特集 一般教育科目の再検討
<私の授業から>
インスパイアしあう瞬間だけは持ちたい
高見 安規子
1
1看護学校
pp.604-608
発行日 1979年10月25日
Published Date 1979/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907373
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‘わたしたちは,これからどんな英語をやるんだろう?’ 今年も入学したばかりの看護学生たちは胸をふくらませて—といえないまでも,かなりの好奇心をもって—,英語の授業に臨むことだろう.というのは,ほとんど初めての科目で埋められた彼らの時間割の中で,‘英語’は,‘国語’や‘体育’とともに,数少ないおなじみの科目だからである.しかも幸か不幸か1週間にたった1回.中学・高校と6年間,ほとんど毎日英語,英語で追われていたというのに.もしこの事実への学生の反応を調査したとすれば,ほっとする者が6割,心からがっかりする者が2割,英語への社会的要請を考えて失望する者が2割の分布図になるのではあるまいか.少なくとも私はそう読んで,まず学生たちのこの三様の気持ちになんとか添いたいと思う.
一方,学校当局からの要求がある.教務の先生方は,長年非常勤講師を続けている私を信頼して下さってか,要求がましいことは何ひとつ言われたことはない.しかし手渡される新1年生の‘履修すべき科目表’に目を向けた時,私は毎年のことながら緊張せざるをえないのだ.つまり‘英語’は,同じ仲間のほかの学科より時間数がずばぬけて多い.たとえばある学校では,‘物理’や‘音楽’の30時間に対し,‘英語’は60時間である.そのため,ほとんど1年間を通じて時間割に組み込まれている.
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