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はじめに
事例研究法の認識論的課題として,どの学問分野においても議論されるのが結果の一般化と研究者の恣意性の問題である。これら批判の基盤にあるのが,数百年にわたって近代科学を主導してきた普遍性・論理性(因果分析)・客観性を原理とする「科学の知」のパラダイムである(中村,1992)。このような機械論的世界観のもとでは,実践家が自己の実践を振り返るretrospectiveな質的記述的事例研究は,研究として評価され難い。こうした状況を打開するため,筆者らは実践家が行なう事例研究法のワークショップを開催し,事例報告と事例研究を区別したチェックリストや,メタ統合に耐える事例研究論文の条件などを提言してきた(木下ら,2012;内田ら,2013)。また,事例研究法の認識論的課題をとりあげ,データ収集・分析の恣意性批判,結果の一般化,倫理の問題について代替的な方法論を示した(内田,2013)。
しかし,実践家からは自分の実践を事例研究論文にまとめる難しさや,学会誌の査読基準がわからないといった声が継続して聞かれていた。その後,本特集でも執筆されている山本力先生から心理臨床分野での事例研究法の考え方を学び,ディスカッションする機会を得た(山本,鶴田編著,2001;黒江ら,2017)。その中で,日本心理臨床学会が実践と研究の認識論として「臨床の知(中村,1992)」を掲げ,実践の事例研究を中心に心理臨床学の体系化を進めてきた経緯を知った(河合,2001;日本心理臨床学会学会誌編集委員会,2012)。会員に向けた実践と研究の前提と方針が,心理臨床学研究論文執筆ガイドに端的に示されている。
とくに新しい学問としての専門性の内実を記す学術研究論文は,臨床実践におけるクライエントとの協働作業である点に独自性と存在理由がある。そのため会員に託された課題は,自らの臨床実践を自省し前進させると同時に,臨床実践研究に取り組み心理臨床学を新しく構築することにある。会員は,臨床実践と心理臨床研究が相補的であり,専門資質の維持向上に不可欠であることを自覚し,当然の責務として主体的に自己研鑽に努める必要がある。 (日本心理臨床学会学会誌編集委員会,2012,p.7)
日本心理臨床学会のこのようなパラダイムと比較して,前述した筆者らの取り組みや実践家の思いは,実証主義に対抗する「臨床の知」へのシフトを意識しながらも,結局は研究論文の科学的価値にとらわれていることに気づかされた。それほどに,私たちの思考には近代科学を主導してきた「科学の知」が根深く浸透しているのではないだろうか。これは見方を変えれば,実践と研究の認識論的一貫性という課題が私たちに突きつけられているともいえるだろう。また,事例研究(case study)という用語は多義的であり,事例研究法の認識論的立場もさまざまであり,特にその立場を明言していない事例研究論文は評価が難しい。そこで,実践家が自己の実践を省察し「臨床の知」を探求する事例研究を,「省察的事例研究法」と呼び,「科学の知」を探求する事例研究と区別することにした(内田ら,2017)。
本稿は,この省察的事例研究法の認識論的立場を整理し直すことにより,実践と研究をつなぐ事例研究法への資料としたい。
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