特集 保健婦学生がインタビュー 先輩が語る戦後の活動の軌跡(1)—23道府県・25人の証言
関東甲信越
時代の先を読む眼の確かさ—富田テル子さん(新潟県)
高橋 明子
1
,
高橋 佐喜子
1
,
新田 雅子
1
1新潟県公衆衛生看護学校
pp.284-287
発行日 1984年4月10日
Published Date 1984/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206817
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はじめに
秋も深くなった10月のある土曜日,期待に胸をはずませ,少々緊張気味にインタビューに臨んだ。インタビューは4時間にわたり,休みなしで続けられた。暖かく,穏やかに,また情熱をこめて語られるお話は,世代の違う私達にとっても,興味深いものであった。ここに,富田さんの歩んでこられた31年間の道程を紹介したいと思う。
富田さんは,昭和49年新潟県上越市の保健衛生課の課長を最後に第一線を退かれ,現在新潟県の退職保健婦の会"灯々会"の会長,新潟県健康を守る婦人団体連絡協議会専門委員などの要職についておられる。昭和57年に灯々会より発刊された"新潟県保健婦事業開拓の歩み"の中に,富田さんは巻頭のことばとして,"私達が今遺そうとしているものは立派な新潟県保健婦の歴史ではない。その時代を県民の幸せのために,せいいっぱい辛棒づよく,優しく健気に頑張った保健婦の生きざまをありのまま伝えたい。そして,真実を伝えることで,次の世代へのささやかな遺産とすることができたら"と述べられている。この言葉のとおり,富田さん自身が住民の幸せのためにせいいっぱい頑張って,新潟県の保健婦事業を開拓されてきたのである。
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