看護学雑誌 28巻1号 (1964年1月)

特集 ナイチンゲールを見なおそう

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神から人への奉仕

 日本で最初の職業看護婦が出現したのは,戊辰の役のとき,傷病者を,東京神田にできた和泉の藤堂邸の官軍病院に収容したときにはじまるといわれるから,今より94年前ということになる。

 まさにわが国看護婦の歴史は,明治維新にはじまり,近代100年の歴史の発展とともにあったということができよう。このように《職業婦人》としての看護婦の出現は比較的新しく,近代の産物であるが,病人を世話し,その手当を行なう《看護》の起源とその発達は,おそらく人類の歴史とともに存していたのである。

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 私は戦争中勤務したマニラの日本病院のことをときどきなつかしく思い出します。日本軍がフィリッピンを占領し,マニラの聖路加病院を日本病院に変えて運営しようというので,東京の聖路加病院から看護婦が派遣されることになりました。父が長く陸軍省に勤め,当時は陸軍衛生史の仕事にたずさわり,たったひとりの弟も幼年学校から士官学校に進んだような私の家庭でしたから,医長先生や総婦長さんからおすすめを受けた時,たいしたためらいもなく,先輩6名の方々とともに勇躍渡比をした私でした。

 さて病院船に特別便乗させてもらい,危険な航海を経てマニラについた私たちは早速日本病院で仕事につきました。患者さんはほとんど民間人で比島人,中国人,在留邦人それに軍属で内地から来た人々でした。病棟と外来で比島人看護婦を指揮して働きました。生活そのものは戦後みせつけられた駐留軍のそれに似て今から考えると,相当ぜいたくなものでした。私たちは仕事の他に皇軍慰問もたびたびいたしました。子どもの時から習いおぼえた琵琶を弾じたこともあり,「これで戦死しても思い残すことがない」と涙を流してきいてくれた兵隊さんなどもありました。

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 「卒業—繰り上げ卒業ですって」興奮した友人の声に私たち3年生は思わず顔を見合わせた。思えばそれは20年も前,日本の運命を決したあの大東亜戦争の始まった年昭和16年の10月のある日,戦雲に何かただならぬ気配を感じている秋のこと。

 女の身で戦地に行ける「傷ついた人々を看護することができる」そうしたひとつのあこがれにも似た気持を心の隅に秘めながら,現在の日赤女子短大の前身である救護看護婦養成所に両親の反対を押し切って入学したのは2年半前昭和14年の4月「女学校を卒業したなら家事の勉強でもさせて…」と口ぐせのようにいっていた父母のなげきも私の耳にははいらなかった。女の士官学校とまでいわれたきびしい毎日の学生生活も3年生の後期ともなれば卒業後の夢で一杯だったのに,急に半年も繰り上げて卒業が発表されると,何となく不安でどうしてよいのかととまどってしまったことを思い出す。下級生への申しつぎ(当時は先輩は皆召集されて従軍し2〜3病棟に婦長と卒業生が一人ずつぐらいしか勤務しておらず,患者の看護はすべて学生の手にまかされていたので責任はほとんど3年生が持っていた)身の回りの整理とあわただしく学生生活に終止符が打たれたのである。「病院船で待ってるわ」「戦地でまた会いましょうネ」と親しかった友人との別離を惜しむ暇もなく100余名のクラスメートはそれぞれ所属の支部に帰り先輩のいる救護班—船に野戦に病院に召集されて行った。

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 私たちはナイチンゲール精神を《博愛と奉仕》の精神と教えられた。また世間でも一般にそう考えられているのではないだろうか。

 「看護婦」11p:博愛と奉仕に忍従してきた「白衣の天使が,いまや長い間の沈黙を破って立ち上がったことは……世間の人々をひどくおどろかせた。

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■ナースの地位は上がったか

 矢口 昨年はバカンスということばがばかにはやりましたが,これは私の雑誌のことで恐縮なんですけれども,ヨット講習会というのを昨年の7月にやりました。それからさかのぼって1月にスキー講習会というのをやりました。ところが看護婦さんの出席率が非常にいいわけなんです。ヨット講習会のときは30名,スキーのときは120名でございますけれども,これは大津の国立病院だったと思いますけれども,7名くらいいらっしゃった。そういうふうに計画的にレクリエーションとかあるいは休暇がとれる階層であるというふうに,私はつくづく思いました。バカンス論になるんですけれども,あれはテレビ屋さんが作ったキャンペーンで,そのバカンスというのは変てこなはやり方をしたんですけれども,ある意味で看護婦さんというのはほんとうの意味のバカンスを持っているんじゃないか,というふうに思ったんです。いろんな職業がありますけれども,女の職業の中で看護婦さんというのはやはりいい職業なんじゃないかと思いますね。そういう意味では。

 石垣 職業としてふつうのBGというのは技術や専門的なものは何も持たないで,お役所とか会社とかに勤めている人の総称でしょう。だから結局何も手にないわけですね。そこへいけば看護婦さんというのは,ひとつの専門のものを持っているわけです。

グラビヤ

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 PotsdamのBelzigという町では1961年新しい近代的な病院が建てられ,主に周囲の村々の治療にあたっている。ベッド数216,外科,内科,婦人科,放射線科,理学療法科,さらに,小児科,研究室などがある。政府はこの建物に730万マルク(3億7千万円)を費した。

文化祭
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日本赤十字女子短期大学の《かんな祭》

 さる10月19・20・21日の3日間,日本赤十字女子短期大学(東京都渋谷区宮代町1,教務主任海川はるよ)の《かんな祭》が行なわれた。かんな祭というのは,10月の別称“神無月”にちなんで名づけられたもので,一般には文化祭と呼ばれる学生の自主的な発表会である。同大学の学生数は,1学年40名で,1〜3年あわせて120名。全員がそれぞれ分担して,研究発表,各サークルの展示など,充実した内容が注目された。初日は前夜祭で,ダンスパーティーが,翌20日は研究発炎,最終日は講演会など活発な活動ぶりに,集まった先輩ナースから盛んな拍手をあびた。

レハビリテーションの実際・4

理学療法(2) 片岡 喜久雄
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気候療法

 気候療法とは気候の生体に及ぼす影響を医学に応用するものである。気候が人体に与える影響は多くの要素に分けることができる。これらの要素は日光,気温,湿度,気圧,風などの気象で,土地の高低,水の性質,交通,家屋,衣服,換気などの環境も当然考慮に入れねばならぬことは当然であるが,これらは衛生学的な意義が治療面での意義より大きい。また日光の意義についてはすでに光線療法の項で触れたので省略する。

 1.気 温

 日によって温度が非常に大きく異なる場合も,1日の中で温度の変化が大きい揚合も病気の療養には適さない。1年を通じて温度の変化の小さい場合が一般に温和な気候といわれている。気候が温暖であれば身体は安静で睡眠がよくとれる。熱の発生,放散も適度で腎臓の負担は軽減する。貧血,発熱者また慢性疾患の場合にも適する。高温(25。C以上)では神経系,呼吸器系,消化器系の機能が減退するが寒冷では刺激的,興奮的に作用する。新陳代謝は盛んとなる。抵抗力のある場合には寒冷気候療法として用いられる揚合がある。しかし寒帯の気温が気候療法として治療面に利用されることはない。

やさしい統計学・3

統計方法と確率 西 真楠
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 われわれは,なにか自分にわからないことや自分が知らないことがあると,「わかりたい」「知りたい」という欲望が頭をもたげてきます。すなわち,知識の不足を感じてこれを満たそうという本能で,いわゆる知識欲といわれているものです。そして,現在の最高の知識を集めて考えても,なお,知ることのできない点を,客観的方法—誰が考えても妥当と認められる方法—によって追究し,新たな知識を開発する行為を科学的研究と呼んでいます。科学的研究の対象となる事象が,人手をつかって繰り返し同一の状態を再現できるような事象のときには加工の方法を変えることによっておきる事象の変化から,因果関係を明確にし,理論的に新知識をえるという実験方法がとられます。たとえば物理や化学の研究がそれです。これに対して,人手では再現不可能な事象や,同一の加工を行なっても同一の結果をえられないような事象,たとえば社会現象,自然現象,生物の形態や機能などについての事象などにあっては,実験方法が使えないか実験方法のみは明確に因果関係を捕え,理論的に新知識をうることができません。また,一つの事象を観察して,たとえそこに新しい事実を発見したとしても,同種の事象を通じてみなければ一般性のある新知識と認めるわけにはゆきません。さらに,男女の割合などのように同種の事象を通じてみることによって,はじめて知ることができ,一つの事象をいかに深く観察しても知ることができない知識もあります。

社会病理と精神衛生・5

麻薬 高木 隆郎
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1.麻薬犯罪の実態

 昨昭和38年度の大当たり映画『天国と地獄』に刺激されたわけでもなかろうが,8月に出た犯罪白書は第4篇に70頁をさいて,麻薬犯罪とその対策を取り扱っていて興味深い。しかし,諸君の大部分の方はこうした出版物に目を通す機会もないと思うので,今回はその概要を紹介することにした。

 同書によると麻薬犯罪の問題点はつぎの4点にあるという。

看護英語あ・ら・かると

OPERATING ROOM AND KARDEX SYSTEM 赤松 隆
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 ◇最近は,私たちでも,新しい設備を有した手術室を持つ病院がふえてきております。したがって,これらの設備に関しては,他の先進国の病院との間に,あまり差を感じることはありませんが,たとえば,米国の病院では,手術室は必ずconductive floor(電導床)になっています。これは気候が乾燥しているので,静電気によるsparkingがあるので,explosive anesthetic gasを使用している場合に,これによる爆発事故を防止する目的です。このため,麻酔器のゴムの部品に至るまでconductive rubberを使用してあります。

 手術に使用する器具は,autoclaveによる乾熱滅菌操作が原則で,高温にさらすことのできないものはDetergicideなどの強力殺菌剤を使用してsterilizationを行なっています。また,これらの器具はcentral supplyによってととのえられて,手術室に回って来るわけです。

Mdeical Topics

眼球突出,他 K
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 11月号で内科的にみた眼球突出のはなしが出ましたが今月は眼科的に眼球突出を考えてみよう。一時,外来で《自分の眼は少しとび出しているのではないか》と相談に来る人が多くなった。ある婦人雑誌に,眼がとび出て来るのは悪性の腫瘍によるといった記事が出ていたためらしい。眼がとび出てくる病気,これは眼球突出症といい,いろんな病気がある。外瘍やら出血で急に起こる場合または他の病気の部分症状として起こる場合もある。腫瘍によるものは眼球じしんの腫瘍でも眼球周囲の腫瘍あるいは他の臓器からの転移腫瘍でも眼球は突出して来るが,しかしその数は非常に少ないものである。

 いちばんよく知られているのは,バセドウ氏病,この時はだいたい両側で女性に多い。心悸亢進や甲状腺腫大などの全身症状また眼でも眼裂が大きくなったり,まばたきが少なくなったりするので診断はつきやすい。ただなぜ,眼球突出が起こるかは定説がない。子どもで多いのは頭蓋の奇形で眼球が突出してくるもの,なかにはコレステロール代謝異常が原因になっているものもある。いずれにしても全体として奇妙な顔つきをしている。このほか案多多いので蓄膿症などの副鼻腔の疾患。片側の眼球突出の時は,耳鼻科にもよくみてもらわなくてはとんだまちがいをする。

統計

傷病の治療 西 真楠
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 本誌前々月号では国民の傷病についてふれたが,今回は,国民が傷病になったときの治療の状況を,昭和37年10月の国民健康調査からみてみよう(ただし,第4図を除く)。

 それによると,傷病になっても,ただ日常の業務を休むだけで特に治療しないものが全傷病の約2%ある(第1図)。治療をした傷病のうちの約9%は2種以上の治療方法を併用しており,その併用した治療方法をそれぞれ1件と重複して計上した治療件数の延べ総数について,治療の方法別構成をみると医師・歯科医師の売薬が大部分を占めている(第2図)。ちなみに,傷病件数のうち医師・歯科医師にかかった傷病件数を示せば約60%である。そして,その治療は医療保険で行なうものが大部分である(第3図)。なお参考までに昭和36年度に国民全体で使った医療費を示せば,総額5462億円で,国民ひとり当たり5,792円となっている(第4図)。

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 子どもたちは,絵や物語りを彼らが知り,必要としたことの失った時を調節するのに役立たせる。

 多くの子どもを看護する看護婦は,落ちついて病院にならせ,元気を失った子どもを看護することが,いかに困難なものかを知っている。学齢前の子どもにとって,なぜ家庭から離され,奇妙な環境に置かれなければならないかを理解するのはたいへんなことである。

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I.外科病棟の概況

(1)外科病棟の現状について

 現在外科病棟入院患者は一般外科,胸部外科,脳外科整形外科,耳鼻科,眼科,皮膚科の各科が入りまじっている。病棟構成は4D,5BG,5Cの3病棟からなり,病床数は4D,34床(内回復室4床)5BG,27床,5C26床で合計87床となっている。

 外科病棟病床利用率は1962年96%,病院全体の病床利用率は86%,平均在院日数は15.4日となっているが外科病棟における在院日数は,当病院平均より少ないと思われるので当然病床の回転率は高くなって来る。

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 最近私たちの病院で病棟婦さんが白衣を着せてほしいという要求をした。予防衣をかけるだけでは背中から私服が見える,病院という伝染の危険もあるところでは,全身を包む白衣の方が望ましいという趣旨である。病棟婦さんが白衣といった意味は,白い作業衣をさすので,看護衣のことではなかったが,病棟婦さんにも白を着られるとまぎらわしい,帽子はつけていなくても一般の人からは看護婦とみられやすいし,きちんとした服装をしない人が出ると看護婦一般の評判も悪くなる,という意見が多かった。白衣は誰でも着られるものではない。作業衣以上のものであり,3年の教育を経ねば着てはならない,白衣にプライドをという声を多く聞いたが,白衣にプライドを持つというから念仏を唱えることより仕事の実質的向上を目ざしたいし,そこにプライドと生きがいを感じたいと強く思う。

 現在,私の置かれているところは外来だけれども看護婦8人に病棟婦は1人もいず,朝は掃除にはじまり,午後からの手術では新ちゃん看護婦である私は一日中洗たく機につきっきり,床掃除ゴミ捨て,膿盆みがきに明け暮れていると帽子も邪魔に感じられる時がある。高校卒後3年の専門教育を受けたのならもう少し頭を働かせられること,興味を覚える仕事ができないだろうか。雑用を必要以上に追いかけすぎてはいないだろうか。そのために看護の使命を忘れていくのではないか。外観の白衣問題より仕事の整理向上が先決であると思う。

再び進学コースを考える

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 10月号におきましていろんな立場からの諸先生方の《正看への道に対する考え方》を拝見し,准看護婦として感じたことを述べさせていただきたいと思います。

 准看護婦問題が種々討議されクローズアップされております今日,一部の准看護婦を除き,進学コースヘゆけない准看護婦の方がはるかに多いことは,周知のとおりであります。その理由として,

 1.経済的な問題,3年間の実務の間に2年間生活してゆくだけの貯えができるか,ということ。

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 私は3年間の実務期間を経て,9月に進学コースの学院に入学しました。今まで離れていた学生という観念,そして学生特有の創造性と競争的で朗らかな空気を持った学習生活は,すっかり忘れかけていた「まだ若かったっけ!」という気分にさせられるものですし,それ以上に,2年間の学習の後のことを考えると,希望とでもいうようなことを感じとることができます。

 《准看護婦》という名の響きは,何かひどく“悔辱的”で“非人間扱い”をされているような滅入った気分にさせられるものです。准看といわれるだけで,持っていた意見の半分もいえずに,黙ってしまうことはよくあることです。そんな劣等感を持つ必要はないとはいえどうしてもできません。

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 看護婦の一本化が問題にされている現在,看護協会,厚生省,その他の方面から准看護婦から看護婦への道として種々の案が出されております。一定期間の認定講習を受けたもの,あるいは一定の経験年数を有するもの,または通信教育を受けたものなどに国家試験受験資格を与えるというのでありますが,私たちはこの,あるいは一定の経験年数を有するもの,または通信教育を受けたものなどに国家試験受験資格を与えるというのでありますが,私たちはこれらの案に対してどうしても納得することができません。一本化の目的が複雑な看護制度を整理する意味で行なわれるはずのものにもかかわらず,これらの方法はますます混乱におとしいれてしまうのではないでしょうか。

 また重要視しなければならない一つに看護水準の低下が考えられます。医学の進歩を考えますと現行の教育でも満足だとは思えません。それを通信教育や短期間の講習で終わらせてしまうということは,資格を得るための勉強に終わってしまうのではないでしょうか。看護水準の向上をはばむ安易な道はたどらないことが,ひいては看護婦不足を解決する道しるべともなると考えられます。看護婦不足の原因としては10月号で明確な分析をしておられ,また現実の准看護婦諸姉の問題に深い同情と熱意をもってとりくんでおられる(病院長)のを感じて喜ばしく思いました。

特別レポート

貧困を看護する 北原 政子
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 国府台病院は,東京への通勤者の住宅地的な,千葉県のT市にあります。近くには東京の下町,高度経済成長政策のもとに,造成されつつあって工業地帯の一つであるH市。半サラリーマン,半農のM市。純農村としての郡部であり,患者の分布は第1表のとおりであります。当病棟は内科を主として,定数は55床で,36年には,106人が入院し,37年には,111人が入院しています。約半数の50人前後が,新しく入院し,退院しています。総合病院の1単位としての,結核病棟であるため,数年に渡る入院患者は少なく,1年前後の退院者が多く,病棟内は比較的明るい雰囲気でした。

 1.結核の死亡率は減少したが

 昭和10年前後から,25年頃まで,常に結核は死亡率第1位を,独占していましたが,以後その地位が変わって,36年には第7位になりました。第1図によれば,死亡率はたしかに低下しております。しかし罹患率は遅々たる低下にとどまっています。戦後15年を過ぎる頃には,国民生活もある程度落ち着き,結核の治療薬も一般に普及して,療養生活は,昔のそれとは変わりました。暗くじめじめしていた療養所には,明るい光が,さし込んで来ました。それでも結核になって,入院して来る患者は後を絶ちません。生活水準は,終戦直後に比べれば,ところどころ数年いちじるしく向上しています。しかし歪められた繁栄で,繁栄の中の貧困,ということばに,おき変えられるような状態ではないでしょうか。

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■はじめに

 ここ数年来とくにひどくなった医療従事者,とくに看護婦不足という状態は,きびしい労働強化をしいているようです。昭和35年春から36年の春にかけて激突した全国的な公私の病院ストライキ—このような規模と中身でのストライキは,国際的にも異例のことでしたが—によってわが国の医療機関がどのような窮状にあるのか,とくに看護婦の生活は,第二近江絹糸事件ではないかと思われるほど,低賃金と無権利であることがそのころのマスコミでこそ,するどく指摘するところでありました。私自身そのころ,またそののちも全国の国立,公立,公的といわれるかなりの病院の実態にふれる機会を得てきました。そして多くの看護婦さんたちのなやみや不満,こうしてほしいという希望をたくさんきかされてきました。このようなはげしい波にこの千葉県国立国府台病院の看護婦さんたちも大なり小なり影響され,洗われたにちがいないと思います。たしか病院ストライキによって看護婦さんたちの賃金は,かなり改善をみましたが,とうてい一連の物価高や税,それに専門職という立場からいえば,他の産業からみてまだまだ大きなへだたりがあります。

 ところがいま絶対的に不足している看護婦対策は,しっかりきめ手のないままに放任され,ますます深まっています。たいへんな労働強化がしいられています。

アサームの旅・1

乗船が決まるまで 大嶺 千枝子
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 看校を終えるまで看護婦についてはじゅうぶん理解していなかった時が幸福に思えるほど,いろいろな問題を見,考えることができるようになってからは,いつのまにやら新聞の求人欄に目を通していたしかたのなさを感じる癖がついた。ただし妙な癖が4か年もたいせつに胸の中に育てて来た夢を実現化させてくれるなどとは思ってもいなかったことである。‘60年3月白一色姿の胸に先輩から贈られた赤と白のカーネーションを刺してテストから永久に解放されたと喜んだが,Mさんと2人琉球大学へ委託入学をすることにした。これまでに味わい得なかった楽しい学生生活で,私は児童文化クラブにはいって童話の読み方,人形劇などを練習したり,辺地巡回をしたり,またたくまに1年を送って琉大の単位ぜめにさようならをつげた。

 そして本学の看護婦1年生として学生よりは少しましな,また少しだけ責任を持たされ始め,Mさんと級友に2号俸も遅れた給料袋にベロを出して矛盾をしゃべりまくったが,けっこう希望に満ちて病棟を歩きまわった。

看護婦さんへの手紙

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 私は,小さいときからからだが弱く,幾度も重病にあえぎ,四度の出産まで加えればどれほど看護婦さんがたのお世話になったかしれません。お名前を忘れてしまって,お顔だけおぼえているおかたにも,深い恩を感じています。また,ひとりの女性として,婦人問題の研究者としても,女性のもっとも古い職業である,看護婦さんがたの社会的地位の向上を祈らずにいられません。

 ところが,最近,聖職とか天職とかいうことばに抵抗を感ずる,若い看護婦さんたちがふえています。いままでは,ひとが病気になるという,社会的矛盾を,看護婦さんの犠牲でかっこうをつけようとしていたのです。病人もまた,いままでは病気を直す希望よりも諦めのほうが多かったのですから,せめて看護婦さんの笑顔をみて救われるという程度であったかもしれません。しかし,現在は,医学がすすみ,病人は直ろうとあせっています。看護婦さんの役割は,飛躍的に,大きく重要なものになっているとおもいます。

ポイント

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 よい看護を行なう看護婦さんは,まずよい生活をしなければならない。私は金科玉条のように,この1箇条をはなさず,よい生活を身につけようと努力している。

 このよい生活の条件を,私たちが行なう看護から,逆に私たち看護婦側の人間生活に光をあててみよう。

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「帰国したばかりで,日本の現状はよくわかりません。日本の現状を知りたいと思いまして……」

 本を買いに本社に立ち寄ったところを,30分だけと約束して,強引にひきとめた。

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 新聞のインキ匂ふや今朝の秋 〔評〕感覚的でよいと思います。

 

——

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 くるくると踊りながら見たこと感じたことをお話いたしましょう。最近みる絵画,書,彫刻,陶器,舞踊の中には重量感が感じられないのです。それに比べて古代の作品には胸をおさえつけられるような力強さときびしさを感じ涙さえ出て来ます。なぜでしょう?私はいつも自分に問います。日本人は(われらの先祖)土着民族であり,すぐれた農耕民族であります。その人々の生活から生まれた作品にはおのずと,どっしりした安定感と刃物ですぱっと切り取ったような鋭さが,互いにバランスを保って暖かく美しいものにして,今日のわれわれに残してくれています。そのような血を受け継いでいるわれらがとぎすましたかぼそさと,安易さばかりが目についてちっとも心に響いてくるものがないのです。なぜでしょう。私は思うに昔の人は詩人が多かったように思います。今の作品の中には,その詩がありません。一つの物をじっとみつめ,掘りさげて行く根気さ,そして大きな自然の中で虚空に向かって独創的な考えをえがいて行く。こんなすばらしく楽しいことがあるでしょうか。

 無から有を作り出す尊さ,それをやる人,それが専門家なのです。一つの道に徹することが専門家になることです。芸の道を行く者は,芸人になり切ること,芸人根性に徹することです。どうしたら一人前の芸人になれるのかといえば,無から有を作り出す,独創性の豊かなものを生み出すことです。自分だけの芸を作り出す人です。

付録

看護手順
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 1.乳幼児の処置は特に手早く行ない,薬剤などで衣服がよごれないよう三角布などでカバーする。

 2.水痘などの患児は,他児と隔離し,患児と接触したものは噴霧液などで消毒しておく。

基本情報

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看護学雑誌
28巻1号 (1964年1月)
電子版ISSN:1345-2746 印刷版ISSN:0386-9830 医学書院

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