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はじめに
慢性の病い(chronic illness)は,私たちにとって誰もが経験する可能性があり,また,自分の人生や生活が絡めとられるような思いを抱く可能性があるものでもある。慢性の病いのある生活においては,時には,それまでの自分の生活のありようが非難されて悲しい思いをしたり,これからの生活のなかで続けていかなければならないたくさんの事柄を目の前にしてとまどったり,身近な人々にさまざまな迷惑をかけたという思いに苛まされたり,それらの思いをなんとか乗り越えようと明るい部分だけを見ようとしたりという,そのようなことがあるかもしれない。
生きているということは,同時に,老いることや病むこと,そしていつかは死を迎えることでもある。慢性の病いのある人生において生きること,それは同様に,老いることであり病むことであり,自分の人生の終焉を迎えることである。このようななかで,私たちは泣き,笑い,悲しみ,喜び,失望し,そして希望をもつ。1日24時間1年365日はそのように続いていくのであり,病いをどのように受けとめているかとか,将来のことを十分に考えて対応しているかなどにかかわらず,毎日の生活はとどまることなく続いていく。確固としたものがあるとすれば,それは,これまでどのように生きてきたのか,どのように生活を続けてきたのか,どのように自分を自分で支えてここまで来たのかということであろう。
人は誰でも生きるちからをもっており,生きようとするちからももっている。それは,遠い幼いころに,自分は自分以外の誰かにとって大切な存在なのだという感覚に触れたことをうっすらと記憶のどこかに住まわせているからかもしれない。そのようなかすかな感覚を頼りに,私たちはそれからの生活を自分なりに創りつづけているのである。そうであるとすれば,慢性の病いにおいて人々が求めることは,自分なりに創り続け,編み続けてきた毎日の生活の営みを,これからも創り続け編み続けることができる“自らであること”であろう。そして,そのときに他者にできることがあるとすれば,そのような自らであることへの支援ではないのだろうか。
本稿では,このように毎日を生きる人間の姿に焦点を当て,慢性の病いにおけるライフストーリーインタビューがどのような意味をもつのか,そこから何が生まれるのかについて考えてみようと思う。
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