増刊号特集 1 看護学の知をどう構築するか
身体が考える「動く知」
西村 ユミ
1
1首都大学東京大学院人間健康科学研究科
pp.310-314
発行日 2017年7月15日
Published Date 2017/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1681201392
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いかなる知を問うか
看護における「知」というと,看護学に関する知識,つまり研究によって蓄積される知見として見て取られることが多い。この知見は,複数の研究によって実証され,定まった知識として体系づけられ,看護実践において「応用」しつつ実践に活かされる。科学的根拠に基づいた医療や看護が実現するのは,こうした知の蓄積ゆえであろう。
しかし,研究の探究スタイルや方法によっては,必ずしも知はこの形式で見いだされたり活用されたりはしない。そもそも知が,いかに表現されるものであるのかも,検討の余地がある。例えば,私が取り組んでいる現象学的研究は,研究によって新たな知見が得られ,次の研究がその知見の上に成果を積み重ねていく,という方向性をもってはいない。むしろ,既存の枠組みや私たちの先入見を問い直し,事象そのものへ立ち返り,その事象が示す方法によって探究される。現象学者のメルロ=ポンティ(1970)の言葉を借りると,「もう一度思索し直すことによってしか,それを守りぬいたり発見しなおしたりすることはできない」(p.4)。そしてその結果は,科学的な説明の文体ではなく,記述というスタイルで表現される。記述が,事象の生成や構造の表現となるためである。こうした記述は,一つの知見を応用するという形式で活用されるのではなく,新たな経験や実践,知の次元の提案とともに,それを読む者の理解や経験の捉え直しを促す,あえて言葉をあてると,記述と読む者の経験との解釈学的循環が起こることによって記述の活用が実現する。
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