看護研究 50巻5号 (2017年8月)

特集 事例研究をどううみだすか─事例がもたらす知の可能性

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 研究にエビデンスが求められる流れの中,現場から生まれるさまざまな事例のもつ重要性と,その事例をベースに看護の知を構築していくことをめざす事例研究の価値が,改めて高まりつつあります。本特集では,「事例」とは何かという根本を改めて見つめ直し,看護における事例研究の創出に向けたヒントを探っていきます。

 企画にあたっては,かねてより事例研究を重視し,「現場発看護学」を提唱して看護学の新たな知の創生をめざす山本則子氏(東京大学大学院医学系研究科)のご協力を仰ぎ,看護領域はもちろんのこと,医学や社会学などの関連領域からも加わっていただき,多角的な観点から事例研究の意義と展望を広く探究する形で本特集を構成することとしました。

看護領域から

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はじめに

 「事例という用語と研究という用語に,完全な定義を下すことは困難であろう。それは,事例研究とは,事例についての探究のプロセスでもあれば,その研究の産物でもあるからである」とStakeは指摘する(Stake, 2000/油布訳,2006)。看護学においても,私たちは「事例研究」という用語を用いてきたが,事例研究とは何であるのか,事例研究をどのように進めることが可能なのか,事例研究と他の研究手法の違いは何か,事例研究で私たちは何を知りうるのか,そして,事例研究は私たちに何を語りかけるのかなど,多くの問いで満ちている。

 それでもなお,看護学における事例研究の意義について,いまの時代だからこそ深く洞察し,未来につなげる必要があると考える。それは,実践を基盤にした学問としての看護学を問い続け,事例研究,量的研究,質的研究,そして混合研究などの歴史的変遷をみてきた私たちだからこそ,未来の看護を創生するために,省察することのできる事柄だと思うからである。そして,看護学における事例研究は事例研究法として,この数年で,その姿を確実に現わし始めている(黒江,2013a;2013b;黒江,藤澤,2016;2017;黒江ら,2017)。

 看護が実践されるとき,そこには個々の個人・家族・組織・地域,および個々の看護職者がある。そこでは,人間としての交流を基盤に専門的な看護が実践される。実践された看護に個人・家族・組織・地域が応え,その応えに沿って,さらなる看護実践が続いていく。それゆえ,専門的な看護実践が連続するとき,そこには,専門領域としての内容と,人間の領域としての内容の両者が交錯してつながり,同時にそれは,専門的な知と技(わざ)の内容,および哲学的な内容が統合され,具現化されたものともなる。だからこそ,個々の個人・家族・組織・地域に目を向けても,現実に行なわれている個々の実践に目を向けても,さらには個々の実践者に目を向けても,その1つひとつが固有の特性をもつのであり,それぞれの個別の事例に包摂される多様性と複雑性と,それでもなお存在する事例間の共通性に私たち看護職は驚き,それらを見極めることの重要性に気づかされるのである。

 今日の私たちは,多様な研究手法を手にしているにもかかわらず,現実における看護実践の成り立ちを見極め,そこから看護のあり方を問い,深く考える“手立て”というものを,見失っているのかもしれない。現代に生きる私たち人間にとって看護とは何であるのか,看護はどのようにあることが求められているのかを深く考えようとするとき,私たちは原点に戻ろうとし,そのときに求めるのはおそらく現実の事例であろう。それは,看護学が“いのち”につながる人間の存在意義や,かけがえのない個人としての生き方にアプローチする学問だからである。

 本稿では,事例研究および事例研究法が,どのような経緯を経て現在に至っているかを踏まえ,看護学における事例研究法の意義について考えようと思う。

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現場の看護の豊かさを言語化する

実践者としての看護師と実践をretrospectiveに振り返ること

 私はこれまで約20年にわたり,多くの看護師とともに,実践したことを研究的にまとめて発表してきました。「研究的にまとめて」と表現したのは,実践したことをまとめるための方法論や方法をさまざまな文献を頼りに模索しながら行なってきたからです。看護師の実践を言語化し,ある形にまとめることを継続していると,一瞬一瞬の看護師のケアが綺羅星のごとく輝き,多くの人々と共有したいと思うようになりました。

 一方,研究計画書を立案し参加観察者(研究者)として臨床に入っても,看護師たちが描き出すような場面に遭遇するのは,時間と労力を考えるとなかなか難しいのではないかと思うことが多々ありました。このことから,看護師は実践家でありながら,看護を言語化して伝える,看護の探求者としての役割をもっていると実感してきました。

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山本 陣田先生はこれまで,「看護現場学」と称してさまざまな取り組みをされてきていると思います。以前ある雑誌でこの「看護現場学」について拝読したとき,私の問題意識と近いところにおられると感じました。私は現在,よく似た名称の「現場発看護学」という研究に取り組んでいますが,陣田先生は私よりも前から検討を重ねられ,2006年に『看護現場学への招待』,2009年には『看護現場学の方法と成果─いのちの学びのマネジメント』(いずれも医学書院刊)という2冊の著書をまとめられています。また先生は現在,「陣田塾」と銘打って後進の指導育成にあたられています。そこでは「陣田式概念化」というステップが用いられていますが,これはどのように生み出されたのか。ご著書を拝読すると,最初に「知の見える化」をめざされたとのことですが,もともと,どのような意図から「看護現場学」を提唱され,そしてどのようなことをめざされていたのか,そのあたりからお話しいただけるでしょうか。

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はじめに

 本稿では,私たちがここ数年試みている「日本の現場発看護学の構築を目指した事例研究方法の開発」について紹介しつつ,なぜこのような事例研究の知が看護実践に資すると私たちが考えるのか,この事例研究から知をどのように生成し活用できるのかについて,考えを述べたい。

関連領域から

事例研究の可能性を探る 水野 節夫
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はじめに

 筆者自身の方法的立場は“事例媒介的アプローチ(Case-Mediated Approach)”というものであり(水野,2016),そうした立場から“事例研究”をめぐる諸問題に関しては非常に強い興味・関心をもっている。ここでは,そうした興味・関心に導かれる形で質的調査研究という分野に広い網をかけ,事例研究にかかわる方法論的諸問題について論じている文献(それをここでは“事例研究論”と呼ぶことにする)を渉猟し,そうした文献レビューの検討結果を踏まえて,“脈のありそうな議論”を展開していると思われるものを参考にしながら,事例研究がどういった可能性をもっているのか,という点に迫っていくことにしたい。

 ここでの話の進め方は次のとおりである。まず,“事例研究の可能性を探っていく”という本稿での狙いを視野に入れるとき,事例研究論絡みで最低限押さえておくべきと筆者が考えている注目点を,“事例ということの意味”“事例研究の2類型”“事例研究の主要な諸特徴”の3点に絞り込む形で提示する。次に,そうした事例研究についての基本的理解を前提にした上で,“事例研究の可能性”とかかわりのある項目を大きく6点ほど挙げるとともに,それらのポイントとの関連で文献レビューの検討結果の一端の紹介を試みる。そして最後に,事例研究の可能性を実質化していく上で留意すべき点を3つほど挙げる形で,“自然体”で事例研究を進めていくことの大切さに触れることにしたい。

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はじめに

 最近になって変化がみられるものの,事例研究は日本の臨床心理学において,その黎明期ともいうべき1970年代以降,長い期間を通じて中心的な位置を占めるものと考えられてきた(山川,2014)。臨床心理学における事例研究には,研究法としての側面とともに,教育訓練としての側面があると考えられ,両者の意味において中心的な役割が与えられてきたといってよい。特に,対人援助の一領域としての臨床心理学における実践家を育成するという目的にとって,事例研究は非常に重要な方法であるとされてきた。おそらく,この教育訓練上の重要性が,近接諸領域とは異なり,日本の臨床心理学において事例研究が中心的な位置を与えられてきた理由の1つであろう。しかし近年になって事例研究は,臨床心理学の内部において,研究法としての客観性を問う声が,多く投げかけられるようになった。その中で,事例研究における客観性,普遍性を明確化しようとする動き,事例研究を体系化された方法にしようとする動きが生まれてきている。臨床心理学における事例研究の,教育訓練法としての側面,研究法としての側面それぞれの特徴について述べ,研究法としての客観性を高めるべく提案されている理論と方法を概観し,事例研究を行なうに際してのいくつかの留意点について述べてゆきたい。

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 事例がセミナーの中で非公式に紹介されたにせよ,症例検討会の中でいつもの形で発表されたにせよ,どんな場合であっても,臨床科学のデータを発表する方法は私にとっておなじみのものだった。その内容は必然的に新しいもの─報告された症状と観察され測定された所見から組み上げられたパズル─だったが,患者の病気についての記述や,医師による診断と治療についてのそれは,私が専門とするところだった。それは物語,つまり,医師と患者という個別の人間達の行動や動機に関する物語的記述であり,彼らはそれぞれの形で状況に不満を抱いたり,その努力が報いられたり,運命に悩まされたりしている。物語を病院内で見いだすことになるとは,私には思いもよらなかった。医学は科学ではないのか?

(Hunter, 1991/斎藤,岸本監訳,2001)

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はじめに

 いち循環器内科医として勤務している自分が経験し,論文として数多く投稿させていただいているものは「症例報告=Case report(ケースレポート)」である。そして,この“症例”というものは,そもそも“患者”である。この“症例”と“患者”の違いはどこにあるのか,これこそがわれわれが医療従事者として,臨床を行ないながら感じておく必要があるところである。

 基本的に“症例”というものは,一般的な感覚からすれば,個人情報という観点からの“個”の消失であるかもしれない。しかし,医療従事者にとって最も重要なことは,この“個”の消失というものは個人情報の削除というだけではなく,それを抽象化=Abstractionするということであり,われわれが日常臨床の中でScienceとArtの狭間を動くために,つかず離れず行なわなければいけない科学的行動であることを認識していないことが多いということである。

 すでに少々“言葉遊び”のような感じすらするが,この“情報を捨てること(取捨選択)≒抽象化:Abstraction”を「どの程度」するのかということを認識しながら臨床を行なうことこそが大切であることを理解していただく必要がある。前半においてはこの“患者”から“症例”に至る情報のAbstraction,より一般的用語としては「情報の取捨選択」についてやや重く(しつこく),後半はこれらをケースレポートにする方法と意義について学ぶ中で軽く触れていきたいと考える。特に本誌を読まれるであろう看護師・看護研究者に少しでも役立てればと思う。

連載 創造360°─多領域の現場から・4

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いま,大流行の人工知能やロボティクスは看護と共存できるのか?

この課題について,認知発達ロボティクスの観点から看護との共生のあり方を追究し,共創することを謳う研究者の声に耳を傾けましょう。

連載 専門看護師CNSとは何か・1【新連載】

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 このたび,「専門看護師(CNS)のコンピテンシーとは何か」をテーマに連載を始めることになりました。この研究会の前身である「専門看護師の臨床推論研究会」では,2015年6月に『専門看護師の思考と実践』(医学書院)を著し,CNSをめざす大学院生から“バイブルとして読んでいます”といわれるほど,活用していただき喜んでいます。

 次にわれわれが企てていることは,CNSのコンピテンシーに迫ることです。研究会のメンバー編成を若干変更して,2016年10月から月1回の定例で研究会を始めました。ねらいは,前掲書で課題として残ったCNSのコンピテンシーを,現象学的方法を用いて追究しようというものです。そのため研究会には,新進気鋭の現象学者である村上靖彦氏(大阪大学)をメンバーとして迎えました。

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 左室駆出率17%という低心機能状態であった30代の男性は,体外式補助人工心臓を装着してICUに入室となってから40日過ぎて広範囲の脳出血を発症した。妻は,「いつもカッコいい感じでいたい」と言っていた夫の変わり果てた姿を5歳の娘に見せるかどうかを迷った。

 夫の瞳孔が散大し,一両日中に補助人工心臓を中止するのがよいと告げられた妻は,その日説明室から立ち去ろうとしなかった。同席していたCNSは病室に戻ることを促さず,妻にこう言った。「おうちの方が来られるまでの1時間やけど,自由な時間をお渡しできます」と。

連載 理論構築を学ぶ─看護現象から知を生むために・4

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理論ユーザーが理論の評価を学ぶ

 筆者は看護系大学の教員であり,専門看護師の資格をもつ看護師である。筆者が専門としているのは精神看護学であり,教育・臨床の場でいくつかの理論を用いる。例えば,対象となる人々の心理・行動を理解するために,精神力動論を参考にする。対象となる人々に看護ケアを提供するための患者─看護師関係の構築に,対人関係論を意識する。対象となる人々に提供する看護ケアの方向性を検討するために,セルフケア理論を役立てる。理論ユーザーとして,これらの理論は,教育・臨床の場で実践するための基盤となるものである。

 昨年度,博士課程で理論看護学を履修する経験を得た。講義の中では,実践科学としての看護学について理解を深めるために,科学史を振り返り,さまざまな知識の創出のあり方について学んだ。また,理論構築の方法についての学習では,これまで慣れ親しんできた理論の分析や評価に,実際に取り組んだ。

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緒言:安楽は,本来患者に起こりうる現象であり,患者の主観で評価されるべき概念である。しかしながら安楽という言葉は一般的使用頻度が低く,現状では安楽という言葉を直接患者に尋ねたとしても患者の安楽を明らかにできない可能性がある。

目的:本研究では,安楽との係り受け頻度解析を行ない,安楽という言葉がもつイメージを明らかにする。

方法:Twitter上で語られるデータをTiny Tweet Crawlerを用いて収集し,発言者や個人を特定できる部位を削除した。そのデータをText Minig Studio ver5.2により,係り受け頻度解析を行なった。

結果:収集したデータ65万1,436件のうち,重複や安楽死・固有名詞として述べられているデータを除いたところ4,637件となり,対象とした。安楽を係り元とした係り頻度解析の結果,行動を示す動詞では「求める」113回,「生活」110回,「暮らす」83回,「生きる」53回,等がみられた。またイメージを示す形容詞・形容動詞では「欲しい」21回,「幸福」7回,「快適」3回,「自由」3回,等がみられた。

考察:行動として「生活」「暮らす」「生きる」がみられたように,安楽は人の生活全般にかかわる単語であると考えられる。また,イメージとして「幸福」「自由」「快適」などがみられ,看護以外の一般的な認識として安楽はこのような性質をもつと考えられ,ケアの評価として,これらに関しての評価を行なうことで患者の安楽を評価できるのではないかと考える。

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基本情報

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看護研究
50巻5号 (2017年8月)
電子版ISSN:1882-1405 印刷版ISSN:0022-8370 医学書院

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