ものがたり教育史 日本の女子教育・その5
高等女学校令の制定
中嶌 邦
1
1日本女子大学文学部
pp.59-62
発行日 1967年8月1日
Published Date 1967/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905868
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初代文部大臣森有礼
「優美よりも快活,柔順よりも才発,家事よりは社交,手芸よりは学術というのが女に対する渠(森有礼)の注文であって,女大学的の因循不活発な女を改造するために女子教育の程度を高くし,外国語を必要課目とし旁ら洋裁及び舞踏を授け,直轄女学校の学生には洋装せしめ,高等女学校には欧風寄宿舎を設け,英国婦人の監督の下に欧風生活を送らしめ,日本の女をして全く西洋の女たらしむべく教育した」(内田魯庵「きのふけふ」)
このように当時,欧化主義教育の急先鋒のように一般的には理解され批判されていた森有礼は,明治18年,初めての内閣制度がひかれた時,総理大臣伊藤博文の推挙によって,文部大臣となった人である。森は,早くから,教育に関心をもち,欧米に外交官としてあった時も,常に日本の将来を決する重要事として,教育について思いめぐらす事が多かった。積年の思慮の結果は,処を得て,すぐに,それまでの教育令による教育行政のあり方を改め,学校令制度にかえた。すなわち,帝国大学令・小学校令・中学校令・師範学校令の四つの学校令を出し,学校種別に法的規制を出し,学校体系全般を整備すると共に,各種の学校の基本的構造も確固としたものとしたのである。そしてそれは,その後の日本の教育制度の基礎を形成したものとして,高く評価されている。
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