助産婦雑誌 18巻4号 (1964年4月)

母性保健特集講座 分娩介助

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I.はじめに

 病院分娩介助の目的は,(1)院内感染の防止につとめる.(2)科学的管理によって,いかなる異常にも母子の生命安全を守る.(3)産婦の信頼にこたえ,よい人間関係の育成をはかる.(4)母子保健向上への役割を果たす.

 分娩の管理は,昔も今も,多くの助産婦が介助にあたって研究しているところであるが,現今,施設分娩が急増するおり,病院産科としても果たすべき使命は大きく,内容の充実がすすめられている.その病院における分娩環境と介助に焦点をあててみよう.

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 人工衛星が飛ぶ文明の今日においても,妊娠分娩の生理現象は昔と少しも変わっておりませんし,また今後もおそらく変わることがないでしょう.そして妊娠すれば,誰しも胎内の新しい生命に深い喜びを感じ,指折り数えながら生まれいずる日を待つのであります.しかし産むということは,決してたやすいものではなく,そこに一抹の不安を覚えるのは,むしろ当然でありましょう.お産をするまでには,難産でなければいい,健康児であってほしい,五体完全であってほしいという願いをこめているのに相違ありません.特に文化の開けなかった昔は,そういう気持ちが強かったのですが,その点今日のお母さんたちはずいぶん恵まれており,ほとんど不安を覚えることなく,出産することができます.特に経験の深い助産婦が持つ分娩介助は,非常な進歩が見られ,正規産ならまったく安心して出産することができるようになりました.

 この頃病院または医院での分娩が多く見られるようになりましたが,病医院の分娩はいろんな病人をまじえた場所であるだけに,病気感染という心配があるのであります.私たちの助産所は健康な妊婦さんを扱うだけでありますので,病気感染の機会はまったくなく,そのへんは何ら心配がないことは何より心強いことで,妊婦も落ち着いた気持ちで安心して分娩することができるばかりでなく,極めて家庭的な雰囲気にひたりながら分娩できるということは,いっそう安産に導くことになるのであります.

自宅における分娩介助 間宮 うら
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自宅分娩の現状と施設分娩との相違点

 近年大都市においては自宅分娩をするものはほとんどなく,年を経るにしたがって施設分娩が増加している.しかし地方においては,まだまだ大半を占めている.地方でも人手の問題からぼつぼつ施設分娩を希望するものがふえつつある傾向である.

 大都市においては住居の問題,人手の問題から必然的に施設分娩を希望するのが当たりまえであると考える.

分娩経過の観察と記録 官川 統
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はしがき

 産科学の進歩によって母体死亡,そして新生児仮死,死亡も近年少しずつ減少して来ているのは特記すべきものといえよう.この原因の一つとして分娩経過の観察がいわゆる"勘"から脱皮し誰でも容易に理解,応用し得るスタイルに移行したことがあげられよう.そして,そのスタイルも繁雑な文章の羅列から要点を集約し短時間に,かつ万人に了解されるものとなりつつある.一方その分娩経過観察の記録は,その時の分娩経験のみでなく,将来の産科学進歩の大切な資料ともなっている.観察と記録について,最近の傾向を以下述べ,重要な問題点について解説するのを目的とする.

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 哺育会病院(東京都台東区浅草吉野町3の7,院長,水谷佐)は,東京の下町の,ゴミゴミした一角に,お世辞にも美しいとはいえない建てものを横たえている。ところがこの病院には東京をはじめとして,関東一円から妊産婦が集まってくる。それというのは,妊産婦死亡率ゼロという実績がものを言ってのこと。「労を惜しまず,医学の原則に徹する」という水谷院長の信念のもとに,医師と助産婦のチーム・ワークがみごとに実行されている。ベット数は32床,助産婦7人,看護婦7人,そのほかに看護助手が8人いる。ここでは,妊産婦指導を徹底し,生まれた赤ちゃんは,ただちに小児科に移され,精密な診察と検査が施される。さらに出産後は無料で赤ちゃんの健康診断に応じている。お産の失敗は二度目に多い。というのは,初産は診察を欠かさず用心するが,二度目には一種の安心感から,それを省略することが多いからだ,と水谷院長は警告する。妊産婦は,いわゆる病人ではない。だから,「第一に誠実,第二に真の意味の親切,そして第三に能率的な診断・治療・指導をすすめてゆきたい」とも語る。しかし,何よりも大切なことは,各自がつねに勉強することだという。助産婦はみんな陽気だ。そして,妊産婦やその家族の中に自然にとけこんでいる。妊産婦の瞳は,信頼と安心の明るい希望に満ちている。

巻頭随想

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 ○夫人は,先日,二度目の出産を無事すませた教え子のひとりであるが,先日,研究室へきた時,面白い話をしていった.「先生,私,考えてしまいました」「どうしたの?」「新生児って,眠ってばかりいると思ったら,随分よく泣くんですね」「あら,あなた二度目じゃないの,今ごろ新発見みたいに……」「ところが先生,新発見ばかりなんです」という○夫人の話は,——最初の子どもの時はある大病院でお産をした.もちろん,設備万端ととのっていて,生まれた子どもはすぐ新生児室へ,そこで医師,看護婦の手で万全の管理がなされ,授乳の時だけ母親の室につれてこられた.だから,二週間の入院中,母親は,赤ん坊の一日の生活ぶり,その目ざめと眠りの交替状況や行動について,ややつんぼ桟敷におかれていたようなもので,帰宅後はじめて24時間の行動に接したわけである.そこでこの若い母親を戸惑いさせたことは,赤ん坊がちょっとした行動の変化をみせたり,意味もなく泣くように見えたりした時,一体これはどういうことかを判断する手がかりが,育児書にかかれた模範的赤ん坊の行状以外にはないことであった.それで,それとはちがうように見える行動の一つ一つが,病院から自宅へという生活の変化からくるのか,自然の赤ん坊の調節的作用なのか,この子が特殊なのか,何か処置を必要とする問題があるのか,見当がつかずに不安になったし,自分の態度に安定性がもてずに困ったというのである.

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有床助産所の実態・2 伊藤 隆子
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5.往診分娩の取り扱いの有無

 有床助産所において往診分娩を取り扱っているか否かを調べた結果,第9表および第9図に示すような状況がみられた.

 全般的には往診分娩を取り扱っている施設が多くなっているが,公立では,施設内分娩の施設が多く74.5%に達している.しかし個人立では,9.4%のみであり,個人立の施設は収容定員も少なく,往診分娩を主としている施設が相当数あるものと思われる.

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助産婦の教育制度

(1)助産婦学校

 前にも述べたように制度がすべて融通性があるため,一律に述べにくいが,だいたい三通りのコースがある.すなわち18歳以後3年間の看護学校教育を終わって国家試験に合格した正規看護婦(State Registered Nurseとよぶ)はその後1年間,または2年間の看護教育後に国家試験を通った准看護婦(State Enrolled Nurse)は1年6か月.看護婦の資格も経験も無いものは2年間,それぞれ助産婦教育を受けなければならない.最近看護学校教育期間中にくわしい産科教育をとくに受けたものについて,上記の1年を10か月に短縮できる制度が発足した.以上のように期間は日本の場合と似ているが,大きな相違としては,上記のコースが第1部と第2部にわかれ,それぞれのあとに国家試験がある.第2部はつねに6か月なので学生の資格によって第1部は4か月〜18か月と変化する.第1部の国家試験をパスしないと第2部には入れない.国家試験の合格率は1961年に第1部が約80%,第2部が約90%である.英国全体に助産婦学校は約240,ただし後述のように2つにわかれ,学生数も4〜5人の所(第2部)がある.学生数は第1部が約3,000名,第2部が約1,800名である.国家試験は3回不合格だと受験資格を失う.また前述のHealth Visitorになるためには第1部の国家試験をパスせねばならない.

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 諸姉は諸姉が介助された新生児が吐乳するのにしばしば遭遇されるであろう.この吐乳にはご存知のように,病的なものと,そうでない生理的なものとがある.生後3目以内に分娩経過中に嚥下した,羊水とか血液や,胃液様の淡黄色の液体を吐くことがある.これは生理的で,日大の馬場教授は初期嘔吐と命名している.

 従来新生児の生理的嘔吐は,新生児の胃の長軸が,ほぼ垂直であり,噴門の括約筋の力も弱いために起こりやすいといわれていた.しかし私どもがレントゲンで検索した結果では,被検児の体位によってちがうが,胃の形は多様で,立位の場合でも垂直ということはなく,溢乳,吐乳を訴える新生児では,食道の弛緩,拡張が認められるのが多かったのである.

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I.はじめに

 1963年5月,母子保健指導グループとして私たち5名のゼミナールは開始された.

 その時の研究テーマは,現在母子保健指導機関の連帯性がはなはだ薄く,系統的な母子保健指導がなされていないのではないかと考え,それらに関連性をもたせ,より充実した保健指導がなされるためには,いかにしたらよいかということであった.しかしこの広大な問題は,私たちの短い研究期間では無理である.そこで今回の研究では,母体の健康の保持,増進および健全な児の出生とその適切な保護育成を目的とする母性保健指導の一環として重要な位置を占める母親学級について着眼した.

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はじめに

 母子衛生の普及とともに,近年とみに施設分娩が増加の一途をたどっておりますが,一方では不足がちな勤務者の中で少しでもよりよく安全な看護をするためには,どうしたらよいかという大きな問題もありますので,その看護面の工夫改良の一助にでもなればと思い,当産科においておこなわれている看護を分娩時間,出血量,分娩数などを中心に,昭和37年度の分娩について調査し,再検討をして,今後の看護に最良の方法を求める意図で取り上げてみました.

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11月8日金くもり

 予定でいけば,きょうは赤ちゃん誕生の日である.だが,すっかり落ち着いた赤ちゃんは,ゆったりとしたあたたかいおなかから出ようともしない(切迫早産で9か月の時入院).できるだけ動けばよいというので,畑の草をむしる.もうじきお兄ちゃんになる幸稔君と遊ぶ.雑布もふだんよりていねいにかける.ゆらゆら揺れるおなかの赤ちゃんは,日ごろ満員電車で訓練されているので,ビクともしない.

 主人がいつもより早く帰宅"おいどうだ""まだか"早く帰るのでなかったというような顔をしてどっかとすわり,新聞をひろげた.

インターホン

あしたへのあゆみ 中津川 イク子
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 春のきざしが窓辺にほのかに感じられる今日このごろ,ここ東京・浅草の一隅の私たちの病院も,朝のしじまを破って,きのうに続くきょうの活動が開始されます.深夜勤さん御苦労さん.引き継ぎ事項もすべて終えて,責任を果たした安堵と疲労感をまじえた夜勤者の顔も,やっとほころんで思い思いに宿舎に退けて参ります.夜勤者はみんな昼に倍する過労もよく克服して,規則的に回って来る4日間の夜勤に懸命です.私は毎朝必然的に勤務表に目を通しながら,きょうのスケジュールをざっと想定いたします.産科,婦人科,小児科,内科,外科の外来と前記各科の入院患者および未熟児センターでもありますので,小病院ながらも,いちおう各科に通ずる看護婦が病院の特質上必要になってまいります.

 人員構成も助産婦,看護婦,看護助手とで成り立ちますが,各勤務者がそれぞれの分野において,最大限に能力を発揮できるよう常に考慮しておりますが,何分忙しい毎日なので,思うようにならず残念です.

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 20畳のガランとしたお部屋,みんな思い思いに何かをしている.こんな生活とも,もうお別れである.随分いろいろのことがあったっけ….

 私たち助産婦学生は9名である.看護学院の時と違って,年齢層が幅広く,教えられることも,数多くありました.4月に入学してから約10か月,最初長く感じられた1日1日が,分娩実習も終わり卒業も間近に迫ってくると,過ぎ去っていく月日がたまらなく寂しく感じられます.

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 看護が患者中心の看護,つまり患者を全人格的にとらえ看護しようとする動きがあるように,医学も人間を単なる診断・治療でなく「病める人間」としてとらえようとする動きが顕著になってきています.

 《心療内科》というと,ひどく耳新しく,特異な印象をうけますが,これは心身の治療つまり病気というものを,肉体と精神の相関としてとらえようという主張です.

現代のカルテ

泥沼の南ベトナム 野口 肇
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 南ベトナムの激動ぶりは,こんごどうなるか皆目わからないだけでなく,きょうあすの運命さえ予想できません.

 ご承知のように,専制独裁者ゴ・ジェンジェムと弟のゴ・ジェンヌーが軍部のクーデターで殺されたのが昨年の11月.当時ジェンヌー夫人が,陰の工作をやったアメリカにノロイの怒号を吐いたのは有名です.やがて彼女は三人の子どものいるパリに亡命した.そして性懲りもなく語りました——つぎの世に生れてくるなら,もっと大きな権力をもつのだっ,と.いちど権力のおもしろさに酔ったゴウマンな婦人の告白です.

奇形児の問題・5

人命の尊重 大島 正雄
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1.明るいニュース

 昨年4月,フィンランドのスラマー教授が招かれて,アザラシ奇形の整形手術を行ない,手術を受けた児の経過も極めてよい成績を示しているとの報道は明るいニュースでまことに喜ばしいことであります.

 この手術は,鎖骨を外して上膊骨の代用をさせるのですが,鎖骨を外すことによって外方に張り出た両腕が内方に向かい,見た形もよくなるとのことです.しかし,この明るいニュースも,全部に行きわたるものではなく,この手術の条件に適った場合に限られています.たとえば,下肢の奇形については何の力も及びませんが,これをきっかけに,いろいろ整形手術の方法が工夫されることになれば,スラマー教授の手術も意義深いものですし,またそうならなければならぬものと思います.

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 今年の日本看護協会総会スケジュールがきまった.

カレンダー解説

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 1841年モンパリエの名門に生まれた彼は医師と画家を志望したが、後に画家一本に専念した.

 裕福であった彼は,後の大家,モネ,マネなど当時若い印象派の仲間たちの面倒をよくみた.彼も印象派の重要メンバーになるはずであったが.1870年の普仏戦争で若くして戦死した.

基本情報

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助産婦雑誌
18巻4号 (1964年4月)
電子版ISSN:2188-6180 印刷版ISSN:0047-1836 医学書院

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