看護教育 7巻3号 (1966年3月)

グラビヤ

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 札幌市の中心地に,かねてから建設中であった札幌市立高等看護学院の新校舎が完成した。

 札幌市立高等看護学院は昭和40年4月に,札幌市厚生局所管の学院として新設され,開校と同時に建設工事をはじめ,昭和40年10月に完成をみたもの。この間,学生たちは,不自由な間借り生活を長く続けていたので,落成の喜びはひとしおであった。

教育のひろば

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 日夜看護教育にたずさわっておられる諸氏が既に十分ご存知のように,WHO憲章の前文中には,“informed opinion on the part of the public”が公衆衛生活動を進める上で,極めて重要なものであると述べています。

 これは,いろいろな公衆衛生計画が立てられるとき,一般住民の広汎な支援,理解,協力がなくては,到底成功が望めないという真理を語っているのでありますが,このことから,この計画を一般住民に周知,徹底させる衛生教育活動の必要が強調され,そのための教育技術,PR技術が諸種研究され,最近は極めて顕著な進歩を示しています。

特集 進学コースを考える

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 よく耳にする話だが,看護教育制度はいま曲り角にきた,ということについてである。まず曲り角なる言葉をしらべてみると,正道を歩いてきたが現在の時点ではその道が正道でなくなり,極端に方向を変更して,その曲り角から出発した新らしい道に向って出発することをいうのであるとかいてあった。であれば私は看護制度は曲り角にきているのではないと思うのである。つまり目標のはっきりしたところまで歩いてきて,これから,その目標に近づくべく登り坂に到達したと考えるのである。あと一息なのだ。言いかえれば看護婦養成機関に教育の主体性が抬頭してきたのである。主体性とは総合医療の中で患者中心の看護をどのように行なうかを目標とすることが看護教育の核心であって,つまり患者の直接看護から,リハビリテーションまでを含むものであって,それらの学問は看護婦自らの手で,研究し,理念を打ちたてることなのである。

 題材から内容を進学コースにしぼらなければならないが,看護教育そのものは如何なる段階であっても,この基本でなければならないことを述べて,その上で焦点を進学コースにあてたい。

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はじめに

 早いもので,この学院が開設されて8年余になり,昨年8月には7回生を送り出した。教育上の問題として第一にあげられることは,学院の母体となる実習施設が単科の療養所であるということ,そのために大方の実習を他の総合病院に依頼しなければならないという困難さがある。1回生は国立相模原病院に,2・3・4回生は武蔵野赤十字病院に,5・6回生は国立東京第一病院に,7回生は武蔵野赤十字病院にとそれぞれ事情があって実習病院が変ったが,昨年から武蔵野赤十字病院のご協力により,ずっと続けて実習させて頂けることになり,喜こんでいる。

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はじめに

 看護学生の教育にとって,実習のあり方がいかに大切な要素となっているかということは,直接教育にたずさわっている人はいうまでもなく,多くの人々の認めるところでありましょう。それは,教室で習った理論(医学,社会学,心理学その他)を直接患者に接する実習の中にとりいれ,さらにその中から,また,理論を生みだしてゆくところに看護学習の意義があるからだと思います。

 現在,准看を除く看護学校の多くは3年コースですが,進学コースも年々増加しつつあります。そこで私たちは歴史の浅い進学コースの教育をどのようにしたらよいかということを,真剣に考えてみる必要に迫られています。

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はじめに

 進学コースはご存知の通り,入学資格が,免許を得た後3年以上業務に従事している准看護婦または高等学校を卒業している准看護婦となっているため,入学してくる学生の過去の経験が非常にまちまちです。それは実務経験においても教育的な背景においてもいえるのではないかと思います。この点が3年コースと異った実習指導上の問題点となっています。それでは具体的にどんなところが現在私共の学院で問題になっているか,その解決の一端として私共で現在行なっていることをのべ,皆様方の御批判,御指導をあおぎたいと存じます。

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I まえがき

 二年課程の看護学生の取り扱いについては,各学校でそれぞれ苦心され,その成果を得られていることと思う。本学院においても,二年課程が併設されて満4年となった。二年,三年課程の学生が,札幌医科大学附属病院(約1,000床)で同時に臨床実習を行なっており,多くの問題をかかえている。そのような中で,従来の指導をふりかえって,今後の二年課程の指導が,どのようにあるべきかを考えた。

 本学院の二年課程の概要は,次のとおりである。

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週数・時間数の規定について

 夜間進学コース学生の臨床実習についてはほとんど例外なしに,実習自体とそれに関するいくつかの問題を持ちながらも,現実に即した方法で,既に実習に入っている学校もあり,またきたるべき実習の時期にそなえて色々検討中の学校も多い。この現状において特に問題となっていることは,指定規則に規定されている53週の実習週数と,週30時間以上という時間数についてである。

 なぜこの週数,時間数の規定が問題にされたか。

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I はじめに

 進学コース,特に働きながら学ぶという目的をもつ夜間コースは,昭和37年9月に,函館に開設されて以来,看護婦不足とあいまって,全国に大きく広がり,現在26校,今後も増設されると聞いているが,実際に保健婦,助産婦,看護婦法に定められた規定の運用,実習と学科との関連性,学生個々のもつ問題など,多くの問題を抱えて現在にいたっている。

 幸い昭和40年11月15日から11月27日まで10日間,厚生省主催の夜間進学コース専任教員講習会がもたれ,その教育にたずさわる者が現在直面している問題を出しあい,ぶつけあって問題解決の糸口をみつけ出すことができた。

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各校の特色

 山田(司会) きょうは,夜間進学課程をお持ちになっていらっしゃる学院の教務主任の先生方にお集まりいただき,夜間進学課程の実情と,将来のあり方と言いましょうか,諸問題につきまして,お話し合いをしていただきます。総合保健医療の中で果たす看護の役割りというものは,現在,いろいろの角度から論議されているわけですが,看護の本質というものを,私たちが打ち立てるためにも,教育というものは理想でなくてはいけないわけです。けれども,現実というものを離れては,それは夢に過ぎないと思います。現実というものをよくわきまえてその中で本質を考える,さらに,その上に看護の教育というものを真剣に考えていく必要があるのではないかと思います。37年9月から,北海道の函館厚生高等看護学院が発足いたしまして,今年の秋第1回の卒業生を出し,国家試験100%合格ということでした。進学課程の教育の効果として,うれしい評価だったと思いますね。その後学校がふえ,26校になっていますが,いろいろ問題がある中で,皆さん方も夜間進学課程における教務主任として,いろいろの苦労を持って当たっていらっしゃると思います。きょうは,実際についていらっやる皆さま方のご意見をたくさん出していただきまして,討議をいたしたいと思いますので,よろしくご協力お願いいたします。

 初めに,函館厚生の村田さんから,学校の特色などよりご紹介いただきたいと思います。

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 虎の門病院は開院以来やがて満8年を終ろうとしており,その間,看護体制は一貫して看護婦と助手の組合せは変らず,今日に至っている。今回はそのうちのメンバーである進学コース卒業生を受け入れるについて少しばかりのべてみよう。

 進学コースの卒業生が社会に送り出される時期は秋が多い。したがって当院においては春の採用者は3年コースの卒業者が40人前後,秋は進学コースの卒業者7-8名が病院に入って来ることになった。

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はじめに

 昭和29年に当時母校の病院に就業していた頃,国立のある療養所准看護学院卒業生が始めて採用される事になった。もともと准看制度ができた時,卒業まもない私たちは看護の質的低下を来たすものとして,大いに憤慨したものであったが,「どうしても採用とあらば業務区分を明確化し,ユニホーム,キャップも別にしてほしい」という意見を出した。その時,院長から「そんな小さい了見でどうするのか。よくても悪くてもすでにでき上った制度ではないか。それを立派に育て上げることが君たちの役割ではないか」と諭された時,全く返す言葉もなかったことを今でもはっきりと記憶している。

 それから4年ばかりたって准看護教育にたずさわるようになって以来5年。それでは准看として最高のものをという目標でできる限りの努力をしてきたが,ふり返ってみると残念なことに青年前期の情緒の不安定な,正しい物事の判断力,理解力も熟されていない背景では,所詮,患者のニードを把握して満足のいく総合的な看護は無理である,という結論しか生れてこない。准看として一体どこまでがその極限なのか。「准看は准看として学科は浅く実習を主としてやればそれでよいのだ」という意見もある。しかし現在の法律において医師または看護婦の指導のもとにあれば業務の区分ははっきりなされていないので,地方の中小病院ではすでに准看で主任業務を行なっている現実は想像以上に多いのである。

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 このテーマをいただいたとき,進学コースの教育に携わって7年目を迎えた私は,何かこのあたりでまとめてみたいという衝動に似たようなものを感じ,お引受けするという返事を出してしまった。しかし,この雑誌に以前にも3年コースとの比較のようなことを述べたり,また進学コースでの教育のあり方など,多少意見らしいことを述べたような気がする。すると今回のものも,前述のものと重複したり,あるいは,日を重ねてくると多少考えも変っているかもしれない。何かが書けそうな,何かを訴えたいような気持にかられて書き出したものの,さて書き出してみると,私の「のぞむ」ところは,テーマの准看護婦教育に対してではなく,その准看護婦教育に実務経験期間を加えたもの,つまり進学コースの教育開始の時の彼女たちに対して「のぞむ」ことかもしれないという気がしないでもない。

 しかし,この数年の実務経験は,准看護婦教育が基盤となり,その結果生まれたものであり,進学コースの教育は,この二つのものが基盤となってその上に積み重ねられなければならないという考えのもとに,やはりこのテーマのままで意見を述べさせていただくことをはじめにおことわりし,ご理解いただきたいとお願いする次第である。

進学コースに学んで

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 1年数か月の学生生活を過してきた現在,感じていることを述べてみたいと思います。

 まず講義に関してですが,専門教科ではよほどの新しい知識と,豊かな臨床経験を有した講師でなければ私たちの満足感は得られないということです。特に看護学では失望することが多くあります。

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 我が学院:本年で7年目を迎えた我が学院,在学数は1年25名,2年28名の計53名,教務室は長尾教務主任をはじめ専任教員2名事務職員1名とから構成されています。学校としては本当に小さなものですが,その反面小さいということから非常に家庭的でもあります。

 一人の不幸は皆で慰め合い,喜びもまた全員で分ち合いといった具合です。講義は朝8時30分より50分授業で午後の4時まで行なわれます。1年生の後半から実習も組み入れられ,時間的には大変切り詰められた日日を過していますが,これは現在どの進学コースの学生にも相通じる最大の悩みのようです。

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 名古屋にはじめて,夜間進学コースが設立されたのは昭和38年9月でした。ちょうど保健師法案云々と,盛んに論議されている最中で,不安な日々でしたが,人間は常に学ぶことの連続であるという自己の信念のもとに,再教育の必要性を認識し,高等看護学院に入学しました。早いもので,もう2年有余になります。

 かえりみますと,昼間は准看護婦として病院に勤務し,夜は学生として馴れない遠距離を通学し,疲れた体を教室に落付けると,つい居眠りが出たこともありました。また自由時間のほとんどない職場と学生のあわただしい生活の中には,幾多の困難があり,時には,欠席したくなったり,映画や,音楽へ逃避したいと,ささやかなレジスタンスを感じたこともありました。しかし,働きながら学んでいるからといって勤務にも勉強にも甘い考えでいては,どちらも中途半端で,いたずらに時を過すのみと反省もして,ようやく今日に至りましたが,初志を貫くには,苦しみにうち勝つ忍耐と共に勉学の意欲がなければとしみじみ思います。

余暇の利用 鈴木 千鶴子
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 自分を,否,人生をより地厚く美しいあやで織りなすためには,限りある時間をより効果的に自らの成長の糧となるよう生かすべきであると思います。

 昼間は看護学生として,夜は定時制高校生として,または大学へと通学する者,経済的面から考察すると,土曜の午後あるいは日曜日,祭日を利用し,都内または近くの病院へアルバイトに出かける者,生きかたはさまざま。従って各人によって余暇の活用の仕方には格差がある。このことは一部の人を対象としたにすぎませんが,このような中で自身をコントロールし,肉体的にも精神的にも安定した状態に置くには,相当の努力を要するものと思われますが,残されている僅かの時間を,上手に,フルに回転させている人たちを目のあたり見ております。一日の講議のノート整理をしたり,あるいは実習ノート,経験録の整理,復習,そして明日の準備だけに終る生活ではあまりにも潤いがなさすぎ,味気ない学生生活になってしまうでしょう。とかく実庭的雰囲気の欠けがちな寮生活においては,一日に最底一度まるく座を持っていろいろのことを語り合うという機会を持つことも大切になってくるのではないでしょうか。

連載 教育心理学講座・12(最終回)

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 教育間題を心理学的な見地から研究しようとするときには,生徒たちの反応を手掛りにしてなされる。生徒たちの反応はテストや調査や実験によってとらえられるのであるが,とらえられた反応そのままでは研究に利用できないことがおおい。それらを数量的に処理してはじめて,一定の傾向を発見することができるのである。

 もちろん,どんな資料でもすべて数量化しなくてはならないといっているのではない。まず,数量化するべきものと数量化するべきでないものとを正しく区別することが第一歩である。そして,数量化するべき資料については,正しい方法に従って適確に処理しなければならないことを強調したいのである。

教育トピック

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 日本の企業は自由化の波に洗われて,否応なくその体質を改善している。昨今の不況はそのための好機とみる人すらいる。とにかく合理化,近代化をいそいでいる。

 事情はかなり違っているが,われわれの職場である学校も,このような合理化,近代化の攻勢をうけて,かなりその姿を変えてきている。ことに学校経営という耳なれぬ,いささか借りものめいた言葉で表現される領域が,教育研究者の間でも,また現場の教師たちの間でも,少なからず注目されはじめていることはその具体的な変化を示す一例である。

基本情報

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看護教育
7巻3号 (1966年3月)
電子版ISSN:1882-1391 印刷版ISSN:0047-1895 医学書院

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