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Ⅰ はじめに
ある晩のこと,悪夢のような依頼が来た。
「教科書には書いておらず,大学院でも教えてもらえない,現場で学ぶしかないありふれた臨床テクニック集」に寄稿しなさいというのである。けれども,これはけっして脅迫ではない。あくまで書き手の主体性にまかされた依頼である。
しかし,ここが難しいところである。なぜなら,編集担当の東畑開人氏と山崎孝明氏は10年以上に及んで知っている人たちであり,彼らとの間にはすでに,それぞれに特異な質の関係が現在完了進行形で私にとっては存在しているからである。
そこでそれらの質を考慮に入れながら私は考え,しばらくして床に就いた。意外や,いつものようにすぐに寝ついていた。しかしながら,目覚めたとほとんどに同時に,何が書けるか浮かばないが,引き受けることにしようと思った。眠っていて意識は閉じていたが,無意識ではα機能が作動していたのであろう。そしてこの文章に手を付け始めた。
しばらく思い出したことがあった。
心理臨床とは何をするものなのか,それをずっと考え続けてきた気がする。そして,それに対する答えが出ないまま,私は心理臨床を続けている。そんな恐ろしいことがあるだろうか。心理臨床は,人のこころに触れる。そんなこわくて繊細な営為なのに,「わからない」ままにやっていていいのだろうか。
そんな悩みを抱えながら日々を過ごす私に,「ベテラン」として,理論に留まらぬ「テクニック」を書いてほしいというのが,今回の依頼であった。少なくとも私は,「迷いもなく円熟した」という意味での「ベテラン」ではなく,また,後進に教授できるような「テクニック」を開示できるわけでもない。しかし,私が抱えてきた「葛藤」は,多くの心理臨床家に共有されることかもしれないとは思う。なので,「心理臨床とは何をするものなのか」という問いを抱えながら私が辿ってきた道を振り返り,特に,心理臨床の専門性と普遍性にスポットを当てながら,読者とともにこの問いについて考えてみたいと思う。
ここで,「ベテランではない」というのは,河合(1992)が『心理療法序説』で「『序説』と名付けたのは,まさにこれが『はじまり』であり,この後どのように発展してゆくのか,まだまだわからない」と述べたように,心理臨床は「わかった」と言えるようなものではないと思うからである。
しかし,そこに甘んじていてはいけないだろう。少しでも「わかる」ように努力したいし,言語化できるものがあるのなら,明らかにしていきたいと思う。
Ⅰ ニーズを創り出す
いただいたテーマは,治療場面における理論に還元されない人間的工夫について,ということだった。理論に縛られずにノビノビと書ける機会はたいへんありがたい。よって本稿も,論文よりはエッセイ寄りの文体で書きすすめることとする。主語も「筆者は」ではなく「私は」でいこうと思うので,ご容赦願いたい。
さて,いきなり結論から書くならば,神田橋條治氏がどこかで書いていたように,要するに「ゆさぶる」ことがポイントである。これは河合隼雄氏が好んだという,「結び目をほどく」比喩とも通ずるイメージだ。ランダムにゆるめたりひっぱったりしながら,ほどいていく行為。ただ,「結び目をほどく」場合は,「ほどく」というゴール意識がやや強めに響くかもしれない。
「ゆさぶる」の良いところは,ゴールが意識されないことである。こちらも神田橋語録だが,氏は精神療法の究極奥義として「行動優位の人には内省を,内省優位の人には行動を処方する」とも言っていた。これも広義の「ゆさぶり」として非常にわかりやすい。ただし問題は,「行動の処方」が言うほど容易ではない,ということ。ひきこもり事例と長くつきあっていると,そのことは嫌というほど思い知らされる。
長年ひきこもり臨床に関わってきたせいか,あまり「治療契約」や「ゴール」について正面からは考えない習慣が身についてしまった。ひきこもり当事者の多くは,最初のうちは「ゴール」はおろか「ニーズ」についてもはっきりした意思を表明しない。「自分はべつに困っていないが,家族に勧められてしかたなく来た」という人が多いためかもしれない。
「ニーズもない人とはやっとれんわ」というセラピストの態度もひとつの見識ではあるだろう。ただ私にはそうした態度が「私は安定した治療意欲を表明できるクライアントしか相手にしません」と言っているように聞こえる。メンタルヘルスに関わるものとして,それはあまりフェアではないと私は考える。うつ病にしても統合失調症にしても,その極期においては「欲望の表出」自体がきわめて困難になるのだから。まあそういうのは臨床心理の対象外,と言われてしまえばそれまでなのだが。
では「ニーズがない人」とどこで,どうやって出会うのか。それは家族の懇請によってであったり,あるいは「放置したら孤独死しそう」といった自治体職員からの要請だったり,さまざまである。つまり当事者はニーズを訴えないが,周囲の関係者は強いニーズを感じている場合などがこれにあたる。こういう当事者もニーズが皆無なわけではないし,ゆるやかに関わるうちに,いろいろと訴えてくることもある。だから私は,基本的にニーズは「一緒に創り出すもの」と考えている。
ともかく,そういう事例に関わる際に,私は「マイルドなお節介」を心掛ける。ほら「サザエさん」に出てくる「三河屋さん」っているじゃないですか。ときどき「まいど~」とアウトリーチしてきて,ご用がなければ「またよろしく~」と帰っていく。マイルドなお節介というのは,そういう「御用聞き」モデルのこと。別に訪問じゃなくても,このスタンスは有効だと思う。強引なセールスはもちろん侵襲的だし,明快なニーズを前提にしたウーバーイーツじゃ届かないこともあるから。
あと最近考えるのは,「斜めからの支援」。たとえば貧困支援の一環としてフードデリバリー用の無料レンタサイクル事業をしている人がいる。内容は完全に貧困支援なんだけど,それを表には掲げない。セルフスティグマが強い当事者は,そういう看板を忌避するから。つまり,スティグマを刺激しない間口を設定して,もし必要があればこころの相談にも応じます,みたいなことができないかと考えている。東畑開人氏も書いていたけど,被災地でこころのケアとか言っても,たいがい嫌がられてしまうから,まずは避難所のトイレ掃除からはじめよう,という話。精神療法に限らないけど,そういう「関わりのための間接性」はすごく大切だと考えている。中井久夫氏の絵画療法にしても,そういう側面が大きかったと思うので。
奇妙な表題の小論を書くことになった。「クライエントさんを慰める」という発想はこれまで私の頭の中には全くなかった。本号の特集を企画編集されている東畑開人先生,山崎孝明先生からご依頼いただいたままの表題である。しかも「ベテランたちの日常」というテーマの中で「エッセイ風に」というご依頼をいただいた。何を指してベテランなのかはわからないが,今は無き東京教育大学の付属教育相談施設で大学院生として,師である内山喜久雄教授のご指導をいただきながら,吃音症で生活に支障をきたしていた中学生のお嬢さんの援助を担当させていただいたのが半世紀少し前の話であるので,以来,多くのクライエントさんを援助させていただいたことだけは確かである。でも,私はクライエントさんを慰めるために認知行動療法を行ってきたわけではない。
執筆要領と共に頂戴した巻頭言を拝読させていただき,違和感を覚えるところが少なくなかった。しかし,その中に,「話は具体的であればあるほどいい。これが臨床の学の大原則です」とあった。臨床心理学的な援助は,具体的でなければならない。同時に,シンプルな方が良い。レトリックに拘るかのような「心理描写」や抽象的な解釈,議論は他の学問に委ねておけばよい。実学としての臨床心理学はクライエントさんの具体的な現実の生活に即して考えなければならない。「話は具体的であればあるほどいい」のワンフレーズに惹かれて小論を書くことをお引き受けした。
Ⅰ 2つの苦い経験
今もはっきりと記憶に残る,心理臨床の歩みにおける(若いころの)苦い経験が2つある。ひとつは,スクールカウンセリング場面であり,もうひとつは,産業臨床場面だ。
私はアートセラピーにそもそも興味があり,その本拠地といわれる精神科病院で心理臨床をスタートした。そこには精神療法に熱心な医師たちが集い,精神分析や家族療法をはじめ,学びの機会が多く用意されていた。入院や外来の思春期青年期の患者さんとの,アートセラピーを用いた面接などの機会を積極的にもたせてもらえ,手ごたえも含め魅せられていった(えっ? 意外ですか?)。
Ⅰ 50代の時,私に生じた面接スタイルの変化と「ちょっとした,しかし大きな工夫」
50代の時,私に生じた面接スタイルの変化と「ちょっとした,しかし大きな工夫」についてお話ししたい。
私は,晩成型である。大器ではない気がするが,おそらく臨床家としては,晩成型である。52歳か,53歳の時だっただろうか。私の面接スタイルに,ある変化が生じた。その変化が,もう少し若い時にやってきてくれていたらと今にして思うが,今さら時は戻せない。そして今やもう61歳である。
明治大学の私の研究室のお隣さんだったのは,サイコドラマで有名だった高良聖先生である。明るい人柄で人気者の先生だったが,残念ながら63歳でお亡くなりになった。
お酒を飲みながら,高良先生と「明大の教員で,誰が早死にで,誰が長生きか」話し合ったことがある。「決まってるじゃん。早死になのは,僕と諸富さんだよ」。高良先生は,ためらいもなく,そうおっしゃった。ストレートにものを言う方だった。
その高良先生がお亡くなりになった年齢まであと,2年である。
まだ死にたくないからと,最近突然ダイエットをはじめたが,RIZAPのCMに出ていた森永卓郎の闘病する姿を見ると,やせ我慢のダイエットの末に大病してはたまらないと思い,「ま,いっか」とお酒を飲みはじめたりする。
そんなわけで,あと何年臨床もできるかわからないのだが,50代の時に私に生じた変化は,私の面接の本質にかかわる大きなもののような気がする。そして私にとっては大きなものであっても,多くの方にとっては,今回の特集テーマである「面接のちょっとした工夫」程度のこと,と言えるもののような気もするし,さらに言えば,もしかするとRogers派の面接の根幹にも少しは触れることのような気もしないではないので,そのことについてお話ししてみたい。
Ⅰ 長い前提
最初に編者から課された題目は「精神分析しないこと」というものだった。即座にこれは私の仕事ではなく,精神分析家によって執筆されるべきものだと思った。
精神分析には実践的・構造的定義がある。それは「精神分析家によって行われる,週4回以上の頻度でカウチを用いた自由連想法を介した療法」といったものであり,私は精神分析家でもないし,週4回以上の療法に取り組んだこともない。つまり精神分析をしたことがない。「する/しない」という選択以前の立場にある。
厳密には「精神分析的心理療法」,すなわち「精神分析的心理療法家が行う,週3回以下の頻度でなされる精神分析的な療法」もしたことがない。私が経験してきたのは,「精神分析の知を借りて行う(ときにカウチを用いて行う)週1,2回の頻度でなされる自由連想を介した探索的な心理療法」であり,それは岡田(2017)のいう「精神療法を少しでも精神分析らしくしようとして精神分析の外形的な要素を模倣」する「精神分析様精神療法」である。
精神分析家になるには相当な時間,金銭,労力を要する。その候補生になるだけでも,医師もしくは心理職としての5年以上の臨床経験,各国の精神分析協会が指定する基礎セミナーの受講(数年にわたる),協会による受理面接をパスした後の1年間の審査分析(週4回以上の分析体験)が求められ,その後も数年にわたる週4回以上の訓練分析,週1回のスーパーヴィジョンをセットアップした精神分析事例への取り組み(2事例),協会指定のセミナー受講を経て,ようやく精神分析家として認定される(精神分析的心理療法家は訓練分析や訓練ケースの頻度が週1回ないし2回となる)。当然,1回ごとの訓練分析やスーパーヴィジョンには料金がかかる。生活や人生の大半をそこに費やさねばならないという意味で,きわめて取得難度の高い資格であることは間違いないだろう。私自身はこの訓練への参入に向けて自身の人生を動かしている最中にある。
さて,編者の企画書には「大学院で学んできた専門知には,ときに世間や各々の現場では当然視されている知(世間知,現場知)を,あるいは“ふつうの人間的応答”を排除する力(“呪い”と編者は表している)があり,この特集では現場で学ぶしかないありふれた臨床技法を記してもらいたい」「専門知に根差した関わりと,このありふれたテクニックの実施とをめぐる葛藤を記してもらいたい」とある。ただ,私自身は編者がいう意味での葛藤は乏しい。そこには金銭的事情により先に臨床現場に出てから夜間の大学院に進学した(臨床心理士資格取得は30歳時である)という私の特異なキャリアが影響している。先に現場経験があり,大学院在学中も現場で働き続けていたので,編者のいう学派知・専門知の「呪い」にはどうしてもかかりにくい。ある理論や介入法が目前のユーザーや現場に役立つか否かで―特に私自身がそれを有効利用できるかどうかで―その専門知の価値を判定してしまうからである。
大学院にて専門知・学派知を体系的に学ぶまで,私は圧倒的な臨床事実の洪水に呑まれていた。剝き出しの現実に晒され続けていた。そのような私に対し,専門知・学派知は事態を考える術を与えてくれた。しばしば専門知というフィルター越しに臨床事実を見ることが注意喚起されるが,私の体験はまったく逆である。むしろ,専門知の学びは事をよく見えるようにしてくれた。そのなかでもっとも事態を考えるのに役立った知が「精神分析」であった。もちろん,他のさまざまな学派知も私には重宝した。そのうちに私のなかでは「精神分析様精神療法」も,問題の具体的な対処法,解決法を模索する認知行動療法やブリーフセラピーのような介入法も,マネジメント的支援も,さほど矛盾なく並列的に共存するようになった。要はユーザーの主訴,ニーズ,状態像,彼らが置かれた環境的事情,支援者側の構造的事情を考慮するなかで,もっとも適した支援法を選択していけばよいと考えるようになった。この思考を形にしたのが『個人心理療法再考』(上田,2023)である。
以上の理由から編者のいう意味での葛藤や呪いは乏しいのだが,一方で私には別の深刻な葛藤がある。それは自身が行ってきた「精神分析の知を借りて行う探索的心理療法」が「精神分析」でも「精神分析的心理療法」でもないという事実に由来する葛藤である。
たとえ「精神分析様」と評されたとしても,私自身はこの「精神分析の知を借りて行う療法」が一定の成果をあげてきたと感じている。だが,それを「精神分析」や「精神分析的心理療法」の文脈に則して学術的・公的に検討する資格がない。「精神分析の知」を借り受けながら,それを学術的に検討できないことは自家撞着である。ここに葛藤がある。今回のような原稿依頼も本来的には応じるべきでないと思っている。
ただ,本特集が求めているのは,学派知・専門知を超えた現場体験や介入法とのことである。確かに私自身「精神分析の知を借りて行う探索的心理療法」を,その構造的形態を整えて実施する機会はほとんどなく(自身の開業オフィスと以前に勤めていた精神科病院で数例取り組んできたのみである),私の日々の実践はそれ以外の支援方策で占められている。そのありようを書けばよいのなら,何か書けるかもしれない。さらには「精神分析」や「精神分析的心理療法」に人生をかけて接近しようとしている身だからこそ書けることがあるかもしれない。このような想いで今回筆を執っている。私なりに何かを語ってみようと思う。
なお,「精神分析しないこと」という題目は私にはそぐわないので,「精神分析様の営為をしないこと」に変更したことをご了承願いたい。
Ⅰ 「外から」何とかすること
今回の特集は「専門知の祝福と呪い」についてとのことで,「日々の臨床で実践している人間的工夫や技術」を書くようにと仰せつかった。
確かに自分は今,面接をしている空間が,なるべく余計なものに邪魔されないように,雑味のないものになるようには努めている気がする。けれどもそれは「人間的工夫」というのとはちょっと違う。何が違うのかを考えていて,次のようなことに思いあたった。
今回の特集テーマは,「専門知が『呪い』になり,それを迂回するものとして『人間的工夫』がある」というロジックになっているのではないだろうか。その背後にはおそらく,「面接の設定にまつわるもろもろの取り決めは,言うなれば上から押しつけられた窮屈な約束事で,それが『人間的』な温かい交流を阻んでいる」という感覚がある。だからそれをあえて外れることによって,何か人間的な,真に価値あるものが得られるはずだという話になる。
けれども自分の場合,面接の設定というのはありがたいものだという感覚が強かった。押しつけられたものとしての感覚は,初めからなかった。多分それは,ちゃんとした治療構造の中での面接を初めから教育される心理士さんたちとは違い,自分がもともと(というより今もだが)精神科医で,ほとんど何でもありの研修時代から出発し,後から精神療法を学び始めたせいかもしれない。
たとえば,躁状態のとき買い散らかしたモノで自宅の床が文字通り埋め尽くされ,足の踏み場がなくなっているせいで退院できない患者さんの主治医になったときには,とにもかくにも退院先を確保するため,ワーカーさんと一緒に患者さん宅の掃除に行ったりしていた。もちろんご本人の同意を得ていたし,最終的に退院にこぎつけたときには感謝もしていただいたのだが,今から思うとあまりに単純素朴な「役立ち方」をしようとしていたと思う。少し後になって精神分析的精神療法のスーパービジョンを受け始めた頃,スーパーバイザーから「あなたのしていることは役割が違う」と言われ,「職能に応じた役立ち方というものがあるのだ」(!)とそこで初めて愕然としたのだから,我ながらあきれてしまう。
誰かが印象深い夢を見た,まさにそのときだろうか?眠い目を擦りながら,夢の記録をつけているときだろうか?別の誰かにその夢の内容を語るときだろうか?本人,もしくは別の誰かが何らかの解釈を施すときだろうか?
夢分析はいつはじまるのだろうか?
Ⅰ 認知行動療法を成り立たせるための治療関係
認知行動療法(CBT)においては,クライエントの「認知」と「行動」に焦点を当てることはセラピーの根幹に繋がるものです。しかし,クライエントが認知的介入も行動的介入も拒否しているときや,対話がなかなか進展しないときなど,セラピーのなかで「認知も行動もどうでもいい」と感じてしまうときも存在します。では,そのようなときにセラピストはどう対応すれば良いのでしょうか。本稿では,3つの事例を通して,このような状況下における治療関係・治療同盟の重要性について考察していきます。
ブリーフセラピーの学派は,大御所の先生方がノビノビゆるめの雰囲気で,若手は自由に自己主張すればするほど褒められます。なので他流派の心理士と交流したときには,重鎮の顔色をうかがうスキルに心底驚いたものです。
そんなブリーフセラピー学派であっても叱られること,それが,①早く終結できないこと,②オモろい面接ができないということ,です。初回面接でケース見通しの見立てとある程度の介入ができなければ「下手」とされ,面接中にクライアントの笑いが出なければ「アカん!!」とキレられまして,とにかく早くて面白ければ合格。私はこのユーモアが足りなくて叱られることが多かった。。。
今回の特集は,「現場で学ぶしかないありふれた臨床テクニック」ということで,私もスクールカウンセラー(以下,SC)として学ばせてもらったことがいろいろとありますので,前半は私の拙い実践や研究を通して学んだことを書かせていただき,後半は学校の先生方の優れた実践から学ばせていただいたことをご紹介したいと思います。
日本のありふれた心理療法(東畑,2017)が実践されている現場のひとつが,児童養護施設(以下,施設と略記)である。なぜなら,現場のケアワーカー(以下,CWと略記)は入所している子どものことで困っており,心理的支援へのニーズがある一方で,大学院で教わった学派的心理療法論をそのまま適用することは難しく,現場に合わせて学派的心理療法論を変形させながら心理的支援を実践していく必要があるからである。
本論では,施設での心理面接の実施をめぐってどのようなことに困り,どう対処してきたかを述べ,なぜ学派的心理療法論をそのまま適用するのは難しいのかを論じる。その際,〈専門知〉とふつうの人間的応答である素人知を併記し,その対比を明確にしていく。なお,専門知とは遊戯療法におけるアクスラインの8原則のような,教科書に書かれている知見のことである。遊戯療法や精神分析といった,それぞれの心理療法の専門知が体系づけられたものが学派的心理療法論である。以下に紹介する〈専門知〉とは,私が上記の専門知をもとに“そうすべき”と思い込んでいた知見を指している。また,本論では施設の個室での個別的な関わりに対して,心理療法ではなく,心理面接という言葉を用いる。セラピーという側面の強い心理療法ではなく,セラピーもケアも含める心理面接の方が,施設での実践に即していると思うからである。
私は民間の犯罪被害者支援センターでカウンセラーをしている。ある会議で一緒になった同業者から誘われたのがきっかけで,かれこれ20年になる。これまで,ボランティアに支えられている小さなセンター,支援件数が全国でも群を抜いて多い大規模センター,その中間規模と3つの被害者支援団体に籍を置いてきた。本稿は,それらの時期も場所も,雇用形態も異なる支援団体での臨床経験を基にしている。
犯罪被害支援というと特殊な領域に聞こえるかもしれないが,学校や病院,会社や施設など,領域を超えて,心理職が被害者に出会う確率は少なくないはずだ。私が抱える「涙問題」は現在進行形で,葛藤のすべてが解決したとはいえないが,同じような思いを抱える人がいて,この話が誰かの参考になるかもしれない。そう考え,被害者支援における日常的な臨床について書こうと思った。
私は,現在「塀の中」の心理職として働き,これまでに少年鑑別所,刑務所,少年刑務所,拘置所等の臨床現場を渡り歩いているが,この現場は「塀の中」ということもあって,あまり知られていない領域であるため,どんなことに葛藤し,どんなことが得られるのか,私の経験を通じて少し紹介できたらうれしい。
私は,臨床心理士指定大学院制度が始まった頃の世代で,大学院時代には心理療法に対する関心が高かったし,大学院修了後は,漠然と医療の方に進みたいと思っていて,非行・犯罪臨床には触れる機会もなかったし,正直少年鑑別所というものの役割や機能もほとんど知らなかった。大学院修了直後は,週に1日だけ精神科病院の非常勤職として働いていたが,週に1日のみの月給4万円という生活で,そのほかは大学院の図書館に居場所を見出していた。ハローワークなどで採用情報をチェックしていたかいもあって,児童相談所での心理判定員のアルバイトを見つけ,それから週4日の非常勤職員として働くようになった。そうして数年経った頃に,大学院の後輩の一人が少年鑑別所の心理技官として働くようになり,しかも公務員試験といっても,一般的な公務員試験とは違って,論文試験と面接試験だけで良いということを知った。これまでの貧乏生活を経験し,学費を出してくれていた親への申し訳なさ,そして,このままで良いのかといった戸惑いもあって,自分も法務省の「A種鑑別技官採用試験」を受けて,幸いにも合格した(現在は「法務省専門職員(人間科学・矯正専門職区分)」という試験制度に変わっている)。
こうして常勤職を得たものの,やはり心理療法やカウンセリングができてこそ一人前だという気持ちが強かったうえに,現在携わっている業務についても,アセスメントだけを行うということに物足りなさを感じ,「これは本当の臨床なのだろうか?」と自信を持てずにいた。つまり,今携わっている業務を「本物」ではないと否定し,その後ろめたさから,いつか立派な心理臨床家になることを夢見るような「純金コンプレックス」注1)を抱えていたのは間違いない。当初のプランではまずは5年程度働き,そのなかで,得られるものを身に付けられたら良いといった程度の気持ちで,強い思い入れなどは正直持っていなかった。しかし,滅多なことでは経験できない未知の世界のなかで,自分なりの面白さや不思議さを見出し,そして,ちょっとした自負を感じられるくらいに成長したことが,今も「塀の中」を歩き続けている理由なのかもしれない。
Ⅰ 「エアコンの温度下げようか?」
部屋の方で物音がする。見に行くと,小学生の男の子がベッド柵を蹴っている。こちらに気づき,蹴るのをやめる。私は部屋に入り,「どうしたの?」と尋ねるが,男の子は何も言わない。しばらくして,男の子は「言っても意味ないし,迷惑かけちゃうし,いいよ」と言う。こちらはトーンを合わせながら「そうなの?迷惑とは思っていないよ」と返し,待つ。しばらくして,男の子は「嫌なこと思い出した」と,過去の話をぽつりぽつりと話し始める。話に一区切りついたところで,こちらからは「座ったら?」と促す。男の子はイスに座る。こちらは床に座る。男の子が服で顔の汗を拭うので,部屋の暑さを感じつつも言うタイミングをつかめずにいた私は「ちょっとエアコンの温度下げようか?」と尋ねる。男の子は「どっちでもいい」と拒否はしないので,「ちょっと待っててね」と私は空調の温度を調整しにいく。部屋に戻ると,男の子は「今日はいろいろあって疲れた」と,学校での出来事や他児とのトラブルなどについて話す。私は話を聞いて,「大変だったね。ちょっと休んだら」と声をかける。男の子はうなずいて,ベッドに移動し,横になりながら「ちょっと寒い」と言う。「じゃあ,ちょっと弱めておくね。また様子見にくるよ」と言い,私は部屋を後にする。
Ⅰ 門番としての日常
常勤スクールカウンセラーの私の日常は,正門で生徒の登校を見守り,あいさつをすることから始まる。
私は,名古屋市にある,なごや子ども応援委員会という組織に所属し,市立中学校で常勤スクールカウンセラー(以下,常勤SC)として毎日働いている。正門での朝のあいさつは,平日週5日のうち1日は朝から出張があるため,週4日の実施。私だけでなく校長先生や生徒指導主事,係生徒たちと一緒に,毎朝登校する生徒の表情を眺め,「おはよう」と声をかけ続けている。もともとは「他の学校で働く常勤SCがしていたから/前任者がしていたから」という理由で始めた慣習的なもので,特に深い洞察があったわけではない。あいさつのために,勤務開始時間の8時15分より随分早く出勤する必要があり,「これにどれだけ意味があるのか……」と正直思っていた。
しかし,意味もわからず続けてきたなかで,生徒の些細な変化に気づくときがあった。例えば,「いつも複数人で登校しているのに,今日は1人で登校した」「いつもより遅い時間に来た」「その表情は何?」等々。そして,そういうことに気づいたときには,「あれ,今日は遅いね」「今日はどうしたの?」などと声をかけるようにしている。そのうちの多くは,「寝坊したんです……」とか「忘れ物を取りに帰って,走ったから疲れた……」といったその日限りの理由だが,なかには時々「朝,家族とけんかして……」とその場で泣き出す生徒がいたり,「友達とうまくいっていない」と話し始める生徒がいたりする。昇降口(名古屋では“土間”と呼ぶ)まで話を聴きながら一緒に歩き,「頑張ってよく来たね」とねぎらいつつ「行ってらっしゃい!」と送り出すと,ほとんどの場合は「行ってきまーす」と教室に入っていくことができる。そのあと朝の会が始まる前に,担任に「Aさん,今日の朝,家族とけんかしてきたみたいで」「最近Bさん,友達とうまくいっていないみたいで」などと伝えておくと,教室での様子を上手に見守ってもらうことができ,それだけでも多くの生徒は気持ちを落ち着かせられるようだ。
これらの大半は個別面接にまで至らないが,それでも常勤SCが子どもの「日常」の様子を知ることで,「異常と呼ぶほどでもないような些細な変化」に気づくことができ,ささやかではあるが,一次支援(予防開発)的・二次支援(早期発見対応)的なかかわりを増やすことができると実感している。そして個別面接に至る場合も,全く知らないSCではなく,「門に立っている南谷さん」と「あの話の続きをする」ということで,子どもたちの抵抗感はかなり低いように感じている。
常勤SCになって,これまで習ってこなかったけれど,仕事をするなかで「これは臨床的な意義があるのでは……」と感じるありふれた日常の瞬間が何度かあった。しかしその意義を上手に言語化できず,そんなとき東畑開人氏の『居るのはつらいよ』(東畑,2019)を読んで,「自分の言いたかったことはまさしくこれだ!」と膝を打ったのを覚えている(その後同い年だと知り,こんなおもしろい文章が書ける“タメ”がいるなんて!と正直ジェラシーに震えたりもした)。
本稿では,専門性をふんわり纏わせた「おはよう」の一言から始まる数十秒のやりとりに,どういった臨床的な意義があるのか,慣れないながらも書いてみようと思う。なお,組織の詳細や制度に関わる説明は,川岸ほか(2024)を参照していただき,常勤SCとは,かなり平たく言って「同一校に毎日勤務するスクールカウンセラー」だと思って読んでいただきたい。
ここしばらく,まとまった休暇に入る時期に合わせて毎回のように風邪を拗らせている。心理士をしている私としては,この風邪の「意味」を考えざるをえない。同業者に話したら,きっと何かしらの心理学的解釈を与えてくれるだろう。試しに友人のSにLINEでお願いしてみると,早速こんな返事が来た。「家庭では責任感から解放されて,甘えたい部分が顔を覗かせるようですね。それだけ普段は責任を全うしようと力を入れているのではないでしょうか」。
「う~む,なるほどぉ……」と真面目に考えこんでいる(責任感の強い)私に,「いつまでスマホ触ってんの? 早く休みなよ!」と妻の呆れた声。差し出された氷枕を受け取り,横になったとき,友人からもう一通メッセージが届く―「お大事に~」。
タイトルの通り,この「お大事に」こそが私が取り上げるキーワードだ。どういうことかと首を傾げる方もいるかもしれない。とりあえず「お大事に 意味」とGoogleで検索すると,次のような結果が出てきた。「無理をせずに体を労わってほしいと伝える,別れの挨拶」「主に,病人,怪我人,体調が悪い人に向けて言う」。何を今更。わざわざ言われなくてもわかっている。そう,「お大事に」はそのくらい,私たちの社会で当たり前に使われるケア的定番挨拶文句だ。しかし,心理士になりたての私は,この挨拶がどうしても使えなかった。これから書くのは,そんな私が,「お大事に」と言えるようになるまでの物語だ。
朝,出勤前にコーヒーを買った。職場近くのお洒落なカフェだ。日課ではない。昨日,保護者とこの店の話をしたことを思い出したのだ。
私は,都心にある自治体の教育センターで就学相談を担当している。発達や行動に課題を持つ子どもの就学に際して,保護者が教育環境や支援を検討したり学校関係者と話し合ったりするための相談だ。
就学というイベントは,保護者が子どもの発達や行動の課題に直面させられる危機的な場面でもある。そのため,一般的な心理臨床面接と同様,就学相談においても子どもの問題行動,家族の問題,保護者の生育歴などが語られる。しかしここでは学派的心理療法に則った面接の展開はない。保護者の心的変容が目的ではないし,厳密な時間枠や治療契約もない。どのケースも3月31日で区切りを迎える。また,制度の説明や事務手続き,見学などの日程調整や同行,学校や園との情報共有といった社会的接点は大きい。
昨日,教育センターのエレベーターホールで声をかけてくれたのは,数年前に担当したサキちゃんの母だった。年長当時,母子分離が難しく,母は疲弊していた。少しでも娘と離れようとたくさんの習い事をさせていたが,発達のゆっくりとしたサキちゃんには負担が大き過ぎたようだった。つい他の子どもと比較してしまう母にとって,それがさらに不安と焦りを増長させていた。
母は,ちょうどカウンセリングの帰りだと教えてくれた。「しかたないんですけど」と前置きしながら,他の子に比べてサキちゃんの“できていないこと”をつらつらと私に伝えようとする。
「今日はサキちゃんは?」私はあえて遮るように言った。
「ひとりで家にいます」
「ひとりでお留守番!」私は少し驚いて見せ,就学相談当時の話をした。片時も母から離れないサキちゃん,登園しぶり,毎日の習い事の送迎。母は,カフェでひとり時間を過ごしている女性を見かけるのが辛いと泣いていた。
私は,「帰りにカフェに寄れますね」とあの店を話題にしたのだ。
「言われてみると,あの頃より少しは成長したところもあるのかな」母はそんなことを言った気がする。
エレベーターが来るまでの短い会話だった。私はそこに,心理臨床的な対応を微かに纏わせたつもりだ。
本研究では,雨中人物画をアセスメントとして適用するための指標を得るために,大学生248名に雨中人物画を実施し,描画に投影されるストレス対処やレジリエンス特徴を検討した。雨中人物画にみられる描画特徴を分類したところ,「雨」「傘」「人」「雲」「その他」の5つのカテゴリーに分けられた。「雨」描画には描き手のストレス認識の度合い,「傘」描画には描き手のストレス対処スキル,「人」描画にはストレスとの向き合い方が表れていると考えられ,「雲」描画はこれまでの研究で言及されたことのない指標であったため,さらなる検討が必要であることが示された。また「その他」に含まれた描画や,描画後に尋ねた雨の量や濡れ具合の報告からも,描画者のストレス対処特徴やレジリエンスを読み取ることができる可能性が示唆された。
本研究では,子ども虐待事例への統合的アプローチによる支援モデルを構築することを目的とした。虐待臨床経験のある統合的アプローチの実践者20名にインタビュー調査を実施し,得られたデータは修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチで分析した。その結果,4個のカテゴリーと22個の概念が生成された。本研究では,支援者は,子どもや家族を尊重し,強みに焦点を当てたアプローチを行う「当事者中心の支援姿勢」という支援哲学を大切にしていることが明らかになった。また,内的世界と外的世界の相互作用に注目し,自己と世界の関係性の見立てを行うといった「統合的な視点からの理解」を心がけていることが分かった。子ども虐待への介入技法としては,「外在化による協働的支援」によって問題を整理しながら共有化を図っていることが明らかになった。さらには,当事者参加型の開かれた対話をすることで「安全・安心な場づくり」を行っていることが示唆された。