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はじめに
「小学生のときに,いちばん信頼していた友人に自分の病気のことを話したが,中学生になるとその友人に病気のことを学校の人に話され,そのときの心理的ショックはかなり大きなものだった。そんなことがあって,中学時代はつらかった,登校拒否にもなった。学校は何か月かに1回くらいのペースで行っていたが,クラスのなかに入ると『なんで来たの』と言っているような顔の表情ばかりだったので,なかなか行けなかった。学校の先生も心配してくれたけれど,学校の先生に話すことはできなかった。親にも話すことができずに,顔を合わせると喧嘩になるので,昼夜逆転していたときがある。親には学校に行けと言われたが,『いや』と,布団のなかで寝ていた。…結局,親にも学校の先生にも話すことはできずにいた。自分のことがいやになり,気持ちが不安定になった。将来のことが『どうなるのだろう』と不安になった」と,Aさんは自分のことを思い出して語った(黒江,2002a,pp.142-143)。
またBさんは,「大学卒業後に専門職になりたくて専門学校に行くことにした。専門学校に入るときに病気のことは言わなかったし,在学中も病気のことは言わなかった。言うと入学できないと思ったし,在学中も言うと続けられないと思っていた。就職するときに,決心して初めて話をした。やめさせられると思った」と語り(黒江,2002a,p.146),そしてCさんは,「家族のことで通院が難しくなった。自分の治療どころではなくなった。でも,病院に行ってもそのことを話すことができない。事態が深刻であればあるほど,人は人には話せない。相談できないということを知ってほしい」(黒江,2002a,p.146)と語る。
さらにDさんは,自分の病名を他者にありのまま伝えていないことに対して罪悪感に近いものを抱いているかのように,「自分の病名を言い難いときは,別の病名を言ったり…」と話したところで,「あー」と言って手で顔を覆ってしまう。
これらはいずれも,病気とともに生活を続けている人々が語ったものである。
慢性の病い(chronic illness)において自分の特徴を他者にわかってもらおうとすると,それは病気のことを含めた事柄を話すことになる。しかしながら,私たちはいつでもどこでも自分の病気のことや,自分の個人的なことを話せるかというと,そういうものではない。「病気のことを話すと相手はどう思うだろうか」とか,「どのように話せばわかってもらえるのか」などと誰もがとまどうのである。これらのことについて,これまでどのように報告されているかを踏まえて,考えてみようと思う。
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