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日常の診療場面で,神経症と精神病の臨床的な意義は変わっていない。神経症概念は病的不安の成り立ちや精神療法,さらには人間理解にも深くかかわっているし,精神病における現実検討(病識を含む)の障害は,患者さんの社会的機能や入院処遇(非自発的入院,隔離,身体拘束など)や司法精神医学における責任能力にも直接かかわるので,むしろ当然である。一方,DSM-Ⅲ(1980)とICD-10(1992)で神経症と精神病の成因論的な二分法がなくなって,すでに38年になる。“精神病性”という用語は残ったが,“神経症性”がICD-11に残るかどうかは疑わしい。DSM-5の精神病性障害には一次性と二次性の障害が精神病像の特徴を共有する形で連続性をもって含まれているが,ICD-11では分かれている。
DSMとICDのいずれも病因や病像構造に関する理論を排除することを原則とし,精神生物学的な仮説や力動精神医学的な理論もその例外ではない。それでも“精神病性”は,これまで現実検討の著しい障害または自我境界の喪失した状態と規定されてきた。DSM-ⅡとICD-9では現実検討の障害ではなく,日常生活能力が損なわれるほど精神機能が障害された“人”に適用すると規定されたが,あまりに広義で評価基準も曖昧だし,非精神病性障害でも精神病状態になることはあると批判された。そこでDSM-ⅢとICD-10では現実検討の著しい障害に立ち戻り,その直接的な表出である「幻覚または妄想があり,それが病的と洞察できない状態」で規定し,DSM-5とICD-10にも引き継がれている。“精神病性”という用語を人に適用するのではなく,人のある時点の状態像として回復可能性を残したことは,「精神病」に対するネガティブな社会通念や偏見,差別を正す点で意義深い。
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