特集 ナイチンゲールを見なおそう
—ナイチンゲールと戦争—忘れられない悲惨な記憶
細貝 怜子
1
1弘前大学病院
pp.16-17
発行日 1964年1月1日
Published Date 1964/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912108
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私は戦争中勤務したマニラの日本病院のことをときどきなつかしく思い出します。日本軍がフィリッピンを占領し,マニラの聖路加病院を日本病院に変えて運営しようというので,東京の聖路加病院から看護婦が派遣されることになりました。父が長く陸軍省に勤め,当時は陸軍衛生史の仕事にたずさわり,たったひとりの弟も幼年学校から士官学校に進んだような私の家庭でしたから,医長先生や総婦長さんからおすすめを受けた時,たいしたためらいもなく,先輩6名の方々とともに勇躍渡比をした私でした。
さて病院船に特別便乗させてもらい,危険な航海を経てマニラについた私たちは早速日本病院で仕事につきました。患者さんはほとんど民間人で比島人,中国人,在留邦人それに軍属で内地から来た人々でした。病棟と外来で比島人看護婦を指揮して働きました。生活そのものは戦後みせつけられた駐留軍のそれに似て今から考えると,相当ぜいたくなものでした。私たちは仕事の他に皇軍慰問もたびたびいたしました。子どもの時から習いおぼえた琵琶を弾じたこともあり,「これで戦死しても思い残すことがない」と涙を流してきいてくれた兵隊さんなどもありました。
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