特別レポート
貧困を看護する
北原 政子
1
1国立国府台病院
pp.37-44
発行日 1964年1月1日
Published Date 1964/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912112
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
国府台病院は,東京への通勤者の住宅地的な,千葉県のT市にあります。近くには東京の下町,高度経済成長政策のもとに,造成されつつあって工業地帯の一つであるH市。半サラリーマン,半農のM市。純農村としての郡部であり,患者の分布は第1表のとおりであります。当病棟は内科を主として,定数は55床で,36年には,106人が入院し,37年には,111人が入院しています。約半数の50人前後が,新しく入院し,退院しています。総合病院の1単位としての,結核病棟であるため,数年に渡る入院患者は少なく,1年前後の退院者が多く,病棟内は比較的明るい雰囲気でした。
1.結核の死亡率は減少したが
昭和10年前後から,25年頃まで,常に結核は死亡率第1位を,独占していましたが,以後その地位が変わって,36年には第7位になりました。第1図によれば,死亡率はたしかに低下しております。しかし罹患率は遅々たる低下にとどまっています。戦後15年を過ぎる頃には,国民生活もある程度落ち着き,結核の治療薬も一般に普及して,療養生活は,昔のそれとは変わりました。暗くじめじめしていた療養所には,明るい光が,さし込んで来ました。それでも結核になって,入院して来る患者は後を絶ちません。生活水準は,終戦直後に比べれば,ところどころ数年いちじるしく向上しています。しかし歪められた繁栄で,繁栄の中の貧困,ということばに,おき変えられるような状態ではないでしょうか。
Copyright © 1964, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.