看護研究 51巻3号 (2018年6月)

特集 看護学における事例研究法の進化─質的記述的事例研究法の可能性

黒江 ゆり子
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 看護学における事例研究法への関心が,高まる一方である。2013年に企画した「看護学における事例研究法─新しい研究デザインの可能性」(46巻2号)では非常に多くの方々から声をかけられ,事例研究法のもつ現実的な可能性の大きさを感じた。本特集は,そこからさらに発展的に先に進めるものである。

 今日の私たちは,多様な研究手法を手にしているにもかかわらず,現実における看護実践の成り立ちを見極め,そこから看護のあり方を問い,深く考える「手立て」というものを見失っているのではなかろうか。現代に生きる私たち人間にとって看護とは何であるのか,看護はどのようにあることが求められているかを深く考えようとするとき,私たちは原点に立とうとし,そのときに求めるのが,現実の事例である。

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はじめに

 多様な学問領域における事例研究法の進展が著しい。この進展には,社会学者のYin(1994/近藤訳,2011)や同じく社会学者のStake(1995),そして教育学者のMerriam(1998/堀,久保,成島訳,2014)らの貢献が大きく,看護学においても促進的な影響を与えている。Yin,Stake,およびMerriamは,1990年代から多くの書籍を著し,質的研究の1つとして豊かな記述を求める事例研究法の意義とその方法を提示している。

 その頃から,看護学においても新たな時代の事例研究法の考え方に基づく論文が報告されるようになり,その後,質的事例研究法および記述的事例研究法の報告がされるようになっている(黒江,2013a)。これらの論文が対象とする事例(case)は,個人・家族だけではなく,小集団・組織・地域,あるいは開発したプログラムや特定のケアプロセスなど,その幅は広い。また,わが国においては,山本,鶴田(2001)によって臨床における事例研究の考え方と進め方が示され,私たち看護職は実に多くの示唆を得た。後には,看護学においても,沖中,西田(2014)による優れた報告がされている。

 看護が実践されるところには,それぞれ個人や家族,組織や地域があり,そこには必ず看護職者がいる。そこでは人としての交流を基盤としながら専門的な看護が実践され,それに対して個人や家族,組織や地域が応え,その応えに沿って,さらに看護実践が続いていく。そのため,専門的な看護の実践が連続するとき,そこでは,看護という専門領域と人間の領域の事象が交錯してつながり,同時にそれにより,専門的な看護の知と技(わざ)に関わる事柄と哲学的な事柄が統合され,具現化されたものになる。

 それゆえ,それぞれの個人や家族,組織や地域にも,現実に行なわれている個々の看護実践にも,さらには個々の看護実践者にも,その1つひとつに固有の特性がある。それぞれの個別の事例には内包された多様性と複雑性があるが,それでもなお存在する事例間の共通性に私たちは驚き,それらを見極めることの重要性に気づかされるのである(黒江,2013a)。

 私たち看護職はいま,さまざまな研究手法を手に入れているにもかかわらず,現実の看護実践が成り立った過程を見定め,そこから看護のあり方を問い,深く思考する“術(すべ)”を見失っているのではないだろうか。現代に生きる人々にとって,看護とは何なのか,看護はどうあることが求められているのかを深く考えようとするとき,私たちは原点に戻ろうとし,そのときに希求するのは現実の事例である。それは,看護学が“いのち”につながる人間の存在意義や,かけがえのない個人としての生き方にアプローチする学問だからである(黒江,2017b)。

 看護学において事例研究を実施する意義は,それによっていまの時代を深く洞察し,未来につなげる必要があるからである。実践を基盤にした学問としての看護学を問い続け,事例研究,量的研究,質的研究,そして混合研究などの歴史的変遷を見通すことができる私たちには,そうした変遷を踏まえ,未来の看護の創生のために省察することが課せられている。看護学における事例研究法はこの数年の間に飛躍的に進展し,その姿を明確にし始めている(山本,2017;黒江,2013a;2013b;2016;2017b)。

 本稿では,筆者のこれまでの論考(黒江,2013a;2013b;2017bなど)に基づき,事例研究法がどのような経緯を経て現在に至っているかを踏まえ,質的記述的事例研究の考え方について,さらに思索しようと思う。

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はじめに

 事例研究法の認識論的課題として,どの学問分野においても議論されるのが結果の一般化と研究者の恣意性の問題である。これら批判の基盤にあるのが,数百年にわたって近代科学を主導してきた普遍性・論理性(因果分析)・客観性を原理とする「科学の知」のパラダイムである(中村,1992)。このような機械論的世界観のもとでは,実践家が自己の実践を振り返るretrospectiveな質的記述的事例研究は,研究として評価され難い。こうした状況を打開するため,筆者らは実践家が行なう事例研究法のワークショップを開催し,事例報告と事例研究を区別したチェックリストや,メタ統合に耐える事例研究論文の条件などを提言してきた(木下ら,2012;内田ら,2013)。また,事例研究法の認識論的課題をとりあげ,データ収集・分析の恣意性批判,結果の一般化,倫理の問題について代替的な方法論を示した(内田,2013)。

 しかし,実践家からは自分の実践を事例研究論文にまとめる難しさや,学会誌の査読基準がわからないといった声が継続して聞かれていた。その後,本特集でも執筆されている山本力先生から心理臨床分野での事例研究法の考え方を学び,ディスカッションする機会を得た(山本,鶴田編著,2001;黒江ら,2017)。その中で,日本心理臨床学会が実践と研究の認識論として「臨床の知(中村,1992)」を掲げ,実践の事例研究を中心に心理臨床学の体系化を進めてきた経緯を知った(河合,2001;日本心理臨床学会学会誌編集委員会,2012)。会員に向けた実践と研究の前提と方針が,心理臨床学研究論文執筆ガイドに端的に示されている。

 とくに新しい学問としての専門性の内実を記す学術研究論文は,臨床実践におけるクライエントとの協働作業である点に独自性と存在理由がある。そのため会員に託された課題は,自らの臨床実践を自省し前進させると同時に,臨床実践研究に取り組み心理臨床学を新しく構築することにある。会員は,臨床実践と心理臨床研究が相補的であり,専門資質の維持向上に不可欠であることを自覚し,当然の責務として主体的に自己研鑽に努める必要がある。 (日本心理臨床学会学会誌編集委員会,2012,p.7)

 日本心理臨床学会のこのようなパラダイムと比較して,前述した筆者らの取り組みや実践家の思いは,実証主義に対抗する「臨床の知」へのシフトを意識しながらも,結局は研究論文の科学的価値にとらわれていることに気づかされた。それほどに,私たちの思考には近代科学を主導してきた「科学の知」が根深く浸透しているのではないだろうか。これは見方を変えれば,実践と研究の認識論的一貫性という課題が私たちに突きつけられているともいえるだろう。また,事例研究(case study)という用語は多義的であり,事例研究法の認識論的立場もさまざまであり,特にその立場を明言していない事例研究論文は評価が難しい。そこで,実践家が自己の実践を省察し「臨床の知」を探求する事例研究を,「省察的事例研究法」と呼び,「科学の知」を探求する事例研究と区別することにした(内田ら,2017)。

 本稿は,この省察的事例研究法の認識論的立場を整理し直すことにより,実践と研究をつなぐ事例研究法への資料としたい。

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はじめに

 看護実践の省察的事例研究は,実践家のリフレクションを促し,暗黙知を明らかにする有用性をもつ。また,最終産物の論文を通じて実践知が集積され体系化されることにより,看護のわざの継承にもつながる貴重性を有している。

 しかしながら,病院を中心とする臨床現場はクリティカルパスの導入や電子カルテ等のICT化による合理化・効率化および個人情報保護の倫理的課題などから,看護実践に関する情報の質は薄くなり,実践家が事例研究を行なう環境はより厳しさを増している。また,医療費削減に向けて病院完結型から地域完結型医療への転換や在院日数の短縮化が進む中,短期入院サイクルにおける看護は部分的・断片的になりやすく,全体を見通し難くなっている。合理化・効率化を重視する職場環境は,自分の頭で考えないまま情報処理を行なう傾向を助長しやすく,良質な経験が減り,実践からの学びを難しくしている(松尾,2011)。成果や効率性を重視する時代の趨勢により,エビデンスを重視した研究活動が推奨され,科学的エビデンスが最も低いとされる事例研究は,本来有する意義さえ見失われる傾向にある。中村(1992)が「瞬間証明主義」と表現したように,迅速に答えを出しやすい「科学の知」の利点が追求される環境においては,経験の蓄積を必要とする「臨床の知」の成果を待つのは難しい。

 筆者らは,日本慢性看護学会において看護実践の事例研究法に関するワークショップを10年近く開催してきたが(木下ら2012;内田ら,2013),参加者からは,「事例研究を行ないたいと思う気持ちは強くなったが,ひとりで論文執筆まで到達するのは難しい」「病院の倫理審査で事例研究が認められない」という声が継続して聞かれていた。看護実践における事例研究の衰退を防ぎ,本来の有用性を発揮できるような方策を打ち出す必要がある。

 そこで,臨床での事例研究に伴う困難と事例研究の意義を明らかにする目的で,事例研究論文の筆頭著者を対象に,全国数か所で面接調査を実施した(調査Ⅰ)。調査Ⅰの協力者の所属施設は,事例研究を用いた継続教育を長年実施しており,ワークショップ参加者から聞かれたような困難な状況は聴取できなかった。このことから,事例研究への組織文化の影響が示唆された。「科学の知」が浸透している医療施設において,実践家が「臨床の知」を探求するには,組織的支援が必要不可欠なのではないかと思われた。では,事例研究の組織的支援とはどのようなものなのか。そして,それを推進し続ける看護管理者は,看護実践への影響をどのように捉えているのだろうか。

 こうした新たな問いのもと,事例研究を用いた看護師育成の組織的方策に取り組んでいる看護管理者や教育担当者らが間主観的に見いだしている意義や課題を明らかにしたいと考え,調査Ⅱを実施することにした。その上で,筆頭著者の論文を調査Ⅰ・Ⅱの結果に重ね合わせてみると,組織的な方策と支援によって,日頃から省察的思考力を訓練されてきた看護師だからこそ自分たちの実践にどのような意味があったのかを見いだそうとして事例研究を始めるという,臨床現場における省察的実践と研究の循環がみえてきた。さらに,事例研究から生まれた実践知は,看護チームの実践を省察する志向性へと還元され,それにより組織全体の省察的実践が一層強化されていく側面も浮かび上がってきた。つまり,個人の経験学習としての事例研究は,組織学習としての省察的実践と連続した経験(Dewey/市村訳,2004)だったからこそ,実践と研究が乖離せず,むしろ循環していくというような,言い換えれば暗黙知と形式知の循環により組織の知を創造していく土壌が形成されたのであろう(野中,紺野,2003)。

 医療構造の転換期において医療経営の効率化が一層の重大性を帯びる今日,これまで以上に省察的な看護実践を実現し継続するのは厳しい状況にある。そこで本稿では,看護師個人の事例研究の経験と,事例研究を用いた看護管理者の組織的方策の経験に関する,我々の調査結果の概要を報告したのち,事例研究が看護の組織と個人それぞれの省察的看護実践にどのような影響を与えるのか,その意義と課題について考察する。

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はじめに

 私の専門分野は心理臨床学(臨床心理学とも呼ぶ),心理学の応用分野の一つである。その中でも心理療法やカウンセリングの諸問題に関心が深い。もう40年間近く心理臨床の実践と大学での教育を並行して続けてきた。3年余り前に国立大学の教員を定年退職して,現在の大学院に移籍し,同じような仕事を続けている。今回,本誌の企画で「心理臨床学の事例研究の理論と実際」に関する執筆を企画者の黒江先生から求められたので,私の事例への取り組みを素材にして,「一人称の事例報告」(けっして事例研究ではない)をしてみようと考えた。

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はじめに

 看護実践を続けていると,自分の実践が患者にとってどうであったのか,という問いが湧いてくることがある。それは,うまくいったと思うときよりも,うまくいかなかった,もっと何かできたのではないかと思うようなときに多い。不思議なことに,うまくいったと思う実践はあまり印象に残らない。看護実践者は患者との関わりにおいて,予測されるアウトカムを考えながら行為をしている。それは,そのように関わりが進むように教育を受けているからかもしれない。

 しかし,悩みながら実践をしていると,うまくいかなかったことが心の底に沈むことがある。後になって,こういうことだったのかと腑に落ち,そのようなときに,初めて自分の看護を自分で認めることができる一瞬がある。そして,経験を積むことで,実践をしながら患者の反応を捉えて,次の関わりを考えながら行為し,また患者の次の反応を捉えるという一瞬一瞬の判断と判断に基づく行為を繰り返すようにもなる。

 このようなとき,レンブラントの絵が思い出される。レンブラントは17世紀のオランダの画家で,光の魔術師と称されている。レンブラントによって描かれる人物は,その光の当て方によってその人物の特徴(本質)というようなものが見る側に伝わってくる。患者の状況をアセスメントし,何をすればいいのかを判断し,何らかのアウトカムを生み出していくことは,レンブラントの光のように看護の本質を照らし出していると感じてきた。

 一瞬にして過ぎ去ってしまう実践は,記録を残さない限り,誰にも伝わらない。しかし,患者の反応からそこには何らかの看護が存在していたことは明らかである。では,それはどういう看護だったのか,どうすれば他者に伝えることができるのか,という先の問いが生まれる。

 山本,鶴田(2001)は「レンブラントの絵に見られる光源によって,照らし出された人物,物体がその対象の本質を自然光のもとにあるより,ありありと描き出す」とし,「独自の視点」をもたないと,事例の本質が浮かび上がらないとしている。これは事例研究について述べられている記述だが,看護の本質を照らし出すという点において,自分が感じていたことが特別なことではないと安堵し,その光源を探し出して,実践を事例研究として記述したいと思ったことを思い出す。

 看護はいま,「多様な研究手法を手に入れているにもかかわらず,現実における看護実践の成り立ちを見極め,そこから看護のあり方を問い,深く考える“手立て”というものを,見失っているのかもしれない」と危惧されている(黒江,2017)。本稿では,事例報告をどのように事例研究に組み立てていくのかを検討したい。

質的記述的事例研究の実際1

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はじめに

 超高齢社会を迎え,一臓器一疾患の時代から,複数の病気を抱えて療養生活を送る人々が増え,医療の現場は複雑さを増している。病いを得た人々の状態が,急性期から回復期,慢性期へと行きつ戻りつしながら変化するプロセスにおいて,その支援のありようを言語化し,何が行なわれているのかを可視化する試みは,時代とともに生きる人々に看護師がどのように関わっているのかを伝える重要な試みである。

 臨床における事例研究は,「臨床現場という文脈で生起する具体的現象を何らかの範疇との関連性において構造化された視点から記述し,全体的あるいは焦点化して検討を行い,何らかの新しいアイデアを抽出するアプローチである」(山本,鶴田編著,2001,p.16)と定義されている。筆者はこの定義を手がかりに,長年行なった看護面談での患者との関わりを事例報告としてまとめた。そのプロセスをここに紹介し,実践を報告するあり方を検討したい。

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緒言

 スティグマの語源は「恥もしくは不信用の印」という意味で,何かを決めつけられて失格者やだめな人と決定づけられ,烙印を押される状態を意味している。糖尿病という病気は,ともすると,自らの食生活などの摂生の不足が招いたものとして,食事や運動などの自己管理を怠っただめな人というレッテルを張られ,自業自得であるとスティグマが付与されてしまう。

 一方,スティグマには,「感じるスティグマ」と呼ばれる内在的なものがあり,「予期するものを感じるスティグマ」と「内面的なものを感じるセルフ・スティグマ」が含まれている(塚本,2010)。内在的スティグマは,ステレオタイプ的な疾患のイメージを患者自身がもつことで,自尊感情を低下させることにつながる。スティグマは他者からみられている自己評価を下げ,自己への感情と評価を下げる。その結果,自尊感情が低下するとされている(土屋,2012;塚本,2010)。

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「人を対象とする研究」

 看護師は,専門職業人として,自らの看護実践が患者や家族の健康状態や社会的状況を改善しているのか,改善しているとしたらそれはなぜなのかなどを,研究的な視点で振り返り分析する看護研究を積み重ねることを課せられている。看護研究の中でも,事例研究は臨床の看護師にとって身近な存在であるとともに,人間の心理や行動の理解を深め,看護現象の新たな知見の発見に導く優れた研究法である。看護における事例研究は「人」を対象とする研究であり,研究に携わるすべての関係者は人間の尊厳および人権を守り,適正に研究を推進する必要がある。厚生労働省(2014)は,そうした研究の倫理のために,「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」を示し(表),その中で,研究を進めるものは社会的,学術的に意義のある研究を実施すべきであり,倫理審査委員会による倫理審査を受けることが基本であるとしている。

 そもそも,なぜ研究倫理があるのか。それは人を対象とする研究という営みが,かつての医学研究の歴史において非人道的な研究や研究データの改ざんが行なわれたりするなど,極めて危ういバランスの上に立っているという事実があったからである(神里,武藤編,2015)。その後,近代社会の到来を迎えてもなお倫理的な配慮が必要になるのは,被験者は常に搾取の危険に晒されている,ということに変わりはないからである。つまり,臨床研究の主な目的は,大勢の患者のために医学的知識を増大させケアの質を向上させようとする点にあり,目の前の個々の被験者にとっての最善の利益を追求する点にはないのである。研究によって多くの患者の利益が得られるからといって,個々の被験者が手段として扱われてよいはずはない。ゆえに,被験者を可能な限り大事にし,彼ら/彼女らの権利と福利はしっかりと守られていることを,倫理審査として審議し保証する必要があるのである。我々看護職者の責任としては,「自らの看護実践の倫理的根拠をきちんと説明すること」「研究者が倫理的な吟味を受けること」が,被験者への倫理的配慮といえよう。

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はじめに

 超高齢社会に突入した現在では,医療・保健・看護・介護において,高齢者の慢性疾患,慢性状態の健康問題が解決困難な事象として大きな関心事となっている。慢性疾患や慢性状態のケアは複雑さが増大し,かつてのように単純な治療やケアでは解決不可能になっている。看護界では,その複雑さをひもとき,看護行為の概念やケアの効果,行為の指針などを得ようとするものの,調査や実験といった既存の研究方法では,解決への手がかりどころか,状況の把握さえ見いだせない状態になっている。

 複雑な患者の状態だけでなく,そもそも看護は医学に比較して,ケアの効果がデータでは見えにくい。筆者も専門の患者教育領域で教育効果のエビデンスを示そうと,数多くの介入研究を試みたが,シンプルに効果があると示すことが困難であった。また,臨床介入研究を行なうにしても,研究計画は複雑で,プロトコールは患者の意欲や状況など,個別性に対応しなければ効果にならないため,複雑でわかりにくい。その研究結果に関しても,患者と看護師の実感としてのケアの効果とは大きく異なり,検査データに及ぼす効果は小さく,効果の強調が困難であった。

 筆者が考えるに,看護のケアの効果は,検査データだけでなく,患者の気分や意欲,安全・安楽や家族への好影響まで,多角的,総合的に現われるもので,検査データだけで測定することそのものが不適切であるのかもしれない。

 このように,医学と同じ方法,同じ基準でケアの効果を追究しても,看護ケアの核心を研究している気分にはなれず,いらだちが増すばかりで,これらの方法では良質なケアの探索は実現できないと思われる。もちろん,医学と同様なケアのエビデンス研究は,今後も必要不可欠であるが,それだけでは看護の特質を活かせないと思われる。

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 近年,看護分野でも国際共同研究が奨励されているが,科学研究費などを得て国際比較調査を行なうなどの場合,予想外の出来事も少なからず発生する。ここでは,科学研究費B(JP26305018)の助成を受けて,韓国,中国,台湾,タイの4大学と国内の3大学で,長期ケア施設に暮らす,認知機能が低下した高齢者におけるBPSD(行動・心理症状)の比較調査を行なった研究(EPISODIC study)での体験を紹介する註1。この研究においては,国際共同研究をするためのネットワーク形成,共同研究者の選び方,尺度の問題や予想外の予算などの課題があった。

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 その日,自殺企図による多発外傷,CPR,心停止という夜間管理当直からの患者報告を,急性・重症患者看護CNSは捉えていた。その後,初療の看護師から受けた依頼は,突然死した母親から離れられない家族への対応であった。

 救急医療センター初療室の奥のストレッチャーに横たわっている母親のそばに,大声で泣き叫ぶ次女と,うつむいている長女が女性警官に付き添われて座っていた。CNSは情動反応の激しい次女の背中をさすり,悲しみの表出を抑えている長女を気づかいながら,「こんな辛いことはないですよね,お母さんに悲しい思いを伝えていきましょう」と死者に問いかける。

連載 理論構築を学ぶ─看護現象から知を生むために・9

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はじめに

 前回は中範囲理論についての解説であったが,今回は,さらに抽象度が低く,特定の対象または特定の領域の実践に限定した看護現象に焦点を当てた理論としてSituation-specific theories(以下,状況特定理論)を取り上げ,その理論構築についてみていくこととする。理論構築とは,理論を開発していくことである。状況特定理論は,看護の実践と研究における知識を発展させ,ケアを改善させていくという循環をめざす理論である。実践を契機として生成された理論は,実践との融合をはかりながら,看護実践のための知の開発へとそのプロセスを歩んでいく。

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基本情報

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看護研究
51巻3号 (2018年6月)
電子版ISSN:1882-1405 印刷版ISSN:0022-8370 医学書院

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