看護学雑誌 32巻10号 (1968年10月)

特集 看護研究を検討する—あるレポートを中心に

研究レポート

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I.研究目的

 現在,当病棟で行なっているチームナーシングとは,一般病院における最も効果的な,患者中心の看護を行なうための看護要員をいかに組織したらよいか,そのための最善の方法は何かという研究課題のもとに考案されたもので,看護の現場で,看護に参与する人々各自の個性と資質を出しあい,それを生かしうる協同体制を作り出し,できる限り患者のニードにこたえることのできる患者中心の看護を実践する手段であると理解されている。

 チームナーシングにおけるカンファレンスは,チームナーシングの中核でありあらゆるチーム活動が流れ出る源ともいわれる。このカンファレンスの役割は,患者についての情報の交換提供の場であり,評論の場であり,さらに新しい看護計画へと展開してゆく場であると思う。現在当病棟では,毎朝,申し継ぎの後,8:30AM〜9:00AMの30分間をカンファレンスにあてている。

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足達 ではこれから,先日研究発表をした“Iさんの看護研究を終えて”ということで,反省や今後の方向,日常の看護業務と看護研究との関連性など皆さんが日々の看護のなかで考えていることを大いに発言していただきたいと思います。私が司会をさせていただきながら,一緒に考えてゆきたいと思います。では看護揚面,A,B,C,Dで問題になっている点を拾い出してみます。

 情況Aのところですが,ここでは第一番に患者のニードとナースの受けとめ方のズレが問題になっています。それから日常何か行為をした時に一瞬のためらいを持つことがありますが,それを再度確認しないで行為に移る。そういう点がこの場面で問題になっています。次に,この場面では夜勤がAナースとBナースの2人で展開されていますが,日勤の場合でもチームリーダーとメンバーとの間,チームの異なるナース同士で業務を依頼する人,される人のズレというか,食い違いが問題になっています。Bの情況では氷枕を欲しいと患者が言った場面ですが,新しく勤務交代して来たナースが「あの患者はこうだ」という申しつぎを受けて,それが非常に強く先入感となって次の看護行為に支障をきたしています。もう一つは画一的な看護行為が非常に患者に悪影響を及ぼしているという点です。

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私は編集者よりのご希望の諸点について,主として医学者の立場より批判を加えたい

この患者の気持は…… 福田 邦三
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 ここに書かれた患者Iさんの行動のパターンを通覧してゆくと,彼女が看護婦Aさんに対して,特別に寄りすがる気持をもっているように見えます。そして,怒ったり,すねたり,親しんだり,不満をもったり,満足したりする気持の変転,あるいはムラ気として眼につくものは,ヒステリー様の素地から出たものと見るよりも,むしろ,恋する人や,親の愛撫を求めて甘える幼児ないし少年少女の行動パターンに似ているようです。おとなの場合でも,たよる者のない気持になっている病人に多かれ少なかれ共通に見られる患者心理のーコマが,たまたま強く現われたものではないでしょうか。

 以上は,見せていただいた描写を資料にして,私の心に浮んだ一つの想定に過ぎません。実際の看護サービスの現場を手近かに控えた病院のカンファレンスに私が出席していて,いろいろ質疑応答に参加する機会があったら,上の想定を確認したり,取消したりすることができたかもしれませんが,いまはただ,私の心に浮んだ一つの感じだけを申し述べるにとどめます。

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 私の専門は神経生理学で,人間に関して無関心ではあり得ないけれども,この感想はそういう立場からではなく,やはり,私がここ数年来,主張している看護学試論の立場から書くべきだと思う。しかし,それにしても,私が看護の素人であることには変わりはないのだから,この小文がいささか看護界の現実を無視したものになるかもしれないことをあらかじめお断わりしておく。

看護独自の領域の開拓を 安食 正夫
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 この研究報告者の病棟の患者数は32名とあるから,Iさんを除く31名については,いうところのチーム・ナーシングがうまくいっているのであろう。が,このレポートはIさん問題に終始してしまい,他の患者の状況がぜんぜんわからない。うまくいっているならいっているで,どの程度うまくいっているのか,問題がどのように処理されたのか,その原動力はなにか,さらに,うまくいっていると見えたのは表面だけで,発展のしかたによってはきわめて重大な局面をむかえたであろうような潜在的な事態はなかったか,こういった問題に触れてほしかった。

 Iさんとの看護場面では,Iさんのニードとナースの判断のズレ,看護態度の反省などが分析されているが,皮肉なことに,これだけでは“患者中心の看護”とはいいがたいと考えざるをえない。

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 患者中心の看護ということは,看護婦とすればあたりまえのことである。それなのに,近年さもさも新しく発掘されたアイデァのように重要視され,取り上げられ,もてはやされているのはおかしな話である。要するに,今まではあたりまえのことをあたりまえとして認めていなかったことを意味する。では今までは,患者中心の看護をしないで,どんな看護をしていたのだろうといいたくなる。でもこの事実は,日本の古い封建制度のこのましからぬ一断片を物語っているともいえよう。いずれにせよ,患者中心の看護に目覚めたことは,非常なる進歩といえる。

 しかし,これは看護面ばかりでなく,他の面でも同じことがいえるだろう。何でも,患者中心,という言葉による流行的な考え方が真に患者中心になっているか否か,をよほど慎重に考慮してかかる必要がある。その点この研究発表の記録によると,一にも二にもチームナーシング・カンファレンスが重視されているので,一人だけの意見で患者中心の看護につっぱしる危険に陥ることはまずないとわかって安堵した次第である。それは,患者中心の看護の場合には,一人きりでやっているソーシャルワーカーの場合とちがって,誤った患者中心の看護はまず行なわれることはないと考えてよいと思うからである。

関係発展の看護からみて 松村 康平
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 特色のあるチーム・ナーシング活動を知ることができる。関係者たちの努力に敬意を表する。

 これは,看護活動の発展をもたらす優れた方法と考えられる。そして,この方法をさらにすぐれたものとするのは,活動に参加する人たち自身によってであることが考えられ,外部から意見をのべることはその活動の発展をもたらしにくいのではないかと考える。「患者中心の看護」では「患者の内的世界の発展」が尊重され,その看護者たち自身の内的世界の発展も尊重されることの重要さが,体験を通して認識される。患者との関係で,「受容」することが強調され,相手を理解しようとつとめる態度は,自分たちの看護活動にとって外部にあるものを理解しようとする態度と一致するもののようであって,その二つが著しくちがうものとなる場合がある。そうなりやすいとはいえなくても,患者中心の看護に徹すると,患者を理解するということは,理解しようとする人自身の自己理解に近いものとなり,それが患者自身の自己理解,自己実現を援助することになるという認識が強まってくる(と考えられる)。このような性質のある「患者中心の看護」をすすめる人たちの活動について,外部から意見をのべることは,その活動自身を尊重することになりにくい。外部から意見をのべても,その活動の発展をもたらしにくいという状況が,成立しやすい(と考えられる)。

検討3

人間同士の理解が優先 小田原 洋子
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 この研究発表を読み終えた今,Iさんという患者が,現在では自己中心的でなくなり,心に余裕を持って入院生活を送っておられることを知り,本当にうれしく思いました。病院の看護婦として患者と接するようになって5年半,いつも私の心を占めていた患者との接触の仕方を取り上げている本題に接する機会を得たことは大きなプラスでした。

 本題は看護婦だれもが日常悩んでおり困難とされているにもかかわらず,あまり大きな問題として取りあげられず,放っておかれやすいのが現実だと思います。チーム・ナーシングにおける看護で大切と思われる患者の問題を,個人の問題としてでなく全員の問題として取りあげ解決されたことには感心しました。その情況にあたった看護婦の感情によって多分に影響され,何とか納得してしまうことが多い現実,またチームの対人関係がうまくいかないと,患者に対する個々の看護婦の見方に相違があったりし,看護婦同士の感情がそのまま患者に対する接し方の相違として表われ,個人プレーが行なわれてしまう例が多くあるのを知っている私にとって,とても勇気のある看護だと思いました。

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はじめに

 今までの医学は,どちらかというと疾病そのものに重点がおかれ,人間としての患者はややもすれば軽視されがちであったように思います。しかし近年病気の回復には,患者の心理的側面が大きく影響していることが,いろいろな研究により再確認され,漸次重要視されるようになってきていると思います。

 それに伴い看護面におきましても,患者のニードを満たすのに十分な,より専門職業としての体制を確立するための研究がなされており,その結果「総合看護」であるとか,「患者中心の看護」の必要性が叫ばれるようになってきたものと思います。したがって今までの症例研究ですと,患者の疾病そのものに焦点がおかれたもの,または技術面に重点がおかれ,看護とは一体なんであるかと,疑問に思われるような発表が多かったと思います。

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はじめに

 臨床看護婦の立場から,同じ臨床の場で試みられた「患者中心の看護」に関する研究報告を検討してほしいとの依頼を編集部からうけた。そのレポートの内容は私たちも日頃臨床の場ですすめていく研究としては恰好のものであり,ここ数年来グループで検討してきているプロセス・レコードを用いた事例研究的なものであったので,あえてひきうけることにした。また従来この種の研究報告が誌上でさまざまな側面から考察を加えられることがあまり見られなかったような気もするし,もしあったとしても報告の形式や感想がそつなく並べられているにすぎなかったように思われるので,今回のこのような試みにいささか食指を動かされ,未熟を省りみずに皆で食いついてみようとした次第である。

 以下その時の話し合いをテープに収録しそのまとめを記してみたが,最初の心づもりよりもとてもむずかしく,言いたりなかった点が多くあることを先に弁解しておきたい。

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 患者中心の看護というテーマのもとに,それがどのように展開されるのかと,興味深く読みました。

 今さら言うまでもなく,看護への探求は日夜限りなく続けられ,けっして固定化されるものでなく,常にスタッフ間での話し合いを中心として,流動性をもって次々と切り開いていかれるものでなければなりません。

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 「患者中心の看護」の研究レポートを読んで,今後この道を歩む者の指針として,ナース自身日常のその行為を反省し,私たちは私たちなりに患者中心の看護とはいかにあるべきかを真剣に考えさせられ,患者のニードを満たすような根本的問題の解決策を生み出すべく,その責務を痛感させられた次第です。

 レポート上の予後不良を予想されるIさんという患者のニードを満たすには,まず第一に何をなすべきか。「精神不安の除去」,これが第一義ではなかろうかと考えます。

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 このレポートを読んで感じることは,一つのヒントにより経過した看護行為,ことに患者接触に際し起こった問題を分析,反省して,数多くの問題を発見された前向きな研究態度です。また何よりも今まで気づかなかった問題の探究と,受けとめる態度についての認識は大きな収穫だったと思います。このような成果は日頃の前向きの努力の結果だと思います。看護問題とカンファレンスのもち方について述べますと,

 1.看護婦相互の意思の統一が必要

今月の考察 園田厚生行政

高打率の成長株 石垣 純二
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この高打率をみよ

 戦後20余年いったい何人の厚生大臣が生れたものやら,故吉田首相みたいに大臣製造を趣味とするようなオカシナな自民党総裁が現われたりしてとても宙で数えられないくらい,朝に一相を迎え夕に一相を迎えるといったていたらくであった。

 なかには「わたしはもっと有力な省の大臣に擬せられておったのですが,派閥の都合でナントカ君にその席をゆずり厚生省に廻りましたようなわけで」と就任挨拶でしゃあしゃあと喋って省員たちを苦笑させたバカ正直な人もあった。かと思うと夜学に通っている給仕諸君でさえ思わず失笑したようなお脳の弱い就任挨拶ぶりの人もあった。

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“民の生を厚くする”かどうか

 園田厚生大臣が,昨年11月の就任以来,かずかずのファインプレーをやっているといわれる。しかし,私の考えでは,カッコつきのファインプレーだとおもわれる。園田厚生大臣のファインプレーは,実際の効果としては,国民のなかのほんのひとにぎり,せいぜい,数百人から数千人の人びとにとってプラスになることにかぎられている。大多数の国民にとって,直接のプラスになりそうなことについては,「将来こうしたい」という意味の希望的観測をのべているだけである。そして,厚生行政の中心問題となると,いちど言ったことをひっこめたり,せっかくのプランを事実上の抜けがら同然に手なおしして実施したりしている。

 総合点をつけるなら,なにもしないよりもほんのいくぶんマシという程度にすぎない。

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その学ぶところを十分生かしてと 京の看護学生たちが夏休みを利用し東北の一農村に臨時保育所を設けた秋は夏の鍛錬の実るとき—その夏の学生活動のひとつをご紹介しよう 実りのよりたわわなことを願いつつ

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 17世紀になると医療はかなり進歩したが,まだ田舎では前時代的な不衛生きわまる医療が行なわれていた。大都市の医療風俗はむしろ材料が少ない。2点の名画があるので考察してみよう。上の絵はテニエル筆の油絵で村医者の治療室を示す。威厳を示す魚や鳥の標本,棚の薬容器,右手前には蒸溜釜があって,傍らで助手が膏薬を作っている。ベッドも椅子もない。粗末な台に患者は腰かけさせられ,医師は右足をかけて頭部の治療をしている。下級医師の典型的服装である。

 下の絵はコルネリス筆の油絵だが,これはまた前にもましてひどい。村外れの飲み屋の店頭で出張治療をしている,としか考えられず,医師は外出時そのままの服装で剱もはずしていない。医療かくの如くだからまして看護がどんな程度だったか推測に難くない。

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単純な構造に凝らす工夫

臨床医学の教育と研究の場であり,また診断と治療の面で他の医療施設では手におえない患者を主として取扱う機能を持つ大学附属病院におけるナース・ステーションには,一般診療病院とは違った問題も多くある。医師,研修医その他医療従事者等多くの人々が,それぞれの目的によって出入りするが,設備や調度品はーつのものでいろいろの機能を備えているものは場合によってむしろ能率が悪い。単純な構造のものの使用方法や配置に工夫をこらすことによって,利用価値も増し動線も短くするように考慮している。

眼科勤務の看護婦は,患者のもつ苦悩にある時は深い共感をつくりあげながら,理解への第一歩をかためつつある時は勇気づけ依頼心を持たせないで日常生活ができるようにいかに援助して行くか,また直接生命に影響がなくても視力障害の程度によって眼科的な生命が危険状態であることを真剣に受けとめて,個人的にも社会的にも視力の保護と,人間としての幸せを守るためよい看護を目ざし,日夜取組んでいる現状である。

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目下話題の心臓移植,その是非はともかくとして科学の驚くべき進歩を象徴するに十分である。ところで失なわれた人体の機能を人工的に回復する研究は心臓に限らず進められている。たとえば,ポーランドでこのほど製作された義手もそのひとつ。この義手は従来のものと違って,腕の上下屈伸,上はくの回転運動,対象物の把握,感覚の感知など7種類以上の動作が可能なのだ。これは使用者の筋肉の動きを電流によって義手の中の人造筋肉に伝え,そこに圧縮されたガスのバルブを開閉して動作する仕組みなのだ。グッドアイデアだよね—

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病気になった人が医師や病院に診断や治療を受けにいく時,その人はもうほんとうは正常な人ではない。もちろん何でもない軽い病気の時は,そんな心の動揺はないだろうが,少しでも重い病気にかかったり,またその心配がある時は,病人の心は不安におびえている。医師や看護婦の立場から見れば不安がる必要などないと思われる症状でも病人の方では苦痛や不安から救われたいと必死に心で祈っている。そんな時には,看護婦さんの表情一つが病人の心の支えになる。たとえば看護婦さんが繃帯をとりかえてくれることだけで,病人には,自分の病んでいるところが眼に見えてなおっていくように思われるのである。病人がもし幼児なら,母親にすがりついていくように看護婦さんにすがりついていくだろう。こういう病人の異常な心理を,看護婦さんたちはどの程度知っているだろうか。看護学や看護法などという勉強をしているのだから,それは教えられて知っているのであろう。だが,自分が病人になって,自分が苦しんだ経験がないかぎりは,それは単に知識として知っているにすぎない。病人の不安や苦痛の深さはわからない。

看護婦さんの仕事は見ているだけで重労働とわかる。その上,素人など近よることもいやな病人の血や膿や汚物などを処理せねばならない。

シリーズ/霊長類ヒト科—利己
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秋だ。お祭りの季節だヨ。いいねエまつりてのは。だけどナンだネ,近ごろはコノあんまりハヤらないんだってネ。イッタイどういうんだろうねエ,イケませんヨ,おみこしがなくなっちゃうなんてのは。エ?なぜったって,だいたい民主主義てェものが危機にヒンしてるショーコですヨ,アタシにいわしてもらえれば。だってそうでしょ,おみこしなんてェものはどだい老いも若きも,エライやつもクダラないやつもないんだからネ。みんなビョードーでやっちゃうんでエラそうなこたァ通用しないんだから。民主テキでしょ。それがすたれようてンだからキキだよネェ。エ?ナニ?あんなものは交通のじゃまになる?だからサ,それがヤダってのサ。テメエのことばっかし考えやがってブンメイの退歩だヨ。カゴ使ってテクテク歩いてたってミコシワイワイやれるムカシの方がよほどましナンじやないの?それにしても昔からいたよネ,テメエのことしか考えnェやつってサ,ミコシかついでたってそうだョ。かつがねえでプラ下ってンのがいつからネ。

人を利用してテメエだけラクして楽しもうってのは,いるよネェ,ムカシっから──ヤダネ,人間てのは。ホント

インタビュー 青木アキ子さん

医学と看護

疼痛とその治療 稲本 晃 , 村山 良介
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 一生に一度も痛みを経験しないという人は決してないであろう。椅子のかどに下脚前部,いわゆる“弁慶の泣きどころ”をぶつけて強い痛みのため息もできず,かがみこんでしまったり,引出しを開けようとしてひじを打ち手のしびれた痛みをこらえたことは幾度となくあるにちがいない。長時間の正座で足のしびれとともに痛みが出てくる,次に正座を止めて足をのばすと熱い感じとともに針でさされるような痛みがあらわれてくる。これらの痛みは数分がまんすることによって自然におさまってゆくものである。針の先や刃物にふれた時“痛い”といって反射的に手を引込めるのは生体の一つの防禦反応であり,虫垂炎や胆嚢炎の痛みは体の異常を気づかせる警鐘と受けとることができるものである。

 しかしこのように痛みは人の注意をうながすために必要なものであるとしても,それはあまりにも度を越すことが多くはないであろうか。京大の木村教授らは“はたして痛みは人間を保護するものか”という疑問を10年も前からなげかけておられる。人生で一番恐しいものはと問われたならば“死”と答えることは当を得ているであろう。いつやってくるかわからず,何よりも確かにおとずれる死。有から無の世界への変転,人は実感としてとうてい理解しにくい恐怖であり,そのことを考えるのをなるたけさけたいとするのは人の情というものである。

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疼痛患者への接近

 痛みが人類の悩みの最大のものであり,臨床的に最も多い訴えの一つであることは否めない事実であり,その痛みの禍根を除く手術的方法は如何に技術の進歩した今日でも,患者にとって最も衝撃が大きく,不安を伴う方法であることには変わりがない。その漠とした不安の大きな要素として,「運命」「死」とともに術後の痛みに対する不安も大きな原因をなしている。

 手術操作そのものは麻酔の進歩により,無痛にまたそのほとんどが全身麻酔下に眠っている間に終わり,回復室に入り意識の回復とともに痛みと対決が始まるわけである。

日本の女性はしあわせか・7

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中絶

まびき

 避妊や出産の面からわが国の女性のしあわせを推定する場合には,当然のことながらわが国の婚姻の歴史からひもどかなければならない。

 農耕社会として発達したわが国の古代社会では母権と父権との平衡がわりあい長く保たれ,財産相続,母系職分継承などは,一挙に変革されることはなかった。

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 この養成所の正式な呼称については,どうもはっきりしない。

 中里龍瑛氏の「日本看護史」によると,「キリスト看護婦養成所」という言葉が使ってあるが,これは,出典を求め得るものかどうかは不明である。

Nursing Study

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はじめに

 結核のように再発の多い慢性疾患を治療するためには,時間とお金が必要です。社会的にみれば社会保障制度の問題ですが,個人的にみても経済的,精神的負担ははなはだ大きいのです。肺結核の治療は今までのような身体医学的な問題に尽きるものではなく,患者の心理を理解して,精神的にも指導しなければ,多くの結核患者はその療養を全うし得ないのではないでしょうか。

 そこで精神看護,情緒看護,心理看護を行なうために,当石垣原病院における成人肺結核患者158名を対象に,小遣い銭について,年齢,性別,患者および家庭の職業,家族構成員数,入院療養期間,入院区分,小遣い銭の収入源,小遣い銭の使用方法,家族との連絡方法などを背景に,1か月間における小遣い銭支出の内訳と平均必要額を考察し,経済的側面から精神看護面に役立てるべき資料の実態を把握できたので,ここに発表いたします。

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 “研究とは問題をふかく分析し,その現象をひきおこしている真の原因をつきとめていくこと”と小泉明,田中恒男共著の「研究発表の実際」(日本看護協会保健婦会)の中に記されている。真の原因のつきとめ方としては,この報告文のように調査をすることも一方法である。その際には,必ず仮説をたて,この仮説を実証的にたしかめていくのである。

 たとえば,本報告について考えてみると,実習を通して結核患者の情緒の不安定なことを知り,これが何に起因するのかを考えてみた。そのためにいろいろな本を読み,他の人たちの研究報告もみた。その結果どうも患者間の小遣い銭の不均衡に原因があると考えたので,調査をしてみることにした。ということであったとしたら,情緒の不安定が小遣い銭の不均衡に原因があるのではないかと仮説をたてたことになる。果して本報告者は患者の情緒の不安定なことからこのような調査をされたのかはわからないが,調査の意図がはっきりわかるような報告文にしてほしい。経済的側面から精神看護に役立てるべく…ではあまりにも莫然としすぎているし,仮説が成立しない。おそらく,本報告者にこの調査をさせたもっと具体的な問題があったのではないかと思う。もし,具体的問題があったとしたら,それを書いてほしい。

英文トピックス・13

ANA 1968 Convention
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 ANAすなわちAmerican Nurses' Association(アメリカ看護協会)の第46回総会は5月13日から17日まで,Texas州Dallasで7,000人のナースが参加して開かれました。1896年に創設されたANAは近年は2年目ごとに総会を開催しています。

 Dallasといえば1963年のケネディー大統領の暗殺の町ということで皆さんもおぼえておられるでしょう。事実ANAの総会はその暗殺の場所から,ほど遠からぬ所で行なわれました。

麻酔の知識・7

酸素療法 沼田 克雄
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酸素と炭酸ガス

 空気中の酸素は,肺→血液→組織と移動し,炭酸ガスはこれと逆の経路を辿って,組織から空気中へ排出される。これは,水が高い所から低い所へ流れるのに似ていて,分圧の高い所から低い所へと,拡散現象によって移動するのである。このことおよび,これらのガスの生理学的な働らき方からいって,体内のガスの過不足を云々する時は,その分圧で表わすのが便利である。空気中には酸素が20%ほどあるから,1気圧の下では,その分圧は,だいたい760mmHg×0.2で,約150mmHgである。これが肺に吸い込まれ,肺胞で身体各組織から集まった静脈血(ここの酸素分圧は約40mmHg)と接すると,酸素の移動がおこって,肺胞気と血液の酸素分圧はほぼ等しくなる。その値は約80〜100mmHgである。(図1)

 さて,人工呼吸と酸素療法(吸入気の酸素分圧を高めて酸素の拡散率,血液中溶解量,ヘモグロビンとの結合度増加をはかること)について考えて見よう。人工呼吸はいうまでもなく,機械的に換気を促がすことによって,酸素の供給と炭酸ガスの排出をはかるものである。救急蘇生法としての人工呼吸が,まず酸素を与えるためであることには異論はない。しかし,本来,人工呼吸とは人工換気のことであって,“換気”の生理学的な意味は,酸素の供給よりもむしろ炭酸ガス排出の方にある。

漢方と看護学・1

ぜひ漢方の知識も 鎌江 真五
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漢方と看護婦さん

 現代看護学の抱えるいくつかの問題で,看護学とはなにか?看護婦の主体性はどこに求めるべきか?という点にかなり論議が集中しているようです。

 私は現在,東京の中央区にある一診療所で漢方医学を担当していますが,西洋医学医療機関のなかで漢方を実践する困難さは,相互不理解の壁をどう打破するかにあると感じています。

薬のはなし・7

臨床研究の倫理 佐久間 昭
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ニュルンベルクの10ヵ条

 1948年6月2日,139日におよんだニュルンベルクの軍事裁判で判決が下され,人体実験に関係した,医師4人を含む7人の被告に絞首刑がいいわたされた。この裁判の規準になったものは,医学研究の倫理に関する10カ条のコードであった。これは

 1.被験者の自由意志による同意が不可欠であること。

医療ジャーナリストの目・7

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 札幌医科大学の和田寿郎教授グループが行なった心臓移植の手術は,ことしの10大ニュースに入るほどのビッグ・ニュースだったが,この欄の執筆者として,私が大きな感銘を受けたのは,8月13日付けの読売新聞(朝刊)の紙面だった。

 その紙面は,和田教授が手術に参加した全スタッフを記者団に紹介したことを報道し階段教室に席を占めたドクターたちの笑顔の写真を大きく掲載していたが,私が感銘を受けたのは,その記事の,なお,手術を助けた二人の看護婦さんは「患者さんが歩けるようになった時に…」と,この日のスタッフ紹介への同席を辞退した。

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 大阪府立白菊高等学校(大阪市生野区勝山通・丸岡隆二校長)は,衛生看護の専門教育をおこなう単科独立の高等学校としては,西日本最初のもので,神奈川県立衛生短期大学付属烹俣川高等学校とともに東西の双壁をなしている。同校では,さきごろ左藤義詮大阪府知事ら多数の来實を招き第1回戴帽式を行なった。

グラフ 施設紹介

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国の開設する病院—国立病院は,現在約80施設,広く全国に分布し,標準的な医療を提供する場として,約2万5千のベッドが稼動,国民医療の上に大きな役割を果しているが,そのひとつ国立京都病院を紹介してみよう

東西南北

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 スポーツにおいて審判は不可欠のものであるが,特にボクシングのレフェリーほどむずかしいものはない。たとえば両選手を三角形の底辺とするなら,レフェリーはその頂点に位置し,両選手がいかなる方向へ移動しても,その頂点,すなわち中間にいて観察しなければならない。選手がまったく動かず打ち合いに終始するなら,さして困難ではないが,動きの速い選手や左ききの場合は廻り方が逆になったりするので,その両選手の攻防が最も見やすい中間に位置して観察することは,相当の運動神経というか反射神経が必要である。公正かつ中立をモットーに判断するのがレフェリーの任務であり,観察しよい場所を維持することが義務でもある。どちらが優勢か,反則行為の有無,選手の健康管理などを観察しながら試合を運行していかねばならないのである。他の分野においても,絶えず中間に位置し冷静沈着に物事を観察できる人間になりたいものだ。

ニューヨーク留学記・7

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 どうしてアメリカにおけるナースの社会的地位は日本に比べて高いのでしょうか。アメリカ独立以来,女性優先主義がとられ,男性と同等の権利が認められ,彼女たちも十分にそれにこたえてきたこと,オープン制から始められた病院では,ナースは病院第一の優秀な人材でなければならず,必然的にナースの教育を充実させ,ナースに誇りをもたせたこと,と同時にキリスト教がアメリカ人の精神生活のバックボーンになっていて,人に援助を与えるProfessionalな職業,神父・牧師・尼僧・教授・医師・ナースなどは深く尊敬される,こういったものがミックスされて,ナースの社会的地位を少しずつ高めていったものと思います。

 Professionalな職業がどれくらい尊敬されているかという一例ですが,尼さんがバス,地下鉄に乗ってくると,どんなに満員であっても人びとは必ず席をゆずります(ニューヨークでは,男性があえて女性に席をゆずることはしません)。また患者の医師に対する尊敬は絶対的といっていいほどです。

Medical Topics

慈悲の限度,他 I・T
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 富めるもの,持てるものが,哀れなもの,貧しいものに施すこと,すなわち慈悲は,古来美徳としてほめたたえられてきた。光明皇后や照憲皇太后のライ者に対する慈悲を思うと頭がさがる。

 私は先年ある国立ライ療養所を見学した。ライ者が負うている肉体的な,そして精神的な重荷は格別で,どんな点からみても同情に値する。その患者たちが,職員の配慮と尽力によって,療養のかたわら手ごろな作業に精を出し,家族的な生活を活発に営んでいるのは感激でもあり,感謝でもあった。ほかのライ圏,たとえば東南アジアやアフリカなどのどの国が,これだけ施設と経営のゆきとどいている療養所をもっているだろうか。否である。

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心ゆする寂しさに耐えむあじさいの色あざやかに移りゆく日々

 〔評〕心ゆする寂しさとは,人の生きゆくことの寂しさかもしれない。あじさいの色彩を点じて,この歌にはほのかな詩情がただよっているのである。

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フーガの鳴る夕べに

限りもなくつらなる緑の木立ちに夕日は 音のない音楽をたずさえ雲かける金色の空よりすきとおる音色を しみ入るようにひそませる

樹々をふるわせ花々をうなだらせ小鳥の巣をゆりかごのようにゆすり夕日は きようひと日のレクイエムをかなでながら

付録 看護計画のための基礎ノート

基本情報

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看護学雑誌
32巻10号 (1968年10月)
電子版ISSN:1345-2746 印刷版ISSN:0386-9830 医学書院

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