助産雑誌 57巻4号 (2003年4月)

特集 周産期のナラティヴ―助産師の語りの世界から

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はじめに

 病院という場所に勤務していると,時として“人”というものが見えなくなることがある。それは,患者や家族にとって,病院は医療を提供してくれる安心の場ではあっても,日常とは切り離された特殊な空間であり,そこに足を踏み入れる時,人は患者としてあるいは患者の家族としての役割を無意識のうちに演じてしまうからである。

 そのような場面にあって,「語り」は役割という仮面の向こうに存在するその人の真実を伝えるものとして非常に大きな意味を持つ。「語り」に耳を傾け,感じ取った様々な事からその人に対するケアを考えていくことはホリスティックなケアを提供する専門職である,看護や助産には欠かせないプロセスと言えるだろう。

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「もう,ここには来ません」

 「もう,ここには来ません。恐かった」。そう言い残してAさんは退院していったという。

 Aさんと出会ったのは,彼女が切迫流産で当院に入院した時のことだった。30歳,中学校教諭。初めての妊娠5週2日で下腹痛を主訴に入院した。

 同じ部屋には数日前に妊娠中毒症で入院している高校教諭がいた。2人とも初めての妊娠で,初めての入院だった。お互いに同業者だったためかすぐにうちとけたようで,家族のこと,仕事のこと,妊娠のことなどについて2人で話をしていた。ちょうどテスト期間と重なったため,Aさんは入院中もパソコンを使ってテスト問題を作るなど,デスクワークをすることも多かった。

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はじめに

 私が助産師になって十数年になろうとしている。その間,施設内での部署異動も経験し,その時々,「今の立場で助産師として自分にできることは何か」を考えながら過ごしてきたように思う。そして,そう思うことができるようになる過程には多くの出会いがあった。私達助産師の仕事は女性の妊娠・出産をきっかけとして,そこで築いた信頼関係を基盤に,その人の人生にかかわり,心の支えとなる長い付き合いを始めていくことではないかと思う。これまでの出会いを振り返り,自分の中に起こった変化,そして今現在心に思うことについて述べさせていただきたい。

 私の勤務する病棟は,産科と婦人科の混合病棟で病床数49床のうち産科に割り当てられているのは10床ほどである(しかし妊婦・褥婦が多い時は,婦人科の患者と同部屋になることもあり,流動的ではある)。年間分娩件数は帝王切開も含め400弱で,大学病院という特殊性からハイリスク妊娠が多い。

 平成2年から,看護の継続性を高めるため病棟と外来を同じスタッフがみていくという看護の一元化が実現し,産科に関しては「受け持ち制継続母子看護」と銘打って,妊娠から1か月健診まで妊産婦と助産師が1対1でかかわる仕組みになっている。現在はスタッフ1人あたり,病棟の受け持ち患者3~4名(産科・婦人科両方)と外来通院中の方で常時6~7名を担当していることになる。しかし,外来通院中の妊婦を全員1対1で受け持つことは不可能であるため,健診時の外来担当助産師約2名で当院に受診している妊婦・褥婦全員に,毎回保健指導を行なっている。助産師外来はまだ行なっていない(表)。

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はじめに

 私は岩手で生まれ育ち,看護学校・助産婦(師)学校,職場も岩手県から出たことがありません。県立病院は看護師兼助産師の採用のため,助産師だけではなく,時には外科病棟の看護師としても働いてきました。

 これまでの私は先輩達が行なってきた妊産婦さんとの対話やケアに対して,疑問を感じた事はあっても議論はしてきませんでした。そのなかでの妊産婦さんのとのかかわりや語らいは,不十分なものであったというのが実感です。

 そこで本稿では,この特集の趣旨とは少し離れるのではないかと思いますが,妊産婦さんとのかかわりの場面に外部からの「強制力」が大きく影響していたのではないかと思われる点を中心に,助産師として印象に残っているいくつかのシーンを紹介したいと思います。

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 私は,総合病院の産婦人科病棟に約6年,その後産婦人科のクリニックに9か月勤めた後,現在は北海道石狩市にある平成13年12月に開院したばかりの「エナレディースクリニック(以下,エナと略します)」という産科・婦人科クリニックに勤めています。ベッド数は17床で昨年の分娩件数は548例(うち帝王切開24例)でした。「自然なお産を!」ということで,“エナお産の10か条”(表)を掲げ,それを基に医療・看護を提供しています。

もっと,もっと,もっと

 総合病院での勤務助産師の仕事は,1に安全・2にスピード(仕事の速さ)が重要視されるように思います。そんな中で,ハイリスクの妊婦さんと褥婦さん,そして産婦さんの全てを看るということは難しく,私にとってはどれも中途半端なかかわりとなってしまっていたように思います。

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はじめに

 今回,ナラティヴアプローチでいう「かかわりの豊かさ」を考えるにあたり,私に与えられたテーマは,「不妊治療患者へのアプローチ」ということである。

 これまで,私が大学病院の婦人科勤務時代に,不妊治療患者と直接的にかかわったのは外来での1年間である。この短い期間でのかかわりを物語として展開するには難しいという思いが先にたち,はたして文章にうまくまとめられるものかと,躊躇してしまった。

 外来での勤務を振り返ってみると,流れるような業務のなかで,患者との会話は少ない状況にあったと思う。このような状況下でのかかわりは,断片的なものとなりがちであったが,しかし,多くの患者と接することができた。そして,1人ひとりから教えられたこともたくさんあった。医療現場にいる医師や看護者は,患者とのかかわりのなかから,いろいろと学んでいるし,また,そういった学びが次のケアにつながっていくのであるという認識を新たにしている。

 今回,不妊治療後の妊娠で,39歳で高齢出産をしたGさんとのかかわりをとおして,感じたことを述べたいと思う。

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看護者のおごり

 Sさんは,切迫流産で入院し,長期の入院生活になっていた。正期産で無事出産することを目標に自分でできることは積極的に頑張っていた。けれども,彼女の頑張りが時に人間的な感情を押し殺しているかのように思えることもしばしばあり,私たちは心配をしていた。

 カンファレンスでは,Sさんへのケアについていくつかの問題点があげられていた。そしてスタッフでできる限り,彼女の環境を整えていきたいとの意見が出された。しかし私には方法論がパターン化されていたり,もっと違う情報を集めたほうがいいのではないか,話の仕方によっては違う情報が得られ,別の展開もできるのでないか,と感じられることもあった。ただ,私は師長として,Sさんとは直接的にはかかわらず,実践場面はスタッフに任せていた。もちろん,ときどきはSさんの部屋を訪れ,お話をする機会もあったのだが,どちらかというとスタッフからSさんの情報を聞くことの方が多かった。

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 本誌編集部の方から「周産期のナラティヴ」という特集に一文を寄せるよう依頼する手紙が届いたのは,11月の下旬だったと思います。折り返し頂いた電話は,僕の勤務する城山病院4階にある医局の窓辺で受けたのですが,そのとき眼下には,猫洞池から平和公園,東山にかけて遅ればせながらの紅葉があたりを一斉に染めだしていました。

 特集のねらいには,こんなふうに書かれていました。「臨床は多くの『語り』に満ちています。助産の領域でもこのことに変わりはありません。お産を前にした妊産婦の思い,出産という劇的な現象,生まれてきた子どもに対する母親の気持ち,自らの病いと向き合う患者の藤,助産師自身の気づきや職場のスタッフから得た新鮮な学び,臨床で目の当たりにする出来事への驚きや感動……ケアの一環としての『ナラティヴ』は,しかし同時に,ケアをする側である助産師にも新たな『物語』を生み出します。そして,その『物語』を助産師自身が語り,自己のなかに意味づけがされたとき,『物語』は助産師としてのあり方やケアに対する姿勢にまでも影響を与えるような豊かな経験として各人のなかに刻まれていきます……」。

連載 とらうべ

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 明治生まれの私の母は昭和22年に6番目で末っ子の私を産んだ。私のきょうだいはすべて日赤の助産婦さんによる自宅出産だった。

 当時の話を母はよくしてくれ,それを思い出すたびに,助産婦さんがどれほど家族の精神的支えになってくれていたかがわかった。3番目を出産の後,母はリュウマチを患った。30代後半からの母は,今でいう要介護度5,まるでだるまさんのようだったといつも語っていた。その療養生活を支えるために,我が家には一時住み込みの看護婦さんと家事・育児をするばあやさんがいた。週2回の母の入浴は父が果たした。愛し愛されて療養しながら,その後6番目の私が生まれるまで,3回も出産,医師たちが驚くほどの回復を果たすのだから,すごい! リュウマチ特有の後遺症を全身に持ちながら50代の母は介護度1まで回復した。

連載 今月のニュース診断

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学校と病院

 学校・病院はセクハラの温床であるという。本稿は,いま多くの読者が所属している「学校」と「病院」で起きるセクハラについて考えたい。

 セクハラとは,端的にいえば,「相手を不快にさせる性的な言動」,「意に反する性的な行為」。

 学校におけるセクハラでは,たとえば教員が,進級・卒業・論文指導を口実(条件)に学生に関係を迫ったり,教授が,助手や秘書に出張随伴・同宿を強要したり,サークルの顧問や先輩が,後輩部員にお茶くみなどの性別役割分業を押しつけたり,性的言動を繰り返すなど。

連載 生殖補助医療 “技術”がもたらした現実と未来⑧

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生殖技術をめぐる世界の動向

 1978年にイギリスで世界初の体外受精児が誕生して以後,1980年代に入ってヨーロッパ主要国では,不妊治療の現場で普及し始めた生殖技術の法的規制の検討が始まった。1984年にはイギリス,85年にはドイツ,88年にはフランスで,のちの立法の基礎になる政府委員会報告書が出され,それと前後して専門医師団体の取り組みも進んだ。その結果,90年代には各国で立法が実現した(90年にイギリスとドイツ,92年オーストリア,94年フランス,97年デンマーク,98-2001年スイス,88-2002年スウェーデン)。

 規制の内容は国による違いが大きく,ドイツ語圏諸国のように厳しい禁止的規制をとる国もあれば,イギリスのように行政機関の審査に委ねる比較的リベラルな規制の国もある。フランスや北欧諸国などはその中間で,条件づけを狭くして慎重な規制を敷いている。

連載 英国助産婦学生日記・その27

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 冬休みの後,大学に10週間戻ることになった。こんなに長期の大学での授業は1年生の時以来。教科は助産管理,保健教育の2つで,久しぶりに看護学生と合同の授業もあった。

 以前,誰かが助産婦になるためには2つの条件があると言っていた。「女性にやさしいこと」「赤ちゃんを落とさないこと」。でも,現実の助産婦への道はそんなに単純ではなく,このひと月あまりの間に口頭試験が1つと小論文3つの提出があった。

連載 りれー随筆・220

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思春期講演の始まり

 「うちの学校で生徒たちにこの話をしてくれませんか」と言われたのが,私の思春期講演の始まりです。今から20年ほど前のことです。

 子ども会に役立つかなと思ってはじめたレクリエーションスクールの宿泊研修の夜のことでした。助産師としてかかわってきた出産の喜びや人工妊娠中絶をせざるえなかった悲しさ,性感染症の恐さの話をする私の周りには,いつの間にか大勢の研修生が集まっていました。そこに高校の先生がいらしたことが,私の人生を大きく変えるきっかけとなったのです。

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はじめに

 「板橋妊産婦体操研究会」は,東京・板橋区助産師会に所属する助産師3名が構成し,運営している団体です。現在,それぞれが保健センターでの乳幼児健診,母親学級講師,新生児訪問指導,個人病院病棟パート勤務などをしながら,板橋区内で「助産師によるマタニティ・エクササイズクラス(妊産婦体操クラス)」を実施しています。

 クラス開催から約1年半が経過し,これまでに約110人の妊婦さんとかかわることができました。そこで本稿では,私たちのクラスへの取り組みとクラスを通して感じたこと,参加者の反応などについて述べてみたいと思います。

 なお,妊産婦体操の意義や効果の大きさについては,諸先輩方がさまざまな文献を通して,ご紹介されていますので,ぜひそちらをご参照いただければと思います。

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はじめに

 日本看護協会助産師職能委員会では数年にわたって「助産基礎教育に関する教育上の課題と今後の方向性に関する検討」というテーマについて議論してきている。筆者のひとり松田はこのことを全国の職能委員長会議に出席して初めて知った。全国の職能委員長会議に出席する回数が増えるにつれ,助産専門学校の閉鎖,大学4年生教育の選択課程における助産基礎教育が主流となってきているなかで,全般的に卒業生数が減少し,国家試験の合格者数も減っていることを知った。

 基礎教育についての議論は,日本看護協会にとどまらず助産師教育機関,ならびに他団体との協議もなされてきている。また『助産雑誌』『助産師』の誌面上でも助産教育に関していろいろな立場の先生方のご意見が発表されている。このような助産基礎教育についての議論があちらこちらで起きていることは知ってはいたが,臨床の場においては客観的な立場で傍観してきてしまった。

 しかし,こうした現状は,毎年数人の助産師の退職者を出し新人を募集する側にいる者として危機感を覚えざるを得なくなってきた。サービスの受け手である妊産褥婦が満足できる助産師の基礎教育とはどのようであって欲しいのか,筆者らはいろいろな立場で助産活動を行なっている滋賀県下の実践家と話し合う機会を得て,教育に対し有意義な意見を得たので本稿で紹介したいと思う。

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はじめに

 近年,不妊治療を受ける人が増え,それとともに多胎出産が増加している。現代の育児状況をみると,核家族化,都市化が進み,孤独の中で育児に不安を抱えた母親たちが増えている。1人でさえも大変な育児,それが2人同時ともなれば,母親の抱える不安や育児に費やす労力ははるかに大きなものと思われる。

 当埼玉協同病院では,年間約1000件の分娩があり,そのうち5~6件双胎の赤ちゃんが誕生している。助産師として,双子の親のサポートはもちろん十全に行なうが,不安や大変さの解消には,時に私たち医療者の支援より,同じ境遇にあるもの同士の交流が何より心強いこともある。地域にも,双子の育児サークルなどは存在しているが,出産した病院で,妊娠中からかかわっていたスタッフが行なうサークルには,より参加しやすいのではないかと考えた。そこで産後,母親たちの交流の場が健診以外にはない当院で,双子の同窓会を初の試みであるが,開催することとなった。

 今回,第1回双子の同窓会の様子について紹介し,あわせて,今後の課題について検討していきたい。

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はじめに

 助産所や家庭での出産が多かった頃,助産師は地域の人々と今よりずっと密接な関係で,出産後の育児にも深く関わっていました。母乳育児に関しても離乳時のアドバイスまで個別的な援助を自然に行なっていました。しかし,出産場所が病院に移行し,助産師も病院の中で働くようになると,病院退院後の母親と私たち助産師の距離は遠くなっていったように感じます。私たち助産師は,母乳育児支援の専門家としての役目を担っていることを考えると,母子が満足して母乳育児を終了することができるよう,もっと地域へ積極的に働きかけ,援助を行なっていきたいものです。

 長崎市で働く助産師数人の間で4年前の春,「最近の離乳はどのように行なわれているのだろうか」と疑問が上がりました。そこで調査を始めることにしました。調査を進めると,離乳方法がわからず不安を抱えている母親が予想以上に多く,相談窓口を求めていることがわかりました。そこで私たちは,調査の協力が得られた長崎市保健センターのスタッフ(栄養士・小児科医師・助産師)とともに,乳離れに重きをおいた卒乳・断乳を考える教室を開催することを企画し,教室の共催を決定しました。

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 生殖補助医療に関しての基準策定のため,検討を重ねている厚生労働省の生殖補助医療部会で,2月27日,生殖補助医療によって出生した子どもに遺伝上の親を知る権利がどこまで認められるのかについて,部会としての見解を集約する話し合いがなされました。

 提供者個人が特定される情報まで開示すべきか否かという問題をめぐっては,提供者のプライバシーを重視すべきとする立場から,現実的な問題として,情報の公開によって提供者が減少することが今後,生殖補助医療を継続していくうえで大きな制約となるのではと危惧する意見も出されました。しかし,子どもが自己のアイデンティティを確立するうえで「親」の存在を知ることは,その子どもの福祉という点からみて,とても重要であるとの意見が多数を占め,これを受けて,同部会では,子どもに出自を知る権利を認め,今後,本人が望めば,“遺伝上の親”である提供者の情報を全面的に開示するべきであるという見解を結論として了承しました。

基本情報

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助産雑誌
57巻4号 (2003年4月)
電子版ISSN:1882-1421 印刷版ISSN:1347-8168 医学書院

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