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五体満足で生まれ,健康ですくすく成長していってくれること,これはどの親もが子供に持つ最小で最大の願いでしょう.ところがこの根本的な願いがかなえられなかった私どもは,重い障害を持った子の幸せを考える前にまず,生きる権利とはこのようなことだったのだろうかと親の立場で自問自答し,考え,悩み,苦しみました.それから5年の歳月を経てその苦しみをようやく乗り越えた時,改めてわが子の存在を素直に認め,現実として受け止め,障害のない普通の子と違いはかなりあっても人間性という点においては何ら違わないと確信できるようになった時,はじめて,遅々とした成長にも驚き,心から喜び,わが子の幸せについて真剣に考え,何とかして掴んでやらなければならないと考えられるようになりました.
障害児にとっての幸せとは何でしょう.非常に難しい問題ですが,リハビリテーションの観点から考えた場合,「障害児の自立」がその1つに考えられると思います,重障児を持つ親がいつも考えることは,この子らが成長した時,どういう生活をしているだろうか,もちろん,経済面,国の政策の在り方,社会の理解等がより住み良い社会になっているかどうかということも心配ですが,それにも増して,一日中どんなことをして生活しているだろうか,楽しい幸せな生活を送っているかどうかということが一番心配なのです.食事,排尿,排便等の身辺の自立ができ,こういう子にも単純ながらも1つの作業ができ,それが少しでも社会復帰への道につながり,たとえそこまでは無理としても何らかの形で社会とのつながりが残るならば,私どもも本当に安心できるのです.そのためにも,障害の重い軽いにかかわらず,程度に応じた総合的リハビリテーションの必要性を痛感致します.私はわが子が障害児と分った時,わが子の将来を案じるとともに1つの夢を持ってきました.それは例えば,自分が編み物をしながらそばで娘にも一番簡単なこと(鎖編,細編等)を教えてやり,楽しく一緒に作業をすることです.コタツカバーのような大きくて四角のものしかできないかも知れません.でも,それが仕上った時の喜びはたとえようもないでしょう.ある時はほめ,ある時は叱り,仲良く根気強く編んでいる姿を想像し楽しんできました.しかし,編み物は頭と手を働かせるかなり高い知能を必要とする作業ということが分り,また,わが子の遅々とした成長を見その夢は本当の夢で終わりそうだということも分ってきて残念な気も致しますが,でも,何もできそうにもない社会から見離されがちなこの子らにも,適切な教育と訓練により持っている能力を最大限に伸ばし,得意とすることを,たとえどんな小さなことでも良いから見つけ出してやって,普通の人ならば一日でできることを一生かかってでも成し遂げられるような何かがあるのではないでしょうか.そうすることが少しでも幸せな生活に通じると確信し,親としましても,できる限りの努力は惜しまないつもりです.社会の温い目で,障害児にもぜひ実りある生活を送らせてやりたいとつくづく思うのです.
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