アサームの旅・1
乗船が決まるまで
大嶺 千枝子
1
1沖縄・琉球政府立ゴザ病院
pp.48-49
発行日 1964年1月1日
Published Date 1964/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912114
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看校を終えるまで看護婦についてはじゅうぶん理解していなかった時が幸福に思えるほど,いろいろな問題を見,考えることができるようになってからは,いつのまにやら新聞の求人欄に目を通していたしかたのなさを感じる癖がついた。ただし妙な癖が4か年もたいせつに胸の中に育てて来た夢を実現化させてくれるなどとは思ってもいなかったことである。‘60年3月白一色姿の胸に先輩から贈られた赤と白のカーネーションを刺してテストから永久に解放されたと喜んだが,Mさんと2人琉球大学へ委託入学をすることにした。これまでに味わい得なかった楽しい学生生活で,私は児童文化クラブにはいって童話の読み方,人形劇などを練習したり,辺地巡回をしたり,またたくまに1年を送って琉大の単位ぜめにさようならをつげた。
そして本学の看護婦1年生として学生よりは少しましな,また少しだけ責任を持たされ始め,Mさんと級友に2号俸も遅れた給料袋にベロを出して矛盾をしゃべりまくったが,けっこう希望に満ちて病棟を歩きまわった。
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