看護教育 49巻7号 (2008年7月)

特集 精神「科」看護を教えるということ

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 「○○看護は○○科看護ではない」。これは,診療科別にとらえられる医学的枠組みに看護はとらわれない,という意味でよく使われた言葉です。ただ,現場の感覚からすると,100%合意するのには抵抗があるのではないでしょうか。現場においては,やはりその「科」独特の問題が存在するからです。そして,「精神科」は,なかでもその独特さが際立つ分野だと思います。

 “身体”と相対する言葉として“精神”をとらえるならば,「精神看護」と「精神科看護」は違うでしょう。けれども,その違いを身をもって知った教員は,実はそれほど多くはありません。今回は,「科」を意識した感覚の教育の重要性についてさまざまな視点から語っていただきます。

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はじめに

 精神看護が看護基礎教育のなかで確立されたのは,1997(平成9)年4月からである。それまでは成人看護の一分野としての扱いを受けてきた。このため,大学などでなければ,精神看護の専任教員は少数であった。現在では精神看護の専任教員は存在するが,精神看護の臨床経験がない教員も多い。精神看護が科目として独立した1996(平成8)年度のカリキュラム改正以後に,精神看護の専任教員となった方々のなかには,成人看護や基礎看護が専門だったので,精神科の経験はないという教員もいる。

 古い調査になるが,金城1)は「精神看護学担当教員は臨床経験が少なく,教育に困難を抱えながら,しかもサポートもなく試行錯誤している」という報告をし,精神看護学担当教員の認識している困難な問題の内,教員歴5年未満の教員の困難な内容として「教員が精神看護の臨床経験がないため,指導が難しい」ということを挙げている。もちろん,比較的最近専任教員になった方々のなかでは,精神科の病棟経験者が増えていると思う。

 精神科での病棟経験をもとに精神看護の教員をいくつかに分類すると,(1)精神看護の研究はしているが,まったく臨床経験がない,(2)他科での臨床経験はあるが,精神科の病棟経験がない,(3)保健師としての経験はあるが,精神科の病棟経験がない,(4)精神科の病棟経験自体はあるが2年以内である,(5)精神科の病棟経験が3年以上ある,といった分け方ができよう。

 もちろん(5)の場合が望ましいことはいうまでもない。(4)の場合は精神疾患についてある程度肌身に感じ取った経験がプラスに作用するだろうが,(1)(2)(3)の教員は精神科病棟の経験がないことによる問題が発生する可能性があるだろう。それでも実際は,大学・短大の教員では(1)(2)(3)が多く,専門学校では(2)が多いのではないかと考える。

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 本特集の目的は,「科」を意識した教育の重要性ということであるが,「科」を意識した構えが精神疾患看護では弊害になることが多いように思う。

 そのため,本稿では,なじみの疾患とつなげることをいくらか試みながら,精神疾患患者への看護がどのようなものであるかを考えてみたい。

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「精神疾患患者」ってどんな人?と聞かれたら

 筆者は医療や看護に従事した経験はないのだが,精神保健福祉を研究領域としており,精神科医療のユーザーと接した経験のない方から「精神の病気の人ってどんな人?」と尋ねられることがある。「○○さんってどんな人?」という問いに対してなら,さまざまに答えようがあるが,「精神の病気の人一般」がどんな人であるかは,なかなかひとくくりに言えなくて困る。迷った末,「普通の人だよ」と答えることも多い。精神科看護実習を控えた学生を前に,似たような経験をされた教員の方も少なくないのではないだろうか。

 「精神の病気の人一般」を説明することが困難であるのは,1つには「精神疾患患者」という言葉を字義通りに説明することが難しいためであろう。精神疾患とは,「精神上,心理上及び行動上の異常や機能障害によって,生活を送る上での能力が相当程度影響を受けている状態を包括的に表す用語」とされ,疾患という言葉の厳密な意味よりも広い。その広義の意味での「精神疾患患者」とは「精神障害者」とも言い換えられている1)

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はじめに

 精神科での臨地実習において「患者さんとコミュニケーションが取れない」と悩む学生は多い。しかし「コミュニケーション」とは取れる取れないといった性質のものではなく「止められない」ものである1)。よって,学生の言う「コミュニケーションが取れない」とはその言葉通りの意味ではなく,たとえば「学生自身が理想と描いている看護学生─患者間のコミュニケーションとは違うコミュニケーションであったため困っている」などの意味である場合が多い。

 また,多くの学生は,精神障害者との接点がないためか本人の未熟さゆえか,患者を理解しようとせず,偏りを築き,自分にとって都合がよいように実習を終えようとする傾向にある。例をあげると,患者の日常生活に過度に介入し,必要以上の「看護計画」を実施するが,実際は患者の負担となっていた……,などである。これはいわば学生自身が「自分のイメージした実習」をするための行動であり決して悪気があってやっていることではないのだが,患者よりも学生自身を優先して考えてしまっているため,コミュニケーションを客観的に振り返る際に支障を来す恐れがある。

 これらの傾向を抱えた学生達が体験する精神科特有のコミュニケーションの「困難さ」を,場面の分析を通して「奥深さ」に意味付けし直すのが本稿の目的である。

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特別支援教育の現在

―まず,『きこえとことばの教室』について概略を教えてください。

阿部 全国で概算2500の幼・小・中学校にあり,3200人の教師が従事しています。「難聴・言語障害通級指導教室」と言います。聞こえや言葉の障害があったり発達が遅滞している児童に対して,ふつうの教科指導は地元の通常学級で行いつつ,障害に応じた指導を、その地域にある別の通級教室で行うしくみです。

 1960年代に原形ができ,1993年に「ことばの教室」として全国に広まり始めました。

連載 ろくネコのナンセンスTimes・26

連載 スクリーンに見るユースカルチャー・23

分かりにくい変化 小池 高史
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 長くモラトリアムを過ごしていると,時に,消費した時間の長さに愕然とすることがある。これまで貴重な時間を無駄に費やしてきたのではないかと不安になることがある。一方で,かつての自分と,どこか大切な部分が変わってしまったのではないかと思う。他方で,逆にかつての自分と何も変われていないのではないかと悩む。そんな矛盾した不安を抱いてしまうのである。“トリュフォーの再来”とも呼ばれるアルノー・デプレシャン監督の『そして僕は恋をする』は,そこのところを実にうまく描き出している。

 29歳の主人公ポールは哲学者であり,大学の講師を職としている。しかし彼は,自分がこの職に留まっていることに不満を持っている。ステップアップのための博士論文は6年間もまとめられないでいる。安月給と社会的地位の低さに不満を持ちつつも止むに止まれぬ現在の生活を,「中途半端な生活」と自称している。ある時,共同で論文を執筆したこともある昔の友人が,助教授としてポールの職場の大学に赴任してくる。かつては同じ地点にいたはずの2人の間にできてしまった差を目の当たりにし,それまでは曖昧なものとしてあった彼の不安は,しだいに明確かつ具体的なものへと変わっていく。

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はじめに

 医療・看護を取り巻く環境の変化のなかで看護基礎教育に求められていることは,現在の医療の現場に対応できる基礎的な看護実践能力を習得した学生の育成であることは言うまでもない。それが看護基礎教育機関の使命でもあり責任でもある。しかし,看護専門学校は,大学・短期大学の増設や,少子化,若者の高学歴志向などの影響で,学生の質と量を確保しながらの円滑な学校運営には大変苦慮している。

 このような状況下にある専門学校にとって,2009(平成21)年度からの第4次カリキュラム改正は,大変に厳しい内容である。そこで本校は,看護教育に携わる関係諸機関と綿密な連携と協働体制を取り,教育環境を整えることは必須の条件であると考え,種々検討を重ねた。今回の改正カリキュラムに向けて行ってきた専任教員研修の実際と,学内演習強化に向けて準備した教材とその活用について報告する。

連載 都立看護学校7校の新カリキュラムへの取り組み【専門科目編】・1【新連載】

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はじめに

 今回のカリキュラム改正では,専門分野Iは基礎看護学と基礎看護学実習で構成され,専門分野II,統合分野につながる位置づけとなっている。そのため基礎看護学は,各看護学および在宅看護論の基盤となる看護全般の知識・理論を学ばせる領域であるとともに,基礎的技術の修得が教育内容となる。

 今回の改正では,看護実践力の強化がうたわれ,看護技術の到達度も示されていることから,看護技術教育に求める課題も大きい。校内実習では,時間数が各領域中最も多い基礎看護学が技術教育に負う責任は大きく,演習(都立看護専門学校における校内実習)を強化した内容も求められている。また,コミュニケーション・フィジカルアセスメントについても特に強化すべきとされており,臨床で使える技術として身に着けさせるための工夫が必要である。都立看護専門学校(以下,都立看学)新カリキュラム案では,専門基礎分野に形態機能学を導入し,日常生活行動と人体の構造と機能が繋がるような設定を試みた。このため,形態機能学と看護技術との内容精選も課題である。

 また,この改正により,統合分野が設置され,これまでの基礎看護学に位置づいていた看護管理や看護研究・国際看護などの,屋根となる部分の教育内容の位置づけを検討する機会も得ることができた。

 このことから,基礎看護学において学ばせる教育内容を明確にし,看護学の土台となり得るための構築を試みたのでここに報告する。

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はじめに

 成人看護学は,専門分野IIに位置づけられた。今回のカリキュラム改正では,多死社会を迎える社会の要請を受けて,終末期の看護をやや強調しているが,この点についてはこれまでも教授していたため基本的には従来の内容と大きな変更点はなかった。臨地実習については,2単位減となったが,成人看護学で求められる健康教育から終末期までの多様な状態や場面での看護の実践を学ぶには,ますます内容精選を迫られる厳しい状況となった。

連載 看護学校の経営・管理論・4

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はじめに

 看護大学が続々と開学し看護教育の大学化が進むなかで,看護専門学校は,看護教育のアイデンティティを確立し存在意義を明確に打ち出す時期にきている。筆者が看護教員養成研修生時代に,そこで常に問われたのは,看護基礎教育は「看護師養成教育」なのか「看護学教育なのか」ということであった。当時は,「看護師教育」は職業訓練的教育であり,「看護学教育」は学問的裏づけに基づいた教育と解釈していた。そのため,その問いを受けるたびに,自分の教育活動を振り返り,職業訓練ではなく看護(学)教育を目指すことを心に念じていた。しかし,現在では「看護師教育」とは,看護専門職としての専門的能力・自律性などを備えた人材を育成する教育であり,当然看護学教育を含むものであるため,二極分化するものではないと考えるようになった。

 日本看護系大学協議会は,大学教育は専門職業教育(professional education)として看護学の学問の追及かつ学問的に裏打ちされた看護実践者を育成し,専門学校・短大は,職業教育(occupational education)として看護ケアが着実に実践できる人材を育成するとし,それぞれ異なる特性をもつとした1)。しかし,カリキュラム上は,大学であろうと専門学校であろうと同じ指定基準の下に教育が行われており,4年制大学も3年過程に位置づいている。また看護師免許にも区別があるわけではない。看護専門学校が目指しているのは看護学を体系的に学ばせる専門職業教育であり,専門学校教育と大学教育の差異化を図る必要はないと考えたい。

 しかし,大学設置基準や,看護師学校養成所指定規則から見ると,大学と専門学校には教育環境の違いがあるのは,歴然とした事実である。施設設備や,教員の資格要件,図書・教材関係の整備などについて,大学との差は大きい。高学歴志向により,専門学校入学生の学力も低下してきている。全国の看護専門学校のなかには,指定規則・指導要領等により一定の基準があるとはいえ,専修学校ではなく各種学校に位置づく学校もある。

 そのようななかで,国家試験合格率を高く保ち,質の高い看護実践者を送り出す専門学校の努力は並々ならぬものがある。限られた条件をふまえたうえで,専門学校の看護教育の理想を追求し,学校経営の戦略の一環として成果をあげていくための方策を見出したい。

連載 始めようがん患者のためのグループ療法 ファシリテーターナースへの道・4

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ロールプレイングの実施

 ファシリテーター訓練は,ファシリテーターナースになるための第一歩である。

 前回は,ナースがファシリテーターになるための準備として必要なファシリテーター訓練の方法や体験談について述べた。今回は,筆者が実際に行ったロールプレイング(ロールプレイ)の内容を紹介する。

連載 プラトンからはじめる教育学入門・12【最終回】

「到達」から「発展」へ 山口 栄一
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学習意欲を失っているのか?

 昨今は,子どもたちの学ぶ意欲の低下が問題となっています。この問題の発端には,わが国の子どもたちが国際学力比較において常にトップの成績を収めているにもかかわらず,勉強への興味・関心という点では,かんばしくない位置にいることがあったと記憶しています。その原因が教科内容の過剰な負担に求められ,内容の精選と時間数の削減という政策に反映されたのでした。もちろん,加熱する入学試験が非難されたのは言うまでもありません。そのために,受験科目数は減らされ,文系では,英語と国語ばかりになってしまったことは,私たちのよく知るところです。

 こうした軽減策にもかかわらず,子どもたちの学習意欲はいっこうに改善されず,そればかりか,学力まで低下する結果となって,政策はふたたび減らした内容を復活し,時間数を確保する方向に振り子がふられたのが今回の学習指導要領の改定です。それが大学でのシラバスと時間数の確保となったとすれば,大学はそのとばっちりを受けたということにもなります。もっとも,子どもは成長するにつれ,「生徒」になり,「学生」と名を変えるのですから,大学もその対応に迫られるのは,当然といえば当然でしょう。

連載 シカゴ通信&JNEセレクション・7

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「乳母」の子は母乳が飲めなかった

 私の所属しているPh.D.プログラムでは,コアコースと呼ばれる必須科目が4つある以外は,自分の研究分野,必要性に合わせて自由に取る授業を決められます。他学科でも授業を取ることができるので選択の幅は広く,アドバイザーに相談して最終的に取る授業を決めます。私の研究分野は母乳育児なので,昨秋,アドバイザーから人類学での母乳の授業を勧められ,受講しました。

 「人類学」というと,大きく自然人類学,文化人類学に分けられますが,この授業では,人間がほ乳類として進化した自然人類学的な内容と,それぞれの文化における母乳育児のあり方という文化人類学的な内容との両方が扱われます。学期のはじめでは文化人類学的な内容を学びました。

連載 医療と社会 ブックガイド・84

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 青土社の『現代思想』6月号の特集が「ニューロエシックス─脳改造の新時代」。この雑誌はこれまでも幾度か紹介してきた。今年のものでは2月号特集「医療崩壊」を第80回(2008年3月号)で,3月号特集「患者学─生存の技法」を第81回(4月号)で紹介した。それ以前には,第34回(2004年1月号)で2003年11月号特集「争点としての生命」を紹介,第45回(2005年1月号)の一部で2004年11月号特集「生存の争い」を取り上げた。

 さて6月号の特集だが,いろいろなことが書いてある。知らないことをたくさん知ることができる。けれども,人によっては,なんだか頭がまとまらない感じがするはずだ。だから,少し整理してみたらよいかなと思った。ただ,私自身がこの主題について何か知っているわけではない。グーグルで「ニューロエシックス」を検索したら1620出てきた。「脳倫理学」「神経倫理学」「脳神経倫理学」といった訳もあるようだ。かなり関連する本も出ているが,何も読んだことがない。ゆえに以下,乱暴な整理ではある。

連載 私の一冊・38

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 私たちがつくった本を自分でほめるのもなんだが,この『日本人 いのちと健康の歴史』という絵本は,なかなかよくできていて楽しい。

 まず,装丁がすばらしい。各巻の表紙には,それぞれの巻から,その時代を端的に描いたものをとっているが,第1巻は,額田王が,馬に乗って駆ける大海人皇子に袖を振っている「薬狩」の絵である。着ている服は,昔の1万円札にあった聖徳太子のような間違ったものではなく,高松塚古墳の壁画に描かれている飛鳥時代のものである。このように,1つひとつの時代考証が行き届いていて,かつ魅惑的である。

 絵本だから,絵が生命であり,画家の皆さんは,それぞれ献身的に努力してくださった。画家の皆さんが力を十分ふるえるように,各巻の編集担当者は,細かい点にまで配慮して具体的に検討を進めた。そのような協力ができるためには,それまでの間の長い年月と努力があった。

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アフリカの真珠“ウガンダ”

 2008年3月1日。関西空港を飛び立ってから22時間後,筆者らは,世界第2位の湖水面積を誇るビクトリア湖のほとり,東アフリカのウガンダ共和国エンテベ空港に降りたった─

 財団法人 国際看護交流協会(INFJ)が行っている研修で,筆者は2005年から看護記録の講義を4時間担当している。今回,病院における母子保健サービスの改善を目指して,一次予防と治療,看護師,助産師らの能力強化を目的とするワークショップがアフリカ現地で開催されることになり,日本の専門家の1人として参加する機会に恵まれた。メンバーは,宇垣弘美産婦人科医師(大阪大学附属病院),宮崎貴子助産師(愛仁会千船病院産科主任),束田吉子部長(INFJ事業部),戸谷幸一職員(JICA東京国際センター人間開発チーム),そして看護師である筆者の5人である。

基本情報

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看護教育
49巻7号 (2008年7月)
電子版ISSN:1882-1391 印刷版ISSN:0047-1895 医学書院

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