総合リハビリテーション 3巻5号 (1975年5月)

特集 重傷心身障害者のリハビリテーション

重症心身障害児対策の概要 ―(資料)
  • 文献概要を表示

はじめに

 「重症心身障害児」といわれて,その障害の状態を具体的に頭のなかに描くことのできる人はあまり多くないのではなかろうか.障害の程度は重いとは察しがつくが,「重症」と「重度」とはどう違うのか,「心身障害」とは「身体障害と精神障害の総称」ではないのかという疑問を発する人が多くいるのではないかと思われる.もっともなことと思われるが,行政的には「重度の肢体不自由(盲,ろうあは含まない)と重度の精神薄弱とが重複している児童」ということになっている.では「重度の肢体不自由」,「重度の精神薄弱」とはどの程度のものをいうのか.この点については明確な定義規定は児童福祉法その他にもないが.「精神又は身体に重度の障害を有する児童」を対象とした特別児童扶養手当等の支給に関する法律の考え方等を基に考えれば,「重度の精神薄弱」とは,精神の発達が遅滞しているため,日常生活において常時の介護を必要とする程度の状態をいい,「重度の肢体不自由」とは,身体障害者福祉法施行規則に定める身体障害者障害程度等級表の1級または2級に該当する程度の肢体不自由をいうものと考えられる.全国で重症心身障害児(重症心身障害については通常の場合と異なり,児童と大人とをあまり区別してはいないようである.ここでも特にことわらない限り区別せずに用いる.)の数は約1万7,000人と推計されている(昭和45年厚生省実態調査による)が,最近の時点では,それよりも1割程度多いといわれている.

  • 文献概要を表示

 1.重症心身障害児とは

 本稿の目標とするところは重症心身障害児(以下重障児と略す)とリハビリテーションの関連において対策の現況を述べ,これを批判するところにあるが,そうすると,それに先立って重障児とはいったい何かを一応問題にせざるをえないのであろう.

 行政的には重障児(もっと正確にいえば,重障児施設に入所の対象となる者)は,周知のように,身体障害が1~2級で,同時にIQが35以下のもの,とされている.この定義によって対象の範囲が一応はっきりしているごとくであるが実情はそうではない.

  • 文献概要を表示

はじめに

 1.重症心身障害児のリハビリテーションの意義

 重症心身障害児(以下「重障児」と略す)の福祉対策は昭和36年,わが国最初の重症心身障害児施設「島田療育園」が誕生したことにはじまった.重障児の生命の尊厳が認識されたことはきわめて意義が大きい.およそ人間は,何人といえども存在理由をもたない人はいない.現実の存在価値および体験価値にきわめて貧しい存在ですら,なお,価値を実現すべき機会をもっているのである.重障児のように重度の知能障害と重度の身体障害をあわせもっており,極度に心身両面の能力をうばわれた限界状況におかれていても,なお存在している価値を明らかにしなければならない.重障児の実存について認識を深めることが重障児の福祉,リハビリテーションの基盤であろう.

 重障児の福祉対策,リハビリテーションは重障児の存在とともに始まるのであり,人間の再発見ともいえる.人格から人格への働きかけと自己実現への援助がその根底となる.Martin Buberによれば1)「人間は単独者として生きることは正当な生き方ではなく,不可能である.人間は,ともに存在する他の人間とのかかわりにおいて人間である」という.さらにGabriel Marcel2)は,Buberの間柄の哲学に考察を加えて,「ある特定の存在者が自己自身,また特定の存在者である他者に呼びかける.しかもそれは彼らそれぞれの領域を超えながら両者に共通の場で交わらんがためである.かくて強調されなければならないのは,明らかに間柄である」といっている.このように間柄とは真実の対話の基礎をなすものではなかろうか.

 このような立場が一貫して流れているかぎり,重障児の福祉,リハビリテーションは原点的役割を占めている.

  • 文献概要を表示

はじめに

 「障害者」とは,disabled,handicapped,Geschädigte,Behinderteなどという外国語に相当する語で,「先天性ないし後天性の原因による,形態あるいは機能の,持続的な欠損または低下状態を示すもの」をいい,平均的健常人に比し種々のハンディキャップを負っている.

 これに対し,「疾病」とか「病人」とかの言葉があるが,「疾病」と「障害」の定義について,現在医学的に明確な区別はつけられていないのである.

 「疾病」は,上記障害の原因の1つを構成するものであり,「障害」は疾病の結果もたらされた状態を示し,従って「疾病」という概念が,一般に一過性(temporary,vorübergehend)であり,非固定性,可逆性(reversible)であるのに対し,「障害(Beschädigung,Behinderung)」という概念は,永続性(persistent,permanent,dauernd)であり,非可逆性(irreversible),固定性(fixcrt)の状態を意味していることが多い.

 この障害の多様性,複雑性や,医学的アプローチと,社会的対応とのギャップ等については後述する通りであるが,しかしわたくし共は,後記「ハビリテーション」の概念を導入するに当り,この障害を不治永患,手の施しようのない固定的状態とは考えず,「発達障害(developmental disabilities.Entwicklungsstörung)」という概念でとらえ,特に成熟状態に達するまでは,すべて障害は,「発達の遅延した状態,停滞した状態」と考え,障害児に対しては,発達機能を最大限に発揮させることにより,社会生活に適応せしめる能力を獲得させることを,ハビリテーション(habilitation)活動と呼んでいる.

 今回,特にその障害の重度にして重復せる,いわゆる重症心身障害児のハビリテーション(リハビリテーション)について,わたくし共の実践活動を通じての問題点を論じたいと思う.

  • 文献概要を表示

はじめに

 重症心身障害児(者)とリハビリテーション,この2つの言葉の関連性に私は底しれぬ不安と希望をもつものの1人である.それはいずれにも他を圧倒する大きな内容と,広い意義を含んでいるからである.

 重心病棟に勤務する私にとって,重心の子等にも「リハ」の門が開かれたかと,単純には喜び得ない不安が先立ってしまう.これらを今後いかに具体的に系統的に関連させていくかが課題であっても,その前提となる根本の姿は変っていない.それは全人間的復権を目指すリハ自体が重障児を受け入れるだけの円熟した発達をリハの過渡期とはいえ歩みつつあるであろうか,また重症心身障害児の最大公約数についていうなら何ひとつアクティブな意志,動作を示すことの出来ぬ患児は全人間的失権ともいえるものを背負わされているのであって,常に失権に対する復権の挑戦となるからである.

 しかし重障児は動かし得ないが,動かし得る可能性を持つリハをどこまで患児達の心身に,例えわずかであってもわれわれの努力で結び付けることは可能とも思える.例えそれが客観的にはリハとは見えなくとも,われわれ日夜努力している者はそれをリハであると信じられる理念と学問を重症心身障害児のために,これに携わる人々の創意と努力で,何等かの形で生み出したいと願うものである.

  • 文献概要を表示

 小池 本日の座談会のテーマは,「重症心身障害児とリハビリテーションの接点」ということでございまして,たいへんむずかしいテーマではないかと思うのですが,かつては,たとえば亡くなられました高木憲次先生は,重傷心身障害児のことを不治永患児とよんでおられまして,これは肢体不自由児施設の対象にはならない,リハビリテーションの対象とは厳密に区別すべきものである,保護収容の対象である,というようなお考えで,そういうような趣旨の論説を発表しておられ,そういうお考えの下にリハビリテーションを推進してこられたわけですが,このお考えはいまから数十年も前の発想だったと思うんですが,当時としてはきわめて卓見であったかと考えます.しかし,その後時代は移りまして,重症心身障害児施設というものも,最近になりまして,ご承知のように,たくさん全国各地にできるようになりまして,そこで多数の重症心身障害児が療育のサービスを受けるようになってきたというような実情がございます.そうして実際にやってみますと,必ずしも重症心身障害児は,全く寝たきりで少しも進歩しないものではないということもわかってまいりました.それから,一方において,リハビリテーションという概念も,時代とともに移り変わってきたような感もございます.かつては,リハビリテーションをやりますと,実社会に出て行けるようになる,するとその後は国家からリハビリテーション・サービスを受けた費用の何倍かのお金を,働いて税金の形で国に払い戻すということで,リハビリテーションというのは非常に割のいい事業である,元のとれる事業であるというようなことで,つまり,リハビリテーションというのは障害者を独立自活させて税金を国に払い戻す事業であるというような考えすらもあったわけでございます.それももちろん,リハビリテーションの重要な一面ではございますが,必ずしもリハビリテーションというのはそういうものばかりではない.たとえわずかな進歩であっても,たとえば日常生活動作が少しでも伸びれば,それはリハビリテーションといってもいいんじゃないかというようなことで,リハビリテーションの概念が広がってきた.とくに,最近施策が進展し,重度のものが表面に浮んでくるにつれてこうした傾向が出て来たように思われます.

<随想>

  • 文献概要を表示

 こんなむごいことってあるでしょうか.好きな人と一緒になり,2人だけの自由で楽しい生活から愛の証しのわが子の誕生.産まれ出るまでの期待と将来の夢を毎日のように語り合い,それまで気がつかなかった赤ちゃんの笑顔や親子づれに未来の自分達の姿を見ていたのでした.描いていた夢や希望は粉々になりました.産れた直後から赤ちゃんの唯一の生活力である哺乳力と泣き声がない……….今まで考えたこともない世界に踏みこんだのです.私は我儘で苦労なく過した20年間の見返りが,いっぺんに来たと思いました.

 これはただごとでないという不安にいつもとらわれ,病院めぐりが始まったのです.気持を話し合える人は誰もいませんでした.昼も夜もかぼそく泣きつづけ,乳を飲まず,私はタンスに寄りかかって1日の大半を授乳に費やしながら子の顔の上に涙を落していました.唯,今でも不思議なのは,毛深い子を見て,どうしてこんな子が産れたのだろう? 産まなければよかったという気持が全然なかったということです.きっと親になるということはそういうことなのだと思いますが…….

  • 文献概要を表示

 五体満足で生まれ,健康ですくすく成長していってくれること,これはどの親もが子供に持つ最小で最大の願いでしょう.ところがこの根本的な願いがかなえられなかった私どもは,重い障害を持った子の幸せを考える前にまず,生きる権利とはこのようなことだったのだろうかと親の立場で自問自答し,考え,悩み,苦しみました.それから5年の歳月を経てその苦しみをようやく乗り越えた時,改めてわが子の存在を素直に認め,現実として受け止め,障害のない普通の子と違いはかなりあっても人間性という点においては何ら違わないと確信できるようになった時,はじめて,遅々とした成長にも驚き,心から喜び,わが子の幸せについて真剣に考え,何とかして掴んでやらなければならないと考えられるようになりました.

 障害児にとっての幸せとは何でしょう.非常に難しい問題ですが,リハビリテーションの観点から考えた場合,「障害児の自立」がその1つに考えられると思います,重障児を持つ親がいつも考えることは,この子らが成長した時,どういう生活をしているだろうか,もちろん,経済面,国の政策の在り方,社会の理解等がより住み良い社会になっているかどうかということも心配ですが,それにも増して,一日中どんなことをして生活しているだろうか,楽しい幸せな生活を送っているかどうかということが一番心配なのです.食事,排尿,排便等の身辺の自立ができ,こういう子にも単純ながらも1つの作業ができ,それが少しでも社会復帰への道につながり,たとえそこまでは無理としても何らかの形で社会とのつながりが残るならば,私どもも本当に安心できるのです.そのためにも,障害の重い軽いにかかわらず,程度に応じた総合的リハビリテーションの必要性を痛感致します.私はわが子が障害児と分った時,わが子の将来を案じるとともに1つの夢を持ってきました.それは例えば,自分が編み物をしながらそばで娘にも一番簡単なこと(鎖編,細編等)を教えてやり,楽しく一緒に作業をすることです.コタツカバーのような大きくて四角のものしかできないかも知れません.でも,それが仕上った時の喜びはたとえようもないでしょう.ある時はほめ,ある時は叱り,仲良く根気強く編んでいる姿を想像し楽しんできました.しかし,編み物は頭と手を働かせるかなり高い知能を必要とする作業ということが分り,また,わが子の遅々とした成長を見その夢は本当の夢で終わりそうだということも分ってきて残念な気も致しますが,でも,何もできそうにもない社会から見離されがちなこの子らにも,適切な教育と訓練により持っている能力を最大限に伸ばし,得意とすることを,たとえどんな小さなことでも良いから見つけ出してやって,普通の人ならば一日でできることを一生かかってでも成し遂げられるような何かがあるのではないでしょうか.そうすることが少しでも幸せな生活に通じると確信し,親としましても,できる限りの努力は惜しまないつもりです.社会の温い目で,障害児にもぜひ実りある生活を送らせてやりたいとつくづく思うのです.

  • 文献概要を表示

 ナホトカからソ連船にて2昼夜を過し,3日目の朝,かすかな島かげを見た.それはちょうど青天に絵筆でひとはけ,黒の一文字を引いたような媒煙の下,灰色のコークスの一塊のように浮ぶ日本本土の一角であった.

 過ぎる十数年前,初めての北米留学の途上,太平洋沖から雲一つない紺碧の空と海の間のみどりの浮島にみえたカナダ西海岸に接した時のあの清新さとはあまりにも対照的な島のイメージ,それが今回,学業を終えて2年ぶりに帰るわが母国への久々の対面の圧感であった.あの公害雲のもと,世界でもまれな過密人口をかかえ,人間が幾重にも重なり合うように喘ぎ走る日本,その内部に噴出する社会的問題はいかばかりかと,目前にせまってくる母国に対面しつつ,1億人口分の1の小さな存在ながら,日本の問題の重さを,「バイカル」のデッキに思った次第であった.

  • 文献概要を表示

 リハビリテーションにとって,障害者の身体的側面だけでなく,心理的・社会的側面が重要であることは誰でもが知っていることであり,しばしば強調されることであるが,その割には,障害者の心理やリハビリテーションにまつわる心理的な諸問題(その中には治療者側の心理も重要な部分を占めなければならないのだが)について,ハンドブック的に書かれた本がこれまでほとんどみられなかった.アメリカなどにくらべると日本の医学関係者(というより日本人全般)が心理学的素養に乏しく,本当の意味では人の心理には興味をもっていないことを示す現象であったかもしれないが,それはともかくとして,そのような中で本書が果すであろう役割には大きなものがあるように思われる.

 本書はユニークな本である.そのユニークさは著者自身が同時に精神科医であると共に四肢麻痺であり,リハビリテーションのいわば裏も表も知りぬいていることと無縁ではない.序論として「体験」という一章がおかれ,四肢麻痺者としてリハビテリーションを(しかも外国で)受けた(心理的な)体験が淡々と,しかし,深い自己分析とともに語られ,読者を一気に,障害者の立場にひきこませて,共にその地平に立つような心地にさせる,まさに心僧い導入である.続く総論の中心が「障害者とその環境」であることもユニークであって,障害者のフィジカルな(身体的な,また物理環境的な)条件とそれを変える可能性が語られ,障害者の心理をその環境の中でとらえようとする姿勢が示されている.各論は診断,治療,障害別考察に分かれ,豊富な文献の引用と著者自身の症例をもとに縦横に論がすすめられている.本書はリハビリテーションに携わる多くの人々に役立つであろう.

  • 文献概要を表示

 まえがき

 最近,骨折患者に種々の免荷装具や免荷歩行用ギプスなどを用いて受傷後,早期から荷重を許す方法が広く行われつつあるようである.これらの場合,骨折治療のプログラムの中にすでにこういった装具療法が組みいれられていて,装具療法をfirst choiceとしているものも散見される1,2,4,5).一方,交通事故,労働災害の複雑化のために,治癒に長期を要する骨折が増えている.また,不適当な治療手技のため難治の偽関節形成をおこし治療期間が長期にわたるものも数多くみられる.私どもはこのような問題のある患者でとくに中年以後のものに心理的回復感をもたらし,また松葉杖なしに歩行できることで両手を解放し,ADLの一層の改善をはかり,以後のリハビリテーションをスムーズに行うことのできる早期歩行可能なギプス療法を行って良好な成績をえたので報告したい.

  • 文献概要を表示

 序

 脳卒中などの片麻痒の患手は,たんに指の使用訓練をくり返してもつまみが可能なレベルには達しないことが少なくない.このような手は手関節の機能もまた不良であることが気付かれる.脳損傷の患者における指の機能の再獲得は,手関節に大きな関心を払うことなしには不可能なのかもしれない.

 この研究は,以上のような点に端を発している.片麻痺患手において,手関節機能と把握・つまみ系機能との間にどの程度の関連があるかをみること,前者によって後者の予測が可能であるかを知ることが目的であった.また,もしこの2者の関連が強いのなら,つまめるようになるには少なくともどの程度の手関節機能を目標にすべきかを知りたいと考えた.このような問に直接に答えている文献は見あたらなかった.しかし,指と手関節が密接な関係にあることははやくから指摘されている.Duchenne(1866)1),Beevor(1903)2),White(1960)3),McFarland et al.(1962)4),Kaplan(1966)5),Kapandji6)は,指筋と手関節筋間のsynergismについて述べ,1(1970)7),Randonjic et al.(1971)8)は,指の運動時に指関節には付着しない前腕筋に筋活動が見られたと報告している.太田(1958)9),原(1960)10)は,手関節の肢位によって指筋の作用に変化が生ずることを報告した.手関節の肢位によって手指動作の効率が異なることについては,上田ら(1964)11),Kaplan(1965)12),Flatt(1968)13).Boyes(1970)14),Kraft et al(1972)15)の記載がある.

講座

心理テスト(2) 中司 利一
  • 文献概要を表示

 心理テストはどのような場合に使用するか

 問題の発見,究明,治療効果の判定

 教育心理学や臨床心理学では,心理的問題はしばしば事例研究とよばれる次のような過程を経て解決される.リハビリテーションにおいても恐らく同じような方法がとられるはずである.

  • 文献概要を表示

 柏木教授はどんな方ですかと尋ねられたら「非常に視野が広く進歩的でしかも心の温い人である」と答えている.元来兵庫県の名門の出身で,九大神中教授の下で整形外科を学び,鳥取大学教授から神戸大学に移られてすでに20年を過ぎた.その間,常に海外との連絡をとり,多くのよき門下生を育成された.その中には何人かのリハビリテーション医学に秀れた人がいる.この人々が兵庫県の各地によきリハビリテーションの拠点を造られた.全国的に眺めても兵庫県のリハビリテーションの水準は高い.今年の学会でも教室員,同窓会の皆様が一致団結して計画を立て準備をしてこられたので,素晴しい学会になることを信じている.リハビリテーション医学は華やかな治療医学の陰に隠れてしまい易いが,柏木会長の温い心で導いて頂きたい.本学会も第12回を迎えているのである.

  • 文献概要を表示

 書名の通り装具その他の書である,いささか旧いのが気になるが一読の価値のあるものとしておすすめする,S.Lichtの編集によるリハビリテーション医学叢書の第9巻である.分担執筆の形をとっている.はじめに,Hinesの装具総論の原則が述べられている.電動装具にまでふれている.述べているのはあくまでBraceなどは能動的にダイナミックに製作され装着に関しても患者のモチベーションをたかめることを強調している.駆幹装具にしても数多くの型式が紹介され簡単ではあるが鳥瞰することができる.次にSmithらが装具療法のメカニックを述べている.他の書にみない興味ある考え方が展開されている.長下肢装具については膝関節における下腿の回旋も十分考慮した装具が望ましいが,この点も力学的に述べられ稗益するところ大きい.第3章はBenderによる外力駆動と制御の問題が採り上げられている.私どもも従来より電動義肢の開発研究を推進してきたが当初参考になるところ大きく導入すべき外力の特性などが要領よくまとめられている.次はRosenbergによる装具の金属についてである.次の章にはO'Flahertyによる皮材料の問題が,更にHamptonによりゴム材の問題がとりあげられ,私どもが日常装具屋さんにまかせきりにする材料について基礎的知識をえることができる.さらにLichtが装具の製作についてその組み立て方などについての原則を要領よく述べられている.第9章以下は各論ともいうべきもので新しい装具は特に述べられていないが広くしらしめるという点に重点をおいて論述されている.すなわち,第9章はCrabbeにより頸部の装具,Longによる上肢装具について述べられている.とくに手,手指の装具については詳述され,他の書にみない気をくばった書き方をして納得させてくれる.写真付図がないのが残念ではあるが,図のイラストで十分理解できる.外力駆動装具も刊行の時点までに開発されたものが広く採り入れられている.次にDeaverによる下肢装具これは一寸残念ながら少し簡単すぎる.もっと広い問題を採り上げてほしいと思われるが,アラインメントの悪さがいかに影響するかを強調している点は見逃せない.次は脊柱装具でLugasの筆になるが,これも少し簡単に述べられている点が少なくない.しかし,椎間板に与える影響などは詳述され注意を改めて喚起させてくれる.Bountの側彎症に対するブレイシングは力作であると考えられ,よく理解できる.さらにHarrisがリウマチに対するブラスタースプリントにつき述べこれも興味がある.プラスチック材などのめざましい発達によりキャストがとり残される傾向にあるが,採用してよいキャストスプリントを教えてくれる.次はGuckerが弱化に対するブレイシングの原則を述べ,どうして弱化を補填するかを示唆してくれる.Callietの痙性に対する装具療法について述べているが例の同じ著者の“痛み”シリーズで述べている域を脱しないのは惜しい.さらにDr. に必要なCrabbeによる装具の外科的手術への応用という一章は他に類をみないが簡単でありもう少し述べてほしい点である.次に本書の最も特異なZamoskyによる靴の問題,さらにKiteによる小児靴の問題がある.本邦書,また外国書でも,この問題は靴屋まかせということになっているが,この問題を詳述してくれている80頁位がこのためにさかれているが実によく理解でき,靴の大家になったような気をいだかしてくれる.さらに以下はDeaverの杖,ウォーカーの章があり,Kamenetzによる車椅子の問題が次にとり上げられている.これらは類書に述べられている域にとどまるが,知識を確める意味での一読の価値はある.以下は装具,補助装置などに属するものであり,Peszcznskiによる障害者のハウジング,Redfordによるベッド,テーブルなどが述べられている.これらもリハビリテーション関係者としての基礎的な概念を供給してくれる.さらにレスピレターこの問題は他の類書に述べられることが少ないのであるが,Dailの記述はまことに稗益するところ大きいものと考えられる.最後にBrownによる衣服,Hopkinsによる自助・介助具,Talbotによる自動車の問題も見逃せない.独特な工夫などが紹介され,障害者の「車」への要求が高まりつつある現在,一読の価値がある.

 以上が本書の概観である.同類の書が多く出版されてはいるが,筆者(私)の強調した点を“つっこんで考えてみたい”という読者に一読をおすすめする.

一頁講座 トランスデューサーの各種・5

差動トランス(Ⅰ) 土屋 和夫
  • 文献概要を表示

 A.原理

 変圧器の一種.図1に示すごとく,移動できる鉄心(コア)と1次コイル及び2組の等しい巻線数をもつ2次コイルからなる.入力端子1-1′に交流を加えると,0-2及び0-2′端子に誘導起電力ES1及びES2が得られる.両2次コイルの極性が逆向きに直列接続してあるから,出力端子2-2′には両電圧の差ES1-ES2が表われるので差動トランスと呼ぶ.

 コアが両2次コイルに対し対称の位置にあるときはES1=ES2となり,出力電圧E20となる.これを中心に上下にコアが移動すると,両2次コイルの結合係数が非対称になり,図2に示すような電圧変化が得られる.出力電圧E2は0から正方向,負方向に対し,良好な直線性を示すので,変位の検出装置として利用される.

--------------------

意見と声 磯田 孚

文献抄録

編集後記 荻島 秀男
  • 文献概要を表示

 重症心身障害者(児)のリハビリテーションには世界各国,いろいろと悩みを持っている.はたして先天的に運命づけられたものを対象にリハビリテーションという言葉を使うべきなのか,リハビリテーション的アプローチの面をとりあげてリハビリテーションと総称するのか論議をよんでいる,今月号ではその現状,考え方,今後の方向などが座談会,各論文で検討,討議されている.なるほどと思って考えさせられる材料は多々あり,それをどのように解決して行くかは,やはり国の方針がもっと明確にならなくてはどうしようもない現状が各所で指摘されている.たんに個人やある種の団体の善意や努力(職員も含めて)のみによりこれらの施設が支えられることには限度がある事が明白で,量,質ともに改善,改革が必要な時期に来ている.

 現場での経験を訴える佐藤論文には感激を覚えた.また重症児を持たれた親の御感想にも胸をうたれる.

基本情報

03869822.3.5.jpg
総合リハビリテーション
3巻5号 (1975年5月)
電子版ISSN:1882-1340 印刷版ISSN:0386-9822 医学書院

文献閲覧数ランキング(
4月12日~4月18日
)