看護研究 50巻4号 (2017年7月)

増刊号特集 1 看護学の知をどう構築するか

『看護研究』編集室
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 看護学はこれまで,さまざまな研究成果から,知を産出してきました。そしていま,看護研究はどのような方向に向かうべきなのでしょうか。研究者が増え,さまざまな種類や質の研究成果が発表されています。エビデンスに基づく研究が志向される一方,エビデンスにとらわれず文脈を重視した研究の重要性も大きく,また,現場から日々生まれる業務改善などさまざまな院内研究や事例報告等から得られる成果も見逃せません。看護をめぐる状況が変化する中,研究方法論や看護理論も多様化しているように思われます。さらに今後,学際性やグローバルな研究活動への機運が一層高まると想像される中では,研究のあり方や研究者としてのあり方も,これまでと変わっていくことがあるかもしれません。

 こうした背景は,研究とは何か,知とは何かを振り返りつつ,看護学が実践の学としてどのような知が必要であり,どのようにその知を探究し,見いだし,看護学独自の知を構築していくのか,という問いにつながるように思われます。その問いを探求する中では,さまざまな論点があるように感じられます。また,研究や知の意味を考える意味では,領域を越えた視点も不可欠になります。

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はじめに

 「樹木にとって最も価値あるものは何かと問われたら,それは果実だと誰もが答えるだろう。しかし,実際には種なのだ」。ドイツの哲学者,フリードリッヒ・ニーチェの言葉である。哲学的解釈はひとまずおくとしても,内容にはなるほどとうなずかれる方も多かろう。研究になぞらえるなら,研究過程は樹木の生長であり,果実は研究成果(結果)となるのであろうが,それでは研究における「種」とはいったい何を指すのであろうか。

 相対性理論の生みの親,アルバート・アインシュタインは「想像力は知識より重要だ」と述べた。知識の蓄積と網羅,すなわち「知」の構築・体系化をめざして研究活動が行なわれると考えるなら,「知識」に勝るという「想像力」を不可欠とする研究活動のめざすものは何なのであろうか。そもそも研究と「知・知識」との関連はどうなっているのか。

 禅問答のようになりかけるので,本特集の趣旨に戻り,「看護学が実践の学としてどのような知が必要であり,どのようにその知を探究し,構築していくのか」という問いの中で,看護学研究はどうあればよいか,ありたいかについて,ささやかなまとめを試みてみたい。

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看護学の知の考え方

 看護学の知については,主にアメリカの看護界で議論されてきた。1978年にCarper(1978)が「看護学の基本的な知のパターン」の論文を著し,看護学には科学に基づく経験知のみならず,異なる種類の知があることを明らかにした。それ以降も,どのような知が看護に最も適切あるいは有用か,方法論として主に実証的なものであるべきか,解釈的研究はどこに位置づくか,どのような種類の知が看護にとって優勢であるべきかが議論されてきた。しかし,これらは答えることのできない問いであり,どのような知識が看護の知として適切なのかを問うのではなく,知と知る人との関係を問うべきという主張もある(Ceci, 2000)。知識の構築が経験主義的方法で行なわれても,解釈的方法あるいは別の方法で行なわれても,知識は私たちが存在する世界のパワーと無関係ではなく,何が看護学にとって正当な知識であるかを問うとき,誰にとってそうなのか,何が正当性を決めるのかを考えなければならないという主張である。

 Chinn & Kramer(2015)は,知は自己と世界を認識し理解する方法を意味し,知識は他者に伝えたり,他者と共有できたりする形で表現されるものをいうと定義し,知と知識を異なるものとして捉えている。しかし本稿では,知と知識を同義語として用いる。

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知とは何か

 「知」という字は,矢と口という象形からなり,矢を添えて祈り神意が伝えられたことから,物事の本質をズバリ言い当てるという意味をもつ(藤堂,1990)。辞書によれば,「物事の本質をしる」「物事を認識したり判断したりする能力」(大辞林,2006),「知識」(世界大百科事典第2版)という定義がされている。このように知には「しり方」という側面と,「しっていること」という側面が含まれているようだ。それならば,ここでは暫定的に看護学の知とは,看護学の本質を「しる方法」と,それによって「得られた知識」という定義で話を進めていこう。

 では,知はどのようにつくられていくのであろうか。中国医学の歴史をみると,何千年にもわたり,その行為は単に「医」と呼ばれ,勘と経験に頼る実践がなされてきた。しかし明時代になると,陰陽五行思想の影響を受け,経絡理論などの理論構築により体系化が進み,「醫學」という言葉が用いられるようになった(傅維編/川井編訳,1997)。西洋においても,医は長らく経験医療として存在し,学問ではなく手仕事だと考えられていたが,1231年,イタリアでサレルノ大学医学部が承認されたのを皮切りに,大学に医学部がつくられ,知が集積されていった(日本大百科全書,1994)。

身体が考える「動く知」 西村 ユミ
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いかなる知を問うか

 看護における「知」というと,看護学に関する知識,つまり研究によって蓄積される知見として見て取られることが多い。この知見は,複数の研究によって実証され,定まった知識として体系づけられ,看護実践において「応用」しつつ実践に活かされる。科学的根拠に基づいた医療や看護が実現するのは,こうした知の蓄積ゆえであろう。

 しかし,研究の探究スタイルや方法によっては,必ずしも知はこの形式で見いだされたり活用されたりはしない。そもそも知が,いかに表現されるものであるのかも,検討の余地がある。例えば,私が取り組んでいる現象学的研究は,研究によって新たな知見が得られ,次の研究がその知見の上に成果を積み重ねていく,という方向性をもってはいない。むしろ,既存の枠組みや私たちの先入見を問い直し,事象そのものへ立ち返り,その事象が示す方法によって探究される。現象学者のメルロ=ポンティ(1970)の言葉を借りると,「もう一度思索し直すことによってしか,それを守りぬいたり発見しなおしたりすることはできない」(p.4)。そしてその結果は,科学的な説明の文体ではなく,記述というスタイルで表現される。記述が,事象の生成や構造の表現となるためである。こうした記述は,一つの知見を応用するという形式で活用されるのではなく,新たな経験や実践,知の次元の提案とともに,それを読む者の理解や経験の捉え直しを促す,あえて言葉をあてると,記述と読む者の経験との解釈学的循環が起こることによって記述の活用が実現する。

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はじめに

 看護の知とは何か。看護学を学んだ者は,そうでない者と違って何を知っているのか。看護学を学び国家試験に合格すれば,日本の看護職として,看護実践を行なう専門職業人として経済的にも評価されるが,果たして看護職は看護の知をどれほど知っていて,それをどれほど実践できているのか。

 看護学の発展は,医学の中の一部ではないという強い意識から,看護研究者らが地道な言語化を通して,独自の理論を立ち上げてきた。ナイチンゲールをはじめ数々の看護研究者らによる看護理論は,看護を学ぶ学生にとって多くの気づきを与え,看護を学ぶスピードを速めているに違いない。しかしその知をもって看護職として就職したとき,それらの看護理論は,看護職の認識の中から遠のくのである。筆者は認定看護師教育に携わっているが,多くの受講生は,看護理論を学び直すことで,「こうやって,患者のことや自分が実践したことを看護理論で説明することができるのだ」という一種の感動のような気づきに至る。つまり,その気づきは,5年以上の看護経験において,看護理論と実践が融合していなかったことの表われである。そして受講生は看護理論を再学習することで,後輩たちに自分の看護実践を語るための言語を獲得する動機づけを得るのである。

 この現象から,看護の知はあまたあるものの,それを意識して看護実践に活用している看護職は少ないのではないかと筆者は考えている。そこで,看護理論が実践を変えるプロセスに多くかかわってきた経験から,今後,理論と実践を統合していくことのできる看護実践とはどのようなものか,考えを述べてみたい。

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 看護の実践は,ひとを対象とした人間の実践活動であり,その質の向上のためには,さまざまな方法による知の探究が必要だ。看護実践に寄与する知の創出のために,看護研究者は志を同じくし,建設的な厳しさをもって,共同体として研究を推進することが求められる。本稿ではこのような立場から,「よい論文」「よい論文を支える研究活動」について検討していきたい。

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 数量化しにくい看護実践の生々しい姿を捉えることが現象学的な質的研究の目的であるとして,そこで捉えられるのはどのような事象なのか,とりわけ他の方法論と比べたときに何が違うのだろうか。答えは非常にシンプルなものであろう。多くの研究方法は,多くの事象に共通する一般概念の中に固定する。これに対して,現象学は刻一刻と展開する個々の事象をその流れの中で捕まえようとする。流れを捉えることで,支援者それぞれの実践や患者1人ひとりの経験の生きられたままの意味を捕まえようとするのだ。

 そして今回,もうひとつ主張したいことがある。それは(特に統計的な処理をする)研究と現象学的な研究とは,異なる角度から事象を眺めるが決して対立するものではないということである。問題は具体的にはどのように,なぜそうなるのかである。それを以下では議論していきたい。

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はじめに

 本論の目的は,社会学の潮流のひとつであるエスノメソドロジーについての概説を通して,看護学を含む「人びとの実践」を研究対象としている各分野に対して,行為の理解可能性の公的な基準を探求対象とする研究の継続と知見の積み重ねの重要性を主張することである。

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はじめに

 「ドーナツを穴だけ残して食べるには?」

 そう聞かれたら,みなさんはどう答えるだろうか。「看護学の知をどう構築するか」がテーマの本特集で,なにをいきなり突拍子もない話を,と思われた読者もいるかもしれない。だが,「ドーナツを穴だけ残して食べるには」という問いには,学問のあり方を考える上で重要な論点が幾重も含まれているのではないか。筆者はそのように考えている。

 しかしそのことについて論じる前に,筆者がかかわった教育プロジェクトについて紹介することから本稿を始めたい。

増刊号特集 2 若手研究者が描く未来

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 小誌では,2014年に「博士論文を書くということ」という特集で多くの若手研究者の方々にご登場いただき,好評を博しました。それから3年が経ちますが,看護学の進展は日進月歩で,看護学をめぐる状況も刻々と変わりつつあります。看護学の知のこれからを考える特集を組む上では,これからの研究者の方々の視点も不可欠です。そこで今回も,若手研究者の方々に,博士論文の取り組みを中心に,研究のいまとこれから,そして,看護の知の構築と発展に向けて何が必要と考えるか,まとめていただきました。

 今回は日本看護科学学会「若手の会」の取り組みから,若手研究者の方々のためのコミュニティの重要性についても示しながら,若手研究者の声を読者の方々と共有できたらと考えています。看護研究のこれからを考える貴重な指針のひとつになれば幸いです。

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はじめに

 筆者は看護師として,また教員・研究者としての複雑な役割に,さまざまに戸惑いや悩みを抱え,そのつど上司や同僚と相談して解決していた。ふとあるときから,学会の委員会活動に参加する機会を頂いたのだが,組織を超えた研究者同士でつながる経験がとても新鮮に感じられた。実は,このようなコミュニティの場は,ピアサポートの場でもあり,所属の組織とはまた違って,自身を成長させてくれる場でもあった。

 本稿では,看護学研究者の「若手」がコミュニティを形成する意義を述べ,その例として筆者がかかわってきた日本看護科学学会(以下,JANS)「若手の会」を挙げる。そのコミュニティ形成の経緯と活動の実際,現状と課題を振り返り,今後の展望を述べたい。

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「妊婦に合ったつわり軽減方法を見出すことをめざす」という問いを探求

 私が博士論文で取り組んだ「問い」は,2005年より取り組み始めた「つわりの軽減」をめざす修士論文に契機がある。修士論文から,博士論文で「妊婦に合ったつわり軽減方法を見出す」ことをめざすに至るまでに特に苦慮したことは,「何をめざすために,何を行なうか」,すなわち,「どのような問い」を立てるかであった。紆余曲折を経る中で,指導教員,院生仲間などさまざまな人から頂いた助言,そして当事者であるつわりを体験する妊婦の方々の語りが,最終的な問いに導いてくれたように思う。以下,具体的に示していきたい。

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研究者の道を選ぶまで

 私は看護の世界に入る前に,一般大学の国際関係学部で,政治や経済,国際協力などについて学んだ。大学3年の就職活動を始める頃,国際協力の現場で働きたいという思いが生まれ,どうすればその現場に進めるのかと考え,看護の道を選んだ。そして横浜市立看護短期大学を卒業後に日本赤十字医療センターに就職した。9年間勤務した病院では脳外科と小児科で勤務しながら,日本赤十字社の国際協力プロジェクトにかかわり,現在の職場でもある国立保健医療科学院の専門課程国際保健コース(MPH:Master of Public Healthコース)に進学する機会を得た。その後,日本赤十字看護大学で国際看護学の教員をつとめながら,同院の研究課程(DrPH:Doctor of Public Healthコース)を修了して現在に至っている。

 上の2つの課程に進む前には,国際協力の現場で働き続けることを望んでいた。しかし課程在籍中,社会や自分自身の疑問を明らかにしていくことができる研究のおもしろさに目覚めたことや,妊娠,出産という自分自身の人生の転機を迎えたことで,研究者の道を選択することとした。

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身近な経験を通じて感じた「制度」への疑問

 介護している家族への心身の負担は,結果的に,家族が次の要介護者予備群になるのではないだろうか。私たち看護職者は,そうした家族の方々をハイリスク者として考えながら介護予防対策や心身の健康支援を積極的に行なう集団ではないだろうか─そんな思考の最初のきっかけは,身近な家族からだった。

 98歳で亡くなった祖母は,介護が必要となってから自宅で5年間,実娘の私の母が世話をし,その後,特別養護老人ホームに入所した。「腰が痛い」「足がしびれる」「目まいがする」「眠れない」「イラつく」など,母の体調が不安定になるとともに愚痴も増えていくのを,複雑な気持ちで私は見ていた。祖母が入所した後も,週に1回は何かと施設に通い,時には呼び出されて医療機関受診への付き添いなどの忙しい生活は,母にとって「祖母のことが頭から離れない」状況であり,相当に負担であったのだろうと思う。

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認知症高齢者とその家族をどう支援するか

 私の(おそらく)生涯にわたる研究の大きな「問い」は,「高齢者とその家族の在宅生活の安寧をいかに支援できるか」である。この問いは,1本のレールのように,常に自分の根底に敷かれている。悩んだり,くじけて脱線しそうになったときには,再びこのレールに戻るようにしている。

 その中でも,現在「問い」としているのは,「認知症高齢者とその家族の支援」である。この問いをもとに,修士論文,博士論文の研究を継続して行なってきた。修士論文では,地域に住む多くの人々に認知症と,認知症高齢者とその家族のことを知ってもらいたいと,地域で認知症高齢者を支え合うことを目的とした認知症の理解推進プログラムを作成して実施・評価をしてきた。このプログラムの参加者から,「私たちは支援したいと思っているけれど家族が心を閉ざしている」という声を聞いた。それがきっかけとなり,博士論文で本格的に家族支援をメインとした研究を行なうことにした。

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はじめに

 2014年の日本人の平均寿命は男性80.50歳,女性86.83歳となり,いずれも過去最高を更新した(厚生労働省,2014)。65歳以上の高齢者人口も,2015年2月1日時点で3332万5000人,総人口の26.2%と,人口および割合ともに過去最高を更新し続けており(総務省統計局,2015),それに伴い要介護高齢者も増加を続けている(厚生労働省,2015)。

 これまで,高齢者施設における皮膚疾患は褥瘡や疥癬を除きあまり重要視されていなかった。実際,厚生労働省も施設入所高齢者における皮膚疾患有病率をわずか数%と試算してきた(幸野,2007)。ところが,高齢者施設の入所者の70.1%は何らかの皮膚疾患を有していることが日本臨床皮膚科医会の訪問調査で明らかにされた(今井ら,2004)。これは点有病率であり,期間有病率はさらに高いと推定される。

 高齢者の皮膚疾患で多いのは,真菌症および湿疹・皮膚炎である(今井ら,2004)。高齢者の場合,生理機能の低下により症状が遷延化・難治化しやすくなり,ごく普通にみられる湿疹・皮膚炎でもその多くは痒みを伴い,活動低下,食欲低下,睡眠障害など,QOLの著しい低下を招く(矢口,2010;小林,2012)。要介護高齢者の増加,さらには高齢者施設への入居者が増加している現状を鑑みると,皮膚疾患の予防および治療は極めて重要な課題と考えられる。

 本稿では,皮膚の機能や高齢者の皮膚の特徴といった基礎的事項や疫学についてまとめた上で,高齢者,特に施設入居者における皮膚疾患への対応という観点から,主に真菌症および湿疹・皮膚炎の病態と治療について,筆者らの研究の結果を含めて概説する。

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基本情報

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看護研究
50巻4号 (2017年7月)
電子版ISSN:1882-1405 印刷版ISSN:0022-8370 医学書院

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