はじめに
輸血関連急性肺障害(transfusion related acute lung injury,TRALI)は,比較的稀な非溶血性輸血副作用である.近年,輸血の安全性がかなり向上してきたことを反映して,重篤な副作用として注目され始めた.TRALIは輸血開始後数時間で起こる非心原性の急激な肺水腫(胸部X線上では両側肺浸潤影)による呼吸困難と低酸素血症を呈することで特徴づけられる病態である.1950年代より症例の報告はあったが,1983年にPopovskyらによりTRALIの呼称が提唱され,1985年に彼らの36例の症例報告により,独立した一つの病態として認識されるようになった1~3).
TRALIの典型的症状および臨床所見としては急性の呼吸困難,重篤な低酸素血症,血圧低下,発熱,そのほかにも多呼吸,チアノーゼ,胸部聴診上湿性ラ音などがある.これらの症状は輸血中もしくは輸血後数時間以内に発生し,通常は一過性であり,早期発見と適切な酸素療法,呼吸補助療法により回復することが多いとされている.呼吸困難を呈する他の病態との鑑別も重要であり,輸血関連循環過負荷(transfusion associated circulatory overload,TACO),輸血以外の原因による心不全,アナフィラキシーショック,汚染された血液製剤による細菌感染などを念頭に置き鑑別診断をしなければならない.
TRALIの発症頻度は輸血血液1単位当たり0.014~0.08%といわれており,死亡率は十数%とされている4~6).しかしTRALIの診断基準が報告により異なっているために正確な頻度についてははっきりとしない.米国では過去三年間における輸血関連死亡のうちTRALIは一番の原因となっている.米国FDA(Food and Drug Administration,食品医薬品局)への報告は輸血関連死亡の場合のみであり,TRALIの発生頻度や死亡率に関するデータはないが,死亡率から考えると,致死的でないものを含め実際の発生数はかなり多いと思われる7).英国では最新のSHOT(Serious Hazard of Transfusion)の報告によると1996年から2003年の過去8年間に139例のTRALIが報告され,32例が死亡している8).フランスでは2003年には15例のTRALI報告例のうち3例が死亡している9).病態の認識の高まりとともに今後症例報告が増える可能性はある.
2004年の4月にカナダのトロントでTowards an understanding of TRALI,Consensus Conferenceが開催され,統一したTRALIの診断基準の提唱がなされた.この診断基準は1994年に提唱されたThe American-European Consensus Conference on ARDSの定義との整合性を持たせて作成されており,TRALIの診断基準の推奨案として2004年の12月のTransfusionに発表された.推奨された診断基準を表に示す10).NHLBI(National Heart, Lung and Blood Institute)からも診断基準が提唱されているが,基本的な部分に関しては同じである11).
TRALIの病因については現在までに二つの異なった案が提唱されている.一つは免疫学的機序によるもので,もう一つは非免疫学的機序によるものである.
免疫学的機序によるものはなんらかの抗原抗体反応が肺障害を引き起こしているという仮説である.ドナー由来の抗白血球抗体もしくは患者がもともと持っている抗白血球抗体が原因となり,それぞれ,患者白血球もしくは製剤中に残存している白血球との相互作用により,白血球の活性化が起こり,補体の活性化,肺毛細血管への付着およびその傷害,血管透過性の亢進などを惹起し,非心原性の肺水腫を起こすという説である.
Popovskyらの報告では,89%の症例においてドナーに抗白血球抗体を見いだしている3).抗好中球抗体と抗HLA class I 抗体とが原因として提唱されたが,すべてのケースで特異性が一致したわけではなかった.抗HLA class I 抗体の関与するTRALI症例については1970年頃より報告があり,抗好中球抗体に関しても今までに抗HNA-1a,-1b,-2a,-3a抗体によるTRALIが報告されている12).1999年にKopkoらは抗HLA class II 抗体によるTRALIの発症を報告し,その後相次いで抗HLA class II 抗体によるTRALIの報告がなされている5,13~16).単球(Monocyte)に対する抗体もTRALI症例で見いだされている17).患者側に抗体が見いだされたTRALIのケースも少数であるが報告されている.さらに片肺移植10週間後の患者で抗HLA-B44抗体陽性の血液を輸血され,HLA class I (B44)が一致した移植肺のみにTRALIを発症したという報告もあり,血球系以外の細胞と抗体との反応でもTRALIが起こる可能性を示唆している18).また,二人以上のドナーからの輸血を受けた患者がドナーの血液間の抗原抗体反応による免疫複合体の形成によりTRALIを起こした可能性がある例も報告されている19).このように免疫学的機序にもさまざまな抗原抗体反応がかかわっていると推定され,いまだ認識されていない抗体が誘因となっている可能性もある.Grimmingerらの報告では抗5b抗体〔抗HNA(human neutrophil antigen)-3a抗体〕を用い,顆粒球と肺動脈血管内皮細胞との共培養でロイコトリエン(leukotriene)C4などの血管透過性を亢進する物質が放出されることを見いだしている20).また,Nishimuraらは抗HLA-class II 抗体と可溶性HLA抗原とにより形成されるimmune complexが顆粒球と肺毛細血管内皮細胞との共培養で内皮細胞の傷害を起こすことを示している21).さらにKopkoらは抗5b抗体が顆粒球のprimingに関与していることを示している22).このようにいくつかの知見が得られているが,発症の詳細な機序に関してはっきりとした答えは出ていない.
免疫学的機序による動物モデルも作成されており,Seegerらによるex vivoのrabbit lungを用いた抗5b抗体(抗HNA-3a抗体)と5b陽性の白血球を用いた系とではrabbit plasmaの存在下に肺水腫モデルを作成している23).またBuxらはrat lungを用い,マウスモノクローナル抗HNA-2a抗体とHNA-2a陽性率70%以上の白血球とを灌流することにより肺水腫を生じさせている24).SusskindらはBALB/c mouseを用い,mouse MHC class I mAbのinjectionによりTRALI様の病態を生じさせている25).
ヒトでのTRALIを目的とした検討ではないが,新生児の溶血性疾患の治療のために有用と思われている抗HLA抗体,抗単球抗体を健常者に投与しその効果をみる実験で,予期しなかった副作用としてTRALIが発症した事例が報告されている.これは抗体だけで健常者にもTRALIが発症することを示唆しており,抗体説を支持するものと考えられる26,27).
非免疫学的機序によるものは,Sillimanらのグループにより主に提唱されているのだが,TRALI症例の病因として,患者の状態(例えば,感染症,直近の手術,サイトカインの投与,大量の輸血,炎症など)と,製剤のなかに蓄積される活性脂質の存在が重要であるという説である28).この仮説の動物モデルとしては,保存された赤血球と血小板製剤とをLPS(lipopolysaccharide,リポ多糖)投与後にratの肺に灌流すると肺障害が起きるというものである.保存された血液製剤中のlysophosphatidylcholine(リソホスファチジルコリン,lyso-PC)が,活性物質であるとしている29,30).
in vitroのモデルでは,肺毛細血管内皮細胞を用いた好中球との共培養実験系で,肺血管の障害にはLPSとlyso-PCとによる好中球の活性化と,肺血管内皮細胞の活性化が関与するとしている31).
非免疫学的機序を支持する根拠としては,Sillimanらの90例のTRALIについての報告がある.4年間に一つの病院で90例のTRALI症例を集積しており,その頻度は1:1,120であった.抗白血球抗体検出率は25%であり,特異性が確認できたのは3.6%にすぎなかった6).
副作用自発報告に基づく日本赤十字社への報告のなかで,TRALIが疑われる症例は1997年よりこの病態が臨床的に認識されるようになるとともに増えてきており,最近では年間約30例程度の報告がある.診断基準が最近まで統一されていなかったため,表の診断基準に基づき,TRALI,possible TRALIに分けて見直し,2004年までの8年間に99例のTRALI, 27例のpossible TRALIを診断した.