「小学校2年の時に結核で1年間休みました.その後も持久力が足りないことなどから,自分が他の人とは違うなって薄々感じてはいたんです」水上さんはしみじみと言う.しかし,その言葉からはもちろん,働いている姿からも,難病に苦しんでいるというような「負」のイメージは一切感じられない.「私は性格がきついですからね.もっともきついからやってこられたんでしょうけれど」
両親兄弟とも無い水上さんが看護婦を目指したのは,早く自立したかったからだ,希望通り看護婦になり,そして結婚.力いっぱい働いていた.が,24歳の時妊娠がきっかけで特発性心外膜炎と診断された.この時から,水上さんの病気との闘いは始まっていたのだ.その後も様々な医療機関に勤めたが,入退院の繰り返しで長くは続けられなかった.その間も診断名は特定されず,昭和57年,帝京大学病院でのパートから本採用への移行時の検診でやっと,全身性エリテマトーデスと診断された.