ルポルタージュ 女と靴下・14
ヨガと健康
鈴木 俊作
pp.647-653
発行日 1979年10月25日
Published Date 1979/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907380
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平塚らいちょう自伝“元始,女性は太陽であった”の中に,まだ女子学生だった彼女が日暮里の両忘庵をたずねて参禅する話が出てくる,その時の庵主・釈宗活は彼女に‘父母未生以前の自己本来の面目’という公案を与えている.この釈宗活は鎌倉円覚寺2代管長・釈宗演の後嗣で,東京帝大大学院院生・夏目金之助が強度のノイローゼにおかされ円覚寺内帰源院で参禅した時にも,漱石に同じ公案を与えている.漱石が円覚寺に籠もったのは明治27年12月のことで,らいちょうが両忘庵を訪れたのは明治38年春であった.
らいちょうは苦労したすえこの公案を通過して禅の世界に深く踏みこんでいくことになったが,その10年前の夏目漱石は,同じ公案をどうしても解くことができずにむなしく山門を出てくるよりしかたなかった.後年になって彼はその時の経験を小説“門”の中にとり入れている.
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