看護学雑誌 50巻1号 (1986年1月)

特集 患者を守る看護の役割を考える

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“患者の権利宣言”の誕生とその背景

 患者の権利というと,2つの顕著な反応がみられます.

 ひとつは攻撃的な消費者側の反応であり,もうひとつは医療を提供する側の防衛的な反発です.

 しかし,この両者はいずれも正しい態度とはいえません.なぜなら,“患者の権利”という考え方は,そういう背景から出てきたものではないからです.

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 ベス・イスラエル病院,その医師,看護婦,そして全職員は貴殿に対しわれわれの患者として,すぐれたケアーを提供する所存であります.加えて,貴殿の個性および尊厳を尊重するのが,われわれの方針であります.貴殿の病気について貴殿が知る権利,および貴殿の福利に影響を与える決定に,貴殿が参加する権利をわれわれは支持致します.したがって,以下の各項に記すような貴殿の立場において正当であると期待されるとわれわれが信ずる慎重な配慮をもって貴殿のための医療ケアーを提供するというのが,われわれの真心からの意図であります.もし,これらの目標をわれわれが満たしていない場合は,どうぞわれわれに知らせて下さい.貴殿のご意見は,われわれおよび将来の患者各位のために有益でありましょう.もし,貴殿が不公正ないし不適切に扱われていると,感じたならば,そのことを貴殿の医帥,受け持ち看護婦(プライマリー・ナース),他の看護職員,他の医療従事者,もしくは管理職員に話して下さい.ベス・イスラエル病院では,全員が患者の味方です.

 また,貴殿はボストン02215,ベス・イスラエル病院院長に手紙を出されるのも自由です.そのような投書は歓迎され,そして迅速かつ個人的な配慮が払われます.

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はじめに

 医学は1970年代から1980年代にかけて加速度的に進歩してきた.それにつれて,医療の恩恵を享受できるようになった反面,医学が細分化され,全人格としてでなく,肉体主義的な医療を受けるような傾向が現われ,また広く国民に閉ざされた世界において医療行為が行なわれていくようになり,そのことへの不満が増大した.さらに医療事故の多発,医療費の増大,国民の権利意識の高揚などが背景となり、1984年4月,患者の権利宣言全国起草委員会によって“患者の権利宣言(案)”が発表された.

 本特集別項の資料(p.32)をご覧いただけば分かるように,

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はじめに

 1972年,ベス・イスラエル病院で“患者としての権利”が宣言されてから13年が経過した.日本においても臨床の場や医療訴訟の場で,患者の知る権利や良い医療を受ける権利,あるいは人権やプライバシーを守る,などの言葉が聞かれ,また問題にもなっている.そのような中で,1984年10月に患者の権利宣言全国起草委員会により“患者の権利宣言(案)”が提案された.

 そこで私たちは,日常の看護場面で患者の権利や人権をどのように受けとめているか,また,それを守るとはどのようなことなのか,をいくつかの事例を通して考えてみることにした.

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はじめに

 入院してくる患者にとっては,常に必要に応じた看護サービスが行なわれて当たり前のことである.患者が元気に手を振って退院して行く時,その後ろ姿を見ながら‘長い闘病生活を無事乗り切ることができ,本当に良かった’と喜びをかみしめることができる.これが看護婦の行なう看護活動の最終ラウンドの姿である.

 医療行為は患者の承諾の上に成立し,更にその前提として医師および看護婦がどのように医療を行なうかの説明が行なわれ,納得した段階で入院・治療にとりかかるはずのものであった.それがいつの間にか,多くの患者の弱い立場からか,‘すべていいようにお任せします’‘よし,任せなさい’と表面的には医療に全面的同意を得たとし,その結果は経過の中で十分な説明がなされず患者はイライラを増す.一方で医療者は‘説明したのに分からないのは理解力が悪いからだ’と患者側に責任のすべてを負わせる状況になっている.

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 それは、私一人の日記としてしまい込んでおくには,あまりに美しく,あまりにすばらしい経験でした.私は仕事から帰って来るとすぐペンをとり,日記帳にではなく,原稿用紙に今日の出来事を書き記す決心をしました.日本にいたら,多分一生の間にただの一度も,看護婦として経験することはないだろうと思われる今日受けた感動を,一人でも多くの日本の看護婦の人たちと分かち合いたいと思ったからです.

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 1985年夏,私はかつて5年間住んでいたニューヨークを訪れた.その5年とは,1971年から76年までのことなので,もはや遠い昔の日々になってしまっているのだが,なぜかニューヨークという町は私の中で絶えることなく鼓動を続けていて,少しも色褪(あ)せていかない.何とも不思議な町だ.

 その町に,私の12年来の友,聖子さん(Mrs. Seiko Newman)が住んでいる.彼女のハズバンド(Dr, Robert Newman)はニューヨークのベス・イスラエル病院の院長さんだ.たまたまそのことを本誌の編集子に話すと,「アメリカのナースに直撃インタビューしてみては?」という話に進展,そこで仕事好きで働き者の私は,“渡りに舟”とばかりにこの話に乗ってしまったのである.

癌と駆けっこ・1

手術までのこと 刑部 慶子
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 〈編集室から〉 この連載の筆者,刑部慶子さんは去る11月9日,入院先の日大板橋病院で逝去されました.あけぼの会のワット隆子さんから刑部さんを紹介され,初めてお目にかかったのが6月.素人目には3年にもわたって癌と闘い続けている人とは思えないほどの元気さと明るさにびっくりしました.しかし,それも後からうかがうと,主治医と,医師である夫・光太郎氏の最新医学の粋を集めた必死の延命努力のもとにかろうじて保たれていた,ぎりぎりの均衡状態だったようです.そのような中で,180枚の原稿をわずか3か月ほどで書き上げてくれたのでした.今は亡き刑部慶子さんのご冥福を心からお祈りいたします.

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はじめに

 頭部外傷・脳腫瘍・脳血管障害あるいは脳神経外科手術後において,意識障害を伴いやすい患者の看護観察は,経時的に綿密に行なう必要がある.さらに,これらの情報を客観的・総合的に判断し,治療や看護に活用することが重要である.

 このような重症患者の記録方法として,一般に観察項目の経過一覧表を作成使用している所が多い1)2)3).この経過表の形式は,各施設によって種々で,よりよい形式・方法を検討しているようである.

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 近年,医用(ME)機器は目覚ましく進歩し,関連領域からの技術移人も図られて,より高度でより多様化したものになってきた.加えて,医療レベルの高度化,受診率の増加などに伴い,これらのME機器の使用頻度も著しく増大している.患者がこれらの有用なME機器の恩恵に十分あずかるためには,医師やパラメディカルの人たちが機器の原理や機能を理解し,更に使用上の安全性をも配慮する姿勢がぜひとも必要となっている.

 日本ME学会の技術教育委員会は,過去6年間にわたって,ME技術講習会とME技術実力検定試験を主催し,ME機器の知識の普及と安全性の向上に努めてきた.しかし参加者の大部分はME企業側の人たちであり,術生検査技師やそれらを目指す学生たちは年々増加しているものの,医療の中核となるべき医師や看護婦の参加は非常に少ない.そこで私たちは,この偏りを是正し,臨床に即した実践的ME教育のあり方を探るため,まず第一線で活躍している看護婦を対象に,ME機器の使用状況とそれに関する意識調査を行なった.

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はじめに

 ‘看護とは,患者を取りまく全ての環境を患者の生命力の消耗を最小にするように整える事を意味すべきである’とは,ナイチンゲールの“看護覚え書”の中の有名な一節である,“生命力”とは‘生物が生物として存在できる本源の力’である.つまり,ここで言われる“看護”とは,“生きる者”への看護と言えるであろう.

 では,現在の医学では治療不能な,言い換えるならその病気の将来に確実な“死”が待っている疾患を持つ患者に対してはどうであろうか,進行性筋ジストロフィー症がその疾患の1つに挙げられる.

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はじめに

 糖尿病は長い経過をたどる疾患で,自己コントロールするためには,患者が自分の疾病を理解し,意欲的に取り組むことが大切である.そのために看護者は,患者個々の生活状況に合った指導,援助を行なわなければならない.

 今回,私は,食生活をすべて外食で過ごしている患者の食事面への援助を行なったので報告する.

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はじめに

 幼い子供にとって,遊びはなくてはならないものである.遊びは自然の活動であり,筋力の相互作用を有機的に発達させ,身体のあらゆる部分を動かす.子供はエネルギーを使い果たしながら自信を増し,他の子供たちとのコミュニケーションを行ない,そして次の成長段階へと進んでいく.

 私が小児病棟で受け持った患児は脳性麻癖の障害を持ち,早期からの神経生理学的アプローチによるリハビリテーションを必要としていた.しかし,ネフローゼ症候群という疾患の治療のため,安静を余儀なくされていた.

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 医療技術が進み,各種の機器や器具を装着した患者が増えているため,異常の早期発見と緊急対応が特に必要とされています.これは,緊張度が非常に高く,業務量の大変多い状態が生み出されているということでもあります.

 患者への確実な対応は,一瞬もゆるがせにしてはなりません.その中で看護婦は,自ら現状を正しく分析し,自ら考え,しなければならない“合理化”と,してはならない“合理化”をしっかりつかみ,より良い看護に返していくという視点が必要ではないかと常々私は考えていました.そんな時私を引きつけたのが,三井記念病院高等看護学院を中心として開かれている〈看護人間工学部会〉でした.

NURSING THEORY 看護理論ってなあに?・1

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 ある日のこと,何げなくめくっていた雑誌の片隅に下記のようなコラムのあることを発見した.

 ここに出ている看護理論家は,ローズマリー・パースィというのがちょっと耳新しいことを除けば(近く『高橋照子訳:健康を—生きる—人間:パースィ看護理論』が,その著書の最初の翻訳として現代社から発行される),それ以外は最近の看護関係の専門書を読めばよく出てくる馴染(なじ)みのあるものばかりである.それぞれ独自の世界,独自の看護観を持っているのだが,その人たちが集まって会議をやるというのである.

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バイオフィードバック療法とは

 ──バイオフィードバック療法が心療内科を中心に我が国にも導入されてきた歴史がありますが,そもそもバイオフィードバック療法とはどのような治療法なのか,いつごろ開発されたものなのか,お話しください.

 様々な心理的刺激が身体的変化をもたらすことはよく知られています.逆に,様々な身体的変化を心理的操作によって,言い換えれば意識的操作によって身体的変化を制御できるのではないかと考えられ,それを可能にする方法のひとつがバイオフィードバック(biofeedback)といわれるものです.

DECISION MAKING IN NURSING こんなとき、あなただったらどうします?・1

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 3年余にわたって続いた‘日常ケアを見直そう’が好評のうちに終了した.この連載はその後番組である.看護婦の弱い部分とされている‘判断’に焦点を当て,これまでにない新しい形の事例検討に挑んでみたい.

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‘あの患者さんがね,“もう行っちゃうのかい”って悲しそうな顔をするんですよね.だからつい長くなってしまうんですけど’

 院内を案内してくれた総婦長の井上さんがふと漏らした言葉の中に,この病院の看護婦さんたちが普段,どれだけ患者さんの中に入っていて身近なものになっているかが感じられた.

和漢診療の実際・1

いまなぜ、漢方か? 寺澤 捷年
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和漢診療部とは

 先ほどから診察室前の廊下がやけに騒がしい.

 ‘ワシの順番はいま呼ばれた人より早かったはずだ!’と受付の看護婦に詰め寄っているようだ.同席の患者さんが‘あんたはんは私より後だから……’と諭すが,なかなか納得しそうもなく騒ぎはしばらく続いている.

ぼけの臨床・9

ぼけの症状[8] 井上 修
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 問題行動の重要なものとして“失禁”を前号で述べた.そこで,同時に弄便も書こうと思っていたが,紙数の関係で,ひと月遅れになってしまった.指を折ってみると,どうやらこれは新年号になる.新年早々‘弄便’とは,いかにもセンスのないことであるが,失禁と弄便を離すことはできない.私の無粋に免じてご容赦をお願いしたい.

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滋賀医科大学がPOS化された事情を聞いてください

 滋賀医科大学医学部附属病院は,1978年10月に開院しました.開院にあたっては何もかも一からの出発です.チャートも一からです.

 準備が進み,開院の4か月前は印刷物の原稿の締め切りです.17ある診療科から17種類の入院チャートの原稿が提出されました.提出されたチャート原稿のほとんどがPOSの様式でした.

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 自分の抱えている問題を解決するにあたり,最終的にどのような選択をし,どのような行動を起こすかを決定するのはクライエント自身であって,カウンセラーではありません.カウンセラーは,クライエント自身が負うべき責任を代わって引き受けてはなりません.これがカウンセラーに求められる3つ目の大切な原則であり,基本的態度です.

 ここで‘責任’という言葉の意味を考えてみたいと思います.

ワードスキャン

発癌物質 根本 信雄
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 ヒト癌の発生に化学物質が関係しているとの報告は,1775年の煙突掃除夫の陰嚢癌が最初であった.しかし実験的に動物に癌を発生させることに成功したのは,それから1世紀以上も経過した1914年で,山極・市川が石炭タールを繰り返しウサギの耳に塗布して発生させた皮膚癌である.その後,英国のグループがタール中から発癌性の芳香族炭化水素類を次々に発見していった.それらの発癌性の検定には,筒井が開発したマウスの背部皮膚に塗布する方法が使われていた.

 さらに現在動物を使っての発癌性確認試験の原法となっている,餌に検定試料を混ぜて長期間与える方法は,1935年佐々木・吉田がアゾ化合物をラットに応用し,内臓器として肝臓に初めて癌を形成させた実験に基づいている.このように,発癌研究の萌芽期に我が国の研究者が大いに貢献した.

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 1985年4月1日に設立された日本健康科学学会の第1回学術大会が11月1-2日の両日,東京・品川のコクヨホールで開かれた.

 この学会は‘健康’が人々の重大関心事になりつつある今日,健康にかかわるすべての学問を学際的な視野のもとに糾合して,健康を‘科学’する場をつくっていこうという目的で設立されたもので,‘健康の理念の追求並びに健康科学に関する研究を通して健康の維持増進に貢献すること’を設立趣旨にうたっている.

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 アメリカの化粧品会社エイボンプロダクツが設立したエイボン女性文化センターでは,1979年より‘社会のため,また女性の地位向上のために貢献する有意義な活躍をし,めざましい成果をあげている女性の功績を称え,表彰する’ことを目的として‘エイボン年度賞’を創設した.

 1985年度賞のひとつ‘エイボン教育賞’を看護絵日記“夕暮になっても光はある”(小緩鶏社)の箸者であり,特養ホーム・御殿場十字の園の医師・林富美子氏と同ホーム元看護婦の土田セイ氏の2氏が受賞した.

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 娘「白衣を着ている時の母の方が本当はもっとすてきなんです」母「娘のウイークポイントがわかっているので,行き詰まって悩んでいるとすぐわかるんですよ」奈緒美さんは母親が看護婦として働く姿を見て育ったので,高校を卒業した時,迷わず看護への道を選んだ.奈緒美さんが寮からたまに家に帰って来ると決まって親子カンファレンスをする.そんな時,三保子さんは娘に看護婦になることを特に望んだわけではなかったけれども,娘が自分と同じ道を歩み始めていることを実感して,うれしさがしみじみこみあげてくる.

ちょっと一言 総婦長のつぶやき

ハイテク時代 青木 孝子
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 来たるべき,いやもう既に来てしまっているハイテク時代に,女性がその大半を占める看護集団は果たして生き残れるだろうか.生き残るためには,この新しいマン-マシンシステムにどう対応していったらよいのだろうか.

 パソコン,オフコン等という言葉がマスコミを通して,私たちの耳目を集め始めたと思う間もなく,あっという問に小型から大型まで多種多様のコンピュータやワープロが,身の回りに洪水のように押し寄せて来た.それらは,企業の大小を問わず,業種を問わず,ありとあらゆるところで使われ始めている.そしてこの事態は,間違いなく病院も巻き込んで進展しつつある.

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 大学を卒業して,すぐそのまま臨床に入るには‘なんとなく自信がなくて’電電公社の健康管理室に勤めたが,そのままずっと現在まで27年間,電電で働く人の健康管理を続けてきた.

 電電に入ったころは結核がまだまだ猛威をふるっていたため,企業で働く者の健康管理は即結核対策であった.それからは,結核から成人病へと移っていったが‘健康管理の中心思想は,ずっと疾病管理でした’

ニューヨークのナーシングホームから・1

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 1956年に,聖母女子短大看護科を卒業した筆者は,関東逓信病院等で10余年働いた後,東欧からアメリカにやって来た今のご主人と結婚,アメリカのコーネルメディカルセンターの人工腎臓クリニック等で働いていた.3年程前一時帰国し職を探したが見つからず,再度アメリカへ.

 今はニューヨークのナーシングホームで若いナースとともに働いている.アメリカ人にとって終の住処ともいえるナーシングホーム.

老景十二話・1 〈老い〉の中に世界が見える

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開園来このホームで暮らしているOさんは,年を経て身体の機能が低下していく度に,付き合う相手を自然に変化させてきた.足も丈夫で戸外を歩き回っていたころには,やはり同じような機能の人と,付き合っていた.少し足が弱って,戸外に出られなくなると,それまで付き合っていた人とは離れ,同じように園内の歩行ならできる老人とよく話すようになった.

そして,歩行車を押してやって歩ける状態になると,これまで相手にもしていなかったUさんが彼女の友達になった.

基本情報

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看護学雑誌
50巻1号 (1986年1月)
電子版ISSN:1345-2746 印刷版ISSN:0386-9830 医学書院

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