生体の科学 67巻4号 (2016年8月)

特集 認知症・神経変性疾患の克服への挑戦

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 神経変性疾患は認知症の原因として最も頻度の高いものであり,また,脊髄,小脳,大脳基底核の機能障害による運動障害の主要な原因ともなっている。したがって,認知症・神経変性疾患の克服は同一の戦略で行われるべきものであろう。これらの疾患は病理学的記載から100年以上の歴史を持つものもあるが,いまだに根本治療が確立していない。例えば,パーキンソン病はドパミン合剤など一定の効果を持つ対症療法薬が存在するが,病態進行を抑止する病態修飾薬(根本治療法)はいまだ存在しない。また,筋萎縮性側索硬化症(ALS)に対して1990年代に細胞死を標的機序として,神経栄養因子によるヒト大規模臨床試験(PhaseⅢ)がわが国も含めて国際的に行われ,アルツハイマー病には2010年代からアミロイド凝集,あるいは産生を標的機序としてアミロイド抗体療法・γセクレターゼ阻害剤のヒト大規模臨床試験(PhaseⅢ)が行われたが,いずれも期待された効果が得られなかった。

 これらの敗北過程で明らかになった問題点は“失敗から学ぶ”貴重な教訓であるが,一般の研究者には意外なほど認識されていない。例えば,アルツハイマー病,パーキンソン病,ポリグルタミン病などでは,凝集タンパク質毒性仮説から可溶性(凝集前)タンパク質毒性仮説へとパラダイムシフトが起こり,アルツハイマー病においても巨大な凝集体である老人斑のみが毒性を持つとする古典的アミロイド仮説から,タウオパチーの発見を契機にアミロイド→タウへの相互関係,近年の可溶性アミロイドによるシナプス障害など,幾度となく仮説の改訂が行われている。これらの経緯から,プレクリニカル期,更には脳内凝集体の存在しない超早期(Phase 0)の病態解明と治療介入の必要性が考え始められている。また,プリオノイド仮説,タンパク質毒性に加えて存在するRNA毒性,あるいは前頭側頭葉変性症(FTLD)における凝集に代わるlow complexityタンパク質(天然変性タンパク質)集合体など,新たな概念も提唱されている。認知症・神経変性疾患を克服するためには,これまでの歴史を正しく認識し,新たな知見を取り入れ,更に,最新技術(網羅的技術,数理科学など)を取り入れた革新的病態解析と,得られた分子標的に対する根本治療法の開発が必要である。

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 厚生労働省の大規模研究によれば,2012年時点の65歳以上の認知症の有病率は15%であり,全国の認知症高齢者数は約462万人と推計された。また,認知症を発症する前段階とみられる軽度認知障害の高齢者も約400万人と推計され,これらを合わせた数字から“認知症800万人時代”とマスコミに大きく取り上げられるようになった。

 一方,どちらかというと患者数が少ない病気として扱われてきた神経変性疾患も,認知症の前駆状態であったり合併したりすることが広く認識されてきた。パーキンソン病でのちに認知症を発症したものは“認知症を伴うパーキンソン病”と呼ばれてきたが,その認知機能障害の症状や大脳の病理所見はレビー小体型認知症とほぼ同じであり,筋萎縮性側索硬化症と前頭側頭型認知症は同じ疾患スペクトラムに入ることがコンセンサスになってきた。また,アルツハイマー病,進行性核上性麻痺,大脳皮質基底核変性症などの疾患はタウが蓄積するという共通点がある。すなわち,common diseaseである認知症克服の戦略として,rare diseaseである神経変性疾患の治療法開発を行うことが有効と考えることができる。本特集ではそのような観点から,現在,神経変性疾患・認知症の治療法開発への第一線での取り組みを知ることができる。抗体療法,遺伝子治療,iPS創薬,iPS細胞移植と疾患修飾治療となり得る新規治療法の開発が進んでおり,これまではとても考えられなかったような治療が遠くない未来に実現する期待を感じさせる。

Ⅰ.従来の主要な臨床試験の結果と考察

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 人類の平均寿命の上昇により,わが国はいまや高齢化率21%を超える超高齢社会となった。加齢と共に罹患しやすくなる病気はがんや心疾患など枚挙に暇がないが,認知症はその代表例である。認知症に罹患すると,日常生活が困難となり,本人はもとよりその家族,社会の負担は甚大なものとなる。本稿では,認知症の中でも最も頻度の高いアルツハイマー病(Alzheimer's disease;AD)の根本的治療薬として注目されるアミロイド抗体療法について紹介する。

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 主に家族性アルツハイマー病(familial Alzheimer's disease;FAD)の遺伝学および生化学研究の成果から,アミロイドβタンパク質(amyloid-β peptide;Aβ)の産生にかかわる酵素γセクレターゼの阻害は発症機序に基づいた疾患修飾薬となることが期待されたが,第Ⅲ相治験において副作用のため中止された。本稿においては,γセクレターゼ活性制御による認知症治療・予防薬開発における最近の知見を述べる。

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 神経発生で神経栄養因子を神経変性疾患の治療に用いる試みは,1990年代に始まった。2000年代までには,insulin-like growth factor 1(IFG1),brain-derived neurotrophic factor(BDNF)など複数の神経栄養因子が筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis;ALS)の治療を目的としたヒト臨床試験PhaseⅢに至ったが,有効性はすべて否定された。この結果は,今後の神経変性疾患の治療戦略を考えるうえで多くの教訓を含んでいるが,それを理解するためには,神経栄養因子そのものの成り立ちを考えることも必要であろう。そこで本稿では,神経栄養因子とは何か(歴史),1990-2000年代の臨床試験の詳細,そして,それを踏まえた将来戦略について議論してみたい。

Ⅱ.分子標的治療の確立を目指して

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 主に生活環境や栄養状態の向上,医療技術の進歩による平均寿命の延伸に伴い,神経変性疾患の罹患数,死亡数は漸増しており(図1),加齢が発症リスク要因として重要になっている。ただ,同疾患においては発症予防や早期診断に有用な,罹患リスク,疾患スクリーニング検査が確立しておらず,根本治療がない現状である。しかし,タンパク質凝集体による疾患発症など原因究明が近づきつつある。本稿では筆者らが携わっているポリグルタミン病の研究成果を中心に,その進捗状況を紹介する。

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 アルツハイマー病(Alzheimer's disease;AD)ではアミロイドβ(amyloid β;Aβ)蓄積,神経原線維変化と呼ばれる神経細胞内でのリン酸化タウの蓄積が特徴的な病理像とされている。Aβ蓄積はアルツハイマー病に特異的に存在し,神経原線維変化はアルツハイマー病を含む前頭側頭葉認知症など多くの認知症で観察されタウオパチーと総称される。

 ADの根本治療薬としてAβ産生抑制,老人斑除去の治験が行われたが,老人斑が除去されても認知症進行を抑制できないことから,認知症発症のかなり前段階で治療を開始する予防薬(先制治療薬)としての開発が行われている。このことは,AβはADの発症要因ではあるが,認知症を引き起こす直接の原因ではなく,脳老化を加速する修飾因子として作用していることが示唆される。

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 神経変性疾患研究の長い歴史の上で,ここ20年の遺伝学的研究は,従来のタンパク質凝集仮説から,凝集前タンパク質による細胞機能障害のメカニズム探索へと,方向性の舵を切ることになった。数ある疾患に関する個々の研究は進んできたが,一方で疾患間の共通性にも注目が集まっている。本稿では,神経変性疾患の共通病態としてのDNA損傷修復不全について,筆者らが行ってきたオミックス解析の結果も紹介しながら議論したい。

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 iPS細胞(induced pluripotent stem cells)は,受精卵から作出されるES細胞(embryonic pluripotent stem cells)と同様に無限に増殖し,内・中・外の三胚葉それぞれの細胞へ分化することができる多能性幹細胞である。このような多能性幹細胞をヒト体細胞から作出することが可能となり1),創薬研究への応用が始まっている。本稿ではiPS細胞を用いた神経疾患研究の重要性を論じたのち,最近のトピックと今後の展望を述べたい。

Ⅲ.新たな技術開発によるチャレンジ

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 パーキンソン病は,無動・寡動,動作緩慢,静止時振戦,姿勢反射障害などの運動機能障害を主症状とし,神経変性疾患ではアルツハイマー病に次いで多い。人口の高齢化と共に増加しており,わが国では15万人以上が罹患していると推定されている。5-10%の症例ではα-シヌクレイン,LRRK2,Parkin,DJ-1などの遺伝子変異が同定されているが,大部分の症例は原因不明である。中核となる病理変化は黒質緻密部から線条体(被殻と尾状核)に投射するドパミン神経細胞の脱落で,線条体におけるドパミンの欠乏が運動症状の発現に関連している。病初期には血液脳関門を通過しにくいドパミンに代わりその前駆物質のL-dopaを服用すると著効するが,やがて神経変性が進行するとL-dopaの効果は減弱し,ウエアリングオフやオン・オフ現象と称される運動合併症が出現する。高用量のL-dopaの頻回投与が必要となり,血中濃度の変動に伴い不随意運動が認められるようになる。そのため,薬物に代わる治療法が求められている。

 パーキンソン病は,神経疾患の中でも遺伝子治療の研究が最も進んでいる。その理由としては,①視床下核の深部脳刺激,視床の凝固術などの定位脳手術が確立している,②胎児細胞移植の臨床研究が行われている,③選択的ドパミン神経毒により運動症状を呈する動物モデルが作製可能で前臨床試験が行いやすい,などが挙げられる。

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 筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis;ALS)は,運動ニューロンが進行性に変性・脱落する致死性の神経難病であり,根本治療法がまだない。筆者らは孤発性ALSに焦点を絞り,これまで研究を進め,AMPA受容体サブユニットであるGluA2の,Q/R部位のRNA編集異常が疾患の原因になることを突き止めた。この異常は,RNA編集酵素の発現低下により引き起こされるため,アデノ随伴ウイルス(adeno-associated virus;AAV)を用いてこのRNA編集酵素遺伝子を投与し,発現量を回復させる治療法を試みた。本稿では,ALSの遺伝子治療法の現状と筆者らが開発した遺伝子治療法について概説する。

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 認知症は,健やかな老後を脅かす大きな不安要因の一つである。2013年の厚生労働省の発表では,65歳以上の高齢者のうち認知症患者は15%に達するとされている。この大部分を占めるのがアルツハイマー病(Alzheimer's disease;AD)であるが,根本的治療薬の開発に難航している。本稿では,AD原因物質アミロイドβペプチド(amyloid β peptide;Aβ)の主要分解酵素ネプリライシンを用いた実験的遺伝子治療の研究成果について紹介する。

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 異常なタンパク質が脳に蓄積して発症する変性性認知症には,Aβ(amyloid β protein)とタウが蓄積するアルツハイマー病(Alzheimer's disease;AD),タウまたはTDP-43が蓄積する前頭側頭型認知症(frontotemporal dementia;FTD),αシヌクレインが蓄積するレビー小体型認知症などがある。これらタンパク質が脳内でオリゴマーを形成し,神経細胞の機能を障害することで病気が発症すると考えられている。認知症の中で最も研究が進んでいるのが,最も患者数の多いADである。ADでは,まずAβが凝集して脳に沈着(老人斑)し,次に過剰リン酸化されたタウが凝集して神経細胞内に蓄積(神経原線維変化,neurofibrillary tangle;NFT)したのち,神経細胞が死に始め,最後に認知症を発症する。老人斑が脳に現れ始めてから認知症を発症するまでに,実に20年以上の歳月がかかる。

 ADの原因はAβの凝集・沈着であるというアミロイド仮説に基づき,これまで多くのAβ標的薬が開発されてきた。しかし,今日に至るまで,有効性が確認され上市に至ったものはない。その原因は,投与時期が遅すぎることにあると考えられている。Aβを取り除くのなら,それは神経細胞が死に始める前でないと意味がない。これはすなわち,Aβ標的薬の役割は治療ではなく予防にあるということを意味する。

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 iPS(induced pluripotent stem)細胞の登場以来,iPS細胞を用いた再生医療が注目されている。細胞移植治療は,創薬研究と並ぶiPS細胞利用の柱である。筆者らはパーキンソン病をターゲットとしたiPS細胞を用いた細胞移植治療の臨床応用を目指しており,これまでの研究成果や今後の展望について述べたい。

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 筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis;ALS)は主に中年期以降に発症し,上位および下位運動ニューロンに選択的かつ系統的な障害を来す神経変性疾患である。経過は症例により異なるが,片側上肢の筋萎縮に始まり,反対側上肢,両下肢へ筋萎縮が進行して,その間に言語障害,嚥下困難などの球麻痺症状および呼吸筋麻痺が加わる経過をとることが多い。人工呼吸器による呼吸管理を行わないと,発症後2-5年で呼吸不全のために死亡に至ることが多く,ALSは神経疾患のなかで最も過酷な疾患とされる。有効な治療薬や治療法が限られており,早期に病因の解明とその成果に基づく基礎研究から臨床への橋渡し研究(トランスレーショナルリサーチ)による治療法の開発が求められている。筆者らはALSラットに対してヒト型リコンビナント肝細胞増殖因子(hepatocyte growth factor;HGF)タンパク質の髄腔内持続投与を行うことにより,明確な治療効果を確認した。更に,マーモセットおよびカニクイザルに対するHGFタンパク質の髄腔内持続投与による安全性(毒性),および薬物動態試験などの非臨床試験を行った。これらの結果に基づき,東北大学病院においてALS患者に対してファースト・イン・ヒューマン試験である第Ⅰ相試験を行い,髄腔内持続投与による安全性や薬物動態が確認された。まもなく有効性を確認すべく第Ⅱ相試験を開始する。

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 核酸医薬(oligonucleotide therapeutics)とは,天然型あるいは修飾型の核酸を基本骨格とし,直鎖状に結合したオリゴ核酸を利用した医薬品である。遺伝子治療薬との相違は,遺伝子治療薬が生物学的に製造された特定の遺伝子,または遺伝子を導入した細胞を投与することでタンパク質発現を介した疾患治療を目的としているのに対し,核酸医薬は化学合成により製造された核酸がタンパク質発現を介さず,特定の塩基配列やタンパク質を直接認識して作用することが特徴である。核酸医薬は従来の医薬品では標的にできなかったmRNAやmicroRNAなども標的とすることが可能であり,低分子医薬,抗体医薬に次ぐ新規の分子標的医薬として期待されている。

連載講座 生命科学を拓く新しい実験動物モデル-8

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 神経疾患は多種あり,メカニズムも多様で,本稿ではそのうちの神経変性疾患に関して,モデル生物である線虫を用いたアプローチを紹介したい。線虫という下等生物を用いて本当に疾患がわかるのか,という素朴な疑問をお持ちになる方もおいでだとは思うが,現時点で多くの線虫を実験に使っているアプローチを紹介して,どのような特徴があるのか,また,どのようなメリットやどのような限界があるのかをお伝えできれば幸いと考えている。

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 体温を一定に保つ内温動物には,外気温の変化に応じて体内の熱産生を制御する分子機構が備わっている。哺乳動物の熱産生に関しては,骨格筋あるいは褐色脂肪細胞組織の特定の細胞内小器官からの熱産生が提唱されたが,実際の体温変化への寄与を含めて不明瞭な点もあり,熱産生の定量的な議論はほとんど行えていない。その主な原因として,細胞内の熱産生を直接的に評価する方法の欠如が挙げられていた。最近になり,複数の細胞内温度センサーが開発され細胞内温度の計測例が増えつつある。また,細胞内温度の不均一性など新たな現象も見つかってきた。そのような状況下,巨視的かつ均一系に対してのみ適用可能な熱拡散式に立脚した場合,数℃の温度上昇を伴うほどの熱産生は細胞内では起こらないという報告がなされた。その一方で,細胞という環境を踏まえると十分に細胞内局所の温度変化は起こり得るという反論も報告された。そこで,本総説では,最近急速に進みつつある細胞内温度センサー開発の最近の研究例,および均一系での熱拡散式を用いた理論的な議論とその問題点について述べ,細胞内で起こり得る温度変化について論じたい。

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 今どきの〈愛想の良い本〉ではない。

 〈臨床研究をなぜやるか,どうやるか,ロジックは,統計処理は〉などを1cmの厚さにまとめてある。

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次号予告

あとがき 岡本 仁
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 編集者の二人は,今から30年以上も前の医学生時代に,公衆衛生学の実習の一環として,神経変性疾患の患者さんを在宅でケアされているお宅をご訪問し,ご家族の方々にインタビューをさせていただいた経験がある。当時ほとんどの神経変性疾患は,その原因もわからず,病気の進行に医学はなすすべがなく,ご家族の献身的なケアが唯一の救いに感じられた。本特集号では,編集にあたってくださった岡澤均先生と高橋良輔先生を含め,原稿を寄せてくださった先生方は,そのような絶望的な状況から,原因の究明と治療に向かって,たゆまず果敢に挑戦を続けてきた方々である。忙しい診療と治療の合間で,執筆の労をとってくださった先生方に,深く感謝いたします。

基本情報

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生体の科学
67巻4号 (2016年8月)
電子版ISSN:1883-5503 印刷版ISSN:0370-9531 金原一郎記念医学医療振興財団

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