看護学雑誌 44巻3号 (1980年3月)

特集 患者の死をみまもって

家族不在の死を看とって 伊藤 正子
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緒言

 臨床の場において,死を受け止められない患者が看護婦たちに怒りをぶつけ始める時,私はその患者と時間の許す限り面接するように努めている.その患者の苦悩を聞いている時,患者の顔が般若の面のように見えてくる.その心の奥には,自分自身を抑制できない悲しみが現れていることを知る.ぶつけたい気持ちに耐えることで,自分自身が強くなることもあるだろうが…….実にそうした患者の姿を追っていくと,最後には人間の持つ弱さにぶつかる気がする.‘だれの前でも見せたことのない涙を,あなたの前で思いきり流したい’と言った患者もいた.

 患者が病気を受容できない段階において,私たちは的確な解答が出せないままに何年も悩み続けてきた.人間はだれでも自分を愛し,自分が取り返しのつかなくなることを恐れる.だが死は刻々と迫ってくる.しかし現実に起こり得る死を感じられるのは,他人の死だけなのであろう.

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 Kさんが2度目に入院したのは,癌のために胃切除をして3か月後の初夏であった.食欲不振と腹部膨満感が主訴であった.‘食べると,このあたりが苦しくなるんですよ’と,ふくらんだお腹をさすった.それは明らかに,腹水のための膨満であった.顔色はどす黒くなっており,手術後いくらか回復したかにみえた大きな体格も,すっかり影がうすくなっている.

 前回の入院で手術をしたあと,Kさんには胃潰瘍だと告げられた.しかし事実は胃癌で,しかも,周りのリンパ腺にもかなりの転移が認められた.このことはKさんの奥さんに報告されていた.ところがどういうわけか,2度目の入院後,その奥さんがあまり姿をみせない.たまに来てもすぐに帰ってしまうという状態であった.

〈死への看護〉考 遠竹 ミエ子
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はじめに

 ‘残された余後をできるだけ安楽に過ごせるよう援助する’──これは,我々看護者が,死が真近に迫りつつあると考えられる患者に対して掲げる看護目標である場合が多い.私自身,その目標になんら疑問を持たず肯定し看護していた時期がある.そこには患者の生に対しての望みは薄く,私の中にばく然とではあるが‘死への看護’があったように思う.

 医学の進歩とともに,不治の病とされる疾患も適切な治療により,かなりの延命効果をあげている.しかし患者のほとんどは,闘病の後に死を迎える.自分の死を知り,生きることにすっかり意欲を失っている人が存在したとして,その人へ‘死への看護’があっていいものだろうか.

患者さんの死を見つめて 那須 操子
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はじめに

 先日,夜勤時,ふといつもは開いたこともない“入退院者名簿”なるものを,病棟の棚から引っ張り出してみた.勤め始めて8か月の私であるが,なんと多くの人びとと接して来たのであろうかと,改めて驚いてしまった.1人1人の名前をたどっていくと,忘れ得ぬ顔や姿が次々と浮かんでくる.そして,今ごろどうしているかと気になるものである.しかし,亡くなってしまわれた方がたに関しては‘もうこの世には存在しないんだなあ’という,何やら今だに信じられないといった思いにかられる.

 そんな人びとを思い出す時,頭に浮かぶのは,決まって元気なころの姿なのである.大手を振り足を高く上げ‘イチニ,イチニ’と歩いていた姿.ポロポロとごはんをこぼしながら食事をしていた姿.‘看護婦さんのお家はどこ’と尋ねられたこと.‘ありがとうね’と言われたこと.‘ウンチー’と叫んでいたあの顔,あの声.なんの変哲もないようなことなのに,思い出すのは不思議とそんなことばかりである.しかしこれらのことは,その人びとが生きてきたという,いちばん確かな証しではないかと思う.

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はじめに

 目覚ましい医学の進歩の中でも“死”は逃れることのできないものである.‘いかに人間が人間らしく,最後の瞬間まで安楽に生きられるよう援助していくか’‘限られた生へ,どれだけ援助できるか’看護者が常に念頭におかなければならない問題である.

 しかし,終末期になればなるほど,毎日の看護が手順化され,観察に終始し,治療を優先させ患者のニードが二の次になってしまう.また,家族に病状の説明をする場合,たとえ予後不良と説明しても,家族にその病状の重さが伝わらない.そして何よりも問題となることは,看護者側の患者と家族からの“逃げ”である.例えば,患者から痛みの訴えがあった時,まず考えることは注射である.その場にとどまる勇気があったなら,注射よりもっと効果のある方法で苦痛を和らげることができるかもしれない.家族が付き添っていればなおさら,看護者側が当然しなければならない精神的な苦痛に対する援助までも,家族まかせにしてしまう結果となっている.

松本 こずえ
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 ちょうど10年ほど前,1960(昭和45)年のころ,その地方都市の郊外に近い地にある公立病院の,深い植え込みの奥にある古い木造建ての結核病棟,そこの婦人病棟はそのころでもほとんど満床であった.

 戦後減少した結核であったが,病棟が縮少されたことと,そのころの患者のほとんどが中高年者で,過去に幾度も軽快退院,そして再入院というようなことを繰り返した患者さんで,長期療養者になっていたからである.そうした婦人患者の多くは,もはや帰りたくとも帰るべき家を持たないような人びとでもあった.ある婦人は,子供もなん人もあるのにすでに離婚されていたり,ある人は,籍はつながっていてもその夫の家には自分に代わる別な婦人が座っていたり,また,家も家族もあっても,元気いっぱいの姑が居て家の一切のこと,孫のことなど取りしきっているので,もどって行っても働けない体では,だれにも相手にもされなかったり,それよりもそのころの結核に対する偏見には根強いものがあり,いわゆる肺病やみは安心して座れるような場はないのが常であった.

ホスピス イギリスの末期医療の現場報告・3

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ホスピスは何ベッドぐらいが適当な大きさか

 柏木 初めてホスピスをつくる場合に,そのベッド数はどれぐらいにすれば良いと思われますか.

 サマーズ これはドクター・ソンダースの考えですが,25床ぐらいのベッド数で始めるのが最も良いと思います.25床というのは1つの単位として適切な大きさですし,また大き過ぎて管理しにくいという数でもありません.25床以下であればやはり少し小さ過ぎて,患者にとってもサイズの点から助けになりにくいのではないかと思います.

ナーシングホーム アメリカ合衆国の医療と看護の実態・3

入院生活と病気の種類 岡本 祐三
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どういう病気の人が多いか

 ナーシングホームは,一般病院と並んでアメリカにおける入院施設を2分する存在であるということ,またその医療面については,スタッフ,設備とも病院と比較すれば,非常に手薄な状態であることを今まで紹介してきました.

 では,このような医療施設に,どのような病気の人々が入院しているのかということですが,老人の患者が多いということですから,1人の患者が,幾つも病気を持っているはずで,疾病統計をとるにも,いろいろなやり方があることになります.

マイ・オピニオン

学びの広がり 大川 市子
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 看護学生の多くは,臨床実習中に‘看護者の働きかけの良否が,患者の表情や態度によく反映している’と感じるという.

 人が何をどこで学ぶかについては,識者の唱えるところであるが,看護者が患者によって学ぶことは数しれない.

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はじめに

 骨腫瘍による痛みは,脊椎では直接に脊髄神経を圧迫刺激し,強い痛みを示し,時には麻痺を呈する.他の部位でも骨破壊による痛みは骨以外の部位の腫瘍に比べて痛みが強い.その痛みが患者の脳裏に根強く焼きついて,その結果,不安・恐怖へと拡大される.時には,レントゲン写真,その他の客観的資料では症状が好転しているにもかかわらず,痛みは緩和せず,鎮痛剤に頼りきり,それが習慣性となるケースが非常に多い。看護側でも,このような患者の疼痛に対して,安易に鎮痛剤を与薬し,それで患者の苦しみを解消し得たと思い込んでいる場合が多い.

 今回は,治療の経過中に闘病の目標と自信を失い,鎮痛剤に頼りきるようになった患者を,どうしたら鎮痛剤から離脱できるようになるか,この点について,医師・看護婦間で話し合い,計画を立てて患者指導にあたり,好結果を得たので,その概略を報告する.

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はじめに

 神奈川県立こども医療センターに精神療育棟(通称北一病棟)が開棟したのは1977年5月10日であった.当時内科病棟で既に治療を受けていた5,6名の患児が新棟に移ったのが北一病棟における治療活動の始まりである.

 その後次第に入院患児数も増え,1年半余を経過した現在までに34名の入院と18名の退院を数え,現在16名.開棟半年以後の平均患児数は15名である.患児の多くは心因反応と呼ばれる小児のノイローゼが強い症状で現れるヒステリーで,家庭問題,家族殊に両親の問題に起因しているものがほとんどである.そこに入院治療の必要性の大きな意味があると考えられる.患児の入院治療と併せて家族の通院治療が行われることが多い.

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はじめに

 当病棟は‘動く重症心身障害児(者)病棟’として,1976年4月に発足した.‘動く重心病棟’が,国立肥前療養所に,我が国で最初に開棟されたのが1972年4月のことであるから,まだその歴史は浅い.従来の‘重心施設’や‘精神薄弱児(者)施設’とは異なり,療育・介護が困難な問題行動があったり,自閉,あるいは多動の傾向の強い患児(者)を,主な対象として療育にあたっている.

 当事例は,生後7か月から18か月にかけて,母親が熱心に離乳を試みたが,嘔吐が続き,固形物を受けつけず,3歳6か月に至るまでミルクと果汁を栄養源とし,日常生活は全面介助であった.母親の識別すらできない状態で入院してきた視覚障害を伴う小頭症児に対し,食事面の発達を重視して療育を実施した結果,1年の間に障害児としてはかなりの成長を示したので報告する.

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はじめに

 入院治療したいくつかのケースを通して,特に精神科看護において,患者のニードの把握が,患児の心を理解する上にいかに重要であるかを学んだ.そこで,POSの理念に基づいて,会話,アセスメント,その考察という形で看護記録を展開してみた.その記録を紹介することで,私たちの行った看護行為を表せるのではないかと考え,その一部を報告する.

素顔のナース

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 出身地の沖繩から千葉に来て、初めて雪を見、レンゲの咲くのを見ました。沖繩にくらべて四季の移ろいがよく感じられます。高校時代に両親が入院し、看護という仕事のすばらしさを知り、ナースになることを決心しました。

アイディア

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作製目的

 アレルギー疾患の患者は,外来に来た時すでに重症の人が多く,その場合,点滴をしながら車椅子で病室まで来て入院しなければならない.またぜん息患者は,仰臥位ができない人が多いため,持続点滴をしている場合,起坐位(車椅子)で輸送をしなければならない.そのような場合,看護婦が点滴瓶を持ちながら車椅子を押さなければならず,人手もいり,かつ危険でもあった.そのため,看護婦1人で護送でき,かつ安心して使える車椅子用点滴架を作成した.

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 4-6歳の子どもに,〈手術〉前後のオリエンテーションをするのはなかなかむずかしい.ただコトバで説明するだけでは,具体的なイメージもわきにくいし,理解しているかどうかの判定にも迷うことが多い.そのうえ,日常業務の繁雑さと時間に追われて,看護婦の一方的な押しつけになりやすいオリエンテーションの現状では,術前処置の直前になって,精神的動揺(不安,おびえ)から泣いたり,拒否反応を起こしたりする子も少なくない.子どもたちの興味をひきながら,理解しやすい形でオリエンテーションをするにはどうすればいいか?

 神奈川県立こども医療センター学童外科病棟で,毎日,幼児期から学童期までの子どもたちのケアをしている看護婦さんたちは,〈紙芝居〉を使ってみてはどうか?と考えた.これなら目(絵)と耳(コトバ)の両方から子どもたちに訴えかけられると──.

輸液 ある個人教育の経験より・3

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輸液量はどのように決めるか

 近藤 前回のお話では,輸液量を決める場合は濃度をどうするかを先に決めておいて,経口的に摂取できる場合は水の調節は体がしてくれる,ということでしたが,それでは実際にどのような方法で輸液量が計算されるのかを伺いたいと思います.

 和田 そうですね.水が足りないというのはどういうことかを,少し論じておく必要がありますね.まず水の出納の話ですが,収入には何があって,支出には何があるかをみてみましょう(表1,2).

性の臨床・2

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はんらんする情報としての‘性知識’

 情報化社会の今日,性に関する記事やニュースは新聞・雑誌・書籍・テレビ・映画などにはんらんしているので,だれでも容易に性に関する知識を得やすい状況にあり,性の解放も進み,性が必ずしもタブー視されなくなってきたというのに,臨床で性のことが問題になる患者さんの中には,信じ難いほど性についての知識を欠いた人や,誤った知識をもった人がいます.

 これは,性はあくまで秘事で羞恥心を伴うものであるために,オープンなコミュニケーションができないことにもよりますし,患者さんが自分なりの解釈をして知識をとり入れるからでもありましょう.

心臓病Q&A・15(最終回)

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Q 今日は‘聴診’に関する問題を考える予定でしたね.では,さっそく問題にはいりましょう.

〔問21〕心臓の聴診に際し,注意しなければならないことは,

A.静かな部屋を選ぶ

脳卒中の病理・6

高血圧性脳出血 岡崎 春雄
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頭蓋内出血一般について

 今回から,脳卒中のうちでも出血性の病変を主とする疾患について考えてみましょう.

 頭蓋内の出血は,脳実質内に起こるものと,実質外に起こるものに分けて考えるのが便利です.後者は,更にクモ膜下・硬膜下および硬膜外出血に区別されます.

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 高校時代は卓球の選手。高校女子シングルスで六位の実績を持つ。父親が日支事変で戦死していたため、大学に進みたかったが、経済的に負担のない学校として看護学校を選んだ。看護学校へ入ってもさぼってばかりいて成績は低空飛行。文学作品を読みふけったり、演劇の道を志して『民芸』の試験を受けたりした。「でも見事に落っこっちゃって(笑い)。国家試験もやっと受かったんじゃないでしょうか。先生もずいぶん心配していました(笑い)」

 精神科を選んだのは「ソ連の作家でガルシンの『赤い花』を読んで精神科の道に進みたいなあと思っていました」一般病院から、当時山形県で唯一の精神病院である鶴岡病院に替わったが、そこを一年で辞める。

こんにちはメヒコ 看護交換留学記・3

てんやわんやの下宿生活 古瀬 敬子
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下宿の女主人は未亡人相談相手は下宿人の〈マリア叔母さま〉です

 1978年7月15日,我々留学生はメキシコに関する種々のオリエンテーションを終え,研修先である各地方,また各家庭へと分散しました.既に他の書類と一緒に里親の名前と住所を受け取っていましたが,下宿の半数以上は未亡人の家庭でした.人間の出会いは偶然に導かれることが多いと思いますが,名前を知らされた人々との出会いは,自分の人生を賭けた見合いの席に立つような緊張感をもたらします.

 私は,未亡人セニョーラ・ホセフィナの里子になりました.彼女はフランス人とポルトガル人の血が混じったスペイン人です.年の数は十分といっても,若かりしころの面影と美しさのただよう学識ある中産階級の未亡人です.4人の子供たちは皆それぞれに独立していますから,家には2人のメキシコ人,クリスチナとマリア未亡人が下宿しており,そこへ私が加わると,お手伝い1人を含めて総勢女5人のたたずまいができ上がります.

余白のつぶやき・8

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 詩人のヴァレリイが、一九三八年、フランス外科学会の開会式で講演をしている。彼は、外科医が生命の秘密に直接手を触れ、それをあばき出すことのおそろしさについて次のように言った。

 「外科医は、一有機体の状態を変形します。ということは生命に触れることです。外科医の手は、生命と生命の間に滑り入ります。……私は、諸君が犯す有機体の極度の驚き、仰天を想像します。諸君が、突如もっとも奥深い所にまで空気と光と力とメスを侵入させ、われわれにはそれ自体かくも未知のものでありながら、われわれを構成しているこの不可能の生ある物質に、外界の衝撃を及ぼしつつ、諸君はその鼓動する秘宝を明るみに出すのであります。何という打撃、何という遭遇でしょうか」

切り取りカード 看護ミニ事典

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妥当性については,すでに本欄の‘性格テスト1-3’(本誌43巻1,3,9号)でも多少ふれたが,本項では専らこれに焦点をしぼってまとめてみることにする.

 ‘性格テスト’だけにかぎらず,あらゆるテストや検査でもその妥当性が問題となり,そこをはっきりおさえておくことは科学的な研究をする者にとって不可欠のことである.

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〔商品名〕メンドン7.5mg Mendon 7.5mg(大日本-アボット)

〔成分〕1カプセル中,クロラゼプ酸二カリウム7.5mgを含有する(硬カプセル,白色).

基本情報

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看護学雑誌
44巻3号 (1980年3月)
電子版ISSN:1345-2746 印刷版ISSN:0386-9830 医学書院

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