プロフィル
—鈴木敦子—職場の歴史「あすを拓く」を自費出版—「ここにへばりついて働く人の歴史を書きたかった」
吉
pp.321
発行日 1980年3月1日
Published Date 1980/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918914
- 有料閲覧
- 文献概要
高校時代は卓球の選手。高校女子シングルスで六位の実績を持つ。父親が日支事変で戦死していたため、大学に進みたかったが、経済的に負担のない学校として看護学校を選んだ。看護学校へ入ってもさぼってばかりいて成績は低空飛行。文学作品を読みふけったり、演劇の道を志して『民芸』の試験を受けたりした。「でも見事に落っこっちゃって(笑い)。国家試験もやっと受かったんじゃないでしょうか。先生もずいぶん心配していました(笑い)」
精神科を選んだのは「ソ連の作家でガルシンの『赤い花』を読んで精神科の道に進みたいなあと思っていました」一般病院から、当時山形県で唯一の精神病院である鶴岡病院に替わったが、そこを一年で辞める。
Copyright © 1980, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.