看護学雑誌 50巻11号 (1986年11月)

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はじめに

 妻が亡くなってからちょうど1か月くらいたった昨年12月,“看護学雑誌”の編集部から,妻の入院体験(‘癌と駆けっこ’)が連載中に,医師である患者(妻)に,夫として,また,医者としてどのように対応したかをまとめてほしいとのお話がありました.妻の入院中に一番気を遣ったことは,夫という家族の立場から感情に押し流され,医者という科学者の立場を忘れないようにするということでした.もちろん,感情の渦に巻き込まれ,ある瞬間には,己を失い悲しみの中にもがき苦しんだことがありましたが,その悲しみに浸るぜいたくは許されず,妻が亡くなる最後の日まで医者の立場で妻を診ることができたと思います.そんなことから,編集部から原稿依頼された時も‘いいですよ’と気軽に引き受けました.

 ところが,いざ原稿用紙に向かうと(といっても,テレビ画面の原稿用紙にワープロのキイを打っているのですが),3年間,客観的立場を,無理して取り続けてきた緊張の糸がすっかり切れてしまったようです.妻の思い出を1つ,2つ書き出すと妻のいないことが今更ながらに思い出され,もうこの世に妻がいない寂しさと,悲しみと,楽しかった結婚生活,辛かった入院生活の思い出が入り乱れて堰を切ったように胸の中に溢れ,それ以上妻の思い出に触れることができなくなりました.

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 私の夫,吉見之男は1983年に下咽頭癌を診断され,K病院で摘出手術を受けた.診断から退院までの経過については,ちょうど夫の末弟が本誌の編集部員だったこともあり(編集室注・故吉見輝之氏本年5月,山で遭難),本誌49巻1-12号に闘病記“私は前を向いて歩く”を掲載させてもらっていたので,覚えておられる方もいらっしゃるかも知れない.そんなわけで,まずは闘病記終了後の近況から報告しようと思う.

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はじめに

 父は胃癌で発病後1年2か月で他界した外科で胃全摘,食道下部切除,食道腸吻合術を受け,退院後7か月で再発,経口摂取困難となり,私の勤務する大学病院放射線科へ入院し,3か月後に死亡した.そこで私は看護婦と家族という両方の立場を同時に体験した.今まで他人事として受けとめていた末期癌の看護を肉親を通して経験した.看護婦と家族の両方の立場から,患者と医療,家族の想いについて述べてみようと思う.

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 語り手の我妻令子さんは,文化人類学者として高名な故我妻洋氏の夫人.我妻氏はハワイ大学準教授,ピッツバーグ大学教授,カリフォルニア大学(UCLA)教授を歴任の後,1980年に19年間にわたる米国生活に終止符を打って帰国され,筑波大学,東京工業大学で後進の指導に当たっておられた.84年7月に食道癌の手術を受け2か月後に退院翌年5月には肺への転移が確認されている.この間,放射線治療や化学療法,免疫療法などが試みられたが,自宅療養中の6月に嚥下性肺炎を併発し再入院,7月25日に逝去された.

 精神の貴族’を志していた我妻氏が,癌と闘いながらも病床で精力的な執筆活動や,失われた声を補うために特製のマイクを使い,大学での講義を続けられた話はあまりにも有名である.

特別寄稿

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青天の霹靂

 青春の足跡が確かめたくて,この夏は十数年ぶりに,アルプスに登ってみようと思っていた.それにしては,お腹のあたりの脂肪も気になるし,体力もすっかり衰えてしまった感がある.思いたって,早朝トレーニングを始めた.1分も走れば青息吐息だったのが,2か月ばかり過ぎたころには,足腰に力がつき,プロポーションもなかなかのものになっていた,‘シメシメ,この分なら’と,すっかり槍ケ岳や穂高を歩いているつもりになっていた.

 ところが,山の天気が急に変わるように,病気などとは縁がなかった私の体に,急変が起きたのである.

連載 自立のための援助論—セルフ・ヘルプ・グループに学ぶ・5

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 凛として,透明に生きている人がいる.悲しみや苦悩は自分の中に背負いこんで、周りには優しさと温かさを漂わせている.そういう人に出会うと,生きていてよかったと思う.しかしどうしてそんなに正面を向いて生きられるのだろう.そのひたむきさが,痛々しく,悲しくさえ感じることがある.そんなふうに思うのは,そう生きたいと望みながら,そうできない私の感傷のせいであろう.

 こういう思いにかりたてられる人に出会うことは,そう多くはない.喜田清さんは,私にとって数少ないそういう人の1人である,「民衆の歴史は,民衆自身で掘り起こし,語り伝えていかねばならない」喜田清さんは,この言葉をよく口にし,本気でそれを実行している人である.

連載 高齢化社会の福祉と医療を考える・3

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 最近老人ホームを生活の場に,という声をよく聞く.老人問題や老人ホームに詳しい学者や評論家,ジャーナリストだけでなく,実際に老人ホームの運営に携わっている人々やそこで働く職員までが,老人ホームをこれからは生活の場にしていくべきだと考えているようである.私はこの主張に反対ではないのだが,というよりむしろ積極的賛成論者のつもりでいる者だが,その意味するところがどうもよくわからないのである.特に‘生活’という言葉がそれぞれの人々によってどう意味づけされて使われているのか今一つはっきりとつかめない.

 具体的な物をさす言葉と違い,抽象的な言葉は基本的に無色透明ではない.プラスであろうがマイナスであろうが,ある価値を背負っているはずで,それ故に社会的な重さを獲得できるのである.‘生活’という言葉は明らかに肯定的価値を与えられている言葉である.なんとなく良い言葉だということは誰でも知っているのに,その意味をはっきりと理解するのは難しい.生活とは人間らしく生きることと考えるのが常識的なところであろう.せんじ詰めればこれでいいのだが,これでは同じ抽象度で言い換えたにすぎないから,本当にわかったことにはならない.つまり,老人ホームで人間らしく生きるとはどういうことなのか,どんな生き方のことなのかを問わなくてはならないからである.

癌と駆けっこ・11

一番苦しかった時期 刑部 慶子
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再生不良性貧血になりかける

 1984年10月,抗癌剤治療の2クール目を始めて以来,様々な副作用がいっぺんに出てきた.まず,相変わらずの腸閉塞で日夜にわたって吐いている.それに加えて口腔粘膜の荒れ,アフタができ,また舌の左右両側が潰瘍のようになってしまい,ひどい痛みだ.いくら消化管をターゲットとする薬だからといって,口くらいは普通であってほしい.特に舌の両側の潰瘍はなかなか治らず,舌を動かすと歯に当たってひどい痛みだ.3週間位この痛みを味わっていたが,ついに耳鼻科の先生にステロイドと抗真菌剤のうがい薬を処方してもらい,ようやくおさまった.

 髪の毛はほとんど抜けて,禿げ頭になってしまった.そして,今回は赤血球,白血球数が落ちて,なかなか上がらなくなった.骨髄の細胞は普通,抗癌剤投与後2週間目に最も少なくなり,それを過ぎると,また次第に増えてくる.ところが,今回は3週間たっても4週間たっても横ばい状態であった.輸血を何回も行なった.だが,あまり輸血ばかり行なうと,やがて自分の骨髄で造血をしないようになってしまうらしい.

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はじめに

 私たちは看護学総論演習Ⅰ(1学年)において,“看護の基本となるもの”(V.ヘンダーソン著)の中の1項目,‘患者の仕事または生産的職業を助ける’を選択した.演習は文献学習とともに,東京都心身障害者福祉センターおよび国立療養所多磨全生園などの見学を通して進められた.とりわけ,多磨全生園での学びは大きく,‘病むとはどのようなことか’‘回復過程に影響を及ぼすものは何か’など,‘生きがい’をめぐる問題にまで学習は深まった.

 その後行なわれた1年時および2年時の臨床実習において,演習での学びが実習でどのように反映されたかについてまとめたので,ここに報告したい.

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はじめに

 私たちは外科病棟で,‘かゆい,かゆい’と言い,全身に多くの掻き傷のある患者に出会った.その患者は直腸癌肝臓転移による黄疸の発現,強度の掻痒感のため,不眠に悩まされていた.そこで私たちはこの患者に対して掻痒感の緩和を目標に援助していった。しかし,その後の病態の悪化に伴い,患者は自分の疾病について不安を抱き始め,私たちの掻痒感の緩和への援助は,精神的に不安定な患者の感情をかえって刺激することになってしまった.私たちが患者と接していく中で,‘患者の立場に立った看護の展開,また,ナイチンゲールの“看護覚え書”にある‘患者をとりまくありとあらゆる環境を適切に保ち,患者の生命力の消耗を最小にするよう整えること’という基本的な看護姿勢について学んだので報告する.

NURSES' VIEW

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 まだ梅雨入り前の6月7,8日,2日間にわたって行なわれた東京ホームケア研究会公開研究会に参加しました.今回のテーマは‘ネットワークづくりの技術’でした.一口に‘‘ネットワーク"と言っても,これはなかなか難しいことです.

 私たちの病棟では,PPCの一部(セルフケア)を導入し,退院前や糖尿病などの教育指導をメインとしていますが,同時に2名の看護婦による訪問看護も実践しています.その中から,このネットワークがうまくいった例を紹介しましょう.

NURSING THEORY 看護理論ってなあに?・11

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それは1914年5月12日のことだった

 アメリカのテキサス州ダラスという街で,看護の歴史を塗りかえんばかりの看護界の大物M.ロジャーズが生まれたのは,20日紀初頭のことであった.今,21世紀到来を目前にして,ロジャーズ理論は徐々に私たちの中に腰を下ろそうとしている.

 私たちがロジャーズの看護学を支える世界観をまともに理解しようとする時,そのベースになっている人類学,心理学,社会学,天文学,宗教,哲学,歴史,生物学,物理,数学,文学などの諸学問の素養がどうやら必要であるらしい.たとえば彼女のオリジナルとでも,言うべきステートメント:

ここまできた日本の医療・21

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培養皮膚概念の起源

 ──最近,重症熱傷患者本人のわずかに残った正常皮膚を培養して,それを本人に再移植するという培養皮膚を使った治療法が注目されつつありますが,培養皮膚の開発はいつごろから始まったことですか.

 吉里 培養皮膚のアイディアそのものは,かなり以前からありました.それが最近の細胞培養法の進歩に伴って現実のものと考えられるようになってきたのです.特にMITのGreen教授らによって開発された表皮細胞の大量迅速培養法は,この分野に大きな影響を与えることになりました.

DECISION MAKING IN NURSING こんなとき、あなただったらどうします?・11

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なぜ‘しわよせ’か

 しわよせ:物事のうまくいかないことから起こる悪い影響が他(末端)に及ぶこと(新明解国語辞典,三省堂)

 医療の現場で治療・看護に関する患者へのしわよせは,あってはならないことだ.が,痛いことに現場の状況を考えると,そんなことは日常茶飯事である.なぜそうなのか.

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 多くの場合,精神病はマイナスのものとして体験される.患者は症獣を克服すると共に,病気になったことを乗り越えねばならない.長期になり,入退院を繰り返す中で自信を失い,社会に再び出て行くことに躊躇(ちゅうちょ)が生まれる.

 1983年,主に長期人院の患者を対象に社会復帰の糸口をつかむための新たな試みが模索された.長期の療養生活で減退した自発性を回復し,他者との共同性を獲得することを目指した.

和漢診療の実際・11

少陽病の治療について 寺澤 捷年
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 前回は太陽病についてお話しした.数多くの病気は太陽病から始まる.外邪の力もほどほどで,治療方法もピタリと当たれば病気は治ってしまう.読者の皆さんも,カゼ引きの治り方は体験なさっていると思うが,それはシットリと心地よい汗が全身に出て,今までのダルさや痛みがスーッととり除かれるものである.このように全てがうまく行けば名医である.

 しかし,外邪の力が強力であったり,生体の側の気血水の要素に欠陥があったり,治療方法を誤ったりすると,病気はさまざまにその姿を変える.もっとも普通には太陽病から少陽病へのコースをたどることが多い.つまり病変の主座が‘表’から‘半表半裏’へと進入することになる.

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 初期計画ができたということで“プロブレムを解決するための計画立案”の段階は終わって,次は計画の実施です.

 実施となると問題になるのはナース個人個人の看護技術だと思うでしょうが,ちょっと待ってください.もちろん,ナース一人一人の技術的なことも大切なことです.でも,そんなことをわざわざ僕がここでいうことはありません.皆さん一人一人がイヤッというほど感じていることでしょうから.

病む人々へのカウンセリング・22

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 前回はゲシュタルト療法がどのようなものか,その基本理論について述べましたが,今回は,ゲシュタルト療法がセラピーの現場でどのように使われるのか,ゲシュタルト療法の実際についてお話ししたいと思います.

ワードスキャン

アタッチメント 横尾 京子
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 親子はどのようにしてお互いの人間関係を築きあげ,また乳幼児期における様々な人間関係は,その後の人間形成にどのような影響をもたらすのだろうか.これらの疑問は心理学の領域のみならず,私たち医療に携わるものにとっても重大な関心事である.

 Bowlbyは,子どもの母親に対する結びつきを重視し,‘子どもが他の特定の人物との間で形成する愛情的な結びつき’をアタッチメント(attachment:愛着)と称した.さらに,‘子どもには1人の特定の人物(母親)に愛情を抱く生来的傾向(monotropy:一元性)があり,この母親への主要なアタッチメントは,他の副次的な人物に対するアタッチメントとは異なる’と論じた(1961年).

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 去る8月14日,群馬県前橋市の群馬大学医療技術短期大学部で第1回国際看護教育北顎津セミナーが開催された.14日の開会式の後,群馬大学病院の見学等を終えた15日に,草津の国立大学セミナーハウスに移動して開かれたこのセミナーは,同大学がアメリカ合衆国ワシントン州シアトル市のシアトル・パシフィック大学(SPU=Seattle Pacific UniVersity)保健学部との長年の交流が,1981年第1回米国医療技術研修会として発足したことに端を発する.

 以来5年にわたり続けられたシアトルでの研修は,群馬大学付属病院をはじめ近郊の病院の看護婦も参加するに至り(本誌,本号,SALON,1316p清水紀久江,‘米国医療研修に参加して’).今回,その成果を踏まえて,看護教育セミナーの開催が企画された.

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 紀南綜合病院には何と1ダース,12組ものカップルが働いている.その内の3組にご登場いただいた.一番の先輩である奥村組は,看護学校の光輩と後輩の仲で,結婚14年目.「仕事中は他人こ対するよりもずっときつくなりますね」と京子さん.Mr.釣本とMr.中平は看護学校の同級生.結婚もほとんど同時期にして,今年4年目.「職場でも家庭でもすれ違いが多いのでいつまでも新鮮な気持ちていられる」「今でも病院で顔を合わせるのはテレくさい」というのが,彼らの弁.

ちょっと一言 総婦長のつぶやき

遊び心を育てましょう 高橋 章子
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 あいにくの曇り空ではあったがSan FranciscoからLos AngelsまでCaliforhia Coastを旅した.‘アメリカ広いな大きいな’と果てしなく続く海岸線と乾燥した丘陵を眺めながらバスに揺られていると,大きな自然の中に吸い込まれてしまって,空気の一部分でしかないような奇妙な気分になる.そう,これが私の好きな旅のスタイルである.きわめてグウタラな方法ではあるが,私流の奥の細道の心である.頭も心も透明になって,ただ空が,海が,山が美しく,咲いている花花の1つ1つに感動する.

 特に英語が活せるというわけではなくても,日程にゆとりさえあれば,自分にあったメニューを現地で選びながら心に残る旅を楽しめる.私も友人と2人で侍に応じて日本人や外国人のツアーに混じって観光した.詳細を理解できるという点では,日本人ツアーが楽しめるが旅情を味わうには外国人と一緒の方が楽しかった.

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 現在,東京民医連(東京民主医療機関連合会)に加盟している病院は17,診療所は57,組織人員は4000,その内ナースの数は1000人を越えた.そのナースたちのための看護婦部会があり,6つのブロックから1名ずつ選ばれた委員で,部会運営委員会を構成している.この看護婦部会の活動の1つとして機関誌『明日への看護』を発行号を重ねてきて,目下,第10号を作成中,遅くとも来春には出す予定でいる.

 一応,7人のメンバーでなる雑誌編集委員会があるのだが,だれもが雑誌作りに関してはズブの素入なので,文字通り,悪戦苦闘.その上,みんなが7つの違う職場で仕事をしているのて,月1回の編集会議に一堂に会すのが至難だ.日にちと時間がなかなか折り合わない.ただ,救いは,どの病院でもこの会議に出る時間を認めてくれているので,大義名分があって抜け出せること.

ニューヨークのナーシングホームから・11

オリエンテーション 吉田 冬子
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 入居の仕方は2通りある.他の病院や施設から転院して来る(長期療養者)場合と,高齢で介助が必要なため自宅から直接来る場合.今回取り上げる後者は,経済的に余裕があれば住み込みのヘルパーを雇って解決できるがそうできない人にはよい方法なのだ.

 地域のソーシャルワーカーなどに説得されて入居を決意し,愛着の深い道具を処分する.ある人はウェディングドレスの写真1枚に,ある人は英国製コーヒー茶碗1つに思いをよせて大事に抱えてくる.旅行するみたいにほんの身の回り品だけにして家を出るのだが,旅行じゃないから我が家に戻ることはない.自分を狂気の世界に追いこんで決別するほどではないにしても,いざとなると耐え難いものだ.ま,中には老人ホームのボスになろうとか,あわよくば男をたぶらかそうなんていう人もたまにはいる.

老景十二話・11 〈老い〉の中に世界が見える

食べる 三好 春樹 , 三好 京
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 右片マヒの0さん(68歳)は,長い間病院で付き添いさんに介助してもらっていたせいで,食事を自分で張ろうとしない.多少不自由でも左手で食べられないはずはないから,職員の方は,さまざまな工夫を試みては,Oさんに自分で食べるよう促す.握りやすいようにスプーンの柄を太くする,すくいやすいような皿を使う,お皿がすべらないようゴム製のマットを敷くetc…….それでも0さんはウンとは言わず,いつも寮母さんの介助を待っている.

 ある日,昼食の献立はカレーライス.たまたま寮母さんが忙しくて介助に行くのが遅れた.すると1人でスプーンを握って食べているではないか.その日以来彼の食事は自立した.1か月以上にわたって膳に柄の太いスプーンを付け続けた職員側の確信と執念,それに,偶然を“偶然”に終わらせない姿勢の結果であった.面白いことに,こうして食事動作が自立すると,柄の太いスプーンは不要で,むしろふつうのスプーンの方が使い易いというし,皿やマットといった工夫も必ずしも必要ないのである.

基本情報

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看護学雑誌
50巻11号 (1986年11月)
電子版ISSN:1345-2746 印刷版ISSN:0386-9830 医学書院

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