連載 とらうべ
マザーリングされ上手だった母
竹永 和子
1
1マザーリング&ファミリーナーシング研究所
pp.275
発行日 2003年4月1日
Published Date 2003/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665100495
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明治生まれの私の母は昭和22年に6番目で末っ子の私を産んだ。私のきょうだいはすべて日赤の助産婦さんによる自宅出産だった。
当時の話を母はよくしてくれ,それを思い出すたびに,助産婦さんがどれほど家族の精神的支えになってくれていたかがわかった。3番目を出産の後,母はリュウマチを患った。30代後半からの母は,今でいう要介護度5,まるでだるまさんのようだったといつも語っていた。その療養生活を支えるために,我が家には一時住み込みの看護婦さんと家事・育児をするばあやさんがいた。週2回の母の入浴は父が果たした。愛し愛されて療養しながら,その後6番目の私が生まれるまで,3回も出産,医師たちが驚くほどの回復を果たすのだから,すごい! リュウマチ特有の後遺症を全身に持ちながら50代の母は介護度1まで回復した。
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