看護教育 58巻4号 (2017年4月)

特集 思考にきく発問

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 「発問」は,看護教員養成講習会などでは頻出のテーマですし,教育のうえで重要だ,と認識されていることかと思います。先生方は,学んでほしいことを伝えるために,日々発問を工夫,実践されているのでしょう。とはいえ,教員の思い通りにはいかないのが世の常。学んでほしいことはたくさんあるのに,どのように発問すれば自分の思う教育ができるのか,発問のハウツーはないのか,という悩みのお声も多く耳にします。看護基礎教育は,専門職養成であり,国家試験もあることから,教員が「教えなくてはいけない」と思っている内容が過密です。発問をして返事が早くほしいのに,なかなか学生たちから反応がこないとなると,発問の方法が間違っているのではないか,と不安にもなります。

 しかし,もしかすると,こうした悩みは「発問」についての誤解が原因になっているのかもしれません。発問は,教員が教えたいことを伝えるツールではなく,「学生の思考力」を養うためのもの。主役はあくまで学生の思考です。講義や演習,実習と,それぞれの場面で,それぞれの学生が何を考えているか,その思考を注意深く聞き,発問をすることが,学生のそれからの思考にも効いてくる,と考えます。

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 発問は,教師の教授行為の1つである。その役割は,学習者の認知や情動を活性化することにある。筆者の専攻する教育方法学は主として初等中等教育段階での学校教育を研究対象としているが,「発問」は主として授業研究や教師研究において進められてきた。本稿では,それらの知見を援用しつつ,看護教育においても共有されうる発問づくりの大前提となる学習者観や学習観について考えてみたい。

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はじめに

 もう,10年近く前のことである。卒業期の学生にOSCE(客観的臨床能力試験)を実施した。OSCEのシナリオは,胃がんの前期高齢者,開腹術後1日目の術後合併症予防をめざし,観察と援助を行うものであった。観察途中,模擬患者さんに「息が苦しい」と訴えてもらい,呼吸器合併症を予測して,必要な観察と援助を評価するのである。患者さんの訴えに,呼吸状態の観察や呼吸音聴取もせずに,ベッドをギャッチアップし,すぐさま「いかがですか」と問う。模擬患者さんには,学生の援助でよくなりそうに思えたら,「少しましになった」と返事をしてもらうように依頼していたので,模擬患者さんは「少し楽です」と答えた。そうしたら,驚いたことに学生は「よかったです」と言って,ギャッチダウンした。その後,その場で,模擬患者と教員評価者と学生の三者で振り返りをしたところ,学生の頭のなかは,呼吸困難→ギャッチアップ,という,まさに短絡的なものであった。胃がんで開腹術後1日目,ということはまったく考慮されていなかった。

 看護基礎教育において“看護実践能力”の向上をめざす教育の必要性がいわれて久しくなる。看護実践能力は,図1に示すように,①専門的知識を活用して,②状況を判断し,今何をすべきかを考えて(実践的思考),③専門的技術を活用して行動するものであり,それらはバラバラではなく,看護の場面で,それらが結集しなくてはいけない。看護の対象は1人ひとり違う。既習の知識や理論を活用して,今の患者さんの状況を的確に把握して,状況判断に基づき,今,何をすべきかを考える,という実践的思考力を中核にして,看護場面での経験を積むなかで,看護実践能力が育成できるものと考える。

 しかし,看護基礎教育の集大成的意味合いの卒業期のOSCEで,患者さんの状況を的確に把握すること,専門的知識を活用し,状況判断に基づき,今何をすべきかを考えることができない学生がいた。しかも,それは1人や2人ではなかった。患者さんの状況はすっかり置き去りにして,頭の片隅に残っていた知識─呼吸困難時には座位またはファラー位にすると呼吸運動がしやすくなって呼吸が楽になる,このことだけで,行動を起こす学生がいることに,筆者のほうが慌てた。

 それ以降,“看護実践能力”に欠かせない“実践的思考力”の育成,ここに課題を見いだし,それ以降,講義,演習,臨地実習のなかで,どうすれば,“実践的思考力”を育成することができるか,を考えてきた。

 そして,さまざまな教育方法を試みた。説明中心の一斉講義法では,学生は受け身的で,試験前に知識を詰め込むことできても,知識を活用して考え,主体的に問題解決をする能力を育成することはできないことから,アクティブラーニングも導入した。確かに手応えはあった。さらに,筆者はこのような教育方法の工夫とともに,講義,演習,臨地実習に共通して活用できる教授技法(スキル)の「発問」に着目して,学生の考える力を引き出す効果的な「発問」づくりに取り組んできた。どのような授業形態であっても,どのような教育方法に取り組んでいても,教員の発問のスキルが,学生の考える力を育てることにつながる,という手応えを得ている。なかでも,実践的思考力を育成するために,看護場面を“教材”にして,その状況をどう考えるかについて発問することで,知識を活用して,状況を判断して,さらに,今何をすべきかまで,考えられるように導く,“発問”について,これまで考え,実践してきた。

 今回は,実践的思考力を育てる発問について,筆者の経験知を中心に,書き進めてみたい。なお,筆者は“実践的思考力”を“実践的な課題の解決に必要な思考力・問題解決能力”と理解している。

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 以下に示す3つの例は,(専)京都中央看護保健大学校の「発問」の実践例である。同校は筆者(池西)が在籍していた1998(平成10)年から,教員の授業力向上をめざし,研究授業に取り組んでいる。

 研究授業を行うには,次の2つの過程を,研究的に取り組む必要がある。

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正解を強くもちすぎないこと

 まず,質問,発問を定義すれば,「質問」は学生がわからないところを先生に聞く問いで,「発問」は,教師が,学んでほしいこと,わかってほしいことがあって,学生の思考を働かせるために発する問い,となります。基本的に,教育目標がなければ,効果的な発問はできません。

 しかし,教育目標を設定さえすればよい,というわけではありません。教師の頭のなかに,明確にこうでなくては,という強い正解がある場合は,言い方としては思考を誘う発問の形であっても,学生の思考は広がったり,深まったり,耕されたり,疑問をもったりしません。

連載 学生なら誰でも知っている 看護コトバのダイバーシティ・4

患者目線 木村 映里
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 「患者目線の医療」「患者目線での看護」と看護の教科書には書いてあり,私たちは学生のときに幾度となく「患者目線」という文言を目にしてきました。元々は,医療者があまりに優位で横柄だった過去の医療を自省しようと使われ始めた言葉だったと聞いたことがありますが,「患者様」という呼び方が議論を呼んだことや,「患者は客だぞ!」と怒鳴る患者が増えてしまったことなど,思わぬ影響も出て,難しい一面もあるようです。

 私も学生のときには,「患者さんの目線で」と指導を受け,「きっとひとりで病室にいるのは寂しいだろうな」「私が不安そうな顔をしてたら不安になるだろうな」「いろんなことが時間で決められててしんどいだろうな」と,右も左もわからないなりに患者さんの気持ちを想像したものです。しかし卒後,臨床に入ってみると,人手も時間も足りない日々で家族関係すら把握できないこともあり,患者さんの目線になんてなれないじゃないかとひどく悔しい思いをしました。そんななか,1日でいちばん忙しいといわれる夜勤の朝の検温で,毎日のように看護師の駆け足を見ている患者さんたちが,「俺,今日調子良いから,熱だけ測ってくれればあとは昼間でいいよ!」「看護師さん来る前に体重測っておいたよ!」と先回りして看護師の負担を減らしてくださっていたとき,私たちが患者さんを看ている以上に患者さんは私たちを見ているのだということ,そして,看護師が患者さんに何を提供できるのか考えるのと同じように,患者さんは受け身の存在ではなく,治療のなかでも看護師に対して何ができるのかを考えてくださっているのだと思いました。

連載 看護教育 継往開来!・1【新連載】

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江藤 今回は本誌8巻第4号(1967年)の特集「新カリキュラム一般教養の展望」を読みました。これは,1967(昭和42)年の第1回カリキュラムの改正で,「一般教養」が組み込まれたことを受け,組まれた特集のようです。

 実際に記事を読んでいると,時代の古さを感じる部分と,現在でも通じると感じる部分と,両方ありました。まず,古さを感じた部分というのは,たとえば話し方や今ならプレスコードにひっかかる差別的な表現があります。当時はそういう表現にやかましくなかったからでしょうが,今読むと多少の違和感があります。

連載 リズムとからだ 「うまくいく」と「うまくいかない」の謎・1【新連載】

リズムと障害 伊藤 亜紗
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からだ変われば動きも変わる

 はじめまして,伊藤亜紗です。わたしは大学の研究者で,自分と違うからだのつくりをした人,たとえば目の見えない人や耳の聞こえない人,下半身の感覚がない人,まひがある人などが,どんなふうにそのからだを使いこなしているのかを研究しています。「からだの研究」といっても生理学や医学のようにデータをとったりするわけではなくて,当事者へのインタビューや行動観察が中心です。「えっと,いま器用に蕎麦を食べていらっしゃいますけど,目で見ないでどうやって食べてるんですか?」なんてお話をうかがいながら,「その人ならではのからだの使い方」を記述しようとしています。

 当たり前ですが,からだの条件が違えば,動き方が異なります。たとえば「歩く」を例にとってみましょう。大人だと「スタ,スタ,スタ」とほぼ一定の速度で歩きます。けれども子どもであれば「スタスタスタ」と歩幅が小さくなり,さらには不意に向きを変えて走り始めたりするかもしれません。同じ大人でも目が見えない人の場合は,「すり足」のような歩き方になります。目の見えない人は足裏の触覚を使って地面の材質や段差を感じていますから,一気に体重をかけたりせずに「感じながら歩く」のです。同時に,手には白杖を持って少し前の地面をセンシングしますし,耳は壁からの反響音を聞いています。逆に耳が聞こえない人であれば,背後から来る車やバイクの音を察知することができない分,キョロキョロと頭を振って,目で安全を確認しながら歩くことになります。

連載 東西南北! 学生募集旅日誌・10

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 今回は,看護系予備校への訪問についてご紹介いたします。

 十数年前より,社会全体が「安定した生活」を追い求めて極端な資格志向になったことが影響してか,看護学校の受験にもその影響が色濃く表われたように思います。本校のような3年課程の専門学校においても社会人受験生が増加し,一般入試では現役の高校3年生との競争が激しくなりました。そのようななか,大手予備校に加えて,看護系の4年制大学・短大・専門学校の入学試験だけに特化した予備校が各地域に開校されています。

連載 すべって,転んで,立ち上がるために 〜看護職生涯発達学から〜・1【新連載】

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看護実践から培われた「知」の発信

 今年の新年早々の新聞記事で,日本老年学会と日本老年医学会が,高齢者について現在の65歳以上という定義を改めて,75歳以上にしたらどうかという提言をしたことを知った。「なるほど」,「当然かも」と思った一方で,高齢社会のなかで看護職にできることをあらためて考えることにもなった。

 医療福祉関連の国家予算が膨大になっていることから,医療費や介護保険料の自己負担増の話題が後を絶たない。そしてこのような社会保障制度をどのような方策で維持するのかについて議論が続き,近い将来,大幅な見直しがなされることも想像に難くない。人間にとって「生老病死」は避けて通れない普遍的な出来事であり,これから日本が迎える多死社会は,その課題に1人ひとりが向き合うことを余儀なくされている。看護師はその仕事の宿命でもあると考えるが,多くの患者の死,死に至る過程に参与し,そのことで多くの経験を積んでいる。しかし,看護師が自らの経験からつむがれた教えを,社会に広く発信する機会はあまりに少ないのではないだろうか。私は,経済や財政の側面からだけで人が老いて死んでいくことをとらえ,議論することに大きな違和感を覚えている。

連載 優れた“わざ”をどう伝えるか 技術の「背後にある意味」を教える・4

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はじめに

 筆者が,療養上の世話業務が看護師の負うべき主体的業務であることを前提にしながら,患者が求める看護の質を,排泄援助にフォーカスを当てて実態調査をしたのは,約20年前のことであった。なぜ,排泄援助かというと,床上排泄を余儀なくされる患者にとって排泄援助の如何は,療養生活の質を左右するであろうと考えたからである。そこで,援助開始から終了までの看護師の思考と援助行為ならびにそのアウトカムに至る過程を,臨床経験20年以上の看護師らによって論議し1996年に排泄援助のスタンダードを作成した。これに基づき,実際の排泄援助場面で観察したことは,「優れた排泄援助行為は,患者の病態を素早く判断したうえで,これまでの生活過程での排泄習慣を頭に描きながら,その場で利用可能な物品と最善の排泄環境を素早くととのえて援助する」1)というもので,“さすが!”と,唸らされる場面であった。そこでは,幾重にも重なる思考と援助を反復しながら,その患者にもっともふさわしい援助を実践する様子が観察された。すなわち,援助の受け手側の要因と,援助者側の要因,そして場の要因が複雑に絡み合って患者に望ましい排泄援助を実施し,最終的には患者に満足感を与えていた。

 だが,このように優れたわざを,そのわざ提供者の人間性や特技として終わらせるだけでは,排泄援助は個人レベルのわざ(技能的側面)で止まる。わざを伝えるということは,排泄にかかわる心身の問題がいかようであっても,その全過程を滞りなく済ませる技術を伝えるということである。その場合の技術は,「行為の現象としての『形』ではなく,行為を可能ならしめる『原理』」2)であるということをあらためて共通理解しておこう。すなわち,優れた排泄の援助技術には,便・尿器の取り扱い方や導尿の手技に優れるということとともに,排泄の世話を他人に委ねなければならない人の心情への関心を深め共感する能力も含まれるということである。

連載 「配慮が必要な学生」の学びにつなげる対応 臨地実習における教育上の調整を考える・4

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 多くの臨地実習において学生は,1人の患者さんを受け持ち,患者の病状や病棟のスケジュールを考慮しながら毎日行動計画を立て,看護を実践することが求められます。また,臨床の場では「学生と患者」「学生と指導者」などの1対1の関係が常に周囲の他者から影響を受けるため,学生は予期せぬスケジュールの変更などを余儀なくされますが,慣れない実習場所で緊張している学生が,場に適した臨機応変な対応をすることは簡単ではありません。

 しかし,教員が何度説明しても「最初に計画した方法をまったく変更しない」学生や「自分が気になった問題のみに注目し続ける」学生へのかかわりに難しさを感じた経験のある教員の方もいらっしゃると思います。そこで,本稿では「こだわりが強く,臨機応変な対応やスケジュール管理が苦手な学生」へのかかわりについて考えてみたいと思います。

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教員の自己評価能力向上の重要性

 看護教育においては,看護系大学の急速な増加により教員の確保が難しいうえに,わが国の経済状況と大学全入時代により多様な背景をもつ学生への対応が求められ,教員個人の教育能力の向上と組織によるFD(ファカルティ・ディベロップメント)の必要性が叫ばれている。新たに大学教員となる新人教員といっても,大学院を修了したばかりの若手が助教になる場合と看護部長など臨床経験豊富な管理者が教授になる場合など背景も多様である。筆者は大学で教育にあたっているが,毎年教員が入れ替わるなか,新人教員をどのように迎え支援していくのか苦慮している。そこで一昨年,受け入れる側のベテラン教員,入ってくる新人教員といった当事者たちが交流しながら方向性を見出す新人教員支援システム勉強会を立ち上げた。大学に限らず短大,専門学校,高校の教員が集まって智恵を出し合っているが,教員の育成は看護教育界が抱える共通の課題であると実感した。

 では,どのように教師の教育力を高めればよいのか。教員1人ひとりがPDCA(plan─do─check─action)サイクルを適切に循環させ,教育活動を自律的に修正し続けることが必要なのではないだろうか。PDCAサイクルとは,目標達成に向けてplan(計画),do(実施・実行),check(評価),action(反映・改善)のステップをふんでいき,A=反映・改善が次のP=計画とD=実行・実施の改善につながると期待するものである。

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「地域の社会資源を活かそうプロジェクト」の概要

 本校の同法人である医療法人(社団)有恵会香里ヶ丘有恵会病院は病院と在宅をつなぐ役割をもつことから,病院だけでなく在宅まで含めた広い視野で看護を考えられる看護師を育成し地域に貢献することが,本校の教育理念である。今回は,本校の教育理念をもっとも表しているプロジェクト学習の実際について報告する。

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新刊紹介

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 本書は著者が11年にわたって「週刊医学界新聞」看護号(医学書院発行)に連載してきた内容をまとめたものである。2005年から書き続けられてきた「看護・医療界の‘いま’を見つめ直し,読み解き,未来に向けた検討課題を提示」してきた内容は,時代とともに看護がどのように変遷をしてきたのかを改めて考えることができる。

 本書を読み始めたとき,私はガツンと頭を叩かれたような大きな衝撃を受けた。なぜなら,2〜3ページにまとめられている短い文章には,著者の幅広い語彙力,知識,知識に裏付けられた根拠,それらに基づいて導き出された力強いメッセージが散りばめられているからである。正確には,著者が読者に力強いメッセージを伝えるために,著者のもつ膨大な語彙力や知識が駆使されているのかもしれない(これは,著者が本書で「自分の書きたいことおもしろいと感じることを好きなように楽しくすらすら書いていればそれでいい」という村上春樹氏の言葉を引用した心境とは異なるかもしれないが)。そして,読み物であるはずなのに,明朗な論文を読んでいるような感覚にさえなる。

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 看護基礎教育では,ほとんどの学校が講義や演習,臨地実習などで「看護過程」を取り入れているのではないでしょうか。しかし,学生たちは,看護過程を学習すればするほど「苦手だ。難しい」と頭を抱えているような印象があります。また,「実習で患者さんに援助することはとても楽しい!記録(看護過程)がなければ……」という声をよく耳にします。学生は,看護を実践するとき,さまざまな情報をもとにしながら,思考をめぐらせますが,その内容を言語化することが難しく看護過程に苦手意識があるのではないでしょうか。また,教員も時間をかけて学生に一所懸命指導するのですが,お互いなかなか達成感が得られないことも少なくありません。

 本書は全4章で構成されており,第Ⅰ章「看護過程とは」では,看護過程の必要性や考え方を日頃の生活やマンガ『サザエさん』での場面を例に挙げ説明されています。看護が実践されるとき,見ることのできない看護師の思考過程が言語化されおり,看護実践に至るまでのプロセスがイメージしやすくなっています。

INFORMATION

基本情報

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看護教育
58巻4号 (2017年4月)
電子版ISSN:1882-1391 印刷版ISSN:0047-1895 医学書院

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