精神医学 61巻10号 (2019年10月)

特集 トラウマインフォームドケアと小児期逆境体験

特集にあたって 金生 由紀子
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 虐待や家族の機能不全という小児期逆境体験(adverse childhood experiences:ACEs)が成人後の心身の機能に影響を及ぼすことが明らかとなってきた。家庭内の逆境に加えて,いじめをはじめとする家庭外の逆境もトラウマとなり,成長後までも心身の問題を生じやすくする可能性がある。場合によっては,本人が親となってからも問題が残存して,悪影響が次世代に伝わっていくことも考えられる。虐待やいじめは児童精神医学とその関連領域を中心に検討されてきたが,ACEsを含めたトラウマは稀でなくその影響が長期に及び得ることから,より幅広い検討が望まれる。

 トラウマを体験していると,何らかのきっかけでトラウマ反応が生じることがあり,それを理解できない周囲が問題視して対応すると悪循環となることが考えられる。小児期の体験が成長後に影響してくるとしたら,本人でも理解できずにいっそう対応し難いかもしれない。それは,医療でも福祉でも教育でも起こり得ることだろう。そこで,トラウマが影響している可能性を念頭に置いて対応することが重要と認識されるようになり,トラウマインフォームドケア(trauma informed care:TIC)という概念が広がりつつある。TICは,心的外傷後ストレス障害のように明らかにトラウマの影響を受けている人に対する特定のケアだけでなく,すべての人に対するトラウマの理解とそれに基づく対応を含んでいるとされる。

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抄録 トラウマとなるできごとや小児期逆境体験が,慢性的な身体疾患や精神健康上の問題を引き起こし,個人や社会に広範囲で有害な損失を与えることに注目が集まるようになった。精神科医療など多領域では,過去にトラウマや小児期の逆境を体験した人が数多く存在することが判明している。そして,これらの人を支援するためのサービスそのものが,再びトラウマを引き起こす原因になっていることが指摘されるようにもなった。このような状況に対応するために生まれてきたトラウマインフォームドケアの概念では,トラウマの影響を理解した上で,サービスを求める側と支援する側の双方が,身体面・心理面・感情面の安全を重視しながら,それぞれのストレングスを強化し,気付きとコントロール感を高めていくような支援の枠組みが求められている。本稿では,トラウマインフォームドケアの効果的な在り方について考察する。

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抄録 筆者のトラウマインフォームドケアの学習過程,研修,文献,研究活動を述べ,SAMHSAのトラウマインフォームドケアに必要な3つのE,4つのR,6つの原理,そして10のガイダンスについて紹介する。精神医療が再トラウマ体験になる実態を調査研究の結果から示し,入院が再トラウマ体験になりやすいこと,トラウマインフォームドケアに未熟なシステムの特徴,再トラウマに繋がるケアや治療,トラウマ的な体験をした患者にとっての隔離と拘束,隔離と拘束を回避する方法,そしてトラウマインフォームドケアの目標についてふれ,感性を豊かにすることの重要性に言及する。結論として,わが国での精神科医療・看護におけるトラウマインフォームドケアは,まだ,始まったばかりであると言える。

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抄録 虐待相談対応件数は増加しており,社会的養護にある子どもの多くが複数の虐待を経験している。トラウマ経験がある子どもの状態や行動を理解するには,トラウマの知識を持ってかかわるトラウマインフォームドケア(TIC)の視点が欠かせない。問題行動と捉えられやすい言動をトラウマの観点から見直し,トラウマ反応に対する適切な働きかけを行うことで,子どもの再トラウマを防ぐことができる。心理教育やリマインダーの同定,リラクセーションスキルの練習も有用である。支援関係においては,トラウマの再演など,支援者自身が巻き込まれ,傷つけられることも少なくない。またトラウマに関わる支援の中で,支援者も二次的外傷性ストレスを受ける。さらに,対象者,支援者,組織全体が類似したトラウマ反応を示すという並行プロセスが生じると,支援現場に不信感や疲弊が蔓延しやすい。TICは支援者や組織を守るものであり,児童福祉におけるTICの導入が期待される。

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抄録 本稿では学校教育領域のトラウマインフォームドアプローチであるトラウマセンシティブスクールが普及した背景とその実践内容について述べる。児童生徒,教職員,保護者にトラウマが影響を及ぼすことが理解されるようになり,児童生徒の問題行動への対応にはトラウマの視点からの理解が求められるようになった。児童生徒が安心感を持ち学習するための取り組みとしては,ポジティブ行動支援の多層支援,教職員研修,トリガーへの配慮,学校の行動期待の明確化,社会性と情動の学習,情報共有などがある。支援体制の枠組みとして多層支援が用いられているが,その中でも特に第一層目である学校全体に対するアプローチに力点を置くことで学校環境の安心感を高めることができる。

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抄録 成人の難治性アトピー性皮膚炎(AD)患者の中には,皮膚科医と適切な治療関係を構築できない例が散見される。これらの患者は,言語を用いたコミュニケーションが不得手で,他者から適切な援助を引き出す能力に欠け,また,感情の調節障害もみられることが多い。その結果,標準的な治療からはずれ,ステロイド忌避に陥ったり,悪徳商法の餌食となってしまったりすることもある。そうすると生命の危機に瀕するような病状の悪化を招き,入院加療を要するような例もみられる。これは,AD患児が不適切な治療のまま幼少期を過ごすと,DVやネグレクトなどの虐待的な養育環境の中で育ったことに匹敵するようなストレスとなることに起因していると筆者は考えている。

 ADのような身体疾患の治療にも,治療者がトラウマインフォームドケアの視点からアプローチし治療を行う必要がある。

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抄録 依存症の病態については,基礎研究のみならず精神科臨床の現場においても,これまで乱用物質の作用による中枢神経系の異常や遺伝負因を背景とした発達の偏りで解釈されることが多く,患者を取り巻く心理社会的背景に注目した治療的アプローチに対する関心は必ずしも高いとは言いがたい。海外では,依存症のリスク要因として多様な小児期逆境体験が高頻度に認められることや,慢性的なトラウマ体験がその後の対人関係や感情調節の障害を介して依存症的行動をもたらす過程に関してエビデンスが集積されつつある。本稿では先行研究を紹介しつつ,動機付けが乏しいことの多い依存症患者と接する臨床医が治療を提供する際,トラウマインフォームドケアという視点を持つことの重要性について解説する。

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抄録 小児期逆境体験(ACEs)とは,小児期に体験した虐待やその他の家庭内の機能不全であり,さまざまな難治性の精神疾患の背景要因として注目されてきた。うつ病とACEsとの関連性は多くの研究で言及されている。たとえば,ACEsを経験していることでうつ病のリスクが増加すること,自殺行動と関連性が強いことなどが示されている。一方で,うつ病の患者にみられる,現在の気分に一致してネガティブな記憶を想起しやすい「気分一致効果」の観点から,うつ病とACEsとの関連性に関する研究に疑問が呈されることもあるが,抑うつ症状の悪化,改善によらずACEsの評価に時間的な一貫性があるという研究もある。治療において,ACEsを背景に持つうつ病の場合は,薬物療法の効果が低下し,難治化する一方で,認知行動療法の有効性が示されている。認知行動療法の進歩の中で,特にコンパッション(compassion:慈悲,思いやり)に焦点を当てた治療技法は,ACEsを持つ難治性うつ病を改善することが期待される。また,ACEsへ直接働きかけ得る認知行動療法の技法として,抑うつ気分に伴うネガティブな視覚イメージや記憶を同定し,その内容を見直す「イメージ書き直し(imagery rescripting)」技法が欧米で実践されており,我々も,うつ病患者を対象にした本邦初のイメージ書き直しの臨床研究において,ACEsの記憶と抑うつ気分の関連性をみている。

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抄録 これまで非行の大きな背景として虐待をはじめとする生育環境の問題が指摘されてきた。そうすると,逆境的環境や事故・災害ほか各種被害により成長期にトラウマをかかえる場合,非行につながる行動がさらに生じやすくなることは十分予想される。本稿ではトラウマを負った若年成人の2事例を紹介し,トラウマが社会的問題行動を生む動因となり得ることを示した。事例Aでは虐待的な家庭環境,本人の発達特性への無理解,学校でのいじめなどがトラウマを生み,事例Bでは児童期に海難事故で父親を失ったことに関連してトラウマが生じており,両事例とも内在する強い怒りが自他への攻撃性につながっており,トラウマの治療とともに危険な攻撃性は鎮静化した。また,両事例とも自閉スペクトラム症を有するとともに解離症状を呈しており,事例ごとにPTSD症状の特徴を捉え,適した介入法を検討するには発達特性と解離に留意することが重要であると思われた。

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抄録 長期反復性外傷後の症状について,これまでにHermanにより複雑性外傷後ストレス障害(複雑性PTSD)が提唱されて以来,子ども虐待やDVなどのように,長期間繰り返される重大なトラウマ体験のサバイバーには,PTSD症状のみならず,激しい情動不安定や,対人関係における重大な問題,価値観の歪みという問題が生じ得ることが認められてきた。van der Kolkらは,これらの慢性的な対人トラウマにさらされた子どもの臨床的表現を記述し,それによって臨床家が効果的介入を開発し役立たせるように導くこと,および研究に役立てることを目的として,発達性トラウマ障害(developmental trauma disorder:DTD)を提起した。DTDに示されている症状群は,逆境体験にさらされている子どもたちの表す症状をよく表しており,診立てや治療の手がかりとして,考慮されるべき基準であると思われる。

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抄録 小児期逆境体験(adverse childhood experiences:ACEs)は長期にわたって身体的・精神的健康に影響を与え,その影響は次の世代にまで及ぶことが分かっている。本稿では,ACEsが成人期に与える影響および世代間を越えて与える影響とそれらのメカニズムについて,国内外の疫学研究で明らかにされていることを紹介する。さらに,ACEsの疫学研究における限界点と臨床への応用についても論じる。ACEsの影響の大きさを考慮すると,早期にACEsを発見し支援していくことが必要だと考えられる。

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抄録 小児期の逆境要因について,医学領域では虐待的養育と家庭の機能不全に関する家庭内要因(intra-familial factors)に注目し,その加算的体験が成人期以降の広範囲な心身の健康リスクとなることを明らかにしてきた。一方,発達精神病理学の領域では,家庭外の要因(extra-familial factors)を加えて子どもが体験する逆境の総体を累積リスク(cumulative risk)として概念化し,認知・社会性・情緒発達への影響性を検討してきている。代表性の高いコホートデータを対象とした潜在クラス分析(latent class analysis)を用いた逆境体験の重複パターン抽出の試みや,逆境要因間の時系列的な関連性を問う経路研究が進展しつつあり,今後,いつ・どのような逆境体験が,どのような因果メカニズムで子どものこころの発達に影響するのかを探索する実証研究がさらに活性化することが期待される。

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抄録 通常のドパミン作動薬では症状が十分に緩和されていないむずむず脚症候群に人参養栄湯を追加投与し,1年間以上良好な治療効果を自覚している3症例を報告した。

 人参養栄湯の追加投与の治療効果は,3症例とも投与開始後3週間から1か月目ごろから顕著となった。また症例3では,人参養栄湯を追加投与後,服用中であったドパミン作動薬を減量できた。

 3症例の異常知覚は多彩であり,「むずむず」だけではなく,また症例2の異常知覚の発現部位は両上肢にも認められた。

 本稿では,ドパミン作動薬と人参養栄湯との併用療法がむずむず脚症候群に奏功することと,むずむず脚症候群の異常感覚は多彩であり,また発現部位は「脚」だけではないことも強調した。

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抄録 Clozapineは治療抵抗性統合失調症に効果を示す一方で,厳しい使用基準から副作用の問題や通院頻度・通院時間の問題などで継続することが難しい例も散見される。Clozapineが著効しながらも使用できない時に,次に使用するべき薬剤については一定の見解は定まっていない。今回我々はaripiprazoleなど非定型抗精神病薬6剤で有効性を認めないもしくは忍容性の問題を認めたため中止せざる得なかった患者に対してclozapineを投与したところ,著効したが白血球減少から継続できず,asenapinを使用したところ一定の効果を示した症例を経験したので報告する。

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抄録 本研究ではWork and Social Adjustment Scale(WSAS)の日本語版を作成し,その信頼性と妥当性をオンライン調査により検討した。研究協力者は,250名(男性125名,女性125名,平均年齢46.84歳,SD=9.93)であった。探索的因子分析の結果,WSAS日本語版は社会機能の障害を測定する1因子,5項目から構成される簡便な自己記入式尺度となった。WSAS日本語版におけるCronbachのα係数は0.95であり内的一貫性が示された。2週間の間隔をあけてWSAS日本語版の再検査を実施したところ,r=0.69となり,再検査信頼性は十分にあった。また,WSAS日本語版とSheehan Disability Scale(SDISS)日本語版との相関係数はr=0.69となり強い相関関係が認められ,基準関連妥当性が示された。さらに,構成概念妥当性では,WSAS日本語版はPatient Health Questionnaire-9日本語版とはr=0.54,Generalized Anxiety Disorder-7日本語版とはr=0.57の中程度の正の相関が認められ,構成概念妥当性が示された。したがって,WSAS日本語版は社会機能の障害を測定する尺度として有用であると考えられた。

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はじめに

 筆者は2018年9月8日から9月19日までデンマークを訪問し,現地の精神科医療施設を視察した。これは同年3月16日に,筆者の勤務する国立病院機構下総精神医療センターをデンマーク国営テレビ局が取材に訪れ,その際に知遇を得た精神科医師のP. Madsen氏とジャーナリストのM. Krøgholt氏から招待され,自費で訪問したものである。現地では精神科病院とアルコール・薬物乱用専門クリニック,回復が困難な薬物依存症患者に医療スタッフの観察下で違法薬物を摂取させる施設(drug consumption room,以下DCR)を視察させていただいた。また訪問前にデンマーク大使館にてJ. S. Barron-Mikkelsen氏から現代デンマーク社会の実情について講義をしていただき,コペンハーゲン市内にあるクリニックを紹介していただいた。ここで謝意を表したい。

 筆者は2017年にイタリアの精神科医療施設を視察しており,内容は精神神経学雑誌第120巻第8号に報告した1)。イタリアでは,極端に人権に配慮した精神科医療の開放政策を実施した結果,多くの精神科患者が治療から脱落し,違法薬物の乱用に陥っている状況が見受けられた。日本の精神科医療は,海外先進国と比較して患者の人権への配慮が乏しいことを批判されているが,実際はどうであろうか。海外の精神科医療について法律,制度を報告したもの,回復施設を見学したものは多々あるが,実際に精神科臨床医が現地を視察して,治療内容を報告したものはほとんどみられない。筆者が日々の臨床を通じて実感していることは,隔離や拘束なしで精神科急性期治療が行うことは相当困難であるし,重度難治性の患者の入院期間を短くもできず,また無理に退院させて良い結果が出るとも思えないということである。デンマークは他の北欧諸国とともに,充実した福祉制度を備えていると言われているが,実際に精神科患者が置かれている境遇はわが国と比較して恵まれたものなのであろうか。臨床医の視点で視察をし,この点について報告することは意義があると考えた。

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 思えば古いが,小生が「小発作重積症とその周辺」を,本誌「精神医学」(11巻8号)に発表したのは,1969年であった。それに先立つ1968年,本邦初例として,「発作性混迷ictal stuporの一例」を報告した。半世紀以前の話で恐縮である。以来,ほそぼそではあったが,この主題をめぐって,これまで多くの引用の栄誉をいただいてきた。ごく最近,NCSE(non-convulsive status epilepticus)を冠した報告症例が意外に多くなったのにやや戸惑っている。疾患の頻度が短い期間にそう変わるものではなかろう。こういう症例は,ごく稀にしか経験できない。

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目次

次号予告

編集後記
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 このたびの特集を通読してみて第一に感じたことは,「トラウマインフォームドケア(TIC)と小児期逆境体験(ACEs)」は,精神医学のすべての領域に関連しており,すべての精神科医が学ぶべきであろう,ということです。本号は,そのための絶好の機会を私たちに与えてくれています。特集は,金生先生の緒言にはじまり,11本の論文で構成されています。亀岡論文ではTICの概念について,川野論文ではTICの学び方や日本の現状について,野坂論文,中村論文,上田論文では,それぞれ児童福祉,学校教育,医療現場におけるTIC導入について学ぶことができます。また,小林論文,平松論文ではACEsが物質関連障害・嗜癖性障害,うつ病に及ぼす影響について,天野論文では自閉スペクトラム症の事例における非行とトラウマの関連について,笠原論文では発達性トラウマ障害の概念について学ぶことができます。さらに,伊角論文ではACEsの疫学研究について,菅原論文ではACEsの発達精神病理学的研究について,近年の文献が展望されています。この領域はまだ新しく,基礎的・臨床的な研究の蓄積が必要ですが,将来性のある重要な領域であり,本特集がさらなる研究発展の契機になることを期待しています。

基本情報

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精神医学
61巻10号 (2019年10月)
電子版ISSN:1882-126X 印刷版ISSN:0488-1281 医学書院

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