fucciを恒常的に発現する生物個体を作製し,様々な発生段階における細胞周期パターンを四次元的に理解するプロジェクトを推し進めている。さらに,固定組織を透明にするScale技術をFucciマウス胚に適用し,各発生段階における細胞周期の三次元空間パターンを一目瞭然に捉えるプロジェクトも開始した。また,特殊な培養皿FulTrac wellを作製し,浮遊細胞や運動性の高い細胞などの動態を長時間にわたり追跡することを可能にした2)。生命動態システムを細胞周期の制御の観点から解析するための技術を紹介する。

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■細胞質量分析法

 生命の最小ユニット,細胞は,顕微鏡でつぶさにその動きを見ていると,実に合目的的で多様な動きを示すが,特に培養細胞では,それぞれが独立しているかのように,その挙動や応答はばらばらに見える。この多様性ゆえに,一つ一つの細胞の様子を顕微鏡観察で,その状態を規定しつつ,細胞一つ一つの分子群を網羅的に捉え,その変動を追跡できればと“ビデオマススコープ”の開発に着手した1)。しかし,1細胞の体積は1pL以下と超微量で,その分子検出は難しく,ようやく2007年に有効な手法開発に成功し,植物細胞ではそのプロトコールまで公開できるようになった2-4)

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■ミクロの宅急便

 われわれの生活はトラックによる物流に大きく依存している。同様に細胞の中では,微小管に沿った分子モーターによる物質輸送が,細胞内の兵站として重要な役割を果たしている。近年,蛍光ライブイメージング法の進歩により,タンパク質,脂質,mRNAなど様々な物質が,キネシンなどの分子モーターによって輸送される様子が観察できるようになった。まさにミクロの宅急便である。そして,トラック輸送が滞ると日常生活に支障が出るのと同様に,細胞内輸送の障害は様々な疾患に直結する。例えば遺伝性痙性対麻痺や先天性外眼筋線維症などの神経変性疾患の原因として,キネシンや微小管(を構成するチューブリン)遺伝子の変異が多数同定されている1)。また,神経細胞における情報伝達の場であるシナプスで機能する分子群を輸送するキネシン(KIF1A,KIF17)の増加・減少により,記憶学習能力が向上・低下することがマウスを用いた実験により示され,記憶や学習においてもキネシンによる物流が律速となることが示唆された。おもしろいことに,記憶学習能力の向上がみられるのは,キネシンの量が2倍程度に増えたときで,更に大過剰に増やしても輸送はかえって抑制され,マウスは死んでしまう。このことは細胞内輸送系をシステムとして定量的に理解することの重要性を端的に示している。

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■メタボロミクスとは?

 生体内には多種多様の代謝経路が存在し,代謝反応の結果として生じる代謝産物量も生体の環境応答や適応変化などによって変動する。これらの代謝物の総体をメタボロームと呼び,この変動を網羅的に追跡することによって生命現象を理解しようとする方法論がメタボロミクス(メタボローム解析)である。従来から特定の生体内代謝物の測定は行われていたが,1990年代にメタボロームやメタボロミクスの概念が提唱されはじめると,2000年代には質量分析装置の発達と相まって本格的なメタボロミクス研究の時代に突入した。これを裏付けるように,ここ数年国内外におけるメタボロミクスに関連する論文数は飛躍的に伸び続けている。

 最新のHMDB(The Human Metabolome Database;http://www.hmdb.ca/)に登録されているヒトの体液(血液や尿など)から検出された代謝物の総数は11,173化合物であり,これは他のオミクス(遺伝子;約22,000,機能性RNA;約100,000,タンパク質;約1,000,000)と比較しても非常に少ない数である。したがって,他のオミクスよりも比較的総体を把握しやすいのではないかと考えられている。また,代謝物は生物種にかかわらず共通の化学組成を有することも大きな利点である。そのため,ゲノム情報のない動植物サンプルにおいてもメタボロミクスの手法を適用することが可能である。

Ⅰ.定量生物学 1.分子・細胞の計測 5)転写制御

(1)1細胞遺伝子発現解析 谷口 雄一
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■ゲノム解読の次なるターゲット

 2003年にヒトゲノムが完全に解読された現在1),パーソナルゲノムの解読に向けたゲノム解読技術の高速化・低価格化に大きな注目が集められている。その一方でゲノム解析の次なるターゲットとして注目されているのが,より機能レベルの情報を直接取得するトランスクリプトーム(全mRNA)プロテオーム(タンパク質)の解析である。

 DNAの発現産物であるトランスクリプトーム,プロテオームの解析は単純ではない。一つの理由として,ゲノムとは違い,トランスクリプトーム・プロテオームには“ノイズ”が存在することが挙げられる。つまり,ゲノムは細胞内に常に決まったコピー数が存在する(1倍体であれば1コピー,2倍体であれば2コピー)のに対し,mRNA・タンパク質のコピー数は,各細胞でそれぞれ乱雑に変動している。最近の研究からは,ノイズの働きによって様々な性質を持った細胞が生み出され,それらが様々な病理・生命現象において重要な役割を担うことを示唆する実験結果が示されている。こうした理由から,トランスクリプトーム・プロテオーム解析を1細胞レベルで行う技術,さらにはその動態や局在性を解析する技術の開発が,最近のゲノム科学における一つのトピックとなっている(図)。

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■遺伝子発現制御とインスレーター

 ゲノムDNAが保持している遺伝情報は,細胞内では折り畳まれてクロマチン構造を形成しており,さらに高次に折り畳まれることにより染色体が形成される。ゲノムDNA上には多数の遺伝子が並んで存在し,個々の遺伝子は固有の遺伝子発現パターンを持つ。

 遺伝子の転写は,シスエレメント(エンハンサーやサイレンサー)の作用により制御される。一般的にエンハンサー作用はプロモーターからの位置・距離・方向に依存しないが,隣接する二つの遺伝子間にはインスレーターと呼ばれる境界配列があり,エンハンサーからの不適切な活性化シグナルはインスレーターの作用によりブロックされる(図A)1)。インスレーターが持つこのような活性を“エンハンサー遮断活性”と呼ぶ。

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■エピゲノムによる遺伝子発現調節

 1942年ごろからコンラッド・ワディントンによって提唱されはじめた“エピジェネティクス”という言葉は,発生学の概念である“後成説(エピジェネシス)”に由来する。ワディントンは1個の受精卵が卵割後に多様な細胞に特殊化し,発生していくようすを有名な“エピジェネティック・ランドスケープ”という図と共に説明した1)。この概念はDNAやクロマチン構造の分子的実体が明らかになった今日では“変化した遺伝子発現状態を記憶または継続させる染色体構造変化”と捉えられるようになっている。

 エピゲノムはDNAの上位に実装された生命情報の記憶レイヤーと考えることができる2)。これにより,同じDNAを持つ細胞や個体が,外部環境に応じて柔軟で多様な表現型(特定の遺伝子セットのON/OFFのパターンから生み出される表面的な性質)を保持することが可能になる。また,その表現型については,分化細胞のように一定期間記憶することも可能であるし,大きな環境変化に際して柔軟に変化する可塑性を示すこともできる。

Ⅰ.定量生物学 2.組織・個体の計測 1)神経

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■ネットワークとしての神経系

 神経系は多数の神経細胞からなるネットワークであり,そこで行われる高度な情報処理の機構を理解することは,神経科学の大きな目標である。そのために基本となるのは神経活動の測定であるが,近年,蛍光プローブを用いて神経の活動を可視化する手法(イメージング)が急速に発達し,多数の神経の活動を同時に測定できるようになった。しかし,これまでの研究は脳組織切片や培養神経細胞など平面状に拡がった神経の活動の測定にほぼ限定されており,その結果から全体を推定することは神経科学の研究者にとって隔靴掻痒の感があった。

(2)深部脳イメージング 佐藤 正晃
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■はじめに

 可視光よりも組織浸透性の高い近赤外超短パルスレーザーを光源に用いる二光子レーザー顕微鏡は1990年代に神経科学に導入され,特に光散乱性の高い生きた動物の脳組織における神経細胞のイメージングに威力を発揮した。以来,現代の神経科学においても神経回路の構造と機能を研究するための強力なツールとなっている。このような二光子イメージングに代表されるin vivoイメージング技術の進歩は,脳表から数百μm程度の深さで観察のしやすい大脳皮質の神経回路について多くの新たな知見をもたらしたが,皮質下に存在する深部脳部位のin vivoイメージングによる解析は,情動や本能,生体恒常性などの脳機能におけるそれらの部位の重要性にもかかわらず,技術的困難のためにほとんど手がつけられていない。このことは,もし深部脳をイメージングする技術が一般に広まれば,これらの部位のイメージング研究が観察部位の深さという制限から解放されて爆発的に進歩する可能性があることを意味している。このような現状を背景として,本稿では,① イメージングウインドウの埋め込み,② 光ファイバーまたはマイクロGRINレンズを用いた内視鏡,③ 長波長光源の利用,という深部脳イメージングの主な三つの手法について概説する(図)。

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■はじめに

 われわれの日常生活の大半は何らかの社会行動である。つまり,“ヒトである”ことの多くはその社会性にあると言える。人々が互いの心や振る舞いを推断するときに働かせる社会知性は,脳の産物である。より精緻に述べれば,それは脳(神経回路)の情報処理すなわち脳計算の産物である。ここで,科学者としては次のような疑問が生まれる。社会知性の脳機能解明,あるいは心の生物学はあり得るのだろうか。脳の生物学的実体に即しながら社会知性を理解することは可能なのだろうか。その脳計算の理解はどうか。筆者はこういったことを社会的意思決定の研究を通じてその探究を進めている。なお本稿はテクニカルレポート1)の簡約版であることを付記する。

Ⅰ.定量生物学 2.組織・個体の計測 2)発生

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■モルフォゲン濃度勾配と反応拡散

 形態形成において二つの重要なモデルが知られている。一つはモルフォゲン勾配モデル,もう一つは反応拡散モデルである。前者は形態形成に重要な拡散因子が場のある一点から拡散して濃度勾配を形成し,その濃度に依存して位置情報が与えられる。その結果,それぞれの位置で遺伝子発現などの調節が起こりパターンを作り出すというものである(図A)。一方,後者は二つの拡散因子が互いに反応し合いながら拡散する。この反応には抑制作用と活性化作用が含まれ,それぞれの拡散速度に依存してパターンが作られる(図B)。モルフォゲン原理が単純な周期的パターンを作るのに対し,反応拡散ではバラエティーのあるパターンの形成が可能であり,生命現象の至るところで見られる1)

(2)動物胚の相似性維持 猪股 秀彦
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■生物固有の比率

 地球は多種多様な“形”の生物で満ちあふれている。このような形状の多様性は,個々の種を特徴づける最も基本的な要素の一つである。しかし,一見,多様に見える“形”も実は多くの共通する基本構造からできている。例えば,哺乳類の大部分は頭部・手足・胴体からできている。形の多様性は,この基本構造の比率を変えることによって作り出されている可能性がある1)。ウマの首の比率を長くすればキリンのような形にすることができる。生物は固有の比率を維持することによって個々の“形”を維持しているのかもしれない。

 生物固有の形は,主に受精卵から胚が発生する過程で形造られる。この発生過程においても,生物固有の比率は頑なに維持されている。1975年にCookeはアフリカツメガエルの初期胚を用いて背側と腹側で外科的に半割にした2)。すると背側の半割胚から相似形を維持した半分のサイズの小さなオタマジャクシが誕生したのである。このような胚のサイズによらず相似形を維持する現象をスケーリングと言う。

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■はじめに

 発生過程特異的に働く生物時計の代表例として,体節形成を制御する分節時計がある。体節は尾部にある未分節中胚葉の前端部が周期的に分節することによって形成される。マウスの場合は約2時間周期で分節が起こり,左右1対ずつ体節が形成される。分節時計の実体はHes7因子の発現が約2時間周期で振動することによる1)。Hes7の発現はなくなっても,一定に持続してもだめで,いずれの場合も体節は癒合し,体節由来の組織である椎骨や肋骨も癒合する。したがって,Hes7の発現は2時間周期で振動することが必須である。本稿では,発現振動の分子機構と意義について概説する。

Ⅰ.定量生物学 2.組織・個体の計測 3)血管系

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■血管新生とは

 内膜・中膜・外膜の3層構造から成る血管の構成細胞のうち,内膜を構成する内皮細胞が最初にネットワークを形成することで血管ができる。“血管新生(angiogenesis)”とは既存の血管から内皮細胞の発芽または嵌入によって血管が伸長していく過程を指し,未分化細胞から内皮細胞が分化して新たな血管が生じる脈管形成(vasculogenesis)と区別される。血管新生の主たる誘因は,組織の酸素需要が供給を上回ることによって生じる低酸素状態である。細胞内の低酸素感知機構によってHIF1(hypoxia inducible factor 1)と呼ばれるタンパク質が細胞質内で増加して核へと移行し,血管新生の主要なメディエーターである血管内皮細胞増殖因子(vascular endothelial cell growth factor;VEGF)などの遺伝子発現を誘導する。VEGFは細胞外に分泌され,他の多くの因子と共に血管内皮細胞を活性化し,増殖や遊走を促進することで血管新生が進行する。

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■はじめに

 血管は生命機能の根幹を支える重要な器官である。それゆえに血管は様々な疾患と密接なかかわりを持つ。腫瘍の増殖・浸潤にかかわる血管形成制御,老化や疾患で低下する血管機能の維持・回復,血管奇形の発生機構・治療などの医学的な緒課題の解決に向け,血管研究が盛んに行われている。特に血管形成および維持にかかわる分子メカニズムは,近年,詳細に理解されている。その解説は他の著書に譲ることとし,本稿では広域的な血管ネットワークが秩序だって構築される仕組み(“血管パターニング”と呼ぶ)の謎に迫る糸口となることが期待される血流とのかかわりについて解説する。

Ⅰ.定量生物学 2.組織・個体の計測 4)時計

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■生物時計とは

 生物時計は地球の環境変化に適応するために獲得した機能であり,バクテリアからヒトに至るほとんどの生物に認められる。生物は生命進化の過程で約24時間周期の概日時計を自身の体内に組み込み,概日時計を利用して生理機能を時間的に調節し,適切な位相で生理機能効率を高めるなど様々な形で自身の生存戦略を有利にしていると考えられる。

 様々な動植物において,概日時計機能を果たすための共通する特性として,① 約24時間の“自律振動性”を持つこと,② 温度による変化を受けない“温度補償性”を持つこと,③ 光などの環境変化に対して“同調”すること,が挙げられる。これらの三つの特性は概日時計研究の重要な問題として捉えられ,分子から個体に至る様々な階層においてそのメカニズムの探求が行われてきた。その過程において様々な生物種での中枢時計の探求が行われ,近年では分子生物学の発達により,リズム発振の分子メカニズムの解明が急速に進んでいる。

(2)植物時計 遠藤 求
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■概日時計のシステム構造

 全く異なる生き方を選んだ動物と植物であるが,どちらの生物も概日時計システムを持っている。しかし,生活様式の違いを反映し,そのシステム構造は大きく異なっていると考えられる。動物(哺乳類)の概日時計システムは脳の視交叉上核(SCN)に存在する強大な時計が末梢臓器などに存在する時計を支配している集中型(centralized)である(図)。一方で,植物には明確な中枢が認められないことから,少なくとも動物のような集中型ではないと漠然と考えられてきた。その他のシステム構造として,階層構造が存在する非集中型(decentralized)と階層構造が存在しない分散型(distributed)の二つのシステムが考えられるが1),植物の概日時計システムがこのどちらに相当するかは明らかにされていない。しかし,各細胞・組織が持つ概日時計がどのようにネットワークを形成し,個体として時間を測定しているかを明らかにすることは,生命動態を予測するための重要な基盤であり,植物における概日時計のシステム構造の解明は避けて通れない問題である。

Ⅱ.数理生物学 1.理論

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■用途:自然・社会現象の数理モデル

 セルオートマトン(cellular automaton;CA)は有限個の状態をとるセル(細胞)から構成され,離散的な時間ステップで,自己の状態を更新してゆく離散力学系である。図1にルール90ECAと呼ばれる一次元的に配列し,活性状態(赤)と不活性状態(白)の二つの状態をとるCAの時間発展の様子を示す。各セルの次の時間ステップでの状態は,自分の両隣のセルのうち一方のみが活性状態であれば活性状態に,そうでなければ不活性状態になる,という単純なものである。ところが,この時間発展のパターンにおいて,セルの個数と経過時間の比を固定し,パターンの大きさを一定に保ったままで経過時間無限大の極限をとると,Sierpinskiの三角形と呼ばれる図形になることがわかる。Sierpinskiの三角形は自己相似性を持ち,その空間次元がlog23≒1.585となる典型的なフラクタルである。CAは簡単な時間発展規則をもつ有限個(あるいは高々可算個)の要素からなる系でありながら,微分方程式のような連続性を仮定したモデルでは再現することの難しい複雑なパターンを構成できることから,自然・社会現象の数理モデルとして用いられている1)

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■はじめに

 一般に,生命システムは内部ダイナミクスの揺らぎや様々な環境変動に対して,安定して機能を維持できるというロバストネス(頑強性)を持ち,他方,適応進化のダイナミクスにみられるように,様々な環境変動に対して,その状態を柔軟に変化させる能力を持つ。この頑強性と可塑性の背後には細胞内の膨大な反応の素過程が存在し,その結果として生物はしばしば大きな揺らぎや複雑な動態を示す。にもかかわらず,生きている状態は“変わりにくさ(ロバストネス)”と“変わりやすさ(可塑性)”をいかにして両立させているのだろうか。

 こうしたロバストネスと可塑性の生物学的重要性は古くから認識されてきた。1950年代に英国の発生・進化生物学者Waddingtonは,エピジェネティック地形,Canalization,遺伝的同化といった概念を導入して,これらの問題への洞察を与えた1)。しかし,可塑性やロバストネスは一つ(ないし少数)の要素(分子)の振る舞いで決められるものではなく,それゆえ分子生物学の俎上には乗りにくいので,これらは曖昧な考え方に滞まっていた。

 この状況のなかで,90年代初頭,われわれは複雑系生命科学を提唱し,分子,細胞,個体などの階層間の動的整合性による,適応,分化,進化の普遍的法則を探求してきた2)。ここで可塑性やロバストネスなどの状態量は少数成分の動態の結果ではなく,数千に及ぶ遺伝子発現ダイナミクスの結果である。更には,進化を通しての獲得の面もあり,進化による大自由度力学系の特性も明らかにしないといけない。そこで,以下の方向の研究を進めている。

(3)進化の数理生物学 巌佐 庸
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■はじめに

 生物や生命システムには行動や形や生理がうまくできていると感じられる。この適応性は長い進化プロセスで選び抜かれてできてきたものである。発生がロバストであり,シグナル伝達系がノイズに強いことは,少々の変動にもめげずに正常に発生し適切に環境適応できるタイプが選ばれてきたからだ1)

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■はじめに

 生体は常に外界の影響を受ける。例えば,われわれの生活は地球の自転と公転の影響を受け,それぞれ1日周期,1年周期の周期性を持っている。また,生体はその他の様々な外界の影響も受けている。そのため,生体を外界の外力によって駆動されるシステムとして数理モデル化するのが筋がよさそうであるが,実際の時系列データからそのような数理モデル化をするのに使える時系列解析手法は限られている。

 よく知られているTakens1)による埋め込み定理を拡張して,Stark2)は遅れ座標により外力が加わったシステムから,外力それ自体と外力が加わったシステムの状態を再構成する手法を提案した。Stark2)による外力が加わったシステムの埋め込み定理を説明するために,まずは,Takens1)による埋め込み定理の説明から始めよう。

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■ボトムアップとトップダウン

 生命動態システムでは,ミクロな分子レベルで生起する化学反応や分子の動態と,メソスコピックなシステムレベルで生じる非平衡性とが階層を越えて動的に相互作用している。それらの生命動態システムを理論的に研究するアプローチは大別して二つある。一つは還元論的なボトムアップアプローチで,システムの構成要素(分子)の性質を評価しながら,システムを捉えようとする試みである。もう一つは,構成論的なトップダウンアプローチで,モデルをあらかじめ絞り込んで,モデルの妥当性を実験に照らし合わせながら検証する試みである。前者は構成要素を大事にする代償として,システム全体を俯瞰することが極めて困難となる。後者は必要最低限の要素を仮定し,メタファーを創ることで,システムレベルでの考察を可能とする一方,実際,細胞内の分子群に対してどれくらい濃度概念が成立しえるか?1)分子個性(分子の構造や動態の多様性)がどれくらい効いているか2)など,根本な未解決問題が存在する。

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■はじめに

 細胞機能の多くは,一連のタンパク質分子が引き起こす一連の化学反応(生化学反応ネットワーク)により実現されており,その生化学反応ネットワークは非常に多くのタンパク質や化学物質から構成されている。このような複雑なネットワークの振る舞いを理解・解析するうえで,数理モデル化と計算機シミュレーションは非常に有用であり,また,電子計算機の黎明期からの応用対象の一つでもある。本稿では最先端の1分子粒度シミュレーションにも触れながら生化学反応ネットワークのシミュレーション技術について紹介する。

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■細胞内の分子混み合い

 細胞内は様々な生体高分子で混み合う“molecular crowding”と呼ばれる状況にある。例えば細胞質中では高分子の占める体積分率が20-40%程度,通常の試験管を用いた生化学実験におけるタンパク質濃度の数十〜数百倍であると見積られている。このような細胞内の混み合いは以前から示唆されているが,近年,特に細胞生物学的現象の物理的側面の研究に関するレビュー論文集,および教科書的な書籍においても取り上げられ,注目を集めている1,2)

 もちろん細胞質は固化しているわけではなく,流動性を持つ。しかし,このような混み合った溶液中での化学反応は,希薄な溶液中でのものと様相が大きく異なると考えられている。例えば分子が混み合った状況では,分子間の衝突頻度が増加するため,希薄な場合と拡散や反応の時間スケールが大きく異なることが容易に想像される。更に最近では,細胞内と試験管内とではそもそも反応の様相が“質的”に異なっている可能性が示唆されており,以下に紹介する研究などによってその描像が描かれつつある。

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■反応拡散系としての生命

 Turingによる形態形成の理論(1952)から60年あまり,生物を反応系・反応拡散系としてモデル化した数多くの研究がなされてきた。もともとマクロな形態形成を対象としたもので,後続の研究には実験をよく再現した例も多い。その多くはTuringと同様,化学成分の“濃度”に関する微分方程式である反応速度方程式,反応拡散方程式を用いてきた。

Ⅱ.数理生物学 3.進化・分子進化

(1)微生物の実験室進化 古澤 力
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■はじめに

 多くの進化研究では,ある個体が持つ性質(表現型)は,そのゲノムの塩基配列によって支配されると仮定している。ゲノム配列が変化することによって表現型が変化し,それらの個体が適応度に応じて選択されるというのが進化プロセスの標準的な説明となる。しかし,この仮定はいつでも成り立つわけではなく,同一のゲノム配列を持つ個体であっても,様々な表現型を示す場合があり,それは表現型可塑性と呼ばれる。例えば同一環境であっても細胞内の化学反応の確率的な振る舞いによって,遺伝子発現量などの細胞状態には“揺らぎ”が存在する1)。では,こうした表現型可塑性は,進化のダイナミクスにどのような影響を与えるのであろうか?2)

 進化のダイナミクスを解析する難しさの一つは過去に起こった進化イベントを直接観察することはできず,化石やゲノム配列など現在得られる情報から再構成をする必要がある点にある。それらを回避する方法の一つは,定義された初期状態からの進化ダイナミクスを実験室で解析するという進化実験を用いたアプローチであろう。そこで本稿では,われわれのグループが行っているエタノールストレス環境下での大腸菌の進化実験3)の結果を紹介する。

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■原始生命の進化能獲得

 進化能は生物らしさを象徴する重要な特性の一つである。より環境に適応した個体がその遺伝情報を子孫に引き継ぐことで,生物は進化することができる。そのようにして生物が進化可能なのは個々が有する特性が遺伝情報として保持されており,遺伝子型と表現型との間に強固な対応関係があるからである。その関係を代々維持してゆくために,生物は遺伝情報の複製や子孫への分配に関して複雑な制御機構を有しており,遺伝情報分子であるDNAの数を厳密に管理している。それでは,そのような高度な制御機構をまだ獲得していなかったであろう原始生命は,どのようにして進化することができたのだろうか。

 RNAワールド仮説によれば,遺伝情報としても酵素としても機能する自己複製可能なRNAの出現により,原始生命は進化能を獲得したと考えられる1)。この場合,RNAが遺伝情報と機能を両方担っており,RNA自身を介して遺伝子型と表現型が対応づけられている。さらに進化の段階が進み,遺伝情報と機能を別々の分子が担当するようになると,その対応関係を維持するためには何らかの工夫が必要となる。例えば,リポソームのような両親媒性分子で形成された微小な小胞を器として用いれば(図A),遺伝情報分子とその産物を同一の区画内に保持することができる。しかし,遺伝情報分子の数を少なく保つ機構がなければ,個々の遺伝子変異が表現型に反映されづらく,進化が抑制されると推測される。そのような環境下でも原始生命は進化することができたのだろうか。

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■遺伝子の転写調節領域とクロマチン修飾

 生物の形態形成のための情報はゲノムのDNA配列にコードされていると考えられているが,どのDNA配列に種間で普遍的な形態を作るための情報がコードされており,どの配列が種特異的な形質を生み出しているのかを明らかにすることは難しい課題である。それどころか,発生を制御する遺伝子の転写調節領域をゲノム上で同定し,種間で比較することすら思ったほど容易な問題ではない。これは,そもそも遺伝子の転写調節領域といったゲノム上の機能的領域がこれまでにわかっている転写因子結合配列などの情報だけからでは予測できないためである。しかし,近年の分子生物学の発展によって,一般的に遺伝子発現はDNAやヒストンへの化学的修飾を介して制御されていることが明らかになってきた。実際,遺伝子のクロマチン修飾パターンから個々の遺伝子の発現量をある程度予測できることがわかっている1)。また,エンハンサーは特定のクロマチン修飾によって識別できることも明らかにされている2)。したがって,クロマチンの修飾パターンを解析することで,個々の遺伝子の転写調節領域を種間で比較することが可能である(図A)。

Ⅱ.数理生物学 4.転写

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■真核生物の転写過程の新しい課題

 ポリメレース(PolII)がDNAの情報からRNAを産生する転写は,細胞の刺激応答の基本的過程である1)。従来,単一のPolIIがDNA上を走行してRNAを産生すると考えられてきたが,最近,真核生物ではPolIIは動かないまま協調的にDNAを引き寄せてRNAを産生するモデルが提唱されている。ここでは,真核生物の生きた細胞での転写過程を捉えるための実験と,その数理解析の結果を紹介する。

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■遺伝子転写機構と数理シミュレーション

 遺伝子の転写とはDNA配列を鋳型にRNA polymerase Ⅱ(RNAP Ⅱ)という酵素によって遺伝子が読まれRNAが合成される現象を指す。このRNA配列からアミノ酸やタンパク質が作られるため,遺伝子の転写機構は“生命の基本原理”と考えられており,そのメカニズムの解明が非常に重要視されている。一方で転写の生成物であるRNAは時間変異性が高く微小不均一性を持つため,細胞を用いた実験において高時間分解能の現象観察を行うことは難しいのが現状である。そこで,観察不可能な領域における高分解能の検証を可能とし,さらに構築したモデルの再現性を保証するため,超離散系シミュレーションなどの数理科学的手法が必須となってくる。

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■はじめに

 真核生物の遺伝子発現は,ゲノムDNAの塩基配列情報だけでなく,ゲノムDNAを高次に凝縮させるヒストン蛋白質などに対する翻訳後修飾によって制御されている。近年の合成生物学の技術革新により,様々な翻訳後修飾情報を持つヌクレオソーム(エピヌクレオソーム)を試験管内で精密に再構成することが可能となってきた。これにより,各エピゲノムの修飾状態がもたらす物性と反応(遺伝子発現など)を定量的に理解する研究が現在進展しつつある。

Ⅱ.数理生物学 5.細胞

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■はじめに

 細胞集団の適応的なダイナミクスと細胞状態の揺らぎをつなぐ,という問題は“非遺伝的なストレス耐性獲得現象”の理解にとって重要である。この現象は遺伝的に均一な細胞集団がストレス環境下で遺伝子変異なしに適応度を上昇させるというもので,遺伝型と環境条件を定めれば細胞の適応度が一意に決まる,という素朴な考えでは説明できない。近年急速に発展している1細胞解析で“表現型のばらつき”が確認されているが,こうした1細胞レベルの表現型の違いが適応度の違いを生むならば,特殊な分子機構によらなくても適応ダイナミクスが起こることが期待される。果たしてそのような適応現象は実際に起こりうるだろうか。

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■形態形成における多細胞システム

 形態形成において組織や細胞に作用する力学的,生化学的刺激により,細胞内ではタンパク質の変形やシグナル伝達反応が起こり,細胞の機能的・構造的な変化が誘起される。さらに,それら細胞の変化は細胞間相互作用によって,周囲の細胞に影響を与え,その結果,組織階層に新しい力学的,生化学的な場を形成し,多細胞集団の協調した運動や変形を生じさせる。このような力学的,生化学的な場の形成過程と細胞や組織の運動,変形は互いに影響し合い,組織の立体形状や細胞の空間的配置などの秩序形成が制御されていると考えられる。しかしながら,細胞階層と組織階層のそれぞれの現象はお互いに原因にも結果にもなり得るため,階層間の現象に単純な因果関係を見いだすことは難しい。このような複雑な現象に対し,どのようなアプローチが有効であろうか。ポイントは,“システム”と“数理”である。上位階層の現象は下位階層の要素間相互作用によるダイナミクスから自発的に生まれる。そこで,細胞を要素として,その集まりである多細胞をシステムとして捉え,細胞個々の振る舞いを数式によって表現することにより,計算機シミュレーションを行い,要素間のダイナミクスから発現する多細胞システムの振る舞いを解析する。このような数理的アプローチでは洗練された実験を基にしても到達できないような思いがけない作業仮説が導出できると期待されている。本稿では主にわれわれの試みている多細胞システムの数理モデリング・シミュレーションについて紹介したい。

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■細胞運動のシグナル伝達

 細胞運動は,創傷治癒や胚発生,がん転移などの様々な生命機能を支えるうえで重要な役割を果たしている。細胞膜下に存在するアクチンフィラメントは,細胞の形態を支えると同時に,重合・脱重合・分岐などにより形態変化を駆動する。このような細胞骨格系の再編成は,Cdc42やRac1といったRhoファミリーGタンパク質によって制御されている。一般的にはCdc42が糸状仮足形成を,Rac1が葉状仮足形成を誘導するとされる1)。また,それら分子の下流タンパク質は詳しく同定されており,細胞内シグナル伝達を生化学的な素反応の集合として記述できるようになっている。一方で,蛍光共鳴エネルギー移動(fluorescence resonance energy transfer;FRET)を利用したバイオセンサーにより,RhoファミリーGタンパク質の時空間的な分子活性イメージングが可能になっている2)

 このように分子パスウェイの同定や分子活性動態の可視化は進んでいるものの,「どのようにRhoファミリーGタンパク質の分子シグナルが“情報”として“処理”され,細胞形態変化まで“時空間的に伝達”されるのか」といった細胞運動の情報基盤は全くわかっていない。本稿では,細胞内情報処理の様式を同定するための解析手法を紹介する。

Ⅱ.数理生物学 6.組織・多細胞社会

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■機械的な力による生き物の形づくり

 個体発生とは,形態形成シグナルと機械的な力の働きにより,組織が変形を繰り返すことで生き物の形が生み出される過程である。形態形成の主要なシグナル伝達経路が同定された今,“機械的な力がどのようにして生き物の形づくりを担っているのか?”,この古くて新しい問題に注目が集まっている。

 多細胞組織の変形は,細胞レベルでは,① 個々の細胞形態の変化,② 細胞の移動・配置換え,③ 細胞増殖・細胞死,の三つの素過程に分解される。これらの変形はアクトミオシンの収縮力など,細胞内で分子が生成する力によって駆動される。逆に細胞や組織の変形によって力・応力の分布パターンが変化する。さらに,細胞は力を感知し,遺伝子発現や分子の局在を調節することがわかっている。このような要素と全体の循環的な相互作用による秩序形成の理解には,物理的な知見に基づいた理論解析や数値計算がしばしば有効な手だてとなる。本稿では,個体発生の力学の数理モデルの概要と具体的な研究例について紹介する。

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■神経細胞の個性の一つ:多様な樹状突起の形態

 多細胞生物の初期発生では様々な細胞が正確に生み出され,器官や体が作り上げられていく。器官の中でも特に神経系は,多様なニューロンのサブタイプから構成され,機能を分担する分業体制が高度に発達している。ニューロンのサブタイプを区別する尺度の一つに,シナプス入力や感覚入力の処理を支える樹状突起の形や大きさが挙げられる。樹状突起の形態はサブタイプごとに非常に多様であり,生理機能の違いに大きく寄与している1)

 誕生直後のニューロンはまだ十分に個性を獲得して(分化して)おらず,神経系全体として機能の細分化を実現するには,ニューロンが生まれた後にも遺伝子発現プログラムが適切に働くことが重要である2)。しかし,サブタイプごとに発現する異なる転写調節因子のそれぞれが,どのような遺伝子の発現を調節してサブタイプ特有の個性が獲得されるのか,そして異なる転写調節因子の間で支配する遺伝子発現プログラムはどの程度違っているのか(裏返せばどれだけ共通なのか)は,断片的にしかわかっていなかった。

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■階層をまたいで出現する秩序

 心臓や脳といった人間の根幹にかかわるどの器官をとってみても,それらをバラバラにしてしまっては,組織や器官レベルの機能性の多くは失われてしまう。細胞のように自律的な要素が組み合わさった結果,全体レベルの新しい性質がいかにして発現するかは,生命に限らず,分子から社会に至るまでに共通した話題である。ことに,細胞から組織という階層間においては集団性の操作と制御は依然として経験的な知見にとどまっていることが多く,未解決の基礎的問題が潜んでいる。振動現象を例に,細胞から細胞集団の秩序がいかに出現するか,その最も基礎的な部分の理解について紹介する。

(4)自己組織化現象 中田 聡
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■生命体における自己組織化現象

 自己組織化は生命活動を営むうえで不可欠な現象である。I. Prigogineの提案した“散逸構造”は自己組織化というエントロピー減少の現象を起こすために,エネルギーを散逸している1)。それに対して,ある状態が巨視的に変化する場合,系の初期条件は“非平衡”でなくてはならず,すべての現象は初期の非平衡状態から平衡状態へ進行する。これは圧力差で駆動されるピストン,濃度差で駆動される電池,温度差で駆動される熱機関で共通する点である。加えて閉鎖系であれば,系は平衡に達して現象が終了するため,持続的に現象を駆動させるには“非平衡開放系”でなくてはならない。例えば自動車ではガソリンを燃焼させて得られた温度差でピストンを駆動させるが,燃焼で得られた熱やCO2を系外に排出することで走り続ける。

 ここで,ガソリンが減っても供給すれば自動車は走り続けるが,その司令塔はあくまでも自動車ではなく運転手である。それに対して生物系は系自身が意識的にあるいは無意識に現象を制御している点が無生物系の自動車とは決定的に異なる。一方,生命現象の基本は細胞であり,細胞膜で完全に内外を遮断するのではなく,特定物質の流出・流入を制御し,反応と揺らぎを通して分裂や分化する。つまり,細胞または核の対称性が崩壊し自己組織化する。では対称性を崩壊し,更に異方性が増す自己組織化の機構は“揺らぎ”だけで説明できるのであろうか?

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■モデル化困難な大規模データを理解する

 生命科学は計測・操作技術の革新と解析・モデル化の理論的進展が協調することで発展してきた。特に近年では,多変数の経時変化を同時記録する技術が急速に進歩し,大規模な生命現象のダイナミクスに関する大量のデータを取得することが可能となりつつある。なかでも,神経科学における計測技術の発展は著しく,脳全体の神経細胞の活動変化を記録できる時代に到達した1)。しかし,いくら大量のデータを取得できても,従来型の恣意的に単純化したモデルの延長だけでは,全脳の動態とその背後のネットワーク構造の全貌を理解することは難しい。

 ここでは,もう一つのアプローチとして,非線形力学系の研究において広く用いられてきた基本的な概念である“埋め込み”に注目する。なぜなら,以下で述べるように,埋め込みは具体的なモデルを仮定せずに,システムの因果構造を推定するための一般的な枠組みを与えるからである。

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■神経細胞集団の情報表現

 中枢神経系は大脳新皮質,海馬,大脳基底核,視床,小脳など構造の異なる幾つもの部位からなるが,すべての部位が多数の神経細胞からなるネットワークとして構成されている。これら大規模なネットワーク上での神経細胞間の信号伝達が,脳・神経システムの情報処理の実体である。

 各神経細胞の状態は主にその膜電位で記述できる。ネットワークから切り離された神経細胞では,膜電位は約70mV程度の安定した静止膜電位に減衰するが,ネットワーク中では他の神経細胞からのシナプス入力によって増減し,その値が約50mVの発火閾値に到達すれば,急速かつ一過的な膜電位上昇(スパイク発火)が発生する(図A)。スパイク発火が神経細胞の出力であり,シナプスを介して結合する他の神経細胞へ入力し,受け手側神経細胞(後シナプス神経細胞)の膜電位をわずかに変化させる。このような入力が多数積算して,後シナプス神経細胞の膜電位が発火閾値に達すれば,今度はそこでスパイク発火が発生し,シナプスを介して再びネットワークへと伝播する。これが神経細胞間の基礎的な情報伝達メカニズムである。

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■メモリーアロケーション(Memory Allocation)

 記憶の形成過程には,獲得,固定化,想起,再固定化,消去などの複数の段階があり,その分子,細胞機構に関してこれまで盛んに研究が行われ多くの重要な発見がなされてきた。また,最近では記憶が学習時に活性化した脳内の特定のセルアセンブリ(神経細胞集団)に蓄積されることが実験的に証明されつつある。その一方で,これらの神経細胞集団が学習時にどのように選択されるのか? という機構に関しては,あまり研究が進んでこなかった。この記憶形成の初期段階における細胞の選択過程は“メモリーアロケーション”と呼ばれ,近年,研究が盛んに行われている1)

 われわれは日々の生活の中で比較的短期間に起こった出来事を関連して覚えていることをよく経験する。例えば友人と遊園地に行き,帰りにベイエリアのホテルで夕食をとった,ある暑い夏の日の一連の出来事は関連付けられて記憶されているであろう。そして,何かのきっかけで遊園地での出来事を思い出したとき,夕食の美味しさや,楽しい会話の内容なども数珠繋ぎ的に思い起こすであろう。おそらくこのとき,脳では二つの異なる記憶が,ある程度,重なり合った細胞集団に保存されたと考えられる。そして,この記憶の統合は記憶B(夕食)が,少し前に形成された記憶A(遊園地)を保持する神経細胞集団に優先的にアロケート(allocate;割り当て)した結果と考えられる(図A)。一方で,時間的にとても離れた記憶C(例えば,正月に行った温泉旅行の思い出)はA,B記憶とは異なる細胞集団に保持され,AB記憶の想起の際にC記憶を同時に思い出す可能性は低いであろう。このようにメモリーアロケーションは記憶の神経細胞集団レベルでの統合に必要な機構であると考えられている。ここでは近年,注目を集めているメモリーアロケーションに関する研究動向を紹介する。

Ⅱ.数理生物学 7.生物集団のダイナミクス

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■スイッチング捕食と三者系の理論的予測

 動物は,自然界では選択的な探索行動で資源(餌など)を利用している。アゲハチョウの一種は,2種の食草のうち,より多い食草に集中して産卵する。ミツバチは食道下神経節の大きな神経細胞VUMmx1の作用で,蜜が多く出ている花の色を学習し記憶して,集中してその色の花を探している。このように自然界での動物の選択行動(choice behavior)は,刺激の受容と学習・記憶が関係している。複数の餌種を同時に万遍なく探すとかえって効率が悪くなり,“注意力のトレードオフ(trade-off of attention)”と呼ばれる。結果として少数の餌種は見逃されることになる。

 では,注意力のトレードオフの条件下では,頻度依存的な選択行動はどのような個体数動態をもたらすのか? この問題は米国の理論家が頻度依存的なスイッチング捕食の理論として提唱した1)。その餌種が低密度のときには見向きもせず,高密度のところで一挙に餌種を切り替えるとき“スイッチング捕食”と呼ばれる。これを示す捕食者と2種の被食者の三者系では,餌種2種が交代振動しながら永続する予測が導かれる。しかし,この理論が発表されてから40年もの間,実証研究はついぞなかった。

Ⅱ.数理生物学 8.ネットワーク

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■時間情報コードとその意義

 シグナル伝達経路の特徴の一つは,限られた経路を用いて外界の様々な入力の情報を処理し,細胞を正しい応答へと導くことである。このために生物はシグナル伝達経路の組み合わせ,つまりクロストークによって応答の多様性に対応している。その一方,単一種の分子の時間パターンにも複数の情報をコードできることが近年明らかになってきた(時間情報コード)。つまり,単一種の分子の一過性や持続性,周期性などの“時間パターン”により細胞の応答を選択的に制御できる。このような視点で生物を眺めてみると,実に多くのホルモンが特徴的な血中パターンを示していることに気が付く1)。研究自体の数としては少ないながらも,これらの血中パターンがホルモンの機能に重要であることが報告されている。例えば,インスリンの血中パターンは食後に一過性に分泌される時間単位の追加分泌や,平時から微量に分泌されている日単位の基礎分泌,そして15分間程度の分単位の周期性パターンからなることが報告されている(図)。これらの分泌パターンの重要性は古くから認識されており,例えばインスリンによる肝臓からの糖の放出抑制は15分間程度の周期性刺激のほうが一定刺激よりも効果的に糖の放出を抑制することや,糖尿病患者では上記に説明した三つの分泌パターンの異常が報告されている。つまり,インスリンは血中パターンに情報をコードし,下流の応答を選択的に制御している可能性が高いと考えられる。以上のように時間情報コードによる細胞制御が生命システムの原理の一つであると考えられるが,その詳細な理解への取り組みは始まったばかりである。

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■生命の複雑ネットワークシステム

 ネットワークの複雑なシステム全体の振る舞いを統合的に理解することが,現在の生物学の目標の一つであり,そのために数理的手法への期待が高まっている。

 これまでわれわれは,生体分子のネットワーク情報だけから,ダイナミクスの性質についてどれだけ言及できるか,という理論的問題に取り組んできた。生命科学にあふれているネットワーク情報に対して,それ以外の仮定を導入せず,論理的帰結として確かな知見が得られれば,それは生命科学にとって有用な情報となるはずである。

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■細胞内情報伝達系

 細胞は外界から増殖因子などの入力シグナルを主として細胞膜上の受容体で受け取り,“細胞情報伝達系”を通じてその情報を表現型として最終的に出力する。つまり細胞内情報伝達系とは外部の入力シグナルを特定の出力シグナルに変化するシステムと捉えることができる。細胞内情報伝達系の実態は,分子と分子の結合やリン酸化・脱リン酸化反応など生化学的な反応と拡散・輸送といった物理的な反応の連鎖で表現されるネットワークである(図)1)。さらに,情報伝達系はフィードバック機構やアロステリック効果などの調節が入った,さながら複雑な電気回路の様相を呈した複雑なネットワークであり,こういったネットワークをシステムとして理解するためには,数理モデルや計算機による数値計算による解析が有効な手段である2)

Ⅲ.合成生物学 1.人工細胞

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■はじめに

 細胞膜は細胞の内外を隔て,細胞質を外部環境と異なる状態で維持し,細胞の生命活動に不可欠な役割を果たしている。また,細胞膜はホルモンや神経伝達物質を介した情報伝達,サイトカインによる細胞間情報交換の場である。このように細胞内外で物質のやり取りをする反応は,膜貫通型タンパク質(膜タンパク質)が主にかかわっている。膜タンパク質は自己免疫疾患,がんなど広く重篤な疾病と関連していることから,その分子機能のメカニズムを解明・理解する研究の推進が強く勧められている。しかし,細胞系で単一の膜タンパク質の機能解析は細胞構造の複雑さゆえに膜タンパク質の素反応の観察は難しい。そこで,膜タンパク質を細胞から抽出し,これらの膜タンパク質を細胞膜と同じ分子からなるモデル人工細胞膜(リポソーム)に再構成することにより,膜タンパク質の素反応を観察する研究が盛んに行われている。特に直径約10μmの細胞サイズリポソーム(巨大リポソーム)は光学顕微鏡下でリアルタイムに可視化できる唯一のリポソームであり,膜タンパク質機能解析研究のみならず,細胞融合や分裂,生体分子による細胞膜の形態変化などの人工細胞モデル研究が盛んに行われている1)。膜タンパク質を再構成したリポソーム(プロテオリポソーム)は,膜タンパク質を抽出する際に使用した界面活性剤を透析やバイオビーズなどで除去し作製される。この方法を用いて様々な膜タンパク質の再構成に成功し,機能観察にも成功しているが,細胞サイズのプロテオリポソームの作製が困難なことや,膜タンパク質の配向性制御が困難なことが挙げられる。したがって,界面活性剤を用いた自己組織的なプロテオリポソーム作製法に代わる界面活性剤を用いないプロテオリポソーム構成法の開発が求められる。本稿では界面活性剤を用いない細胞サイズのプロテオリポソーム作製法を紹介する。

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■セミインタクト細胞リシール法

 セミインタクト細胞リシール法とは細胞内への分子導入法の一つである。細胞に連鎖球菌毒素ストレプトリシンO(SLO)を作用させると,SLOは形質膜のコレステロールに結合して温度依存的に直径約30nmの環状複合体を形成し,これが分子が通過できる孔となる。この形質膜が透過性になった細胞のことを,“セミインタクト細胞”と呼ぶ(図)。ここで温度依存的にSLOの穿孔活性が制御できることが重要である。コレステロール結合能がある一方で穿孔活性がない低温(0-4℃)で細胞に未結合の余分なSLOを洗い流すことができるため,形質膜だけに選択的に孔をあけることができ,細胞内のオルガネラなどの膜構造体へのダメージを最小限に抑えることができる。これが界面活性剤などを用いた穿孔方法に比べ,本方法の優れる点である。よって,セミインタクト細胞は形質膜,オルガネラ,細胞骨格といった主要な構造体が残されたまま細胞質が除去された細胞の器,つまり“細胞型試験管”として捉えることができる。細胞外部に添加された分子は拡散により細胞内へと導入される。よって,導入する分子の種類(タンパク質,核酸,糖など),数,組み合わせ(何種類でも可能),比率は問わない。そのため多数のタンパク質からなる細胞質もそのまま細胞内に導入し,細胞質を交換することもできる。実際,われわれはセミインタクト細胞に細胞分裂期に同調させた細胞から調製した細胞質を導入することで,細胞内環境を細胞分裂期に改変する試みを行っている1)。この結果,細胞分裂期で特異的に生じるゴルジ体分散(細胞内に一つしかないオルガネラであるゴルジ体が,細胞分裂期に二つの娘細胞へと分配されるために,小胞状に壊れ細胞質中に分散する現象)や染色体凝縮がセミインタクト細胞内で再構成されていることを見いだし,それにかかわるキナーゼの同定なども行っている1,2)

 セミインタクト細胞に形成された孔は再度閉じる(リシールする)ことが可能である(図)。形質膜にできた孔は細胞質とCa2+依存的な膜動過程により修復されることが報告されている。ここにはエンドサイトーシス,エキソサイトーシス,ブレブ(細胞の外に大きく膨らんだ膜)形成など,様々な膜動過程がかかわるようである3)。孔が閉じた細胞のことを,われわれは“リシール細胞”と呼んでいる。興味深いことにリシール細胞は生細胞に戻り,そのまま培養を続ければ増殖していく。よって,導入した分子の効果を元の生細胞の状態で検証することができ,セミインタクト細胞はリシール法の確立と共に,その可能性を大幅に広げることとなった。本稿では,まず細胞質交換法としてのセミインタクト細胞リシール法の展開の一つとして,細胞内環境を病態に改変した“病態モデル細胞”の例を紹介する4)

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■バクテリアの再構成

 バクテリアは最も単純な生物である。教科書的にも細胞壁と細胞膜,細胞質と単純に書かれている。乱暴なことを言えば,バクテリアをつぶした懸濁液を用意して,脂質二重膜で包んでしまえば,生物として機能するのではないかと考えてしまう。とは言え,この懸濁液をリポソームに入れても,そこからバクテリアが再生することはない。すべての要素があるにもかかわらず,バクテリアとして再生しないのはなぜか? 懸濁液からは生きていたバクテリアと比べて,二つの状態が失われていると考えた。一つはタンパク質濃度の状態である。元々の細胞質タンパク質濃度は非常に高濃度である。破砕するとその濃度は10倍から1,000倍程度まで低下してしまう。もう一つは細胞膜の状態である。破砕液中には細胞膜と膜タンパク質は存在するが,元のようには機能しない。このように,二つの状態が失われているため,元のバクテリアには戻れないのではないかと考えた。

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■セントラルドグマと生命

 1953年のWatson・CrickらのDNAの二重らせん構造の発見を契機とした分子生物学に関連する技術の急速な進展により,生命の持つ様々な遺伝子の配列情報,タンパク質の構造情報が明らかにされ,また,それら遺伝子やタンパク質を手軽に扱うことが可能となってきている。Schrödingerが“What Is Life?”と記した著書を発表した1944年とは大きく異なり,現在では,われわれは生命とは何かを,分子レベル,原子レベルである程度記述すること,また,そうした記述を基に,生命をある程度操作することもできるようになった。しかしながら,生命は依然複雑であり,その構成要素およびそれらが織りなすネットワーク構造を完全に記述し,生命の挙動の予測や操作に結び付けるためには更なる技術革新と更なる知見を必要としている。

 DNAの二重らせん構造の解明が分子生物学の発展の契機となった背景には,DNAという分子に生命を記述し,その挙動を予測,操作するための鍵となる情報が刻み込まれていたためであり,その情報がRNAやタンパク質といった形で機能分子として具現化される過程であるセントラルドグマに記述される過程は,生命の根幹をなす中心的過程であると言える。Venterらは単独で培養可能な生物の中では最小のゲノムを持つMycoplasma genitaliumが持つ482の遺伝子のうち,382の遺伝子が生育に必須であることを明らかにしている1)。彼らの定義に従うと,これら382の遺伝子のうち,タンパク質の生合成に関与する遺伝子は95種類あり,細胞が自律的に生育するための遺伝子の約1/4はタンパク質の生合成のために存在すると言え,生命が生命たりうるためには,セントラルドグマに記述される過程の中でもタンパク質を生産する過程に多大なリソースを割かなければならないことを示唆している(図A)。

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■細胞膜を介した物質輸送

 細胞や細胞内小器官を覆っている細胞膜は,主にその内外を隔てる役割を有する“脂質二重膜”と,膜を介した物質輸送や情報伝達を担う“膜タンパク質”から構成されている。この細胞膜を介した物質輸送は細胞内外のイオン濃度の調節や,外部刺激への応答に必須の機能であり,生命活動の維持において重要な位置を占めている。このため,膜タンパク質の機能不全による物質輸送の異常は様々な疾患を引き起こす。一方で,現在開発されている薬剤の約60%は膜タンパク質を標的にしていると言われており,膜タンパク質の輸送機能計測は疾患の原因究明から創薬まで幅広い分野において必要とされている。しかし,膜タンパク質は脂質二重膜に埋め込まれた状態であることが活性維持に重要であるため,細胞外でその輸送機能を計測するためには,脂質二重膜と膜タンパク質を同時に再構成できる技術を開発する必要があった。

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■非平衡開放系としての生命システム

 生命システムは非生命の物質と比較して驚くほど複雑で動的な現象を示す。これは生命システムがエネルギー・物質・情報の流入と散逸のある“非平衡開放系”だからであることが知られている(図1)。平衡系の場合,均一な構造や結晶のような単純な繰り返し構造しか生まれず,自律的な動きも生まれないが,非平衡系の場合は動物の体表模様のような複雑なパターンの形成,細胞の自律的な走性運動,細胞分裂,心臓の拍動などのリズム現象など多様な動的な現象が生み出される。これはSchrodingerの著書「What is Life?」1)で負のエントロピーという概念で説明され,後にPrigogineらの散逸構造理論2)として理論的に解明された。

 近年は,生命システムをモデル化した人工細胞3)や分子ロボット4)などの自律的かつ動的な分子システムを構築する研究が盛んに行われるようになってきている。このような研究によって,生命の動的な特性の物理科学的な理解や高機能な分子デバイスの開発が進むことが期待されている。われわれのグループでは,マイクロ流体工学を利用して,細胞サイズの微小なスケールで非平衡系を制御し,生命システムのように自律的で動的な分子システムとしての人工細胞の構築や分子ロボットの構築を行っている。本稿では特に非平衡な人工細胞ついて紹介し今後の可能性を論じる。

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■マイクロチップ

 数cm角のガラス基板上に幅・深さ1mm以下の流路(チャネル)を加工し,化学・生化学システムを集積化したマイクロ流体チップ,マイクロ化学チップとも言う“マイクロチップ”はコンピューターの素子作製などに使われる半導体加工技術をベースとして作製した髪の毛や蚊の針の太さ(10〜100μm)と同じかそれ以下,最小ナノメートルサイズの極めて細い流路を組み込んだ基板のことであり,次世代医療診断などの小型・高速の次世代型デバイスとして期待されている。

 マイクロチップの材料としてはシリコンゴムの一種であるポリジメチルシロキサン(PDMS)に代表される樹脂製マイクロチップが最も一般的に使われている。これは,加工が容易でかつ材料が安価であり,また,柔軟な特徴を活かし,バルブの組み込みが容易であるが1),有機溶媒や気体の操作・分析・検出あるいは高度な表面化学処理を活かした細胞のパターニングなどには物理的・化学的安定性の面から不向きであった。

Ⅲ.合成生物学 2.細胞分裂再構成

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■背景

 細胞は分裂によって数を増やす。その際,染色体に存在する遺伝情報は分配装置である紡錘体によって常に均等に娘細胞に分配される。一方,細胞はこの紡錘体の方向,位置を巧みに制御することで,分裂軸の方向や分裂面の位置を変え,細胞内極性因子や細胞質物質の分配比,娘細胞の配置やサイズを制御することができる(図A)。したがって,紡錘体配置の制御は娘細胞に“違い”を生み出す最初の分岐点であり,細胞分裂の対称性,非対称性を決める重要な役割を果たす。

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■はじめに—生体を制御する化学

 細胞は多数のシグナル分子が複雑なシステムを形成し,恒常性を維持している。この動的なシステムの成り立ちを理解する目的において,これらの構成因子の働きに摂動を与え,その応答を調べる研究手法が広く用いられている。遺伝子発現,ノックダウンといった転写レベルで標的タンパク質のレベルを制御する手法は有用なものであるが,その摂動にかかる時間が長く,不適当である場面がしばしば訪れる(図1A)。生体は速い時間スケールの生命現象の制御においては,遺伝子レベルではなく,既に発現しているタンパク質の構造変化,タンパク質間相互作用の制御,局在の変化といったタンパク質レベルの制御によってこれを達成している。そして,これらの機能変化を有機小分子を用いたタンパク質の迅速な二量体化によって制御する新たな摂動系が近年相次いで開発され,非常に有用な研究ツールとして発展を遂げている。

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■はじめに

 最近の医療の世界では,再生医療や遺伝子工学の研究などの発展と共に,“マイクロナノ”という非常に小さな空間で,細胞を操作したり加工したりするマイクロデバイスを開発する医用工学の研究が注目を集めている。人間の髪の毛1本の太さは約100μm程度であるが,そのような小さな単位の空間で活用できるマイクロデバイスを生み出すには機械工学,生物学,化学,電気工学など,様々な分野を横断する知識が求められる。

 例えば,卵子などの細胞から細胞核を除核する細胞手術を伴う研究を行う際,そのためのマイクロデバイスの操作には高度な熟練が必要で,扱いやすいものではない。細胞などは培養液中に存在することがほとんどであり,細胞手術を行うためには液中下で低侵襲かつ高解像度の加工技術が求められる。このような細胞を加工する技術には非接触レーザー加工技術があるが,あらゆる固さの幅広い種類の細胞に対応でき,かつ安価であり顕微鏡に簡単に装着可能な技術が求められている。

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■はじめに

 生命はタンパク質分子を生命システムにおけるパーツとして巧みに利用し様々な生命現象を生み出している。タンパク質分子はアミノ酸配列に従い,ほどけた紐のような状態から自発的に折り畳まり特異的な三次元立体構造を形成して機能を発現する。1958年に世界で初めてタンパク質分子の立体構造が解かれてから半世紀以上が経ち,2014年現在タンパク質立体構造データベースには10万件以上もの構造が登録されている。しかし,これら自然界のタンパク質分子は何十億年という長い年月をかけて進化した結果であり,それらを解析するのみでは自然が創り上げたタンパク質分子の動作原理の本質に辿りつくことは難しい。そこで,立体構造形成や機能発現に関する様々な仮説を立てながらタンパク質分子をシステマティックに計算機上でデザインし,それらが実際にどのように動作するのか実験により調べるというアプローチが力を発揮する。すなわち,タンパク質分子を実際に創ることにより,立体構造形成および機能発現の原理を探り,望みのタンパク質分子を自在に設計する技術を開発するのである。望みのタンパク質分子を自在にデザインすることが可能になれば,生命現象の理解と制御に大きく役立ち,医療の発展にも貢献するであろう。

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■再構成というアプローチ

 われわれは興味深い生命現象を,作る(再構成する)ことで理解したいと考えている。実際に作ってみることで,これまでの知見や予測を検証し,さらにはそこから予想外の発見をしたい,という動機である。そのような再構成研究は近年増加しており,好例としては概日リズムの試験管内再構成1)や,細胞内極性の再構成2)などが挙げられる。われわれ自身は再構成する対象として多細胞生物の発生現象に興味を持っており,現在は複数の細胞がコミュニケーションすることで自発的に形成される,細胞のパターンの再構成に取り組んでいる。再構成の手法もいろいろと考えられるだろうが,われわれが行っているのは培養細胞上に遺伝子回路を作製することで,目的の発生現象の性質が再構成できるか試す,というアプローチである。

Ⅲ.合成生物学 4.オプトジェネティクス

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■マウス嗅覚系の神経回路

 高等動物の脳は多数の神経細胞からなる精巧に組織された神経回路によって入力する情報の価値付けを行い,適切な行動判断を行う。五感を介して入力される感覚情報は,まず,脳内において“神経地図”と呼ばれる二次元の位置情報へと変換され,高次中枢へとその情報が伝達される。感覚情報処理の中核を担う“神経地図”の形成メカニズムは,神経科学における明らかにすべき重要な課題として考えらており,われわれはマウスの嗅覚系をモデルに研究を行っている。

 外界に存在する匂い分子は,鼻腔奥の嗅上皮に存在する嗅覚受容体によって受容される。マウスの嗅覚系では嗅上皮には約1千万個の嗅神経細胞(嗅神経)が存在するが,それぞれはゲノム中に存在する約1,000種類の嗅覚受容体の中からたった1種類を選択的に発現する。同種の嗅覚受容体を発現した嗅神経の軸索は,発生の過程で大脳前方に位置する嗅球の特定の箇所へと投射し,糸球体構造を形成する。したがって嗅球上には嗅覚受容体の種類に対応した約1,000個の糸球体からなる神経地図が形成され,香水のような数多くの匂い分子を含む複雑な匂いは,約1,000個からなる糸球体を素子とする神経地図によって,嗅球表面で糸球体の発火パターンという二次元画像へと変換される(図A)1)

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 神経活動の“観察”“操作”の技術は近年飛躍的に高分解能化してきた。その結果,新たに見えてきた多くの事象と共に,今後考えるべき課題も顕在化してきたと筆者は考える。

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■ロドプシンとGタンパク質

 ヒトをはじめとする高等動物の網膜中には,ロドプシンと呼ばれる7回膜貫通型構造を持つ光受容膜タンパク質が存在する1)。このロドプシンはビタミンAの誘導体である11-cisレチナールと呼ばれる色素をタンパク質内部に結合している。そしてレチナールが可視光を吸収するとall-trans型へと異性化し,それをトリガーとしてタンパク質全体の構造が大きく変化し,活性型のロドプシンへと変化する。活性化したロドプシンは同じ視細胞中に存在するヘテロ三量体Gタンパク質の一種であるトランスデューシン(Gt)のGDP/GTP交換反応を誘起し,GTPが結合したGtは更に別のタンパク質群へシグナルを伝達することで,最終的に視細胞が過分極し,視覚シグナルを電気信号として脳へと伝える。

 ロドプシンはGタンパク質共役型受容体(GPCR)と呼ばれる細胞外からの化学的な刺激物質を受容する膜タンパク質のファミリーに属する。多くのGPCRはホルモンやペプチド,味や匂いなどの元になる物質をリガンドとして結合し,それに応答して細胞膜中にあるGタンパク質を活性化する。Gタンパク質にはGt以外にも,Gs,Gi,Gq,Go,G12/13など様々な種類が存在しており,数百種類のGPCRが様々なリガンドを結合し,これらのGタンパク質を活性化することで,外界の変化に対する多様な細胞の応答が引き起こされる。一方で近年では光で細胞の生理活動を制御する光遺伝学(Optogenetics)分野の発展と共に,Gタンパク質がかかわる信号伝達カスケードを光で制御する技術の開発が求められている。このために最近ロドプシンの細胞質ループを異なるGPCRのものに組み替えたOptoXRと呼ばれる分子を用いることで,細胞内の本来ロドプシンが活性化できないタイプのGタンパク質を光活性化することが可能であることが報告された2)。しかしロドプシンは一度光を照射すると,レチナールがタンパク質から解離してしまうため,繰り返し光活性化を行うことができず,また,Opto-XRを駆動するには本来細胞にはない11-cis型のレチナールを外から添加する必要があるなどの問題点が指摘されている。

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■細胞内情報伝達分子

 細胞は様々な刺激に対して適切に応答することで個体の生命活動を支えている。細胞外刺激(例えば化学物質)は多くの場合,まず細胞膜表面に存在する受容体タンパク質によって捉えられ,その情報は刺激を受けて活性化された受容体タンパク質によって細胞内に伝えられる。細胞内では幾つかのタンパク質の相互作用による情報伝達が行われ,その過程あるいは結果として細胞内情報伝達分子である環状ヌクレオチドやカルシウムイオンなどの小分子の濃度変化が生じる。

 様々な刺激を受容するための受容体の数は,例えば三量体Gタンパク質を介したシグナル伝達系を駆動する,Gタンパク質共役型受容体(GPCR)に限ってもヒトで数百種類にも上る。一方,受容体が受けた情報を細胞内で伝える役割を担う細胞内情報伝達分子の数はわずか数種類である。すなわち,様々な刺激と受容体タンパク質との膨大な組み合わせによって始まる細胞応答も,わずか数種類の細胞内情報伝達分子の変化として理解することができる。

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■天然の光受容体の課題

 細胞機能において重要な役割を担うタンパク質が,細胞内でどのように機能しているかを明らかにすることは,生命科学の発展や様々な疾患を詳細に理解するうえで非常に重要な意味を持っている。様々な細胞機能を高い時間分解能,空間分解能で操作するための技術として,植物や菌類などが有する光受容体や光受容ドメインが注目されている(図1)。しかし,このような光受容体は天然のタンパク質であるがゆえに,その性能に問題を抱えている場合が多い。このような問題に取り組むべく,われわれは遺伝子工学的アプローチに基づいて光受容体に改変を加え,従来にない光スイッチタンパク質の開発研究を行っている。本稿では二つの事例を紹介したい。

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次号予告

基本情報

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生体の科学
65巻5号 (2014年10月)
電子版ISSN:1883-5503 印刷版ISSN:0370-9531 金原一郎記念医学医療振興財団

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