看護研究 44巻3号 (2011年6月)

焦点 慢性の病いにおける他者への「言いづらさ」─ライフストーリーインタビューは何を描き出すか

黒江 ゆり子
  • 文献概要を表示

 今回の焦点企画は,慢性の病い(クロニックイルネス;chronic illness)とともに生活を営んでいる人々において,その病いの他者への「言いづらさ」がどのようにあるのかを探究し,看護のあり方を考えようとするものである。

 内容は3部で構成されており,第1部では,慢性の病いにおける他者への「言いづらさ」が看護学的にどのように捉えられてきたのか,および慢性の病いにおける他者への「言いづらさ」を目に見えるかたちにするために,ライフストーリーインタビューはどのような可能性をもっているかについて議論してみようと思う。第2部では,慢性の病いをもつ人々へのライフストーリインタビューから描き出されたそれぞれのライフストーリーを紹介し,他者への「言いづらさ」がどのように現われているかを検討する。そして第3部は,7つのライフストーリーに包摂されている慢性の病いにおける他者への「言いづらさ」についての解釈を示す。

  • 文献概要を表示

はじめに

 「小学生のときに,いちばん信頼していた友人に自分の病気のことを話したが,中学生になるとその友人に病気のことを学校の人に話され,そのときの心理的ショックはかなり大きなものだった。そんなことがあって,中学時代はつらかった,登校拒否にもなった。学校は何か月かに1回くらいのペースで行っていたが,クラスのなかに入ると『なんで来たの』と言っているような顔の表情ばかりだったので,なかなか行けなかった。学校の先生も心配してくれたけれど,学校の先生に話すことはできなかった。親にも話すことができずに,顔を合わせると喧嘩になるので,昼夜逆転していたときがある。親には学校に行けと言われたが,『いや』と,布団のなかで寝ていた。…結局,親にも学校の先生にも話すことはできずにいた。自分のことがいやになり,気持ちが不安定になった。将来のことが『どうなるのだろう』と不安になった」と,Aさんは自分のことを思い出して語った(黒江,2002a,pp.142─143)。

 またBさんは,「大学卒業後に専門職になりたくて専門学校に行くことにした。専門学校に入るときに病気のことは言わなかったし,在学中も病気のことは言わなかった。言うと入学できないと思ったし,在学中も言うと続けられないと思っていた。就職するときに,決心して初めて話をした。やめさせられると思った」と語り(黒江,2002a,p.146),そしてCさんは,「家族のことで通院が難しくなった。自分の治療どころではなくなった。でも,病院に行ってもそのことを話すことができない。事態が深刻であればあるほど,人は人には話せない。相談できないということを知ってほしい」(黒江,2002a,p.146)と語る。

 さらにDさんは,自分の病名を他者にありのまま伝えていないことに対して罪悪感に近いものを抱いているかのように,「自分の病名を言い難いときは,別の病名を言ったり…」と話したところで,「あー」と言って手で顔を覆ってしまう。

 これらはいずれも,病気とともに生活を続けている人々が語ったものである。

 慢性の病い(chronic illness)において自分の特徴を他者にわかってもらおうとすると,それは病気のことを含めた事柄を話すことになる。しかしながら,私たちはいつでもどこでも自分の病気のことや,自分の個人的なことを話せるかというと,そういうものではない。「病気のことを話すと相手はどう思うだろうか」とか,「どのように話せばわかってもらえるのか」などと誰もがとまどうのである。これらのことについて,これまでどのように報告されているかを踏まえて,考えてみようと思う。

  • 文献概要を表示

はじめに

 慢性の病い(chronic illness)は,私たちにとって誰もが経験する可能性があり,また,自分の人生や生活が絡めとられるような思いを抱く可能性があるものでもある。慢性の病いのある生活においては,時には,それまでの自分の生活のありようが非難されて悲しい思いをしたり,これからの生活のなかで続けていかなければならないたくさんの事柄を目の前にしてとまどったり,身近な人々にさまざまな迷惑をかけたという思いに苛まされたり,それらの思いをなんとか乗り越えようと明るい部分だけを見ようとしたりという,そのようなことがあるかもしれない。

 生きているということは,同時に,老いることや病むこと,そしていつかは死を迎えることでもある。慢性の病いのある人生において生きること,それは同様に,老いることであり病むことであり,自分の人生の終焉を迎えることである。このようななかで,私たちは泣き,笑い,悲しみ,喜び,失望し,そして希望をもつ。1日24時間1年365日はそのように続いていくのであり,病いをどのように受けとめているかとか,将来のことを十分に考えて対応しているかなどにかかわらず,毎日の生活はとどまることなく続いていく。確固としたものがあるとすれば,それは,これまでどのように生きてきたのか,どのように生活を続けてきたのか,どのように自分を自分で支えてここまで来たのかということであろう。

 人は誰でも生きるちからをもっており,生きようとするちからももっている。それは,遠い幼いころに,自分は自分以外の誰かにとって大切な存在なのだという感覚に触れたことをうっすらと記憶のどこかに住まわせているからかもしれない。そのようなかすかな感覚を頼りに,私たちはそれからの生活を自分なりに創りつづけているのである。そうであるとすれば,慢性の病いにおいて人々が求めることは,自分なりに創り続け,編み続けてきた毎日の生活の営みを,これからも創り続け編み続けることができる“自らであること”であろう。そして,そのときに他者にできることがあるとすれば,そのような自らであることへの支援ではないのだろうか。

 本稿では,このように毎日を生きる人間の姿に焦点を当て,慢性の病いにおけるライフストーリーインタビューがどのような意味をもつのか,そこから何が生まれるのかについて考えてみようと思う。

  • 文献概要を表示

はじめに

 Robert Atkinsonは,『Handbook of Interview Research』〔Gubrium & Holstein(Eds.), 2002〕のなかで,ライフストーリーインタビューについて,その基本的な考え方を詳細に述べている。筆者らは,本誌39巻5号(2006)焦点「看護学における『生活者』という視点」を企画した際,上記の書籍からAtkinson氏の論文「ライフストーリーインタビュー」を掲載した。本号焦点でも,ライフストーリーインタビューの意味は極めて大きいため,その論文の概要を踏まえて,筆者らが改めてまとめる形で以下に紹介することとする。詳細は原書註1および本誌39巻5号,pp.81─100を参照いただきたい註2

  • 文献概要を表示

はじめに

 Aさんは,ミトコンドリア脳筋症の夫の妻であり,また在宅療養における主介護者である。年代は50歳代前半で,夫と20歳代の娘2人の4人暮らしである。

 インタビュアーは筆者であり,過去に,Aさんの夫に訪問看護師として関わっていた経験がある。したがって,インタビューを行なった時点で面識があり,インタビューはスムーズに行なわれた。インタビュー時期は2007(平成19)年8月で,所要時間は約60分であった。本稿では,Aさんのストーリーを紹介する。Aさんの語りはゴシック体で,カッコ内は筆者による補足を示す。

  • 文献概要を表示

はじめに

 Bさんは,最寄り駅に出るのも車で40分以上はかかるという山深い村に住む61歳の主婦である。40代でパーキンソン病の診断を受け,現在は,ケアハウスにて週に1回程度リハビリや食事のサービスを受け,自宅で夫と2人で暮らしている。

 研究者(筆者)は知人の紹介を受けて,Bさんの友人である知人の自宅で,約50分にわたりBさんのインタビューを行なった。インタビュー時期は,2007(平成19)年8月である。

  • 文献概要を表示

はじめに

 Cさんは,精神障がい者支援にかかわる特定非営利活動法人(以下,NPO)に所属し,ピアサポートに携わっている40代半ばの女性である。Cさんは,うつ状態や非定型精神病などの診断を受けている。筆者は,精神看護学の教員をしており,Cさんが所属しているNPOが運営している施設で10年ほど前から学生の実習を受けてもらっている。今回,実習に携わってくれているNPOの職員から,Cさんを紹介していただいた。

 インタビューは,NPOの事務所の一室で行なった。インタビュアーの自己紹介,本研究の目的や倫理的配慮,協同研究者のことなどについて説明し,同意を得てからインタビューを開始した。Cさんは,NPOの職員から,筆者について大まかな情報を得ている様子だった。若干の緊張と訊きづらさを感じながら,インタビューは始まった。しかし,インタビューが進むにつれ,Cさんの話に引き込まれていった。Cさんは,「インタビュー開始前からとても緊張していた」と,インタビュー終了後に笑顔で語った。インタビュー時間は1時間だった。

  • 文献概要を表示

はじめに

病いの背景─HIV感染症の始まりから現在まで

 1981年6月,米国のCDC(Center for Disease Control)が,ロサンゼルスやサンフランシスコで,若い男性が極端な免疫不全が原因のカポジ肉腫,サイトメガロウイルス感染症などに罹患し死亡するケースがみられていると報告した。そして同じような症状が世界の各地で報告されはじめた。この免疫不全による症候群は,1982年にAIDS(後天性免疫不全症候群,以下エイズ)という病名がつけられ,1983年には病気の原因となるウイルスが特定された。このウイルスは後にHIV(ヒト免疫不全ウイルス)と名づけられた。

 HIVは,それに感染したヒトの体液に存在し,粘膜を経て他者に感染する。HIV感染症は1995年まで決定的な治療法がなかった。そのため感染者は徐々に免疫不全に陥り,死の転帰をたどった。また感染者の多数が男性同性愛者であったことから,セクシュアルマイノリティの存在が顕在化する。性感染症,死の転帰といった病気の特徴は,当時世界中でエイズパニックと呼ばれる社会不安を起こした。治療法のなかったこの病いも,1996年前後から抗HIV薬が相次いで開発された。抗HIV薬はHIV感染症を完治させることはないが,ほぼ生涯服薬を継続することによって,ウイルスの増殖を抑えながら日常生活を続けることが,現在は可能となっている。

  • 文献概要を表示

はじめに

 Eさんは50代前半の女性で,6~7年前に境界型糖尿病と診断を受けた。その後食生活を改善することで体重が減少したので安心し,受診を中断していたが,2年後,陰部のかゆみが出現してなかなか治らなかったのと時期を同じくして,人間ドックで血糖値が高いと言われたことから,糖尿病の専門のクリニックを受診し,2型糖尿病と診断された。その際,経口血糖降下剤が開始となり,内服によりかゆみが治ったことをきっかけに,定期的に受診を続けている。

 インタビュー時期は2007(平成19)年,インタビュー時間は約60分である。

  • 文献概要を表示

はじめに

 慢性の病いとしての1型糖尿病(Diabetes Mellitus)は,発症の機序がいまだ明確にされていないこともあり,本人とその家族は突然の発症に続いて,どのような病気であるのかを十分に捉えることができない状態で,治療としての食事・運動・薬の管理などを毎日の生活のなかで続けることを求められる。そのような状況においては,自分の病気をどのように捉え,まわりの人々にどのように伝えていけばいいのか,とまどいを抱くことも多い。本稿では,1型糖尿病とともにある生活について,インタビューに協力いただいたFさんの語りから,その一部を紹介する。インタビュー時期は,2007(平成19)年9月である。

  • 文献概要を表示

はじめに

 クローン病は,10~20歳代の若い世代で発症することが多く,寛解と再燃を繰り返し,生活の質を著しく低下させる。就職し,社会人としての第一歩を踏み出した語り手のGさんは,突然の発病に人生が大きく変わってしまった。しかし,他者からみて非常にわかりづらい症状をもつこの病いは,語り手にとっても他者への伝えにくさ,言いづらさを包摂していた。

 本稿では,クローン病とともに生活するGさんの語りの一部を紹介する。インタビュー時期は2007(平成19)年11月で,約110分のインタビューであった。Gさんの年齢は30歳代,父母と姉がいる(なお,語りのなかのカッコ内は筆者の言葉や補足を示す)。

  • 文献概要を表示

はじめに

 前稿において紹介した7つのライフストーリーは,インタビューにおいて語られた内容をそれぞれの聞き手がライフストーリーとして描き出したものであるとともに,描き出されたそれぞれのライフストーリーは聞き手によって語り手に伝えられ,語り手による確認が行なわれたものである(Atkinson, 2002)。ここにおける語り手と聞き手の関係は即時的なものではなく,数か月から数か年に及ぶ相互作用を通して築かれた関係であり,本研究においてはそのことが1つの重要な要素となっている。そのような関係だからこそ語られたストーリー,すなわち,Buber, M.が指摘するような「二人して語る(Zweisprache;対話)」ことによってこそ示されたストーリーであるといえる(黒江,2005)。

 これらのライフストーリーには,慢性の病いとともに生きようとするときに遭遇する他者への言いづらさが多様な姿で包摂されている。そこで本稿においては,それぞれのライフストーリーに包摂されている他者への「言いづらさ」について,目に見えるものとするための試みを行なってみようと思う。

  • 文献概要を表示

はじめに

 自らの感情や体験を語ることの治療的な意味については,力動的精神療法やナラティヴ・セラピー,セルフヘルプグループなどの実践から明らかとなっている。しかし,慢性の病いをもつ人のライフストーリーには,その病いに関連した「言いづらさ」を伴うような語れない体験が含まれている。病いに関連した感情や体験を「言わない」「言えない」「言いたくない」といった体験には,何らかの「つらさ」が包含されているのではないだろうか。

 「重い病いを患う人々は,身体ばかりでなく,その声においてもまた傷ついている」(Frank, 1995/鈴木訳,2002, p.4)のであるならば,声もまたケア対象となる。「言いづらさ」もまた,傷ついた声の現われかもしれない。しかし,語られなければ,気づかれることもない。

 そこで本稿では,インタビューで語られた内容および各聞き手によって描き出された7つのライフストーリーのうち,Eさんを除く6つをもとに,「言いづらさ」と関連するような体験は何を意味しているのかという視点で分析し,「言いづらさ」を伴う体験が意味することについて考えたい。

  • 文献概要を表示

 ヘルスケアの主体が患者であるということは,専門職にとっては自明であるし,多くの患者が期待することでもあるだろう。近年の社会情勢もそれを推進している。しかし,現実のヘルスケア実践の場で,理念としての“患者主体”が容易に具現化できるものではないということも,私たちは日々の経験から痛感している。本書は,こうした“患者主体”が,専門職と患者とのコミュニケーションにおいてどのように実現あるいは阻害されているのか─すなわちヘルスケア場面における患者参加の実態─を,さまざまな質的研究の方法を組み合わせながら探求している。

 なかでも多用されている研究方法が会話分析である。会話分析は,相互行為としての会話を分析する社会学の質的研究法である。会話分析を用いた研究では,実際の相互行為場面の録音・録画を分析データとして,独自のルールに従って文字化したデータを提示した詳細な分析過程が示される。この分析過程が実に興味深いのである。本書で提示されているデータの多くが,専門職が日常で当たり前に行なっている患者との会話である。しかし,そんな当たり前の会話から「看護師のこの発話がこの位置でなされたことによって,患者が関与する機会が奪われている,なぜならそれは…」と,当事者も気づかなかったような事実が明らかになってくる。それぞれの事例の分析過程をたどる際には,ぜひ自分が行なってきた患者とのコミュニケーションについて振り返りながら読み進めてほしい。「ああ,そうだったのか!」と反省を促されるデータや,「このように話しかければ,それがきっかけとなって患者が関わるチャンスが生まれるのか」と気づくデータに出会うだろう。

  • 文献概要を表示

 精神看護専門看護師が存在し研究に同意の得られた精神病院において,病状・セルフケアが不安定で退院3か月未満で再入院をするもしくは入院3か月以上の統合失調症患者29名(長期入院患者予備群)に,入院中2か月,退院後3か月間のM-CBCM(modified community-based care management;修正版集中包括型ケア・マネジメント)を実施し,病状,日常生活・社会的機能,家族の態度,QOLを用いて,患者の入院時,退院時,退院3か月後に評価を行なった。

 その結果,退院後3か月以上地域で生活できた患者17名(C群)と,退院3か月未満で再入院もしくは退院できなかった患者12名(D群)に分けられた。両群とも家族との同居者が多く,家族支援において両親が中心的役割を担っていた。また両群を比較すると,退院3か月後の病状,入院時・退院時・退院3か月後の日常生活機能,入院時・退院時のQOLに有意な差がみられ,C群はD群より,日常生活機能,QOLが高かった。また病状,日常生活機能,社会的機能,家族の態度は入院時と退院時,入院時と退院3か月後に有意な改善がみられ,特にC群にこれらの有意な改善がみられていた。D群ではQOLのみ,入院時と退院時で有意な改善がみられていたが,家族の態度は,D群では,退院3か月後は有意に悪化していた。

 また介入内容としては,C群では患者・家族双方への支援が行なわれ,病状管理だけではなく人格や発達上の課題への支援,今後の生活の要望への支援,地域において患者の病状だけではなく人格の特徴や成長発達上の課題を理解してかかわる専門職の発掘,精神障害者のための社会資源だけではなく地域や他の障害者が用いる社会資源を探し活用へとつなぐ,などの支援が行なわれ,患者の地域生活への定着を促進していた。

 これらの結果を,M-CBCMの意義,地域資源の発掘の必要性,「人」から「場」への移行支援の重要性,家族支援の強化の必要性,本研究の限界と今後への示唆という視点で考察を行なった。

連載 看護研究の基礎 意義ある研究のためのヒント・第3回

  • 文献概要を表示

前回述べたように,研究計画で最も重要なことがResearch Questionの精錬だとすると,Research Question の精錬に欠かせないのは,文献レビューである。Research Question の精錬は文献レビューと並行して進められ,最初は1年近く(博士課程ではそれ以上)かかるであろう。文献レビューを十分行なわずに研究をしようとするのは無謀であり,研究に費やされた時間と労力は無駄になるであろう。また十分な文献レビューは,レビュー論文として学術雑誌に取り上げられる価値の高いものである。

--------------------

欧文目次

INFORMATION

INFORMATION

INFORMATION

投稿規定・執筆要項

次号予告・編集後記

バックナンバー

基本情報

00228370.44.3.jpg
看護研究
44巻3号 (2011年6月)
電子版ISSN:1882-1405 印刷版ISSN:0022-8370 医学書院

文献閲覧数ランキング(
3月23日~3月29日
)