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小池 本日の座談会のテーマは,「重症心身障害児とリハビリテーションの接点」ということでございまして,たいへんむずかしいテーマではないかと思うのですが,かつては,たとえば亡くなられました高木憲次先生は,重症心身障害児のことを不治永患児とよんでおられまして,これは肢体不自由児施設の対象にはならない,リハビリテーションの対象とは厳密に区別すべきものである,保護収容の対象である,というようなお考えで,そういうような趣旨の論説を発表しておられ,そういうお考えの下にリハビリテーションを推進してこられたわけですが,このお考えはいまから数十年も前の発想だったと思うんですが,当時としてはきわめて卓見であったかと考えます.しかし,その後時代は移りまして,重症心身障害児施設というものも,最近になりまして,ご承知のように,たくさん全国各地にできるようになりまして,そこで多数の重症心身障害児が療育のサービスを受けるようになってきたというような実情がございます.そうして実際にやってみますと,必ずしも重症心身障害児は,全く寝たきりで少しも進歩しないものではないということもわかってまいりました.それから,一方において,リハビリテーションという概念も,時代とともに移り変わってきたような感もございます.かつては,リハビリテーションをやりますと,実社会に出て行けるようになる,するとその後は国家からリハビリテーション・サービスを受けた費用の何倍かのお金を,働いて税金の形で国に払い戻すということで,リハビリテーションというのは非常に割のいい事業である,元のとれる事業であるというようなことで,つまり,リハビリテーションというのは障害者を独立自活させて税金を国に払い戻す事業であるというような考えすらもあったわけでございます.それももちろん,リハビリテーションの重要な一面ではございますが,必ずしもリハビリテーションというのはそういうものばかりではない.たとえわずかな進歩であっても,たとえば日常生活動作が少しでも伸びれば,それはリハビリテーションといってもいいんじゃないかというようなことで,リハビリテーションの概念が広がってきた.とくに,最近施策が進展し,重度のものが表面に浮んでくるにつれてこうした傾向が出て来たように思われます.
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