訪問看護と介護 18巻3号 (2013年3月)

特集 あれから2年 災害対策の「変えた」「変わった」

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2011年3月11日の東日本大震災から、2年が経とうとしています。

訪問看護ステーションも多く被災しました。

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 東日本大震災は、大きなものを奪い、そして与えた。大震災に遭遇し、その状況をどう捉えて考え行動し、その結果として、何が生まれ、何をなし得たのか? 今振り返ってみても“よくわからない”のが現状である。みなの意志や行動を大切に共に活動し、対応してこれただろうか? また、どのように指示を出し、訪問看護へとつなげられただろうか? 多くの疑問を残したまま2年が経とうとしている今、震災後を再検証してみる。

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被害状況の概要

 東日本大震災により、岩手県では、県内53のステーションのうち13か所で甚大な被害がありました(以下、2011年6月調べ)。事務所は倒壊3か所・浸水1か所、職員に死亡者・行方不明者こそありませんでしたが、その家族には6か所・18名の死亡者・行方不明者が、また利用者には表1のような被害がありました。利用者数減少は5か所、収益減少19か所、収益減少割合10~57%とステーションの経営への打撃も大きく、次のような訪問業務上の被害もありました。

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 私は2012年4月1日から、被災地特例により、岩手県一関市にある自宅で訪問看護ステーションを開業しています。

 被災地特例による1人訪問看護ステーションの開業を認める特別措置(東日本大震災に対処するための基準該当訪問看護の事業の人員、設備及び運営に関する基準)が、厚生労働省から出されたのが2011年4月22日(2011年厚生労働省令第53号)。翌日、それを知った私は、さっそく県庁に問い合わせ、午後には書類申請の要請も行ないました。しかし、それが認められたのは1年後のことです。

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 岡部医院訪問看護ステーション(以下、当ステーション)は、宮城県名取市にあります。この地域の震度は6強、そればかりか、当ステーションから車で20分ほどの沿岸部は大津波に見舞われました。現在も、ステーション周辺から訪問先の地域まで、いたるところで復旧・復興作業が続いています。あれから2年が経ちました。しかし、解決されていない課題が多く残されています。そのひとつが「災害対策・対応」です。

 当ステーション(スタッフ29名)は、医療法人社団爽秋会に属し、在宅緩和ケアを中心とした多職種によるチームケアを行なっています。当法人は2か所の診療所(名取市と福島県福島市)と仙台市内に3か所の拠点をもち、総勢90名以上のスタッフがいます。大震災以降、私たちは「災害対策・対応」について、このチームメンバー全員で共有し、検討を重ねてきました。本稿では、「災害対策ガイドライン」の見直し・改定をはじめとする、この2年間の取り組みを振り返ってみます。

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 「みんな、どこ走ってる……?」。津波から逃げて駆け上がった土手で、私はスタッフの訪問先を思い出していました。スタッフと利用者の顔がぐるぐる回り、次に頭に浮かんだのは「ごめんなさい」という言葉でした。

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 東日本大震災は、在宅療養者と家族、そして多くの事業者にも甚大な被害をもたらしました。訪問看護ステーションの事務所はもちろん、訪問中の看護師も被害に遭い、宮城県では2人が亡くなりました。志を高くもち、全力で訪問看護に身を捧げていた方々でした。また、津波に遭遇し命からがら助かった方、ご家族を亡くされた方、自宅もすべて流されてしまった方など、大勢の訪問看護師が被災しました。

 あれから2年――。震災時の経験を踏まえ、宮城県訪問看護ステーション連絡協議会(以下、当協議会)では、次のような取り組みをしています。

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 私たちは、3.11、あの日を忘れない!

 東日本大震災から、すでに2年が経過しようとしています。現在も月数回の余震は当たり前のようにあり、驚きもしなくなりました。しかし、福島第一原子力発電所(以下、原発)事故の問題で、福島県内の人口は196万人に減少し、2万数千人の子どもを含む6万人が県外に避難しています。医療専門職も減少する一方で、県内の被災者が多く生活する地域のクリニックでは患者数が30%も増加し、郡山市には救急搬送が集中する厳しい現状があります。なかでも、原発30km圏内に近い相双地域では避難を余儀なくされ、まだまだ人口が戻らず、医療機関の再生も厳しく、訪問看護ステーションの経営も大変な状況です。「医療崩壊」という言葉が、現実味をもって頭に浮かんできます。

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 東日本大震災から、まる2年が経とうしている。茨城県内も津波・道路の液状化や道路の崩壊など自然の脅威にさらされたが少しずつ復興し、被災した訪問看護ステーションも体制を整えて通常の活動を始めている。しかし、備えなければならない多くの課題は山積みである。そこで、茨城県訪問看護ステーション連絡協議会(以下、当協議会)を中心に、在宅療養者の災害対策を見直すための委員会を立ち上げた。本稿では、その取り組みの経緯と概要を報告する。

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 NPO法人メディカルケア協会(以下、当法人)では、従来、訪問介護サービスやヘルパー養成等、介護の負担軽減とマンパワーの確保を行なってきました。また私自身、20余年来、母親の在宅介護を続け、在宅療養者と介護家族の精神的サポートを行なうネットワークづくりや企業や地域も巻き込んだ包括的な活動に取り組み、当事者の声を反映させることで在宅介護生活の課題解決を目指してきました(本誌2012年11月号p.973)。

巻頭インタビュー ケアする人々・18

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東日本大震災における宮城県の死者・行方不明者は、それぞれ9566名・1310名(2013年2月8日現在、宮城県発表)。他県に比べてその数が多いのは、津波被害が甚大だったから。閖(ゆり)上(あげ)地区をはじめ、とりわけ被害の大きかった名取市では、半壊以上の建物が23万7937棟(2013年2月8日現在)と大勢の人が家を失った。いまだ2153名(2012年12月末日現在)が仮設住宅での生活を余儀なくされている。高齢者も少なくない仮設住民の暮らしで心配されるひとつは、心身の「健康問題」だ。宮城県では、「震災関連死」も福島県に次いで数を増やしている(843名、2013年2月8日現在)。「仮設住民の健康を守りたい」。日本訪問看護財団が2011年5月に開設した名取事務所を拠点に、仮設住宅に「訪問看護」を届け続ける看護師たちにスポットを当てた。そして、その先に見えてきた、被災地にとどまらない「訪問看護」の重要な役割とは――。

訪問ほっとらいん

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 日本看護協会(以下、当協会)は、2011年度から「看護師職能委員会」を「Ⅰ(病院領域)」と「Ⅱ(介護・福祉関係施設・在宅等領域)」に分けて活動することを決めた。

 「人々のニーズに応える看護領域の開発・展開」という使命に立ち返り、これからの超高齢・多死社会、ならびに在院日数短縮が図られる医療提供体制において、訪問看護や介護施設などで働く看護職へのさらなる支援が必要となると考えたからである。看護師職能委員会Ⅱ(以下、看護Ⅱ)は、その現場の声を聴き、課題発見・意見集約を行なうべく、同年6月、満を持して活動を開始した。

連載 在宅ケア もっとやさしく、もっと自由に!・42

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年初に、2001年春から訪問を続けてきた利用者さんが亡くなられました。68歳のM子さん。多系統萎縮症という進行性の難病をもちながらも、いつも笑顔を忘れない方でした。発病は51歳。それから17年間の経過のうちの13年間のお付き合いです。

 ご家族から弔辞の依頼を受けました。訪問看護師の私にです。あらためてM子さんとの日々をふり返り、送る言葉をたずさえて、式場へと向かいました。

連載 介護することば 介護するからだ 細馬先生の観察日記・第20回

舞踏への勧誘 細馬 宏通
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 奈良の特別養護老人ホームで、舞踊家の佐久間新さんがダンスのワークショップをやっているのを観察させていただいたことがある。佐久間さんの踊りはジャワ舞踊が基本だが、その振りは自在で、突然ふってわいた音楽に合わせながら、その場にいる人をあっという間に巻き込んでしまう。この日は、ホームに入居されている20人ほどのお年寄りがぐるりと輪になって、その輪の中心で佐久間さんが手を叩いたり体をのばしたりと、しばらく簡単な運動をやって見せるところから始まった。お年寄りと佐久間さんとは、初対面だ。

 体が温まったところで、佐久間さんは、ぐるりとあたりを見回してから、1人のお年寄りに無言で近寄って手を差し伸べる。その人はきょとんとしてから隣の人を見る。すると、佐久間さんはそっと離れて、また別の人に近づく。今度の人は、猛烈に手を横に振って断る。手が差し伸べられるのだから、何かへの誘いなのである。しかし、誘われたあと、何が起こるのかはわからない。佐久間さんの動きはとても静かだけれど、みなさんの視線は明らかに佐久間さんに釘づけになっている。おそらく、次は自分が誘われるのではないかという緊張が、そうさせるのだろう。

連載 息子介護者の〈言い分〉 僕らが「支援」を必要とするワケしないワケ・第12回【最終回】

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 本連載ではこれまで、息子介護者の〈言い分〉に寄り添いながら、息子介護における「困難」が、なぜ・どのように起こっているかを考えてきた。その「困難」は、息子介護者が人知れず抱える困難であったり、支援専門職を含めた彼らに関わる人々が直面する困難であったり、また、その両方であったりもした。

 こうした「困難」について考えてきたのは、息子介護者の「何とかしてほしい」という思いと、周囲の「何とかしたい」という思いをつなぐためである。息子介護者は、周囲の人々が「ぜんぜん理解してくれていない」と感じている。一方、周囲の人々は「(よかれと思ってしたことが)なぜここまで拒まれなくてはならないのか、わけがわからない」と困惑している。この両者間の混乱や対立の結果、互いに募っていく不信感やあきらめの感情を「何とかしたい」というのが本連載の動機であった。とくに、「(本当は)何とかしてほしい」息子の言動の理由や背景を、「何とかしたい」が「わけがわからない」人々にとって多少なりとも“腑に落ちる”ものにできないか、と試みてきた。

連載 一器多用・第22回

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 私がかつて勤務していた身体障害者療護施設では毎年、秋の文化祭にあわせて「バザー」を行なっていました。その品物の数々は、職員や入居者家族、食品・衣類・福祉用具等の取引先業者などから集めたものがほとんどでした。加えて、綿あめや焼きそば、ヨーヨー釣りなどの露店も並ぶ、ごくごく普通の福祉施設バザーの風景がそこにはありました。田んぼと畑の真ん中にある施設でしたから、来場者も職員や入居者の家族とご近所さんが中心の小じんまりとしたもので、売上げは10万円程度。そこから諸費用を差し引いた微々たる純利益でまかなえるのは、花壇の整備や駐車場の舗装への充当など限られていました。でも、バザーは地域とつながるきっかけづくりと捉えていましたので、売上げや利益をことさら気にする雰囲気はありませんでした。

 ところが、そんなゆるやかな福祉施設バザーのイメージを覆す、すさまじいバザーを知りました。その施設の職員の方いわく、「史上最強の福祉施設バザー」であると。

連載 「介護」「看病」は“泣き笑い” ウチの場合はこうなんです!・第24回

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杏里 介護経験者と話をしていると「へぇ~、そこが介護生活におけるイライラポイントなんだ!」って感じで、それぞれに我慢できないウィークポイントがあるんだなって思う。そこにそれぞれの“介護の個性”(?)があるんだよね。たとえば「『お金を盗られた』と言われるのが一番許せない」とか、「他人の前ではシャッキリするのが受け入れられない」とか。

 そもそも、私と母さんも違うじゃない?

連載 地域のなかの看取り図・第2回

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 2012年11月、NHK教育テレビの「みつえとゆういち 親子で紡ぐ“認知症”漫画」という特集番組に出演しました。いま『ペコロスの母に会いに行く』(西日本新聞社、2012年6月)という漫画が静かなブームになっています。主人公のペコロスという独身壮年男性と認知症のお母さんの日常を描いた作品です。「介護はしんどいばかりじゃない……」。作品に溢れる叙情やユーモア、ペーソスが、「認知症介護」を新たな視点から捉え直していることで、読者の共感を呼んでいます。

本連載はWebマガジン「かんかん!」http://igs-kankan.com/article/2013/04/000747/index.htmlにて順次無料公開中

書評

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 これから人口高齢化の「大津波」が大都市圏に来る。ちょっとした風邪でも大病院に行く習慣のある都会人にとって、在宅ケアのハードルは高い。なかでも都心部は、もしかしたら医療・介護過疎地かもしれない、と心配していた。

 ところが、東京都は新宿区、都心どまんなかで在宅ケアを実践している訪問看護師さんがいると知った。秋山正子さん、このひとは地域で20年も前から訪問看護を実践している。このひとにとっては“あたりまえ”の実践が、このところの施設から在宅へのシフトに伴って急速に注目を集めている。パイオニアとはどの業界にもいるものだ。時代がこのひとに追いついたとき、そのひとにとってはあたりまえのことが、“時代のお手本”になる。

読者の声

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一人ひとりの地道な訪問看護活動こそ知らせたい

三浦知津子 栃木・訪問看護認定看護師

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ニュース―看護と介護のこのひと月

INFORMATION お知らせ

今月の5冊

投稿規定

バックナンバーのご案内

次号予告・編集後記 杉本 , 多淵
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表紙のスナップは、昨年末の宮城県名取市、津波で壊滅的被害を受けた閖上港近辺。密集した住宅地だったはずのところが荒野原に……。それでも震災2か月後に訪れたときとは大違い。無尽蔵に折り重なっていた家や車や船、瓦礫や樹木は撤去され、盛り土をしての整地が進んでいました。閖上中の時計は今も「14時46分」を指したままでしたが、確実に時が刻まれていることを本特集は物語っています。特集記事に通底して感じられたのは、まずステーションどうしの、そしてステーションを越えたつながりの大切さ。それは、単に心励ましてくれるだけのものではありません。巻頭座談会では全国レベルでつながるシステムへの指摘も。「私は看護師である」。その自負の重みを感じた巻頭+特集でもありました。…杉本

震災後間もない2011年3月29日、長居スタジアムでサッカーのチャリティマッチが行なわれました。世間に広がる「自粛ムード」のなか、開催への批判も少なからずあったと思います。カズこと三浦知良選手は、試合前の3月25日付けの日本経済新聞のコラムにこう書きました。「とても明るく生きていける状況じゃないけど、何か明るい材料がなければ生きていけない。サッカー人として、被災地に明るさを届けたい。僕らは当日、全力で、必死に、真剣にプレーすることを誓う」サッカーは明るさを、医療者は安心と健康を、われわれ雑誌は情報を。役割は違えど、支援の第一歩は各々ができることを精一杯やること。そして、それを継続していくことなのだと、本号の制作を通して改めて感じました。…多淵

基本情報

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訪問看護と介護
18巻3号 (2013年3月)
電子版ISSN:1882-143X 印刷版ISSN:1341-7045 医学書院

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