連載 高齢化社会の福祉と医療を考える・3
‘生活’の場としての‘老人ホーム’とは[1]
木下 康仁
1
1立教大学社会学部
pp.1294-1297
発行日 1986年11月1日
Published Date 1986/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661921572
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
最近老人ホームを生活の場に,という声をよく聞く.老人問題や老人ホームに詳しい学者や評論家,ジャーナリストだけでなく,実際に老人ホームの運営に携わっている人々やそこで働く職員までが,老人ホームをこれからは生活の場にしていくべきだと考えているようである.私はこの主張に反対ではないのだが,というよりむしろ積極的賛成論者のつもりでいる者だが,その意味するところがどうもよくわからないのである.特に‘生活’という言葉がそれぞれの人々によってどう意味づけされて使われているのか今一つはっきりとつかめない.
具体的な物をさす言葉と違い,抽象的な言葉は基本的に無色透明ではない.プラスであろうがマイナスであろうが,ある価値を背負っているはずで,それ故に社会的な重さを獲得できるのである.‘生活’という言葉は明らかに肯定的価値を与えられている言葉である.なんとなく良い言葉だということは誰でも知っているのに,その意味をはっきりと理解するのは難しい.生活とは人間らしく生きることと考えるのが常識的なところであろう.せんじ詰めればこれでいいのだが,これでは同じ抽象度で言い換えたにすぎないから,本当にわかったことにはならない.つまり,老人ホームで人間らしく生きるとはどういうことなのか,どんな生き方のことなのかを問わなくてはならないからである.
Copyright © 1986, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.