増刊号特集 1 看護学の知をどう構築するか
看護学の知は何をもたらすか
坂下 玲子
1,2
1兵庫県立大学看護学部
2兵庫県立大学看護学部臨床研究支援センター
pp.305-309
発行日 2017年7月15日
Published Date 2017/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1681201391
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知とは何か
「知」という字は,矢と口という象形からなり,矢を添えて祈り神意が伝えられたことから,物事の本質をズバリ言い当てるという意味をもつ(藤堂,1990)。辞書によれば,「物事の本質をしる」「物事を認識したり判断したりする能力」(大辞林,2006),「知識」(世界大百科事典第2版)という定義がされている。このように知には「しり方」という側面と,「しっていること」という側面が含まれているようだ。それならば,ここでは暫定的に看護学の知とは,看護学の本質を「しる方法」と,それによって「得られた知識」という定義で話を進めていこう。
では,知はどのようにつくられていくのであろうか。中国医学の歴史をみると,何千年にもわたり,その行為は単に「医」と呼ばれ,勘と経験に頼る実践がなされてきた。しかし明時代になると,陰陽五行思想の影響を受け,経絡理論などの理論構築により体系化が進み,「醫學」という言葉が用いられるようになった(傅維編/川井編訳,1997)。西洋においても,医は長らく経験医療として存在し,学問ではなく手仕事だと考えられていたが,1231年,イタリアでサレルノ大学医学部が承認されたのを皮切りに,大学に医学部がつくられ,知が集積されていった(日本大百科全書,1994)。
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