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I 助けを求めるときのハードルを下げる
心に傷を負う出来事に遭遇し,苦しい経験を生き延び,その後もトラウマの影響を受けている人にとって,誰かに助けを求めることはとても難しい。カウンセリング,支援,福祉,医療,ピアサポートグループなどにつながろうと思っても,自分を圧倒するトラウマ的な出来事(Event),経験(Experience),影響(Effect)は,自分が傷ついたと把握することをも阻み,誰かに助けてと伝える力や機会を奪う。トラウマを負った人が,余計なハードルを課されることなく,助けを求められる社会にすること。このことを目指すときに大きな力をくれる概念がトラウマインフォームドケア(Trauma-Informed Care : TIC)である。
本特集号の編者である亀岡智美は,トラウマインフォームドケアについて,「医療・保健・福祉・教育・司法などさまざまな領域で,トラウマについての理解を深め,サービスの多様な局面でトラウマへの癒しを大切にしようとする支援の基本概念」(亀岡,2022,p.14)と説明している。トラウマについての理解を深め,トラウマを感受することができる人が増え,それが個人の努力にゆだねられるのではなく,組織としてのとりくみにしっかりと組み込まれることが重要であることは,SAMHSA(Substance Abuse and Mental Health Services Administration:米国保健福祉省薬物乱用精神保健管理局)が作成した「SAMHSAのトラウマ概念とトラウマインフォームドアプローチのための手引き」(原著2014年)でも明記されており,ケアを重視する社会,ケアを志向する社会をつくるうえで,ますますこの視点は求められている。
SAMHSAの「手引き」では,「4つの『R』」(SAMHSA,2014,邦訳p.9)という言葉であらわされるように,①トラウマがどれほど大きな影響を与えるのかについての十分な知識を持ち(Realize:理解する),②トラウマの兆候やサインに気がつくことができ(Recognize:認識する),③トラウマについての知識に習熟した上で配慮し,適切な対応を行い(Respond:対応する),④Resist re-traumatization:再トラウマ体験を防ぐことは,トラウマインフォームドケアを行うにあたっての重要な前提であり,指針となる(亀岡,2022,p.22;野坂,2019,pp.94-95;大岡,2023,p.14など)。この前提や指針を共有できる場や組織,トラウマケアのプログラムやシステムが増加し,社会においてもトラウマについての理解が共有され,深まることで,トラウマを負い,その影響に苦しみながらも助けを求められない人たちがどれだけ楽に生きることができるようになることか。トラウマインフォームドケア,トラウマインフォームドアプローチはサバイバーが助けを求めようとするときのかなめになりうる。
これまで重ねられてきたトラウマインフォームドケアの実践は,さまざまな領域でとりいれられ,自分自身でも自分のトラウマに気がつかないでいた人たちの苦しみの背景を理解して寄り添ったり,その場にトラウマ的な出来事のサバイバーが存在する可能性を想定したり,トラウマ的な出来事によって大きな喪失を抱えた人たちのことを感受しうるケアや支援を行うための重要な概念として広がっている。しかし,ある人がトラウマについて話し,助けを求めることができるようになるには,傾聴し,適切に問うてくれる聴き手が必要であることも忘れてはいけないだろう。自分の話を信じてくれないのではないか。自分はとるに足らない人間なのではないか。自分のトラウマなどたいしたものではないといわれるのではないか。トラウマ的な出来事を生き延びたサバイバーたちは,さまざまな苦しみ,怖れ,葛藤の中で生きている。「トラウマに特化したケア」(Trauma-Specific Care),「トラウマに対応したケア」(Trauma-Responsive Care),「一般的なトラウマの理解と基本的対応」(Trauma-Informed Care)(亀岡,2022,p.15;野坂,2019,p.87など)のうち,トラウマインフォームドケアが重要なのは,それでも何とか自分について伝えようとする人たちが助けを求めるさい,助けを求めるハードルを下げる大きな力になるからだ。
医療,社会福祉,教育,司法,行政などの場で,トラウマについての理解がなされ,ケア的なかかわりがなされるようになれば,トラウマを負った人たちは,「助けて」といえるようになる。沈黙を脱したり,自分が求める支援やケアの情報にアクセスできるようになる。トラウマインフォームドケアの視点をとりいれることは,トラウマを負った人が助けを求めるときの心理的・社会的なハードルを下げる。

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