精神医学 60巻11号 (2018年11月)

特集 精神科臨床から何を学び,何を継承し,精神医学を改革・改良できたか(Ⅰ)

創刊60周年記念特集にあたって 佐藤 光源
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 本誌「精神医学」は「臨床に即した高度な内容をわかりやすく提供する」ことを編集方針として1959年に誕生した。終戦から14年が経過して日本の精神医学がようやく復活の兆しを見せ始めた当時は,精神医学領域の定期刊行物は日本精神神経学会の「精神神経学雑誌」(精神経誌)が唯一のものであったが,内村祐之は「遺憾なことに学位論文風のものが多くて臨床医家に必要な知識の啓発や総説が非常に少なかった」と振り返っている。そうした中で,精神経誌のほかにもう一つ精神科臨床に直接役立つような定期刊行物を持ちたいという有志が集まって編集同人になり,本誌が創刊された。本誌の英文表記が「Clinical Psychiatry」である所以でもある。この臨床重視の編集方針を貫いて60周年を迎えたことは,祝福に堪えない。

 私事ながら,本誌が発刊された4年後に精神科医になった筆者は,症例を中心にした臨床研究は本誌の「症例報告」や「研究と報告」,「総説」の各欄に投稿し,学位論文や動物実験による前臨床研究は精神経誌に投稿してきた。臨床に始まり臨床に終わる精神医学を目指した多くの研究者にとって,本誌は貴重な数少ない発表の場であった。

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はじめに

 周知のように,日本精神神経学会(JSPN)は2002年の総会で,1937年から続いた「精神分裂病」を「統合失調症」に変更した。この病名変更は単なる呼称変更ではなく,同時に早発痴呆に由来するクレペリン的な疾患概念(Kraepelinian concept20),K概念)から完全寛解やリカバリーが期待できるWHOの一般概念に改め,その病因・病態や臨床経過,長期転帰を脆弱性ストレスモデルで説明したもの16)であった。その精神科臨床に及ぼした影響を取り上げるにあたり,まず病名変更の経緯について簡単に触れ,ついで呼称と一般概念の変更が何をもたらしたのか考えてみたい。ただし,病名告知率を除いて臨床的意義に関する追跡調査は必ずしも十分でなく,臨床的意義に関する考察が中心になることを,はじめにお断りしておきたい。

 なお,呼称変更と社会的スティグマに関してはYamaguchiらの報告21)があり,呼称変更とマスメディアについてはKoikeらの報告5)があるので,そちらを参照されたい。

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はじめに

 2004年12月24日に厚生労働省の「『痴呆』に替わる用語に関する検討会」(以下,検討会)は,一般的な用語や行政用語としての「痴呆」について,以下のような結論に至ったと報告した8)

 ①「痴呆」という用語は,侮蔑的な表現である上に,「痴呆」の実態を正確に表しておらず,早期発見・早期診断等の取り組みの支障となっていることから,できるだけ速やかに変更すべきである。

 ②「痴呆」に替わる用語としては,「認知症」が最も適当である。

 ③「認知症」に変更するにあたっては,単に用語を変更する旨の広報を行うだけではなく,これに併せて,「認知症」に対する誤解や偏見の解消等に努める必要がある。加えて,そもそもこの分野における各般の施策を一層強力にかつ総合的に推進していく必要がある。

 この報告を受けて,関連諸学会においても,学術用語としての「痴呆」を「認知症」に変更する方向で検討が進められ,今日では,一般的にも,行政的にも,学術的にも,「認知症」という用語が広く使用されるようになっている。本稿では,「痴呆」という用語の呼称変更が検討されるまでの経緯と「認知症」という用語が誕生するまでの経緯を概観した上で,呼称変更が何をもたらしたかについて私見を述べることとする。

サイコオンコロジー 内富 庸介
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はじめに

 サイコオンコロジー(psycho-oncology)は,がん告知を含む社会の動向に大きく影響を受けてきた。米英では,1960年代のホスピス運動を背景にがん患者の生存期間だけでなくquality of life(QOL,生活の質,人生の質)が重要な健康アウトカムとして認識され始め,1970年代後半に原則,本人にがん告知を行う医療が確立した。1977年,米国メモリアル・スロン・ケタリングがんセンターにサイコオンコロジー部門は誕生した。当時,日本ではがんの事実を家族にはすべて伝え,患者には全く伝えないといった状況であったが,問題意識を持った少数の医師と看護師が中心となって日本死の臨床研究会(1977年)を創設し,その後国際学会の呼びかけに応じて日本サイコオンコロジー学会(1986年)は誕生した(表)17)

 国立がんセンターは,戦後に結核,肺炎,脳卒中が激減する中,がんの突出を見越して,1962年に創立された。がんは1981年に死亡数の第一位に躍り出たが,1992年調査でがんの告知は約20%であった。同年開設した国立がんセンター東病院が原則本人にがん告知を行う初の施設であった。1995年,精神腫瘍学研究部の開設後,大学などでは取組み難い長期的な施策的研究,診療,研修を行ってきた。

 2006年にがん対策基本法が成立し,がん診療連携拠点病院(400),地域がん診療病院(36)が指定されていった。以後,この新指定制度の要件に従いサイコオンコロジーを含む質の高いがん医療が推進されたことに特徴がある。また,標準的がん治療ガイドラインの普及に伴い,副作用対策の標準化も喫緊課題となり,日本がんサポーティブケア学会(2015年)が創設された。ほぼ同時に,ガイドラインの礎をなすエビデンスが弱い支持療法,緩和ケア,サイコオンコロジー領域の標準治療確立を目的に,恒常的な臨床試験体制構築を目指す,J-SUPPORT(日本がん支持療法研究グループ.http://www.j-support.org/)が創設された(2016年2月)。

 本稿では,特集のねらいに従い,サイコオンコロジーの約60年のあゆみとともに(表),サイコオンコロジーは精神科臨床から何を学び,何を継承し,そして何を改革したか,に焦点を絞って論ずる。

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はじめに

 筆者が精神障害の状態で犯罪行為に及ぶ者(以下,触法精神障害者と称する)の問題に関心を持ち始めたのは,精神科医となって3年目,1969年に国立武蔵療養所に勤めてからのことである。当時,同所の最も堅固な閉鎖病棟には,過去に凶悪事件を起こして終生退所は許されないとされる一患者が居たが,スタッフは患者を刺激しないよう,事件については一切触れぬようにしていた。同所では精神鑑定に助手として携わる機会も得たが,統合失調症による被害妄想に基づいて弟を刺殺した25歳の男性を鑑定人(原田憲一医長)が責任無能力と判定したのに,裁判官は再鑑定の結果を採用して5年間の実刑を科したのを目にし,若い精神病者が長く治療の機会を失することに無念さを感じた。女児に対する強姦事件を起こした前科7犯,41歳の男性は,鑑定時に反省の色も見せず,自ら「これは一種の病気じゃないかね」,「止めるにはたまを取る(去勢する)以外にないです」と述べていたが,鑑定人(秋元波留夫所長)は,器質性脳疾患に基づく軽度精神遅滞(IQ:61)のため限定責任能力と判定し(参考意見として欧米諸国にあるような性犯罪者治療施設の必要性を付記),裁判官はこれを採用して懲役1年6月の判決を下したのを目にし,刑期を半減された精神障害者がじきに出所して新たな被害者を生むことを許す法制度に理不尽さを感じた。精神科医療と刑事司法の間には,さまざまな重要な課題が存在するのに,日本においては,両者の接点と言えるのは,措置入院制度と精神鑑定,矯正医療などにすぎないが,欧米諸国には触法精神障害者を一般患者と区別して専門的に治療する制度・施設が整備されており,それを基礎として司法精神医療・医学が発展していることを知り,日本でもそのような制度ができるとよいと強く思った。

 このような経験から,私は精神鑑定と司法精神医学に関心を抱き,1972年に東京医科歯科大学難治疾患研究所犯罪精神医学研究室の中田修教授のもとで専攻生となり,司法精神医学研究の道へと進んだ。時期的には,法務省が法制審議会の答申に基づいて治療処分の導入を図る刑法改正を目指していて,これが社会的論議を呼び,日本精神神経学会ではその成立阻止を目指す運動が活発化していた頃のことである。専攻生となる前年の暮れに開催された日本犯罪学会総会に参加してみると,壇上はすでに「保安処分反対」を叫ぶ精神科医達に占拠されていて流会を余儀なくされた時の光景が,今も鮮明に記憶に残っている。

 その後,法務省による治療処分導入の主旨が,触法精神障害者の処遇を措置入院制度という医療行政措置に委ねることがもはや許されない時期にきているという危機感から生じていることを知った2,7)。反対論者たちは精神神経学会の総会をも占拠し「改正案は触法精神障害者に治療なき拘禁を強いるもので,抑圧されている精神障害者に更なる抑圧を加えようとする悪法だ」と主張し,精神病院内での不祥事(患者への過剰な拘禁や虐待など)を告発しては学会員や世論に訴えた。宇都宮病院事件注1)の真相を知ると,患者の人権擁護が喫緊の課題であることもよく理解された。それでも筆者には,精神障害者の人権擁護が大切なのは当然だが,精神障害者による犯罪の防止対策もまた重要であり,両者を混同して論ずべきではないという思いがあったが,当時の学会には冷静な論議など許さぬ雰囲気があった。私はこの国の触法精神障害者の実態をぜひ調査したいと考えたが,実際にその機会を得たのは法務総合研究所との共同研究に参加した時(1982年)からである注2)

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はじめに

 養老律令(757年施行)には現在の精神障害や精神遅滞・てんかん患者などの犯罪は減免されていたものの,その患者の看護は原則家族の責任であることが明記されていたが4),心神喪失等で重大な犯罪を行った精神障害者という,二重の負担を負った人々に対して,養老律令以来,はじめて国の責任によって運営される医療ならびに社会復帰のための支援を提供するための法律が「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(医療観察法)」である。この医療観察法医療は司法と医療がともに責任を持つ初めての司法精神医療であり,一般精神科医療にも大きな変革をもたらしつつある。この一般精神科医療への好ましい影響の第一はその医療の実践で用いられている多職種協働の治療プログラムやさまざまなリスク評価と対応マニュアル,包括的暴力防止プログラム(CVPPP)などが一般精神科医療に波及しつつあり,日本の精神科医療の水準を上げることに寄与し始めていることである。

 第二に,医療観察法案の成立前後から厚生労働省の精神科医療改革への施策が次々と打ち出され,国会で審議中の医療観察法修正案に明記された「国の責務としての一般精神科医療の水準の向上」のため,厚生労働大臣を本部長とする精神保健福祉対策本部の設置(2002年),「入院医療中心から地域医療福祉中心へ」の転換を図る精神科医療改革ビジョンの策定(2004年),がん,心筋梗塞,脳卒中,糖尿病の四疾病に精神疾患を加えた五疾病について,医療法に基づく医療計画の作成を指示した大臣告示(2012年),国連で2006年に採択された障害者権利条約のわが国での批准(2014年),精神保健福祉法41条の「良質かつ適切な精神障害者に対する医療の提供を確保するための指針」に基づく厚生労働大臣告示(2014年)がなされ7,8),その成果が徐々にではあるが,上がってきている。実際,診療報酬の改定もその流れに沿う形で進んでおり,通院困難な精神障害者の地域生活支援のためのアウトリーチ活動は診療報酬の面で評価されるようになり,その後の改善もなされた。また,精神科急性期医療における16:1の医師配置に対する評価も改善され,総合病院精神科医療,とりわけ身体合併症医療の改善なども進められている。これらの流れの源流の一つが医療観察法の審議,成立,施行にあったことは言うまでもない。しかし,一方,著しい地域間格差が指摘されている措置入院制度や精神科情報センターの適正な運用,検察段階での簡易鑑定の適正化,刑務所などの刑事施設等の精神障害者への適切な精神医療の提供など,医療観察法の政府案が提出された当時,盛んに議論された諸点がほとんどそのまま放置されているのは甚だ残念である6)

 医療観察法の施行は遅れていたわが国の司法精神科医療に多大な成果を生みつつあるとともに,一般精神科医療へも大きな波及効果をもたらしつつあるが,本小論では今後のわが国の司法精神科医療の発展と一般精神科医療の改革に何らかの参考になればと願って,医療観察法の成立直前後の状況とその時に積み残された課題について略述したい。

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はじめに

 「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(医療観察法)が施行され,約13年が経ち,医療観察法制度は定着し安定的に運用されているようにみえる。しかし,法施行当初,入院・通院指定医療機関の不足など決して順風満帆とは言えない状況が続いていた。本稿においては,医療観察法が施行され,どのように課題の解決が図られ医療観察法による医療が運営されたかについて述べ,また今後の課題や精神保健福祉法への般化の実現について検討する。

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はじめに

 医療観察法の公布は2003年7月16日,施行は2005年7月15日であり,すでに12年以上運用されている。施行後に精神科医になった人たちも今や中堅である。医療観察法が成果を上げているのかと言われても,制度がない状況を知らない医師も少なくないということになる。言ってみればその制度の定着こそが成果ということになるかもしれない。本論では医療観察法施行が,精神科臨床,刑事司法,そして社会全体にどのような影響をもたらしたのかを概観する。

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はじめに

 本稿では,操作的診断(DSM-Ⅲ)が登場した背景を振り返り,DSMの基本思想を再確認することで,診断基準に対する誤った直解主義を正す。さらに診断概念の多面性を整理した上で,今後の診断学の発展過程について考察する。

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はじめに

 精神疾患に対する操作的診断基準によるカテゴリー診断は,精神科診療の現場にとどまらず,司法,行政に至るまで浸透している。診断を症状とその経過に専ら依拠せざるを得ない精神科診療の現状を考えると,精神医学が医学の一分野として認知されるためにも,共通言語としての役割を担う暫定的な取り決めが必要であることは言うまでもない。その代表が,DSMやICDにおける診断基準によるカテゴリー診断である。こうした診断基準による診断の功罪については,すでにたびたび論じられているので,詳細についてはそれらを参照いただきたい13)。DSMに対する批判の多くは,カテゴリー診断にまつわる誤解や誤用に対してであるとする意見にも一定の説得力があるが,DSMによる診断が一人歩きをすることがしばしば問題となっているのが実状であろう。

 DSM-5においても,その冒頭で,「DSM-5の第1の目的は,熟練した臨床家が,症例定式化のための評価の一部として行う患者の精神疾患の診断を助けることであり,それが各患者に対応した十分に説明された治療計画の作成につながることになる」とし,さらに「症例の定式化には詳細な臨床病歴と,その精神疾患の発症に寄与したかもしれない社会的,心理的,生物学的な要因に関する簡潔な要約が伴わなければならない。したがって,診断基準に挙げられている症状を単純に照合するだけでは,精神疾患の診断をするためには十分ではない」と述べている1)。すなわち,診断カテゴリーにのみとらわれることなく,症例の定式化(case formulation,図1),つまり患者のストーリーを包括的に理解するという診立てが何よりも重要であるとしている11)。したがって,DSM診断の利用に関した主要な課題は,症例の定式化を軽視し,診断(とその意味するところ)を吟味なしに受け入れることによって生じると言えるかもしれない。

 ところで,DSMがストイックなまでに原因を排除したことで,当初の意図通り調査・研究における利用が飛躍的に進展することになった一方で,成因論的に発症のプロセスから診立てを考えながら治療に生かすことが求められる診療の現場では,診断の枠組みとしてのDSMでは物足りないというのが臨床医に共通した認識であろう。

 本稿では,カテゴリー診断を補完し,日常診療に生かすためには何が必要かについて述べたい。なお,本稿で操作的診断,カテゴリー診断を論じるとき,特に断りがない限りDSM-5を指している。

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はじめに

 古くから「ヒトとは何か」との問いに対して,認知・感情・意欲の3つの機能の重要性が指摘され,盛んに研究がなされてきた。情動については,辺縁系を中心とした心理学的・生理学的研究で,その機能について,種々の知見が得られている。一方で,注意や記憶,遂行機能などの認知機能については,その詳細は十分に明らかではなかった。

 1990年代以降の神経科学の進展に伴い,遺伝子,分子,脳画像,計算理論などの複合領域で脳機能の解明が進み,沈黙野と呼ばれていた前頭前野の機能が解明されるにつれ,認知機能の詳細な神経メカニズムが徐々に明らかになっている。

 一方,精神医学においては,認知機能とその障害については,古くBleulerの時代からその重要性は認識されていたが,治療対象として取り上げられることは,最近までなかった。しかし2000年代に入り,第二世代の抗精神病薬が普及するにつれ,統合失調症において,副作用としての認知機能への影響のみならず,認知機能の改善効果が注目されるようになった。同時に,治療目標が,単に精神症状の改善にとどまらず,患者個人が主観的満足度の高い生活をいかに送るかという「リカバリー」へと転換し,これを実現するために,日常生活の生活しづらさをいかに解消するか,つまり社会機能の向上をいかに図るかが,注目され始めた。近年,主要な精神疾患において,社会機能の低下には認知機能障害が強く影響していることが明らかにされており,認知機能障害をいかに評価し,治療するかがきわめて重要な課題となっている。

 このように認知機能に関する意識の高まりと相まって,精神医学における認知機能障害の評価と治療の重要性がここ20年間で飛躍的に高まっているが,ひと口に認知機能障害といっても,その内容は多岐にわたる。

 本稿では,認知機能障害が主症状の一つとして位置付けられ,その評価と治療法について,盛んに研究されている統合失調症を中心に取り上げ,1)認知機能とは,2)認知機能障害とその種類,3)認知機能障害の評価,4)認知機能障害の治療,5)情動と認知機能障害の関係性について,概説する。重要なことは,患者の社会機能を改善・向上する上で,どのような認知機能障害が問題となっているのか,どの程度の重症度で,どのような治療を行う必要があるのか,医療者間で同じ認識を共有することにあると思われる。

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はじめに

 労働者健康状況調査(2017年)12)によると,「仕事や職業生活に関して強い不安,悩み,ストレスがあるとする労働者」の割合は59.5%にも及び,精神障害などによる労災請求件数11)は毎年,過去最高を更新し,2016年度は1,732件(前年度比146件増),実際に労災認定された件数も,2016年度498件,2017年度506件で認定率は32.8%を呈しており,深刻な状況が続いている。事業者が民事上の損害賠償責任を問われる事例もあり,労働者のメンタルヘルス不調は,企業経営のリスク要因として見逃せない問題であるという認識が定着してきている。メンタルヘルスとは,精神的健康,心の健康,精神保健,精神衛生などとも称され,産業現場だけではなく精神科医療の精神障害治療の現場でも使用されている。今回,産業精神保健現場におけるメンタルヘルスの概念の変遷に関して説明する。

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はじめに

 認知行動療法について筆者の一人である大野がはじめて知ったのは,米国留学中の1986年のことだった。精神分析療法や精神力動的精神療法を勉強しに留学したコーネル大学医学部附属病院本院の外来部長だったAllen Francesが,せっかく米国にまで来たのだから多くの治療法を身につけるのが良いと勧めてくれたのがきっかけだった。

 その頃,米国の精神医学は生物学的精神医学一色で,ジョンスホプキンス大学のレジデント・トレーニング・プログラムから精神療法が削除されたことが話題になっていた。精神医療の医学化が強く押し進められ,脳科学が進めば精神疾患が解明され,根本治療が可能になると信じられていた時代だった。精神療法などしなくても,薬物療法などの生物学的治療で精神疾患が治療できるようになると考えられていた。

 しかし,それから30年あまり,そうした生物学的楽観論は次第に勢いを失ってきたようにみえる。薬物療法の開発も,ブレークスルーと呼べるような成果はみられていない。バイオマーカーを診断の基本に据えようと意図して始まった米国精神医学会の『DSM-5精神疾患の診断統計マニュアル』作成委員会のパラダイムシフト構想は,信頼に足るバイオマーカーが一つもないことを世に示しただけで,従来の症状に基づくカテゴリー診断に戻らざるを得なくなった。

 こうしたDSMの改訂に否定的な米国精神保健研究所(NIMH)によって始まったResearch Domain Criteria(RDoC)研究は,ディメンジョンを用いて精神疾患の生物学的背景を解明しようとしたものだが,はたして成果が出るかどうかが,それが分かるまでに10年単位の時間が必要だろう。

 こうした動きは,精神医療の医学化の行きづまり10)のように思えるが,そうしたこともあってか,再び精神療法が注目されるようになってきた。中でも,認知行動療法は,効果に関する実証的研究が積み重ねられたこともあって,広く関心を持たれるようになり,米国精神医学会も研修用の書籍12)を出版するようになっている。そこで,本稿では,我々の認知行動療法の効果研究を基に,認知行動療法のわが国の精神医療への貢献と今後の展望について論じることにしたい。

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 日常の診療場面で,神経症と精神病の臨床的な意義は変わっていない。神経症概念は病的不安の成り立ちや精神療法,さらには人間理解にも深くかかわっているし,精神病における現実検討(病識を含む)の障害は,患者さんの社会的機能や入院処遇(非自発的入院,隔離,身体拘束など)や司法精神医学における責任能力にも直接かかわるので,むしろ当然である。一方,DSM-Ⅲ(1980)とICD-10(1992)で神経症と精神病の成因論的な二分法がなくなって,すでに38年になる。“精神病性”という用語は残ったが,“神経症性”がICD-11に残るかどうかは疑わしい。DSM-5の精神病性障害には一次性と二次性の障害が精神病像の特徴を共有する形で連続性をもって含まれているが,ICD-11では分かれている。

 DSMとICDのいずれも病因や病像構造に関する理論を排除することを原則とし,精神生物学的な仮説や力動精神医学的な理論もその例外ではない。それでも“精神病性”は,これまで現実検討の著しい障害または自我境界の喪失した状態と規定されてきた。DSM-ⅡとICD-9では現実検討の障害ではなく,日常生活能力が損なわれるほど精神機能が障害された“人”に適用すると規定されたが,あまりに広義で評価基準も曖昧だし,非精神病性障害でも精神病状態になることはあると批判された。そこでDSM-ⅢとICD-10では現実検討の著しい障害に立ち戻り,その直接的な表出である「幻覚または妄想があり,それが病的と洞察できない状態」で規定し,DSM-5とICD-10にも引き継がれている。“精神病性”という用語を人に適用するのではなく,人のある時点の状態像として回復可能性を残したことは,「精神病」に対するネガティブな社会通念や偏見,差別を正す点で意義深い。

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抄録 児童・思春期精神科で治療を受けている子どもは,自尊感情が低く,回復させる必要性が指摘されている。そこで,中学生を対象に自尊感情とソーシャルスキル,居場所感の関係を明らかにすることを目的とした。

 入院・外来通院中の208名の結果から自尊感情尺度(RSES-J)とコミュニケーション基礎スキル尺度,居場所感尺度との間に正の相関が認められ,パスモデルよりソーシャルスキルや友人関係が居場所感に影響を与え,居場所感が自尊感情に影響していることが示された。

 このことから,自尊感情を高めるためには,友人関係に着目した観察や,ソーシャルスキルへの介入,また居場所感を高める支援が重要であると考えられた。

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抄録 パーキンソン病患者は腰痛を訴えることが多く,一般の高齢者も整形外科的な疼痛を訴える頻度が高い。今回我々は,レビー小体病と考えられ,トラマドール塩酸塩/アセトアミノフェン配合錠が投与されたところ,激しい幻覚,妄想症状を呈した2症例を経験した。レビー小体病には幻覚,妄想が高頻度に出現することが知られており,薬剤起因性ではドパミン刺激作用や抗コリン作用がその原因となることが知られているが,本薬剤はこれらの作用を有していない。レビー小体病と診断されていない場合においても,同薬剤の投与で幻覚や妄想が出現した場合,潜在的なレビー小体病の可能性に留意し,精査を検討する必要があると考えられた。

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抄録 精神医学における新たな研究方略として,Research Domain Criteria(RDoC:研究領域基準)が注目されている。RDoCは,観察可能な行動指標とそれに対応する生物学的指標から精神障害のコンストラクト(構成概念)を規定するものであり,これまで蓄積されてきた生物学的知見が活かせる枠組みとして期待されている。しかしながら,従来の疾患カテゴリーに基づく研究方略に対し,RDoCに基づく研究方略がどのような利点を持つかはまだ十分に検討されていない。本論文では,筆者らが構築した,精神医学における研究方略の評価のための理論的枠組みを紹介する。提案した枠組みでは,病因となる要素から観測可能な行動・症状までに至る過程を数理モデルで表現し,さまざまな条件のもとで,各種の研究方略が病因を検出できる確率を評価する。それにより,各種の研究方略が,どのような状況において利点を発揮するかを検討する。また本論文では,関連する研究も概観しながら,計算論的アプローチがどのように精神医学研究に貢献できるかを議論する。

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 睡眠は脳の機能の表現であると同時に,睡眠の障害は生物学的因子とともに,心理社会的因子をも反映するという意味で,包括的なアプローチが必要とされる病態である。しかし,睡眠という現象に科学の光が与えられたのはそう古いことではない。睡眠には異なる深さの眠りがあり,slow wave sleepとparadoxical sleepという質の異なる睡眠があると述べたのはJouvet M(1961年)であり,rapid eye movementと夢との関係を報告したのはDement WとKleitman N(1957年)であった。これらの研究は,睡眠という現象についての理解が進み,脳波がそれらの現象に科学的根拠を与えたことを示している。

 そのようにして,睡眠という現象がより詳細に検討されるようになって,睡眠に伴う脈拍,呼吸,体温などの自律神経機能の変化も睡眠-覚醒に伴ってリズムを形成していることが明らかとなり,日内リズムの研究が始まった。その結果,睡眠を単に夜の現象としてとらえずに,睡眠-覚醒という一連の現象と考えるようになったと言えよう。

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目次

今月の書籍

次号予告

編集後記
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 本号には,時間をかけて企画してきた創刊60周年記念特集の第1部が掲載されています。編集委員会では企画段階から本誌「精神医学」の歴史を振り返り,この期間におけるわが国の精神医学・医療について討論を重ねてきました。この中から「精神科臨床から何を学び,何を継承し,精神医学を改革・改良できたか」という主題が生まれました。佐藤光源先生の巻頭言には,これらの具体的内容が簡潔明解に凝縮されており,来月号の第2部にも続く本特集の海図と言える内容となっています。

 特集では,まず統合失調症と認知症の病名変更についての経緯,その影響と臨床的意義について,それぞれの専門家による詳細な解説がなされています。これらに関しては,それぞれの病名の日本語訳が作られた時代から今日に至る社会的な認識の変遷,治療学の発展などを背景に実施され,大きな波及効果をもたらしたことが分かります。医療観察法の実現,操作的診断法のわが国への導入や発展についてもその背景や影響についてわかりやすく解説されています。さらに,サイコオンコロジー,認知機能障害の概念,産業保健におけるメンタルヘルス概念,認知行動療法などの新たに精神医学の中心に登場した主題についての解説がなされています。

基本情報

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精神医学
60巻11号 (2018年11月)
電子版ISSN:1882-126X 印刷版ISSN:0488-1281 医学書院

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