看護教育 20巻10号 (1979年10月)

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看護婦としてのとまどい

 看護学院を卒業して,ずい分と月日を過ごしてしまった.6年間の臨床経験後,看護教育に携わる機会を与えられ,看護学生との触れあいの中から,臨床とは違った方向から看護を学び得ることのできた4年間の教員生活は,私にとって本当によい経験となり,看護婦として生き続ける自信を与えられた機会でもあった.しかし,再び臨床で患者と接する立場に置かれた今,毎日悩み続けることとなった.看護のあり方を学ぶ中で,多くの看護論に刺激され,考え続けながらも,依然として混乱していて満足を得られない現実は,いったいどこから来るのだろうか.

 看護は臨床における実践そのものであり,臨床を離れては在り得ない.看護の実践者でありながらも,繁雑な日常業務に追われ,とまどいやらあきらめで時を過ごしているのは,私だけなのだろうか.

特集 一般教育科目の再検討

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はじめに

 歴史的にみて,看護教育の出発点をどこにおくか,ということについては,いろいろの見方があってもいいと考えられる.いちおう看護を専門とする職業に結びつくものとして,明治7年の産婆教授所の設立を起点とするならば,現在まで約103年を経過している.これは,決しておろそかにできる年月ではない.看護教育はこれまでにも,多くの人たちによって,さまざまな角度から論じられてきた.長い間の徒弟的色彩の濃い教育であったことから,社会的評価をはじめとして,主体性の欠如,あるいは教育制度や教育内容などに多くの問題をもつことになった.

 昭和23年の保助看法の制定は,日本の看護史上新しい時代を開くことになったが,来るべき時代への要求と期待は大きいものがあった.それは‘看護という職業が,近代社会において,専門的職業としての確固たる地盤をきづきあげるためには,看護の支えとなる理念の確立と,ナースの新しい人間像の形成が必要である’1)という言葉によって代表されているようである.なかでも看護教育における一般教育科目の必要性については,‘一般教養科目をふやし,短大なみのレベルに内容を充実してほしい’2)という看護学生からの要望をはじめとして,より深い洞察力,科学的なものの考え方,あるいは人間としての威厳と責任を,といったものなどが多くみられた.

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はじめに

 最初に,次の文章を読んでいただきたい.これは‘看護学校カリキュラムの中の一般教育科目の意義をどのように考えますか’というアンケートに対して答えられたものの中から,学生の許可を得て引用したものである.

 看護は,患者およびスタッフなどとの人間関係の中で営まれる行為であると思う.他者との人間関係を円滑に営むためには人間的に成熟していなければならないし,また何事にも関心と興味をもち,自分の知識としていく積極性も必要と考える,そのために一般教育科目は,高校までの学力的教育とは内容もずいぶん異なり,興味をもって自己の視野を広め,基礎的な知識と関心をもち,これからの自分の知識の蓄積への糸口としていくために有意義であると思う(また多くのことを知っていることは,人間関係において相手を理解する上でも役立つ).

<私の授業から>

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 ‘わたしたちは,これからどんな英語をやるんだろう?’ 今年も入学したばかりの看護学生たちは胸をふくらませて—といえないまでも,かなりの好奇心をもって—,英語の授業に臨むことだろう.というのは,ほとんど初めての科目で埋められた彼らの時間割の中で,‘英語’は,‘国語’や‘体育’とともに,数少ないおなじみの科目だからである.しかも幸か不幸か1週間にたった1回.中学・高校と6年間,ほとんど毎日英語,英語で追われていたというのに.もしこの事実への学生の反応を調査したとすれば,ほっとする者が6割,心からがっかりする者が2割,英語への社会的要請を考えて失望する者が2割の分布図になるのではあるまいか.少なくとも私はそう読んで,まず学生たちのこの三様の気持ちになんとか添いたいと思う.

 一方,学校当局からの要求がある.教務の先生方は,長年非常勤講師を続けている私を信頼して下さってか,要求がましいことは何ひとつ言われたことはない.しかし手渡される新1年生の‘履修すべき科目表’に目を向けた時,私は毎年のことながら緊張せざるをえないのだ.つまり‘英語’は,同じ仲間のほかの学科より時間数がずばぬけて多い.たとえばある学校では,‘物理’や‘音楽’の30時間に対し,‘英語’は60時間である.そのため,ほとんど1年間を通じて時間割に組み込まれている.

看護教育と統計教育 縣 俊彦
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Ⅰ.看護における統計の役割

 私は統計教育,特に看護学における統計教育に関して,きちんとした考えをもっているわけではありません.しかし,実際に看護学を学ぶ学生に対し,統計学を教える機会を持つ者として,自分自身,感じていること,授業をした後の反省などを述べてみたいと思います.

 ここでは,看護という専門分野をもち,その専門分野の中で,統計という手段を有効に活用していこうという人々を対象とした統計教育について考えてみたいと思います.

‘物理学’の効用 名取 晃子
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 私が東京大学医学部付属看護学校で‘物理学’を何気なく引き受けてから,早くも4年の月日が流れてしまった.

 最初の2年間は,一般教養としての物理学といえども学生に何か役立つものと思い,前半が物理学,後半が医学への応用という形式の教科書を用いてみた.しかし週1回の半年講義という時間的制約で,前半が終わるか終わらないかで終わってしまった.用いた教科書自体の内容も,前半の物理学の分野に限って言えば,高校の物理学のレベルで,しかも紙数の制約か公式が突然表れたりして,論理的にわかりやすく書かれているとは思えない中途半端なものであった.

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 教養科目は常識的問題を平易に扱い,その重要性は専門科目に比べて多少とも劣るという考え方は,かなり一般化したものであると思われる.ナースとなるための国家試験に教養科目の出題がないという制度上の理由もあって,学生にとってそれが必要な単位を取得し,国家試験の受験資格を得るためだけの,いわばルーティン化した作業の1つであるという場合さえ見受けられる.教師の側でもまた,こうした学生の態度に答えるかのように,十年一日のごとく使い古されたノートを板書し,毒にも薬にもならない書斎の学問を紹介しているだけであれば,その存在意義は疑われるにちがいない.

 しかしながら実際,看護教育の中で教養科目に期待されている役割は決して小さいものではない.多くの看護学校でそれぞれ独自の読書会や研究会を設けて,文学,哲学,社会学,心理学等々,看護に関係する様々な文献を読み,論じ合う機会をもっていることも1つの例として挙げることができる.また多忙な仕事の合間を縫って大学の授業を聴講し,ゼミに参加しているナースの例も1,2にとどまらない.

<学生との対話>

一般教育科目を学び終えて
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 教務・講師の立場とともに,実際に学習する主体である学生たちが,一般教育科目をどのように学びとっているのかを知らねばなるまい.むしろそのことから常に問題点なり手がかりがみえてくるように思える.その思いを込めて,学生たちとの自由な語らいのひとときをもった次第である.

 ここで語られている内容は,日常の教育現場においてどこにでもみられる,ごく普通のひとコマにすぎない.それは決して特定の学校に限られた特殊な問題などではなく,ましてやそのようなことを意図したものではないことを,誤解のないようあらかしめお断りしておきたい.そのための便法として,すべて匿名の形をとらせていただいた.

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はじめに

 私が研修学校に入学した動機は,看護というものに自信が持てなくなったということである.看護学校を卒業して,2年間外科で,1年間内科で働いたが,その間,たびたび患者とのずれを感じた.ずれは心理的に私を戸惑わせ,何をしたらよいのかわからなくさせた.この戸惑いは,今していることはこれでよいのか?という自信のない,不安な思いに変化していった.

 研修学校に入学してから,かつての看護していた自分のあり方を問い直してみた時,過去3年間の看護には,何かが欠けており,それは,私自身の生き方と深く結びついているという結論に達した.

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はじめに

 私が看護婦として勤務していた外科病棟へ入院してきた患者の約3分の2が,癌疾患患者であった.根治術あるいは姑息術を受け,退院していった患者もあったが,なかには癌の侵襲が強く,手術が不可能であったり,癌の再発のために再入院し,そのまま軽快して退院するまでには至らず,病院で死を迎えた患者もいた.

 私が特に看護の困難さを痛感したのは,後者の経過をとる患者であった.このような患者に対しては,正確な診断名や死の時期が直前に迫っていることなどの真実は知らされていない.しかし患者の中には,治療を受けていても自分の体から治癒傾向が見いだせないことから,‘悪い病気ではないでしょうか?’‘本当に治るのだろうか?’と疑惑に満ちた質問を医療従事者に問いかけたり,患者をとりまく人々の言動に,患者の持っているあらゆる知識を照合し,さまざまに反応している患者もいた.

ルポルタージュ 女と靴下・14

ヨガと健康 鈴木 俊作
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 平塚らいちょう自伝“元始,女性は太陽であった”の中に,まだ女子学生だった彼女が日暮里の両忘庵をたずねて参禅する話が出てくる,その時の庵主・釈宗活は彼女に‘父母未生以前の自己本来の面目’という公案を与えている.この釈宗活は鎌倉円覚寺2代管長・釈宗演の後嗣で,東京帝大大学院院生・夏目金之助が強度のノイローゼにおかされ円覚寺内帰源院で参禅した時にも,漱石に同じ公案を与えている.漱石が円覚寺に籠もったのは明治27年12月のことで,らいちょうが両忘庵を訪れたのは明治38年春であった.

 らいちょうは苦労したすえこの公案を通過して禅の世界に深く踏みこんでいくことになったが,その10年前の夏目漱石は,同じ公案をどうしても解くことができずにむなしく山門を出てくるよりしかたなかった.後年になって彼はその時の経験を小説“門”の中にとり入れている.

基本情報

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看護教育
20巻10号 (1979年10月)
電子版ISSN:1882-1391 印刷版ISSN:0047-1895 医学書院

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