LiSA 15巻2号 (2008年2月)

徹底分析シリーズ 脊髄くも膜下麻酔の謎に迫る

巻頭言 樋口 秀行
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 脊髄くも膜下麻酔がヒトに施行されたのは1898年とされているので,脊髄くも膜下麻酔の歴史はかれこれ110年となる。その間,使用される局所麻酔薬は,コカインからプロカイン,テトラカイン,リドカイン,ジブカイン,ブピバカイン,ロピバカインへと変化し,使用される穿刺針もcutting針からnon cutting針へと発展してきた。そして今後も帝王切開術などの麻酔法として当分の間は生き続けると思われる。

 このように息が長く,未来もある麻酔法である脊髄くも膜下麻酔だが,日本では長い間軽んじられてきた感がある。手技が簡単なためか,診療報酬が全身麻酔に比べ極端に安価であることや,非麻酔科専門医による施行の多さなどが原因かもしれない。しかし,時に心停止まで引き起こす麻酔法であり,決しておろそかにできない麻酔法であることは言うまでもない。また,脊髄くも膜下麻酔には,長寿であるがゆえか,間違ったレジェンドが代々と伝えられてきた。

 今回の徹底分析では,脊髄くも膜下麻酔の不人気な理由の解明や,脊髄くも膜下麻酔にまつわる誤解を明らかにし,麻酔のプロとして知っておくべき知識を整理する。

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 日本の麻酔科医は硬膜外麻酔が好きで,全麻酔症例の1/3に利用しているが,なぜか脊髄くも膜下麻酔を毛嫌いする。なかには,まったく利用しない麻酔科医もいる。すばらしい切れ味の脊髄くも膜下麻酔を,なぜ利用しないのであろうか。脊髄くも膜下麻酔は,外科医がよく利用する麻酔だからであろうか。確かに脊髄くも膜下麻酔の上手な外科医はいるが,麻酔科医ならばそれを上回る高品質な麻酔を提供できるのではないか。

 脊髄くも膜下麻酔を行うと,低血圧や徐脈が現れる。これらの副作用で1度痛い目にあうと敬遠しがちになるが,今の技術でこれらの副作用は克服できる。局所麻酔薬のくも膜下1回投与で狙い通りの麻酔レベルを獲得するには,かなりの技術がいる。硬膜外麻酔よりむずかしい。だからこそ麻酔科医が行うべきもの。むずかしいからこそ腕を磨く楽しさがある。

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 帝王切開術を受ける妊婦に脊髄くも膜下麻酔を行ったら,血圧が下がりすぎてエフェドリンを乱発。血圧が落ち着いたと思ったら,麻酔が切れてきて患者が痛がる。そんな経験をした麻酔科医は少なくないだろう。そんなトラウマのような経験をした麻酔科医のなかには,用量を節約することで麻酔域が広がりすぎるのを回避しようとか,長時間作用を期待して糖を含まない塩酸ブピバカイン(等比重マーカイン®)を選択しよう,という人がいる。

 この選択は,正しいのだろうか。結論から言うと,この考えは間違いである。「え~!」と思った読者もかなりいるだろう。本稿では,このような,“誤った言い伝え”を徹底分析する。

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 硬膜穿刺後頭痛post-dural puncture headache(PDPH)は脊髄くも膜下麻酔時の硬膜穿刺後,硬膜外麻酔時の硬膜誤穿刺後,診断のための髄液採取や脊髄造影時の硬膜穿刺後などに発生する合併症である。本稿では,日常行われているPDPH治療について考える。

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 筆者は昨年5月,カナダのバンフで行われた『第1回日本・米国産科麻酔ジョイントミーティング』と,その翌日から行われた“第39回SOAP(Society of Obstetric Anesthesia and Perinatology)”に参加した。そのなかで最も印象に残ったプログラムは,昨年の本誌12月号『SOAP2007年印象記』(LiSA 2007 ; 14 : 1234)で里元麻衣子先生が書かれているのと同様,“Pro/Con debate”であった。タイトルは,“Neuraxial techniques for labor analgesia should be placed in the lateral position”である。欧米では坐位で穿刺する麻酔科医が多いとは聞いていたが,側臥位か坐位か,穿刺体位がディベートの対象となること自体が驚きであった。

 Pro側は産科麻酔で有名なハーバード大学ブリガム&ウィメンズ病院のDr. Lawrence Tsenであり,Con側はミシガン大学ウィメンズ病院のDr. Linda Polleyであった。Tsenは巧みな話術とスライドで数分に1回は会場を大爆笑の渦に巻き込み,片や,Polleyは『ロッキー3』の主題歌であるサバイバーの『アイ・オブ・ザ・タイガー』にのって華々しく登場し,その後もロッキーに扮してボクシンググローブをつけたまま,鮮やかに硬膜外カテーテルを挿入*1,Pro側をノックアウトさせるという内容で,こちらも場内は大爆笑であった。

 ディベートの中身はというと,Tsenは,飛行機のエコノミークラスで座ったままとビジネスクラスで横になった場合はどちらが楽か,と聴集に問いかけ,横になった姿勢のほうが母子ともに生理的であり,側臥位穿刺のほうが勝る,と主張。一方のPolleyは,坐位での穿刺の成功率の高さ,合併症の少なさなどを力説していた。

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 われわれの施設では,脊髄くも膜下麻酔の適応症例は以前ほど多くはない。その要因には,患者サービスの面(術後鎮痛に利用することができない)や,麻酔コストが全身麻酔に比べて極端に安い割にリスクが多いなど,さまざまな理由がある。しかし,麻酔科医にとって,脊髄くも膜下麻酔は必要不可決な手技の一つである。

 脊髄くも膜下麻酔に用いる脊髄くも膜下針には多くの種類があり,操作性がよく,硬膜穿刺後頭痛の発生を極力抑える針が開発され,臨床応用されてきた。時代の変遷とともにリユーザブルからディスポーザブルへ,cutting針からnon cutting針へ,針の太さも21ゲージから25, 26, 27ゲージへと変わりつつある。そこで本稿では,脊髄くも膜下針の開発の歴史をたどりながら,わが国で発売されている脊髄くも膜下針の構造的特徴を中心に解説する。

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 脊髄くも膜下麻酔で血圧が下がるのは当たり前。昇圧薬や輸液で安全に乗り切ってきたから大丈夫。でも,安全なはずの麻酔でも心停止をきたすことだってある。脊髄くも膜下麻酔の循環に与える影響を知ることは,恐ろしい事態を回避する手がかりになる。安全に麻酔管理を行ううえで知っていて損はない。

 本稿では,血圧低下のメカニズムを再確認し,昇圧薬や輸液の意義について検証する。

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 わが国における脊椎麻酔(脊髄くも膜下麻酔)は,第二次大戦後に急速にその症例数が増加した。高比重液での麻酔域の調節が可能になり,また手技が簡単で大掛かりな装置や道具を必要としない利点だけが先行し,外科,産婦人科,整形外科領域の手術に利用された。一方で,呼吸管理や循環管理などの安全性の確保に対する認識が希薄であった。その結果,脊髄くも膜下麻酔による死亡事故が増加した。このことは,著者が所属する弘前大学医学部麻酔科学教室の松木明知名誉教授の著書である『日本における脊椎麻酔死』1)に詳細が記載されている。“合併症は安易な普及で容易に起こる”好例といえよう。

 1980年代以降,多くの麻酔科医の安全性向上への啓蒙活動により,1990年代には,脊髄くも膜下麻酔事故の減少という結果に結びついた2)。2003年に公表された「区域麻酔に関する本邦での危機的偶発症発生の現況」3)では初めて大規模な脊髄くも膜下麻酔の危機的偶発症発症率と死亡率の報告がなされている。本稿ではこのデータをもとに,脊髄くも膜下麻酔の安全性の現状と,脊髄くも膜下麻酔事故の背景にある根本的な問題を再検討しながら今後の課題を提示する。

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 今月号の徹底分析シリーズのタイトルは「脊髄くも膜下麻酔の謎に迫る」である。しかし,このタイトルを違和感なく受け入れられる読者は,どれくらいいるのだろう。以前は,単純に脊椎麻酔と呼ばれていたはずである。それがいつの間にか脊髄くも膜下麻酔に変更され,雑誌への投稿原稿が赤字で訂正されて返却されたり,学会でうるさ型の先生から発言の訂正を求められたり。そうしているうちにだんだんと慣れてきたが,現在でも多少の違和感が払拭しきれていないのが正直なところである。

 LiSAの主たる読者である若い世代の麻酔科医が脊髄くも膜下麻酔という用語を何の抵抗もなく使っているのであれば取り立てて大騒ぎすることもない。しかしこのような原稿が依頼されたところをみると,著者のように感じている麻酔科医も少なくないに違いない。本稿では,spinal anesthesiaの日本語訳について考察する。

連載

Editorial拝見
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Anesthesiology

Editorial:

Maze M, Mario C, Grocott HP. Taking the lead in research into postoperative cognitive dysfunction. Anesthesiology 2008 ; 108 : 1-2.

Articles:

・Price CC, Garvan CW, Monk TG. Type and severity of cognitive decline in older adults after noncardiac surgery. Anesthesiology 2008 ; 108 : 8-17.

・Monk TG, Weldon BC, Garvan CW, et al. Predictors of cognitive dysfunction after major noncardiac surgery. Anesthesiology 2008 ; 108 : 18-30.

 高齢者において術後認知機能低下(POCD)が起こるという知見は新しいものではない。今回取り上げた二つの研究で示されたことは,POCDを起こしやすい術前のリスクには,年齢のほか,低い教育レベル,神経学的後遺症がない脳卒中が含まれること,高齢者では退院後3か月してもPOCDの頻度が高いこと,記憶障害のほか,生活にかかわる機能障害などの異なるレベルでの障害が起きること,さらに,退院時POCDや退院3か月後にPOCDがあった高齢者では,1年以内の死亡率が高いこと,である。

連載 初歩からのファイバースコープガイド下気管挿管:第10回

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 ファイバー挿管では,困った時にすぐに原因がわからないことが多く,それはファイバー挿管技術の修得をさらに困難なものにしています。しかし,困難に遭遇したら,問題点とその原因を探り,対策を見つけなければなりません。

 ファイバー挿管では,「スコープで気道を見て」,「見ている部位を判断して」,「スコープを先へと進める」の繰り返しにより,スコープを気管へと誘導していきます。そこでファイバースコープを気管に挿入するまでの間で,実際に困る場面を考えてみると,次の四つの問題点に帰着します(図1)。

 1. スコープの目の前が見えない

 2. 目の前は見えても,気道のどこを見ているのか判断できない

 3. 気道の部位を判断できるが,スコープ進路の先が閉塞して見えない(進めない)

 4. スコープが思ったように進まない

前回1)はこれらの問題点の解決の近道,すなわち“成功のための七つの鉄則”についてまとめました。これらの鉄則は,困難の具体的な原因がわからなかったとしても,多くの場面で解決に導いてくれることと思います。

 今回は,これらの問題点を引き起こす原因・要因,対策について,もう少し詳しく解説します(表1~4)。このアプローチは,問題点(=実際に困る場面)と原因が一対一で対応しない(同じ原因・要因により違った問題点が引き起こされる)ため少し複雑に感じるところもありますが,実際にうまくいかない場面において,具体的な原因と対策を知る手がかりになると思います。ファイバー挿管を行ったときにもし困難に遭遇したら,ぜひこれから解説する項目をチェックしてください。

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症例

70歳の女性。身長152cm,体重45kg,BSA1.37m2。関節リウマチによる右人工股関節置換術の既往があり,高血圧,糖尿病,慢性腎不全の合併症がある。リハビリ中に前胸部痛を自覚し,心臓カテーテル検査にて冠動脈狭窄3枝病変と左心室壁運動異常を指摘された。陳旧性心筋梗塞および狭心症の診断にて,手術目的で当院紹介入院となった。人工心肺を用いない心拍動下冠動脈バイパス術〔右冠動脈(RCA),左前下行枝(LAD),回旋枝(CX)領域への4枝バイパス〕が予定された。

麻酔科から

90年代後半から急速に増加した人工心肺(CPB)を用いない心拍動下冠動脈バイパス術(OPCAB*1)(コラム1)は,心臓麻酔に携わる麻酔科医の仕事を根底から覆したといっても過言ではない。心臓手術の麻酔では,ひとたびCPBが開始されれば張り詰めた緊張から開放され,休憩や食事交代の時間が得られるのが普通である。ところがCPBを用いないと,事情が一変するからである。一息つけるのはたかだか,麻酔導入が無事終了した後のグラフト採取時だけ。心臓の手術操作がいったん始まると,今度はさらに緊迫した時間を強いられる。

連載 心電図のメカニズム(2)

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連載 知識をいかに体系化するか

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 先日,演奏会でブルックナーの交響曲第7番を聴きました。ドイツのヴッペルタールという地方オーケストラで,パワー全開ではありましたが,オーケストラはメイジャーではありませんから演奏の質が「特別に上等」ということはなかったはずです。それなのに,今までに経験がないほど打ち込んで聴き,終ってからまことに快い気分で帰宅しました。

連載 Pharmacognomyへの招待

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 今月はSodium(E)-3-[p-(1H-imidazol-1-ylmethyl)phenyl]-2-propenoateを取り上げる。

 まず,基本骨格のpropenoateを示す(図1a)。2位-3位に二重結合をもつ。語尾がateになっているのは先頭がナトリウム塩になっているからである。この3位にp-(1H-imidazol-1-ylmethyl)phenylが結合しており,これを考えたいと思う。

連載 ヒューストン留学記:29

留学と年末年始 石黒 達昌
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術中覚醒再考

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最近の医療事故,医療裁判から考えさせらたこと

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最近の医療事故,医療裁判から考えさせられることがある。

 われわれ医療者は患者の治療に一生懸命になるために,検査の有用性や治療の効果に注目する。苦しんでいる患者の苦痛を和らげられるならば,可能なかぎりの手段を用いる。しかし,有用な検査や効果のある治療法であっても,実施にあたっては危険性や副作用にも配慮しなければならない。つまり,有用性とリスクを比較して診断・治療の方針を決めていく。

 患者への説明にあたり,有用性のみを強調して進めるのは片手落ちである一方で,リスクを強調しすぎて患者に不要な恐怖を抱かせるのも好ましくない。最良だと考えた検査や治療方法の科学的根拠が証明されていれば,危険性がある程度大きくても,効果が確実に期待できるなら自信をもってその方法を薦めることができる。たとえ副作用が現れても,事前に適切な説明を行って患者の同意を得ていれば,適用判断については,専門領域の同僚の多くから批判はされなく,また患者も納得しやすいだろう。

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from LISA
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 ■今度は,再生紙の古紙配合率偽装の発覚です。食品の偽装が羊頭狗肉であるならば,今回はその逆,犬頭羊肉。それだけに,契約よりもよい品質のものを作っていた,と罪悪感の薄い製紙会社社長もいるとか。偽装しなければならなくなった背景には,顧客のより白さを求める要望があるようです。しかし,求められている古紙の配分量では技術的に品質と両立できなかった。ならば,素直にできないと言えばよいところを,それが言えないのが日本的なのでしょう。白骨温泉の事件を思い出します。特徴の乳白色の湯がでなくなってしまったため入浴剤を入れた事件。温泉の質は問題なし,「ただ,乳白色を楽しみにきてくれる人をがっかりさせたくないという心遣いがあったのだ」と噺の枕にも使われていました。

 もう一つ。「消費者自体も安いものばかり求めるから」と発言し,豚肉や鶏肉を混ぜそれを牛ミンチ肉として販売したミートホープ社長はマスコミからたたかれました。でも彼は,偽の牛ミンチ肉を作り,船場吉兆のように高く売ったのではなかった。もし彼が最初から,くず肉でも工夫すれば牛肉並みの味は出せるのだぞと,「牛もどき」として発売していたなら(もちろん,衛生面の管理はちゃんとしてということですが),肉に精通したさすがプロだと,その筋には賞賛されたことでしょう。でも,品質はそのままで,安く求めようという消費者からは,はたして受け入れられたかどうか。一流品といわれるものが高いのにはちゃんとした理由があるはずなのですが…。

基本情報

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LiSA
15巻2号 (2008年2月)
電子版ISSN:1883-5511 印刷版ISSN:1340-8836 メディカル・サイエンス・インターナショナル

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