特集 住民とともに歩む一つの姿勢
"14年目の訪問"をめぐって
"14年目の訪問"に学ぶ
"14年目の訪問"で教えられたこと
清水 弘子
1
1堺市鳳保健所
pp.26-27
発行日 1972年4月10日
Published Date 1972/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205064
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ミルク中毒事件が起こったのは,私が高校生のときであった。しかし公衆衛生看護という職業について10年間,職場でもこのことは話題にのぼらなかった。月に1回職場の交流と勉強を目的とした保健婦の集いの席上で"はばたけ会"の14年目の訪問結果を開き,それがすべて勤務時間外に行なわれたことを知り,ほんとうにたいへんな苦労だったろうと思うと同時に,この問題を提起した養護教諭は地元堺市にある府立養護学校の養教と聞き,私はなんの協力もできなかったことを,とても恥ずかしく思った。また日常業務のなかで同じ看護職でありながら,地域から学校へ,学校から地域への連携が看護という職業のなかでとだえていたのではないかと考えた。
この揚合学校という特定の施設だけでなく,1人のケースが利用するあらゆる施設との連絡と同時に,それぞれの担当者との連携が十分なされていない現実を反省させられた。1ケースについて継続看護が必要なのに,それがとだえるということが,どれだけ重大な意味を後に残すか,この訪問で教えられた。
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