連載 息子介護者の〈言い分〉 僕らが「支援」を必要とするワケしないワケ・第12回【最終回】
「つながりを断つ論理」の意味―“支援者の〈言い分〉”を見つめ直す機会に
平山 亮
1
1東京都健康長寿医療センター研究所
pp.244-247
発行日 2013年3月15日
Published Date 2013/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688102459
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本連載ではこれまで、息子介護者の〈言い分〉に寄り添いながら、息子介護における「困難」が、なぜ・どのように起こっているかを考えてきた。その「困難」は、息子介護者が人知れず抱える困難であったり、支援専門職を含めた彼らに関わる人々が直面する困難であったり、また、その両方であったりもした。
こうした「困難」について考えてきたのは、息子介護者の「何とかしてほしい」という思いと、周囲の「何とかしたい」という思いをつなぐためである。息子介護者は、周囲の人々が「ぜんぜん理解してくれていない」と感じている。一方、周囲の人々は「(よかれと思ってしたことが)なぜここまで拒まれなくてはならないのか、わけがわからない」と困惑している。この両者間の混乱や対立の結果、互いに募っていく不信感やあきらめの感情を「何とかしたい」というのが本連載の動機であった。とくに、「(本当は)何とかしてほしい」息子の言動の理由や背景を、「何とかしたい」が「わけがわからない」人々にとって多少なりとも“腑に落ちる”ものにできないか、と試みてきた。
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