私の発言
看護婦としてのとまどい—看護をし続けるために考える
山本 静子
1
1四日市市立四日市病院
pp.585-587
発行日 1979年10月25日
Published Date 1979/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907370
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看護婦としてのとまどい
看護学院を卒業して,ずい分と月日を過ごしてしまった.6年間の臨床経験後,看護教育に携わる機会を与えられ,看護学生との触れあいの中から,臨床とは違った方向から看護を学び得ることのできた4年間の教員生活は,私にとって本当によい経験となり,看護婦として生き続ける自信を与えられた機会でもあった.しかし,再び臨床で患者と接する立場に置かれた今,毎日悩み続けることとなった.看護のあり方を学ぶ中で,多くの看護論に刺激され,考え続けながらも,依然として混乱していて満足を得られない現実は,いったいどこから来るのだろうか.
看護は臨床における実践そのものであり,臨床を離れては在り得ない.看護の実践者でありながらも,繁雑な日常業務に追われ,とまどいやらあきらめで時を過ごしているのは,私だけなのだろうか.
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