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はじめに
看護実践の省察的事例研究は,実践家のリフレクションを促し,暗黙知を明らかにする有用性をもつ。また,最終産物の論文を通じて実践知が集積され体系化されることにより,看護のわざの継承にもつながる貴重性を有している。
しかしながら,病院を中心とする臨床現場はクリティカルパスの導入や電子カルテ等のICT化による合理化・効率化および個人情報保護の倫理的課題などから,看護実践に関する情報の質は薄くなり,実践家が事例研究を行なう環境はより厳しさを増している。また,医療費削減に向けて病院完結型から地域完結型医療への転換や在院日数の短縮化が進む中,短期入院サイクルにおける看護は部分的・断片的になりやすく,全体を見通し難くなっている。合理化・効率化を重視する職場環境は,自分の頭で考えないまま情報処理を行なう傾向を助長しやすく,良質な経験が減り,実践からの学びを難しくしている(松尾,2011)。成果や効率性を重視する時代の趨勢により,エビデンスを重視した研究活動が推奨され,科学的エビデンスが最も低いとされる事例研究は,本来有する意義さえ見失われる傾向にある。中村(1992)が「瞬間証明主義」と表現したように,迅速に答えを出しやすい「科学の知」の利点が追求される環境においては,経験の蓄積を必要とする「臨床の知」の成果を待つのは難しい。
筆者らは,日本慢性看護学会において看護実践の事例研究法に関するワークショップを10年近く開催してきたが(木下ら2012;内田ら,2013),参加者からは,「事例研究を行ないたいと思う気持ちは強くなったが,ひとりで論文執筆まで到達するのは難しい」「病院の倫理審査で事例研究が認められない」という声が継続して聞かれていた。看護実践における事例研究の衰退を防ぎ,本来の有用性を発揮できるような方策を打ち出す必要がある。
そこで,臨床での事例研究に伴う困難と事例研究の意義を明らかにする目的で,事例研究論文の筆頭著者を対象に,全国数か所で面接調査を実施した(調査Ⅰ)。調査Ⅰの協力者の所属施設は,事例研究を用いた継続教育を長年実施しており,ワークショップ参加者から聞かれたような困難な状況は聴取できなかった。このことから,事例研究への組織文化の影響が示唆された。「科学の知」が浸透している医療施設において,実践家が「臨床の知」を探求するには,組織的支援が必要不可欠なのではないかと思われた。では,事例研究の組織的支援とはどのようなものなのか。そして,それを推進し続ける看護管理者は,看護実践への影響をどのように捉えているのだろうか。
こうした新たな問いのもと,事例研究を用いた看護師育成の組織的方策に取り組んでいる看護管理者や教育担当者らが間主観的に見いだしている意義や課題を明らかにしたいと考え,調査Ⅱを実施することにした。その上で,筆頭著者の論文を調査Ⅰ・Ⅱの結果に重ね合わせてみると,組織的な方策と支援によって,日頃から省察的思考力を訓練されてきた看護師だからこそ自分たちの実践にどのような意味があったのかを見いだそうとして事例研究を始めるという,臨床現場における省察的実践と研究の循環がみえてきた。さらに,事例研究から生まれた実践知は,看護チームの実践を省察する志向性へと還元され,それにより組織全体の省察的実践が一層強化されていく側面も浮かび上がってきた。つまり,個人の経験学習としての事例研究は,組織学習としての省察的実践と連続した経験(Dewey/市村訳,2004)だったからこそ,実践と研究が乖離せず,むしろ循環していくというような,言い換えれば暗黙知と形式知の循環により組織の知を創造していく土壌が形成されたのであろう(野中,紺野,2003)。
医療構造の転換期において医療経営の効率化が一層の重大性を帯びる今日,これまで以上に省察的な看護実践を実現し継続するのは厳しい状況にある。そこで本稿では,看護師個人の事例研究の経験と,事例研究を用いた看護管理者の組織的方策の経験に関する,我々の調査結果の概要を報告したのち,事例研究が看護の組織と個人それぞれの省察的看護実践にどのような影響を与えるのか,その意義と課題について考察する。
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