保健婦雑誌 40巻4号 (1984年4月)

特集 保健婦学生がインタビュー 先輩が語る戦後の活動の軌跡(1)—23道府県・25人の証言

北海道・東北

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 はじめに

 北海道十勝平野の南端に位置する大樹町は,現在人口約8,400人で酪農業を中心とした農村地帯である。この大樹町に昭和27年から今日まで30年間,住民の健康のために活動してきた先輩保健婦がいる。

 今回私達はこの先輩保健婦福原則子さんの30年間の歩みをともにふり返ってみる機会を得た。福原さんの着任当時は生活環境が悪く,乳児死亡率,結核罹患率などが非常に高かった。そのような中で,住民にどのように働きかけて大樹町の公衆衛生の向上に努めてきたかを,インタビューを通して知ることができた。

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 はじめに

 指導看護婦とか農村保健婦という名称で青森県の市町村保健婦の活動が始まってから,45年余りの歳月が流れた。県では,昭和40年に独自の派遣制を開始し,昭和46年から国のへき地対策として駐在制をとり入れ,住民に密着した活動ができるように努力してきた。

 老人保健法の施行に伴って,在宅老人の問題や成人病予防のための健康管理などが言われ,一方地域における住民のニーズも多様化し,複雑になってきている。そのため,これまで保健婦は住民のどのようなニーズに対して,どんな活動を展開してきたのか,保健婦の世代交代期を迎えている現在,市町村保健婦の活動の軌跡をふりかえり,活動をどのようにすすめていけばよいのかを方向づける機会をもつことが大切である。そこで,稲垣村で27年間,保健婦として歩んでこられた佐々木さださんを訪ねた。佐々木さんのお話から,私達なりに保健婦のあるべき姿を考え,これからの課題をとらえてみかったのである。

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 はじめに

 昭和12年,保健所法の制定により,行政の中に保健婦が設置されてから40数年になる。保健婦業務は社会情勢の変化・公衆衛生の発展を背景として変遷してきた。

 菅原トヨさんは昭和18年,保健所保健婦となり,戦中・戦後の物資不足・貧困の時代から現在に至るまでの36年間,保健活動の第一線で活動を続けてきた人である。

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 12月のどんよりとした空の下,私たちは渡辺さんにお会いするために,バスに揺られて山形市の北西に位置する山辺町へと向かった。バス停から10分ほど歩いた静かな所に渡辺さんのお宅がある。

 初対面でもあり,また長年保健婦活動に従事された大先輩からお話をうかがうということで,いくらか緊張しながら玄関を開けたところ,渡辺さんは包み込むような笑顔と明るく元気な声で迎え入れて下さった。

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 守谷町の概要 守谷町は,茨城県の西南部にあたり,東は取手市,西は水海道市,南は利根川をへだてて,千葉県野田市,柏市と接している。南に遠く富士の霊峰,北に筑波の紫峰が眺められ自然美豊かな町である。首都圏から50キロ以内にあるため,近年東京都のベッドタウン化が著しい地域である。現在は,人口1万6,000を超えて,なお増加の傾向にある。

 産業別就業者数を,昭和50年の国勢調査でみると,製造業が2,030人,農業が1,795人,卸売業が1,035人,サービス業が860人である。今後は,工場を誘致して,町全体を発展させていこうとする動きがみられている。

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 佐倉市内にある越川さん宅を,10月のよく晴れた日に訪れた。

 全く面識もなかったので,伺いたいことはたくさんあったのだが,何から質問したらよいか不安であった。けれどもお話を伺っていくうちに,越川姉の30数年間の保健婦生活で大事にされてきたことが伝わり,"あっ"という間に時が過ぎた。

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 はじめに

 私達は昨年6月"市町村における保健婦活動の実際を見学する"という,保健学科の授業の一環として,初めて愛川町を訪れました。毎年こうして愛川町を見学に訪れる理由は,この町が神奈川県内でも古くから健康づくりに活発で,熱心な町だったからです。その見学の際,現在の愛川町の積極的な衛生行政の陰に,今は第一線を退かれた小川静枝さんという保健婦の存在があったことを知らされました。

 今回原稿を依頼され,神奈川県で活躍されていた保健婦を1人選ぶことになり,私達はまず,この小川さんのことを思い浮かべました。神奈川県は早くから公衆衛生に力を注いでいたという土地柄,おそらく数多くの優れた保健婦の存在があったことと思われますが,私達が学生として公衆衛生を学ぶ中で,特に印象深かった方として,この小川さんにお話しを伺うことにしました。

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 はじめに

 秋も深くなった10月のある土曜日,期待に胸をはずませ,少々緊張気味にインタビューに臨んだ。インタビューは4時間にわたり,休みなしで続けられた。暖かく,穏やかに,また情熱をこめて語られるお話は,世代の違う私達にとっても,興味深いものであった。ここに,富田さんの歩んでこられた31年間の道程を紹介したいと思う。

 富田さんは,昭和49年新潟県上越市の保健衛生課の課長を最後に第一線を退かれ,現在新潟県の退職保健婦の会"灯々会"の会長,新潟県健康を守る婦人団体連絡協議会専門委員などの要職についておられる。昭和57年に灯々会より発刊された"新潟県保健婦事業開拓の歩み"の中に,富田さんは巻頭のことばとして,"私達が今遺そうとしているものは立派な新潟県保健婦の歴史ではない。その時代を県民の幸せのために,せいいっぱい辛棒づよく,優しく健気に頑張った保健婦の生きざまをありのまま伝えたい。そして,真実を伝えることで,次の世代へのささやかな遺産とすることができたら"と述べられている。この言葉のとおり,富田さん自身が住民の幸せのためにせいいっぱい頑張って,新潟県の保健婦事業を開拓されてきたのである。

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 インタビューで堀内さんのお宅に伺ったのは,寒い冬至の日であった。エプロン姿で私達を迎えて下さった姿からは,想像していたような保健婦としての堅さは見受けられず,むしろ一人のお母さんとしての優しい印象を受けた。その日は冬至ということもあり,手作りのパンプキンパンでもてなして下さった。「下宿生活では,かぼちゃも味わえないでしょうから。」という心づくしを大変うれしく思い,それらをいただきながらお話をうかがった。

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 おばあちゃん劇団藤枝をゆく

 "北は北海道から南は沖縄まで,広い日本列島の中で特に静岡県の皆様にお送りする,世代の断絶と老人問題をするどく追求した一大巨編……"昭和58年の春,藤枝市老人福祉センターで,"劇団ともしび"の公演が開かれました。約20分の小舞台劇ですが,嫁と姑のいがみ合いをユーモアたっぷりに描き,姑が脳卒中で寝たきりになることにより,2人の心がなごやかになっていく,という笑いと涙の物語です。

 この劇団の脚本家は,元藤枝市役所保健婦の大石さきさん68歳。保健婦と脚本家,どうにも関連のなさそうな組合わせですが,センスとユーモアにあふれた脚本は,元来持ち合わせた性質であると同時に,長い保健婦経験と,豊富な人間関係の中で形成されてきた才能により作られたものなのでしょう。

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 私達5人が家田さんのお宅を訪問したのは,11月26日の午後であった。初対面からにこやかに迎えて下さり,私達の遠慮のない質問にも快く応じて下さった。

 家田さんは,終戦まもなく保健婦となられ,看護活動の変遷の中を通り抜けて,32年間を地域での保健婦活動のために捧げてこられた先輩である。現在は定年退職をされ,息子さんご夫婦と一緒に幸わせな毎日をお過ごしの様子である。しかしまだまだ保健婦活動についてもきびしい目を向けられており,先輩として,今後もさまざまのご指導をお願いしたいと思っている。

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 はじめに

 公衆衛生看護は,施設外において人間を対象とし,健康時および健康が障害された時を含めて支援活動を行うものである。三浦さんは,昭和23年に保助看法が制定され,保健婦活動の基盤がまだ十分に確立されていない昭和25年に県の保健婦として就職された。それから33年間,月日の流れとともに社会情勢も大きく変化し保健婦活動にも大きな変化がみられた。

 三浦さんの保健婦として歩んでこられた33年間は,そのまま富山県の保健婦活動の歴史とも考えられる。この長年の体験によってつちかわれた三浦さんの保健婦業務に対する姿勢,職場での人間関係の重要性,仕事と家庭の両立の難かしさ,そして今後の保健婦のあり方などについて聞き,これからの私達の保健活動の糧にしたいと思う。

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 都市部での保健活動において 組織活動は極めて困難である という声はよく耳にする.一面では確かにそう言えるかもしれない.しかし 社会資源の豊かなことや交通事情のいいことなどを考えると 必ずしも都市は組織活動にとつて マイナス要因ばかりを抱えているわけではあるまい.むしろ 困難であるという声におびえて 取組を最初から放棄している傾向も少なくないのではないか.

 今月取り上げる実践は 都市近郊のニュータウンという 雲をつかむようなマンモス新興住宅地の中で 自治会とその婦人部の組織に注目して そこに根を張り その組織の活動の中に健康問題への取組を定着させていつたものである.地域へ働きかける糸口を見つけられずにいる人々にとつて この実践から学べることは多いのではないだろうか.

発言席

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 私が保健婦さんを身近に知るようになったのは,発達障害研究会という,行政機関内における障害児の現場職員の自主研究会を通じてでした。それまでは保健婦さんのイメージというと乳幼児の健診や狭い意味での地域での医療保健活動(在宅の老人・病人のケアや予防接種に代表される活動等)を思い描き,これほど仕事が多岐にわたっているとは考えておりませんでした。研究会のメンバーの多くの人が,障害児の問題に関して,「保健所に問い合わせてみようと思ったことがなかった。」という感想をもっていたのですから,私に限らず,まだまだ"保健婦さん"のイメージは医療(それも昔ながらの医療的側面のみ)に限定されているようです。ましてや,子育てに悩んだり,障害児をかかえて医療機関を点々としている一般家庭の主婦にとって,保健所はまだまだ自分から足を運びにくい所ではないでしょうか。最近は各保健所でさまざまな試み(○○相談等)をして下さっているようですが,もっと保健婦さんの活動内容の理解を広め,親しみやすい保健所のイメージづくりをしていただければと思うのです。

 現在私は,心身の"発達の遅れ"や,さまざまな"問題"をかかえたお子さんを,育成保育部門と各専門部門(医師,理学,言語,心理--発達検査及び母親カウンセリング)とでトータルにその子を援助していこうということを目的とした相談所に勤務しております。

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わかりやすく説得力がある

 我国の乳児死亡率は年々低下し1980年には世界で最低のスウェーデンに次ぐ第2位となった。人工栄養法も進歩し,経済的にも先進諸国の仲間入りをしている。このような情況下でなぜ母乳栄養の確立に熱心に努力する必要があるのか,母子保健関係者の中にも十分に納得していない人が少なくないようである。本書の著者も"日本語版へのことば"の中で,「女性が自分の子供を母乳で育てようとするとき,まず体験することは,多くの場合医師が適切な援助を与えることができないために……母乳哺育が困難となることである。……十分な知識を持った医療従事者の援助を受けて…」と述べている。

 著者LaurenceはRochester大学の小児科と産婦人科の準教授であり,彼女自身9人の子供を母乳で育てたとのことである。"はじめに"の中で,科学的データを最大限にして,逸話的な情報を最少限にするよう努力した。……目的は個々の母親と子供を取扱う上で必要な実際的な情報を提供することである」と述べている。

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 はじめに

 1983年の2月号から連載してきたこのシリーズ1〜7)では,保健活動を《活動の場》の視点で捉える考え方について,いくつかの側面から解説してきました。この連載によって,《活動の場》の視点がどういうものか,また,この視点をもとにしてどのように《活動上の問題》の解決,改善を図ったらよいか,についての理解がしやすくなったのではないかと思います。ただ,そうは言っても,このような《場的視点》が,心理的な共有空間という,今まであまり考えたこともないようなこと,しかも目には見えにくいこと,に注目しているだけに,なかなか発想の転換がしにくいのも事実です。それに,これまでのこの連載が,もっぱら保健活動だけに目を向けてきたこともあり,《場的視点》の見方や考え方が,対人サービス活動全般や人間行動一般という,広い分野でどのような意味をもつのか捉えにくくなっています。そのため,《場的視点》とは保健活動を考えるためだけの特別な考え方,という誤解を招きかねません。

 そこで,私たちPHC研究会のメンバーは,読者の皆さんに場的視点の理解を深めていただくためにはどうしたらよいか,いろいろと考えてきましたが,最近次のことに気づきました。

連載 たくましく生きるネパールの人々・5

人間の一生 馬場 新子
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 赤ん坊

 生まれたままの格好で走り回る幼児の姿を街中で見かけるのは,決して珍しいことではない。日差しの強いネパールでは1歳から3,4歳ぐらいまでの子供たちは,大概日中を丸裸ですごしている。だから排泄はいつでも,どこでも,催してくれば好きにやっている。排泄のしつけ等あるのかしらん?と首をかしげたくなる。

 第1<おむつ>なる物は存在しないし,いわゆるベビー衣料品は一般的にはないと言っていい。幅広のしっかりした木綿布が唯一の赤ちゃん用品なのだ。それは赤ん坊のおくるみや寝る時の掛け物になるし,虫おおいやおぶい紐にもなる。タオル代わりに頭部だけでなく,目・耳・口の周り,果てはウンチをした後のぬぐいもそれで済ませてしまう。これこそまさに,驚異の赤ちゃん万能品なのだ。

基本情報

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保健婦雑誌
40巻4号 (1984年4月)
電子版ISSN:2185-4041 印刷版ISSN:0047-1844 医学書院

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