保健婦雑誌 28巻4号 (1972年4月)

特集 住民とともに歩む一つの姿勢

"14年目の訪問"をめぐって

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 本誌新綿集部が,はじめて"はばたけ"のメンバーと接触をもったのは昨年の11月初旬の二とであった。大阪という,保健婦活勤の原点ともいうべき地域の保健婦,というイメージを抱き続けていた綿集部の一人はt"モリナガ"to 4字を口にするのに,あたりをはばかる様子に,不審をもった。

 いろいろな話を聞いているうちに,マス・コミ発表,学会に問題提起というプロセスのなかに,現在の保健婦活動が直面しているさまざまの要因がある二とに気づかせられた。"よし,特集として取り組んでみよう!"

 次に"はばたけ"のメンバーと会ったのは,今年の1月,寒風の吹き抜ける大阪・中之島の近くであった。代表として集まった5人は,いずれも若く,大阪の,いや全国至る所の町で見かける女性となんら変わるところはなかった。編集部の面々は,いままでに会ったAさん.Bさん, Cさんを思い出していた。"砒素入りミルグ’という"人殺しtt商晶を売りまくって平然としている企業と,その尻押しをした行政に対して,敢然とした戦いをいどんだのは,超人でもなければ変人・奇人でもない。どこにでもいる保健婦D,保健婦E,保健婦Fなのであった。

はばたけの取組
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 私たちはすでに,昭和45年4月号の保健婦雑誌に"14年目の訪問をおえて"と題したレポートを出している。いま再び,報告を出す機会を与えられたので,現状の保健婦活動のなかで悩む保健婦の立場から,森永問題に取り組んできた動機と経過をまとめてみたい。

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 阪大の丸山教授から,「13年前に問題の森永ミルクを飲んだ子供たちが,現在どうしているか知っているかね。」という問題提起を受けてから,すでに3年半が過ぎようとしているいま,ここでその足跡をふり返ってみた。

 就職当初の昭和42年ごろ,保健所は,公衆衛生の第一線で住民の健康を守るために,全力を注ぐものと信じて疑わなかった。しかし,人手不足から,住民にしわ寄せをしたり,住民が希望する出張の健康相談が実施できない状況をみて,おかしいなと思いながらも,与えられた仕事をせいいっぱいやる毎日を過ごしていた。

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 私は保健婦学校の1年先輩の交流会"はばたけ"に,友人から誘われて参加するようになった。ちょうど森永ミルク中毒児訪問が具体的になろうとしているときであった。"はばたけ"が14年目の訪問に積極的に取り組めたのは,そのチーム—ワークのよさではないかと思っている。チームの1人1人がお互いの信頼のうえにたって,お互いをきびしくたかめようと努力していた。私もこの仲間の熱心さにひかれ,みんなの一員としてこの訪問に参加しようと決心した。

事後調査の会の現状と問題点
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 事後調査の会(森永ミルク中毒事後調査の会の略称)は,現在,月の第1土曜を定例日として,毎月集まっている。気楽に話し合う事務所がないため,当初(44年4月)から阪大衛生学教室の好意で,ここを借りている。

 会員は訪問当初(44年5月),大阪府,大阪市および私立学校に勤務する養護教諭,大阪府下,大阪市および尼崎市の保健所に勤務する保健婦,府立の医療機関に勤務する保健婦,それに阪大医学部衛生学教室で実習中の医学生,その他教育関係者などを含む20余名であった。

"14年目の訪問"をめぐって グラフ

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3.昭和31年,精密健診という名のもとに"異常なし""後遺症なし"と診断されたが,17年たったいまも寝たきりのY君(1971.10.17撮影)

 4."17年間を返せ!"と訴えているよう……(1971.9.9撮影)。5.K君。18歳になると施設を出ていかなければならない(1971.10.2撮影)。

 6.M君。額内の写真は中毒する前のもの……(1971.11.28撮影)。

"14年目の訪問"をめぐって "14年目の訪問"に学ぶ

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 14年目の訪問から現在まで,森永ミルク中毒事件に取り組んできた仲間を加えての話し合いでの一コマ。「どう,このごろ。」「うーん,それがねー。」「当初あなたたちが,はりきっていたころを思い出すわ。この水曜会で発表するときのあの生き生きとした顔」「同じ職場にいても,Aさんからは,なんの情報も聞いたこともないし,何かの活字を目にした折に,とても熱心にやってらっしゃるんだなってわかったけど」。

 「そうね,職場のなかで"はばたけ"のグループの人たちの意気込みとか,問題意識がどれだけ他の保健婦の共感をよび,問題解決のための行動に結びついたのか,疑問だと思うの。実際行政段階まで取り上げられ,保健婦が被害者宅に訪問したけれど,その訪問すら1人1人の保健婦がどれくらいこの事件をたいせつにしようと努力したかどうか……いま職揚のなかであなたたちを核の存在として,情報などを積極的に傾聴しようと努力しているかしら。」

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 ミルク中毒事件が起こったのは,私が高校生のときであった。しかし公衆衛生看護という職業について10年間,職場でもこのことは話題にのぼらなかった。月に1回職場の交流と勉強を目的とした保健婦の集いの席上で"はばたけ会"の14年目の訪問結果を開き,それがすべて勤務時間外に行なわれたことを知り,ほんとうにたいへんな苦労だったろうと思うと同時に,この問題を提起した養護教諭は地元堺市にある府立養護学校の養教と聞き,私はなんの協力もできなかったことを,とても恥ずかしく思った。また日常業務のなかで同じ看護職でありながら,地域から学校へ,学校から地域への連携が看護という職業のなかでとだえていたのではないかと考えた。

 この揚合学校という特定の施設だけでなく,1人のケースが利用するあらゆる施設との連絡と同時に,それぞれの担当者との連携が十分なされていない現実を反省させられた。1ケースについて継続看護が必要なのに,それがとだえるということが,どれだけ重大な意味を後に残すか,この訪問で教えられた。

"14年目の訪問"をめぐって 保健婦に望む

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 丸山報告は,それまでやみのなかに閉じ込められていた森永ミルク中毒の被害児や親たちに,光明を与えた。その事件運動史上に一時期を画した重要性については,衆目の一致して認めるところである。丸山教授の指導のもとに,報告に結実した貴重な活動をされた,"事後調査の会"の養護教諭や保健婦の方々には,あらためて深い感謝と敬意を捧げる。

 この活動のエネルギーは,単に人間愛とか正義感に発するだけではなく,体制に組み込まれて,自分たちの求める生き生きとした保健婦本来の活動ができなくなっていることへの怒り,そうさせているものへの挑戦に由来するものと理解できよう。そうであるからこそ,報告発表によって事後調査の会の役割は完了したのではなく,むしろこれからほんとうの戦いが始まるのである。

はばたけ! まるやまひろし
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 いま,昭和30年のときではなくて,44年に森永ヒソミルク事件と,取り組んだ大阪の保健婦の活動について,所見を求められたが,わたくしが,どんな見方をしているかという傍観者的立場では何もいえない。

 ただ示しておきたいことは,この大阪の保健婦活動に,わたくしが全く同化しえたからこそ,この森永ヒソミルク事件に保健婦が取り組めたのだと,ふりかえってみて,そう考えるだけである。わたくしと大阪の保健婦・養護教諭との協同作業が"14年目の訪問"を成功させたのだと,言ってもよい。

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 不感症

 昭和44年10月21日,大阪府の医務課長から,1通の文書が府の各保健所長あてに出されている。

 

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 大阪の保健婦有志が"14年目の訪問"を開始した昭和44年の春,国鉄では機関助士廃止と安全性をめぐる論議が極度に高まり,広く全国民の注目を集めていた。

 一見,なんのかかわりもなさそうなこの二つの問題について,厚生省が昭和30年当時にとった方法と,国鉄当局が昭和44年にかけてとった方法は,ともに"5人委員会"などという学者・権威者による"第三者"機関を設けることであった。

学生の就職に思う 村田 昌子
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 学院を卒業したのはついきのうのようであるが,保健婦になって14年目を迎え,現在の学院へ来て満5年が経過した。外部から学院を眺めると,のんびり勉強ができてうらやましいと思われるらしいが,実にさまざまな仕事があるものである。考えてみると,20〜50人の学生がいれば彼女たち1人1人の人生があり,生活がある。悩みもいろいろあり,その人たちが出たりはいったりすれば,必然的に業務内容は変化に富むものになり,そこでわれわれはいながらにして,彼女たちから人生について勉強させてもらっているわけである。

 毎年卒業前になれば,心を悩ますことに就職の問題がある。特に最大の問題は市町村保健婦の希望者が少ないことである。そのなかでも,県の北部に位置する山陰側の市町村の希望者が少ないことである。ちなみに昭和35年度から45年度までの卒業生就職状況をみると,卒業生189名のうち市町村就職者数24名で,毎年約2名が就職しているにすぎない。それではなぜ市町村保健婦を希望しないのだろうか。

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 昭和39年,ライシャワー事件を契機として精神衛生法が大きく改正され,地域精神衛生対策の中心は保健所となった。地域精神衛生活動の第一線である保健所で働く保健婦として,当然精神衛生活動の一端をになうべく,神奈川県の段階で,保健所ブロックの段階で,保健所の段階で,種々討議された。

 その内容は,精神障害者医療の基本線は,早期発見,早期治療,アフターケア,社会復帰という医療の一貫性で,入院中心主義より地域社会において治療しその一端を保健婦がになわなければいけない。地域で働く保健婦として,その活動のねらいは,家族の保健指導であり,ひいては地域の健康管理であることは,昔も今も変わりない。それなのに精神障害者だけ保健指導の対象外であるとは考えられない。公衆衛生について一貫した教育を受け,地域をよく知り,更に地区民の信頼を受けている保健婦が従来の業務としていた結核,母子,成人などの訪問活動と有機的な結びつきのなかで,地域精神衛生活動を進めていかなければ,保健婦以外にはやる人がいないという意見がおおかたを占めていた。

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 はじめに

 母親が母乳で乳児を保育することは,分娩に引き続いて期待される母親の社会的,生理的機能である。ところがこの母乳栄養は近年ますます減少傾向にあり1),アメリカ,イギリス,フランスなどの諸国の報告によると,1950年ごろから急激な減少傾向が始まったという。わが国では2)1946年(昭和21年)1月,大阪市において戦後最初の乳児体力健診が開催されているが,このときの人工乳は40%であり,母乳は72.2%である。乳製品統制解除前後の3)1950年(昭和25年)東京都における母乳栄養児は70%を占めていたのに,1957年(昭和32年)には60%,1961年(昭和36年)には40〜30%に減少し4),1968年(昭和43年)には20%台にまで減少しているから,1955〜1960年ごろから著しい減少傾向があるとみられる。

 このような実情に対して5),昭和42年に日本小児学会栄養委員会が勧告を出している。その背景には6,7)戦後25年以降の企業の販売路の拡充があり8),職業婦人の質的変化,行政的には戦後いち早く出された新人口政策基本方針に基づいた一環した乳児哺育の重点活動があり,それらの諸事情が重なって,今日の早期人工乳依存の傾向や,母親の母乳に対する認知不足があると考えられる。

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 はじめに

 思春期は小児から成人へと移り変わっていく変化の激しい時期で,成人看護学では,成人期のはじめは小児から成人への成長,すなわち,思春期であり,終わりは老衰から死に至るすべての時代を含む1),として特別に扱っている。思春期は性ホルモンの分泌が活発になり,身体の成熟に伴って起こる性の欲求は,生理的欲求ともなって起こってくる。このように人間として大きな変革の生じる時期であるにもかかわらず,看護において思春期は十分に体系化されているとはいえない。そしてまた,わが国の教育には,性についての体系的なカリキュラムがない2)。性は人間的に最も重要な部分を占めているのに,従来触れてはならないものであった。このようなことは,むしろ人間の成長発達への援助を妨げるものであると考える。このような点から卒業期を控えている思春前期と思春後期の中間にある3)中学3年生の性知識と性意識,および子供の両親に対する性相談の状態を把握するために調査を行なった。

事例報告

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 はじめに

 労災補償という問題は,とかく医療関係,ことに看護にたずさわるものにとって,関心の遠い問題と思われる。私も患者一人一人の愁訴をきき,障害程度をみ,どこまで回復するか,また,その障害をかかえながらどのくらいの動作ができるかなどということには大きな興味を抱いてきたが,労災補償は全く別世界のことのように思っていた。

 しかし,後遺症を残したものの日常生活までみなければならないものにとって,患者の生計はみすごすごとができない問題である。労災補償の場合,その後遺症が業務によるものと認められれば,当人の給与によってちがうが,年間数10万円の生涯にわたる年金あるいは数10ないし数百万円の一時金が支払われ,業務外と認定されれば,労災保険からはビタ一文もらえない(ただし,本人が厚生年金に加入しており,厚生年金に定める障害等級にあてはまる後遺症を残したときは,厚生年金の障害年金が受給できる)。したがって,労災補償を適用されるかどうかは,障害を残した患者や家族にとって,その後の生計を左右する重大な問題である。

資料 公衆衛生看護論1

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 はじめに

 改正された保健婦教育課程が実施されて1年が経過し,本年3月新カリキュラムによる第1回の卒業生を社会に送り出した。各保健婦学校においては1回実施の経験を通して新カリキュラムを評価し,第2回の計画を進めておられることと思う。公示されてから実施までの期間が短く,各保健婦学校や現揚でも種々困難なことや,ご苦心も多かったことと推察している次第である。

 最近2か所の保健婦学校を見学させていただく機会に恵まれ,多くの勉強をさせていただくことができた。と同時に,教育に従事されておられる先生方のご苦労を再確認した思いである。保健婦教育課程改善に関する研究会報告書の最後に,保健婦教育進展のための条件として,この教育課程の充実と進展のためには,現在の教育施設および実習施設を教育的配慮のもとに改善・整備すること,専任教員数の増強を図ることが提唱されているが,カリキュラムの効果的な運用を図るために,これらが早急に実現されるよう心から願っているものである。

連載 中国における保健医療の特徴・3

農村の協同医療制度 大川 きく
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 中国人民の保健医療に対する取組は,さまざまな試行錯誤をくり返しながらも,着実に成果を上げていった。今回は制度として定着した,農村の協同医療制度についてみてみよう。

ニュース診断

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抹殺された婦人労働者の人権

 外務省の公電漏洩事件で蓮見という女性が逮捕され,起訴された。世人は"知る権利"がどうだこうだと騒いでいる。ジャーナリストは"報道の自由侵害"云々といいたてている。こうした視点に私は賛成しないではない。しかし私の心をとらえているのは別のことである。それは1人の婦人労働者がチリ・アクタのようにふみつけられているという事実である。この女性の人権が,存在そのものが抹殺されようとしていることが私には深刻である。それなのに世間は彼女の人権を回復させる,存在をとり返すという方向でこの事件をみようとはしない。みんなどうかしていやしないか?

 秘密文書なるものが横路代議士によってバクロされてから,彼女が逮捕されるまで1週間とたたなかった。そして懲戒免職となるまで10日もたたなかった。そのスピーディな処置は,日ごろ万事にスローモーな役所の仕事ぶりとはきわだって対照的であったが,世間はこのことをさほど重視しなかった。

実態をさぐる

看護従事者の動向
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 質・量ともに不足

 医師・看護婦をはじめとして,医療従事者の不足が叫ばれてから久しい。看護婦の供給対策はどうなっているかに目を向けてみよう。看護高校,高等看護学院がわずかに増加しているが,とうてい需要の伸びには追いつけず,なんら根本的な解決にはなりえない。看護婦"教育"の主流が各種学校であること自体すでに問題であり,この教育制度が存続する限り,需要に見合った質・量の看護婦を教育することは不可能に近いのではないか。

 保健婦・助産婦・看護婦・准看護婦などの就業者数を経年的に見たのが表1である。これを概観すれば,保健婦はほぼ横ばい,助産婦の減少,看護婦の増加を一目で見ることができる。

Medical Topics

日本脳炎ワクチン 大谷 明
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 日本脳炎の予防接種は必要か

 厚生省防疫課の日本脳炎患者監視事業の報告によれば,昭和41年の確認および定型的死亡例数2,017名(罹患率10万人対2.0)を境として,42年には771名,43年には367名,44年には147名,45年には109名と減少の一途をたどっている。このため,近ごろでは日本脳炎の脅威はしだいに人の頭から薄れていき,日本脳炎はこのまま消滅するのではないかという意見も聞くようになっている。

 病気の心配がなくなれば,なにも無理して予防接種を受けることはないではないかという思潮が,このごろでは強くなっているのも事実である。ワクチンにつきものの事故を考えると,このような風潮も理解できないことはない。現在もなお日本脳炎の予防接種は,はたしてどの程度必要なのだろうか。この問題を考えるには,まず環境がどのくらい危険性があるかを知る必要がある。厚生省防疫課が毎年実施している日本脳炎流行予測事業の報告をみると,少なくとも北海道,東北地方の北部を除いては,毎年ブタが今日もなお日本脳炎に感染していることが明らかにされている。しかし近年では,ブタの感染からみたウイルスの散布の濃度は,昭和41年ごろまでに比べると,かなりの地方でめだって薄くなっていることも観察されている。端的にいえば,過去に比べ現在もなおウイルスの濃厚な散布がみられているのは,九州,四国と中国の山口県などの日本西部である。患者の発生もこれらの地方に集中している。

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 はじめに

 人口2,700余人の農山漁村にすぎない都万村での,公衆衛生活動と保健婦とのかかわり合いといえば,他の地方の農山漁村と特に変わりないと思われる。しかし一方,都万村は日本海に浮かぶ隠岐島という離島であることから,本土以上に住民の生活のうえでも,医療福祉の面でも,きびしい現実におかれている。したがっていきおい公衆衛生対策も,島根県内で最も遅れた後進地域として取り残されている。こうした状況のもとで行なっている都万村での地域精神衛生活動の実情を報告して,読者諸姉のご批判を仰ぎたいと思う。

基本情報

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保健婦雑誌
28巻4号 (1972年4月)
電子版ISSN:2185-4041 印刷版ISSN:0047-1844 医学書院

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